転生ファウ晶♀小話① 私の好きな人は案外嫉妬深い。
そのことを思い出したのはもう手遅れになってからだった。
人気の少ない、魔法舎の中庭の片隅。
木陰に隠された穴場のスポットにファウストは膝に猫を載せて丁寧に毛を撫でていた。
撫でられている猫は幸せそうに微睡んでいて、少し羨ましい。
私は気合いを入れるように深く呼吸して胸元のネックレスをぎゅっと握りしめた。
集中するために目を閉じて体内の魔力へ意識を向ける。
「ウィオラ・カロラ!」
魔力の膜が身体を包む。
目を開けると視界がぐっと低くなってて自分の魔法が成功したのがわかって『よし!』と声を出した。
出た音は『にゃあ』、視界に入る手は焦茶色の手並みの獣の手。
嬉しくて小躍りしてしまいそうだけど、まだ魔法が長持ちしないのを思い出して目的の方向へとトコトコ歩く。
短い手足で精一杯好きな人の元へ向かう。
私の気配に気づいたファウストは驚いたように瞳を瞬かせて、砂糖菓子のように菫の瞳を緩めた。
「きみはここにくるのは初めて?」
「にゃあ。」
差し出された手のひらの匂いをすんすんと嗅いで、手のひらに頭を擦り付ける。
猫の姿になって嗅覚も過敏になってるのだろうか、彼の優しいお香の香りがダイレクトに伝わってくる。
擽ったいよ、と笑いながら耳から頭にかけて撫でてくれる手は心地よかった。
気づけば彼の上にいたはずの猫はいなくなっていて、静かな中庭には私とファウストだけの世界になっていた。
やっぱりファウストは猫のスペシャリストだ。
撫でるのがとんでもなく上手い。
頭だけでこれなら背中を撫でられたらどうなってしまうのだろうか。
これはいつも彼の膝の上で気持ちよさそうに微睡んでいる猫達の気持ちもわかる。大好きになってしまう。
にゃあと声を漏らしながら瞳を細めていると頭上から面白がるような声が降ってきた。
「ところで、きみは案外悪戯好きなんだな。」
「にゃ?」
悪戯好き、と言う言葉が耳に入って彼の端正な顔へと目を向ける。
彼の意図が分からず首を傾げる。
「ねぇ、アキラ。」
「にゃ、ぁ………あっ!」
名を呼ばれた動揺で魔法の膜が揺らいだ。崩れかけた魔法を持ち直す技量は私には無く、変化の魔法が解けて私自身の姿に戻った。
ムッと唇を尖らせて楽しげに喉を鳴らす彼を見つめた。
「いつから気づいていたんですか?」
「きみが物陰でこそこそしてる時から。」
「最初からじゃないですか……!」
つまりは、最初からバレバレだったのだ。
たしかにこの歴戦の魔法使いを欺き切れるだなんて思ってもなかったけど少しぐらい驚いてほしかったと思う。
バレてしまっていた恥ずかしさで顔を覆った。
うう〜と唸り声を出すと笑われたけど。
「ところで、どうしてきみが猫に?」
ファウストの問いかけに私はゆっくりと顔を上げた。待ってました、と言わんばかりに頬を緩ませて口を開く。
「シャイロックに変身魔法を教わったんです。どうしても猫になってみたくて………」
上手くできてましたかね?と首を傾げる。けれどファウストの反応は無く、私は色付きのサングラスを覗いた。
彼の美しい菫色が少し不貞腐れたような色に変わっていて私は瞳を瞬かせた。
《サティルクナート・ムルクリード》
ファウストの呪文が聞こえたと思った瞬間、私の視界はまたもや低く変化した。
「にゃ、ぁ?……ぁ!?」
私の口から漏れ出たのは愛らしい猫の鳴き声だった。慌てて手足を見たら先程と同じように焦茶色の小さなものへと変わっている。
当たり前だけど、変化の魔法も私がかけたときよりも巧妙で。
彼はひょいと私小さな身体を優しく包みこんで持ち上げた。
視界がぐいっと上がり、菫色の瞳が目の前に現れた。鼻をこつん、とくっつけてファウストは不満気に言葉を発した。
「きみの先生は僕なんだけど。」
と、私をじいっと見つめた。
予想外のファウストの反応と距離の近さに喉から声にならない悲鳴が溢れる。
無理。
元の顔だったなら、今の私は笑ってしまうほど真っ赤に染まっているのだろう。そう思うと猫の姿で良かったのかと思う。良くないけれど。
下ろしてほしいし、逃げたいけれど鼻先がくっついているこの状態では動くに動けなくて、喉から悲鳴ににた音を出すしかできなかった。
ふるふると固まる私にファウストは菫の瞳を細めた。
「可愛い。」
その一言に耐えきれずに私は無理矢理ファウストの手の中から逃げ出した。一瞬何かに当たった気がするけど気のせいだと思いたい。絶対に気のせいだ。
とりあえずこの場から離れよう。彼から離れるのは惜しいけれど、これは私の精神衛生上よろしくない。
オズかシャイロックの部屋に逃げ込めばきっと助けてくれるだろうと当たりをつけて魔法舎に向かって走り出す。ムルと北の魔法使いだけには見つからないように気をつけようと思いながら。
けれどさすがは小さい手足。
さすがは猫マスターの彼。
ファウストは私の身体を再びひょいと持ち上げて自身の膝の上に放った。
「にゃ、にゃああ!?」
そして丁寧に背を撫でる。
「ほら、構ってほしかったんだろう?」
「ゃあ……にゃ……ぁ。」
彼の手つきに抗えなくてふにゃりと力が抜けた。思わず彼の膝の上で伸びてしまう。首から背にかけて、彼の美しい指先でなぞられるのはたまらないことを知った。
気持ち良さに悶えているともう片方の手が私の顎へと指を伸ばした。カリカリと撫でられるともう駄目。溶けてしまう。
「ぅ、ぅ〜に、ゃぁぁ……」
自分の喉から信じられないぐらい甘い音が響く。もう恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうだ。これが撫でているのが自分だったら『猫ちゃん気持ち良さそう』と思うだけなのだけど、自分がいざその立場に立つと恥ずかしすぎる。しかもその姿を見せているのが世界で一番好きな人なのだ。猫好きなのは知っているけれど、私は本物の猫じゃないから幻滅されそうだ。
上手く開かない瞼を懸命に動かしてファウストを見る。
彼は楽しそうに微笑んでいるだけだった。
私の恨みがましげな視線に気づいて、ファウストは口元を近づけた。
「気持ちいい?」
思いがけない彼の言葉に私は一瞬、呆然として──。
体温が急激に上がった。もう、本当に勘弁してほしい。私の顔は見たことないぐらい真っ赤だろう。
楽しげに喉を鳴らすファウストの上で私は力尽きた。
もう好きにしてください、と降参の意を示す。
ファウストは満足気に私の毛を撫でながら、呪文を唱えた。
少し風の強さが和らいだ気がする。
丁寧に毛並みを撫でられていると気持ち良さと共に眠気が襲ってきた。
うとうととしている私に気づいた彼は笑みを溢しながら言葉を発した。
「おやすみ、アキラ。」