転生ファウ晶♀ 小話④ とある夜。
私はとある人を探して夜の魔法舎を徘徊していた。徘徊、とは言ってもその人がいる場所には心当たりがある。
結構な頻度で現れる場所であるし、他の魔法使い達からの証言もある。私は目的の扉をそっと開けて一歩中へ踏み出した。
カラン、と小さく軽やかな音が耳殻を擽る。
部屋を見渡すとカウンターの中でお酒を作っているシャイロックと、お目当ての──。
「フィガロ。」
カウンター席に座っていたのは冬空色の髪の南の魔法使い、フィガロだった。
珍しい訪問客に不思議な色の瞳をぱちりと瞬かせている。フィガロは綺麗な笑みを浮かべて私に向かって手を振った。私も手を振りかえし、にこやかに笑うシャイロックに会釈をしてカウンター席に腰掛けた。
「シャイロックも、こんばんは。」
「おや、珍しいお客様ですね。アキラ。」
「はい、フィガロを探していたんです。」
「俺に何か用事?」
「レノックスから伝言がありまして。明日カイン達と街に行くから魔法舎を留守にすると伝えてくれと言われました。」
「それだけ?」
「……?はい。」
「…………あいつ。」
目を逸らしながら大きくため息を吐くフィガロに私は首を傾げた。どうしたのだろう。
フィガロの反応に困惑しているとクスクス、と笑みを零す声が聞こえた。
「シャイロック。」
「いえ、失礼いたしました。」
じとり、とした視線のフィガロにシャイロックは何事もなかったのかのように微笑みかける。シャイロックは艶めかしい視線を私に投げかけて、美しい唇から魅惑的な言葉を紡ぎ出した。
「今宵は貴女も大人の時間を楽しむと思ってもいいのでしょうか。貴女に悪いことを教えたとなると過保護な彼はどのような顔をするのですかね。」
その言葉にコクリと頷いた。なんだかシャイロックの言葉はいつもドキドキしてしまう。フィガロへの用事を済ませたらすぐに帰るつもりだったけれど、やっぱりシャイロックのバーは帰りたくないと思う魅力がある。
私の返事に嬉しそうに目を細めた彼は私用のドリンクを出すために、美しい指先をグラスに添えた。
鮮やかな手付きで作られたドリンクが目の前にサーブされる。オレンジ色の宝石のようなそれはとても綺麗で美味しそうで。
「これは?」
「シンデレラです。アルコールは入っていませんよ。」
「へぇ、シンデレラねぇ。きみにぴったりのカクテルじゃないか?さすがシャイロック。」
飲むのが勿体無いと思えるほど美しいそれにおそるおそる口をつけた。
「……!美味しいです!」
柑橘系の繊細な味が舌に広がって、蕩けそうな味わいに瞳を細める。久しぶりのシャイロックの作るドリンクだ。感嘆の声が漏れる。
私は頬を緩ませてシャイロックに礼を言った。そうして、隣に座るフィガロのグラスもキラキラと輝いているのを気づいて声を上げる。
「フィガロは何を飲んでるんですか?」
「モスコミュールだよ。」
「どんなお酒なんですか?」
「ウォッカベースのものですね。ライムとジンジャーエールを加えて作ります。」
「きみも大人になったら飲むといいよ。……ファウストと一緒にね。」
軽やかなウインクをしたフィガロは、頬杖をついて私をじっと見つめた。どうしたのだろう、と思っているとシャイロックが何かを取りに私たちの前から離れた。
フィガロは気まずそうに視線を彷徨わせて、小さく息を吸い込んだ。
頬から手を離してグラスをぎゅっと掴む。
「──ごめんね。」
思いがけない言葉に私は驚きの声を漏らした。謝罪されるような心当たりが全くない。
私は瞳を瞬かせてフィガロを見つめた。私の視線に困ったように眉を下げて、彼は自嘲するように口角を上げる。
「きみと会った時に酷いことをした。何も話を聞かずに。」
「それは……」
ファウストとフィガロと再開した日のことを思い出す。たしかにフィガロは私を路地裏に突き飛ばして問い詰めようと、怖い表情を浮かべてじろりと睨んでいた。けれど、私は──
「フィガロは何も悪いことをしていません。……だってファウストのことが心配だったから、守りたかったからしたんでしょう?」
びっくりはしたけど、私に謝ることなんて何ひとつしてないのだ。
魔法使いにとって媒介を奪われることは大変なことだ。生命にも関わってくるほどの。
そんな彼らが怪しい人物を見つけたら警戒するのは理解できる。
それに、あの時フィガロが怒っていたのはファウストを大切にしているという事。ファウストを大切にしたその行動を私は否定したくなかった。
揺れる榛色に視線を合わせる。フィガロは驚いたように瞳を丸くさせて、それから眉を下げて目を細めた。困ったような、嬉しそうな顔で。
「……ファウストがきみに惹かれるのがわかる気がするな。」
「へ?や、私とファウストは友達で……」
私の否定にフィガロは笑みを含んだ表情で手元のグラスを傾けた。カタリ、と氷が音を立てる。
「友達、ねぇ。君とファウストは友達じゃないだろう?」
「え?」
「恋人、とか。」
思いがけない鋭い指摘に私は硬直する。驚きに満ちた表情でフィガロを見つめた私に、彼は嬉しそうに破顔した。
「あはは。当てちゃったみたいだね。」
「どうして……」
「だってあの子のお師匠様だもの。」
今日一番の優しい表情でフィガロは言葉を紡いだ。榛色と落ち着いた灰の瞳が私を包み込む。フィガロは語りかけるように言葉を続けた。
「いくらファウストが丸くなったとはいえ初対面にあんな砕けた態度を取ることは無い。警戒心の高い猫のようなあの子が、きみの世話を甲斐甲斐しく焼いている。ましてや、見ず知らずの魔女と共に食事を摂ることなんてありえないことだ。」
呼吸が詰まる。
言葉が口の中で溶けて形を失っていく。この心を言語化する術を持たないまま私は目の前の人を見つめた。
──だって、そんなの、期待しちゃう。
彼をよく知る魔法使いからの言葉は、私にひと匙の『もしも』を運ぶ。
フィガロは軽快にウインクをしながら少し離れた場所でグラスを拭いている彼に声をかけた。
「勘のいい魔法使いはなんとなく気づいているんじゃないかな。ねぇ、シャイロック?」
問われたシャイロックは妖艶な笑みを浮かべて、形の良い唇から音を発した。
「ふふ。どうでしょう、と言いたいところですが。」
「え!?」
「はい。気づいてしまいました。」
「どこで………」
焦らすような視線が私に向けられる。緊張してしまって、ごくりと口内の唾を飲み込んだ。
柔らかい笑みを浮かべてシャイロックは私たちの目の前に戻ってくる。
楽しげに瞳に弧を描いて答えを紡ぐ。
「当代の賢者様が少し前にこちらで賢者の書を読まれていたんです。そうしたら顔を真っ赤にされて驚きの声が漏れていたので、尋ねてみたら貴方とファウストが恋仲だと書かれていたみたいでした。」
「あっ……!」
顔に熱が集まる。そういえば賢者の書にファウストとのことを書いていたかもしれない。
それを読まれたとなると少しばかり恥ずかしい。だって、賢者の書は魔法使いとの記録でもあり、日記のようなものだったのだから。
たしかに今代の賢者様は同じ日本人だから、日本語で書かれている賢者の書から読むだろう。
私は頬を手のひらで冷やしながら小さく声を漏らす。
「可愛いお顔。安心なさって。その書の内容を知っているのは賢者様と私だけです。誰にも伝えてありませんよ、アキラ。」
そうですか……と小さな返事をした。シャイロックが言いふらすことはないからまだ恥ずかしさは少ない。
火照る顔を抑えながら私はグラスを手に取り、甘美な液体を口に含んで感嘆の息を吐いた。少し落ち着けた気がする。
カクテルを啜っていると隣のフィガロがニコニコしながら私を見ていた。
「フィガロ?」
尋ねると彼は嬉しそうなのを隠そうともせずに瞳を細める。
「いや、ね。ファウストにきみがいたのが嬉しくて。あんなに誰かを愛してると言わんばかりのファウストの目、初めて見たからさ。……思い出せないだけかもしれないけれど。」
「……そうでしょうか。」
「そうだよ。ファウストもきみも鈍感だからね。いや、きみに関しては見ないふりをしているだけなのかな?」
フィガロの柔らかい瞳が私を射抜く。私の背をそっと押すように、優しく、温かく。
私は震える唇をきゅっと噛み締めて、目を閉じる。小さく息を吸い込んで、震えた音を吐き出した。
「……怖いんです。」
「怖い?」
「ファウストに拒絶されるのが。」
「…………」
これは、身勝手な理由。
「前世で恋人でした、なんて信じてもらえないじゃないですか。ファウストの負担になりたくないんです。…………いや、違いますね。私が拒絶されて傷つきたくないんです。」
私は弱いから、恋人だって告げて「違う」と言われたらきっと立ち直れないだろう。
私だって記憶を取り戻した直後はファウストに会いに行きたかった。好きですって言いたかった。恋人なんですって伝えたかった。
けれど時間は私を臆病にして、気がつけば最悪の光景を思い描くようになってしまった。
眉を下げて笑みを作る。
「だから、私はファウストに相応しくないんです。」
私の悲鳴のような言葉が穏やかだったはずのバーに響く。
「ファウストが信じられない?」
フィガロの落ち着いた声が私の耳殻に届く。私はふるふると首を振って菫の瞳を脳裏に描いた。
「信じていますよ。でも、無かったことになってしまったんじゃないですか。」
「ファウストはきみを愛おしく思ってるよ。大丈夫。」
「そんなこと言われたら、自惚れてしまいます。」
フィガロの甘い言葉を振り切るように首を横に振る。浮かれたら駄目だ。自惚れたら駄目だ。
俯く心に、フィガロは強い意志をもった言葉を紡いだ。
「自惚れてよ。」
顔を上げると彼は穏やかに微笑んでいた。
私のありったけの不安や心配事を受け入れるかのように。
「きみはファウストの心を開いた。……お師匠様の言うことは信じられない?」
「…………フィガロ。」
「《ポッシデオ》」
きらきらとした光が私を包む。
温かくて、柔らかくて、優しい光。
悲観に傾きすぎた心に寄り添って、フィガロは『大丈夫』と魔法をかけてくれた。
──大丈夫、大丈夫だよ。
と、そう言って。
「きみの恋路に祝福を。」