君の隣に居られない理由(ワケ)「好きだ」
「は?」
「え?」
その一言は、朝の清浄な空気にやけにはっきりと響いた。
《SUNNYSIDE COFFEE ROASTERS》
いつになく早く目が覚めて、一服しようかと思ったら昨晩煙草を切らしていたことを思い出した。二度寝しても良かったが、身体はどうにもニコチンを欲していて、二十四時間営業のスーパーにでも行こうと外に出る。
良い天気だ。五月も半ばを過ぎるとこの時間でも肌寒くはない。最寄りのスーパーで煙草を買って、来た道を戻る。タワーの下まで戻ってきたところで、見知った顔を見つけた。
タワーの真向かいにあるカフェのテラス席で、制服姿のブラッドがコーヒーを飲みながら本を読んでいた。目が合ったので軽く手を挙げると、じっと見つめられる。どうやらこっちに来いということらしい。
「おはよう、キース」
「はよ」
「目当ての物は買えたようだな」
「はは、お見通しか」
「先程タワーから出て来るお前の姿が見えただけだ。一服がてらコーヒーでもどうだ?」
「お、珍しいな、お前からお誘いなんて」
「報告書の催促の方が良かったか?」
「いや、朝っぱらからそれは勘弁。しかもオレ今は溜めてねぇだろ〜?」
軽口を叩きながら店内に向かい、サンドイッチとコーヒーを頼む。時間が時間だからか他の客の姿はほとんどない。
にこやかな初老の店主から品物を受け取って席に戻り、早速煙草に火を点ける。ブラッドはチラリとこちらを見ただけで何も言わない。
一服し終えて今度はサンドイッチに取り掛かりながら、オレは本を読むブラッドの横顔を見ていた。
ブラッドが時たま早朝にこのカフェで朝食をとっていることは知っていたが、いかんせんオレ自身が早起きするタイプではないので、同席したことはほとんどない。
マゼンタの瞳は伏せられて、長い睫毛が白い肌に色濃い影を作っている。楽しい話でも読んでいるのだろうか、口元は緩く弧を描いている。コイツがこんな穏やかな時間を過ごすのはいつ以来なんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていて、気付いた時には、言葉が口から零れ落ちていた。
「好きだ」
「は?」
「え?」
ブラッドはこちらを見て固まっている。ちなみにオレも。え、オレ、今何て言った……?
立ち直るのはブラッドの方が早かった。栞も挟まないまま本を閉じてこちらに向き直る。
「キース、それは本当か?」
「え、えっと……」
「……違うのか?」
僅かに眉を下げたブラッドを見て、ようやく我に返った。
「い、今のナシで」
「撤回するのか?」
「当たり前だろ どうかしてたんだよ」
「その割には随分はっきりとした発話だったが」
「だぁ〜〜好きっつーのはあれだ、この店の雰囲気! それにお前がイイ感じに嵌ってて、悪くねぇなと思っただけだっての!」
「苦しい言い訳だな」
弁解する度に間髪入れずにブラッドが言い返してくる。
「何でお前、そんな突っかかってくんの」
「決まっているだろう、お前のことが好きだからだ」
オレの中で再び時が止まった。
「……は?」
「聞こえなかったか? お前が好きだと」
「いや聞こえたは聞こえたけど……お前……ウソだろ……」
「こんな場面で嘘をついてどうする。まあ、元々一生明かすつもりはなかったがな」
ブラッドは一瞬遠い目をして、それからまた真っ直ぐにオレを見た。
「だが、お前が同じ気持ちならば、もう遠慮はしない」
「だからオレは違うって言って……」
そうだった。人の話を聞かないのはコイツの特技だった。
どこか嬉しげなブラッドの横で、オレは文字通り頭を抱えた。気を取り直そうと一口飲んだコーヒーは、いつの間にかすっかり冷めていた。
《T's Diner Southwest》
数日後。午前のパトロールを終え、何やら用事があるらしいフェイスと別れて、オレはウエストの南の外れのとあるダイナーにやってきていた。ここのグリルドチキンはなかなか美味いのだ。これでビールも飲めれば最高なのだが、あいにく午後もトレーニングがあるので泣く泣く我慢する。
今日も美味いチキンを黙々と食べていると、背後から聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「キース」
「げっ、ブラッド」
「げ、とは何だ」
ブラッドはさも当然のようにオレと相席すると、店員を呼んだ。オレはと言えば、仕事以外ではあの日ぶりのまともな邂逅にいささか焦っていた。
あれから、ブラッドの態度に特に変わった所はなかった、と思う。まあ、あの日以来仕事上のやり取りしかしていないし、コイツが仕事にあんな私情を持ち込むワケがないのだが。
「それでキース、俺と交際する気にはなったか」
「っ、はっ」
オレは危うくジンジャーエールを噴き出しそうになった。
「は、え お前、何言って、」
慌てて周りを見回す。幸か不幸かランチタイムの喧騒にオレたちの声は紛れて、誰もこちらを気にしてはいなかった。
「俺たちは両想いなのだろう。であれば当然そういう話になるものだと思っていたが」
ブラッドは涼しい顔で言ってのけた。
「だからオレは違うって言ってんだろ」
「貴様、それは嘘だろう」
「嘘じゃねぇって! お前とオレが付き合うなんて、ありえねぇ」
「ほう、何故?」
「何故って……第一オレら、性格合わねぇだろ。オレは口うるさいヤツ嫌いだし、いつもお前のこと怒らせてばっかりだし」
「そうでもない」
「嘘つけ!」
「お前は俺に小言を言うのをやめて欲しいのか? それならばまずは己の勤務態度と生活態度を改める所からだな」
「そういう所だよ……」
あいにくブラッドには聞き入れる気がないらしい。オレは思い切って少し強い言葉でお断りをすることにした。
「大体さ、オレらが職員の間で何て呼ばれてるか知ってるか? 第十期の正反対コンビ、だってよ」
「だから何だ」
「何だって……一緒にいてお互いストレスだろ」
「ならば試してみるか」
「は?」
ブラッドは我が意を得たりとばかりに身を乗り出してきた。嫌な予感がする。
「二人で過ごす時間を増やしてみるんだ。実際にお前の言う通りストレスフルかどうか、それで判断すれば良い。お前の他の言い分もまだあるのならばその機会に聞けば効率的だ」
ブラッドは心なしか目を輝かせてそう言うと、スマホを取り出した。
「お前の次のオフは月曜だな。夜空けておけ」
「へ?」
「食事に行くぞ」
待て待て、何でデートする流れになってんだよ。
しかし、オレの話を一向に聞かないこの暴君さまに諦めてもらうには、オレらの相性の悪さを身をもって実感してもらうしかないのかもしれない。オレは内心溜息をついた。
《TORATTORIA BOLOGNA》
月曜の夜。リトルイタリーにある店の個室を予約した俺は、席でキースを待っていた。と言っても、約束の時間まではまだ五分ほどある。
先日キースの思わぬ言葉を聞いてから、突っ走っている自覚が無い訳ではない。しかし、長年仕舞い込んできた想いが報われるかもしれないと思ったら、聞かなかったことにすることなど到底出来なかった。
キースのことは、アカデミーの頃からずっと好きだった。初めは思い違いだと思おうとしたし、キースからも同じ想いを返される可能性など万に一つも考えておらず、ただ密かに想い続けるだけならと自分を納得させて久しい。悟られないようにする術にも慣れたものだったが、一度伝えてしまえば嘘のように心が軽くなって驚いた。
「悪りィ、待たせた」
そんなことを思い返していると、私服姿のキースが現れた。
「いや、時間通りだ」
「ここって……」
「覚えていたか」
今日の店は、ルーキーの頃ジェイに連れてきてもらったカジュアルイタリアンだった。ボロネーゼをはじめとするパスタが美味しく、無類のピザ好きのディノも気に入った希少な店だ。あの店のあのメニューを作ってくれと、当時はディノと二人でキースによく強請ったものだった。
やってきたウェイターに口々に好きなものを注文する。肩肘張った店でもないから適当にシェアすれば良いだろう。
「にしても、意外だな」
「何がだ?」
「お前、忙しくて食事になんて行けないと思ってた」
オレの酒の誘いはいつも断るのに、とキースは零す。
「前もって予定を組めばそうでもない。お前の誘いはいつも急なんだ」
「それはそうかもしんねぇけど……でも、今日も酒は飲まねぇんだろ?」
「車で来ているからな」
「ふうん、どーだか」
一瞬探るような視線を向けられたが、キースはそれきり黙った。車で来ているのは本当だ。だが、キースが言っているのはそういうことではないだろう。
俺にはキースに話せない秘密がある。少し前まではキースへの想いもその一つだった。だから俺は、万が一にも酔った勢いで思わぬことを口走ってしまわぬように、極力キースと二人きりで酒を飲む機会を避けてきたのだ。
そうこうしているうちに料理が運ばれてきて、俺たちはビールと水で乾杯した。
「ん……やっぱ美味ぇな」
前菜の盛り合わせをつまみながらキースが満足そうに呟く。
「あ、お前これ好きそう」
「そうか……本当だな、美味い」
しばらくは言葉少なに食事に舌鼓を打ち、それからは他愛もない話をした。毎日のように顔を合わせていても、話すことはあるものだ。最近のルーキーたちの様子から、昨日のパトロール中に出会った猫の話まで、そして非効率な会議の愚痴も少々。キースは昔から聞き上手で、決して話の上手い方ではない俺も気分良く話すことができた。俺から見る限りでは、キースも楽しそうにしている。俺と居るのがストレスだなんて、無理をして慣れないきつい言葉を使った必死なキースに、申し訳ないが少し可笑しくなる。
「……そんで、この間の話だけどさ」
ボロネーゼをフォークで巻きながら、キースが言いにくそうに切り出した。俺は何食わぬ顔をして、内心来たか、と身構える。
「オレと付き合うの、お前にメリットないよな」
「……それを決めるのはお前ではない気がするが」
「オレやお前がどう思うかじゃなくて事実の話だよ。オレみたいなのと付き合って後ろ指差されるのはお前なんだぜ?」
「アカデミーの頃のようなことを言うんだな」
思わず苦笑するとキースは顔を顰めた。
「俺の対人関係は俺が自分の責任で管理する。当然のことだろう」
「そんなこと言って、身近なヤツらにバレるだけじゃなくてスキャンダルになったらどうすんだよ? オレなんかは元々自堕落でぐうたらなイメージだからダメージもねぇけどさ、品行方正なみんなの王子様キャラのお前には大打撃だろ?」
キースは俺から目を逸らさずに言い募る。
「それに、アカデミーの閉鎖空間とは比べモンになんねぇんだぞ? 全ニューミリオンが手のひら返してお前をこき下ろすかもしれねぇんだからな?」
「何も疚しいことは無いのだから堂々としていればいい。それに、人の噂も七十五日と言うだろう」
「何だよソレ」
「噂は所詮一時的なものだという諺だ」
「一時的っつってもなぁ……一度落ちたイメージがそう簡単に戻るとは思えねぇけど」
「お前と交際することでイメージが落ちるとは必ずしも思わないが……万が一そういうことがあったとしても、素行の積み重ねで何とかするしかないだろう」
「何とかなるか? お前にしては曖昧だな」
俺は思わず溜息をついた。
「キース、お前は何をそんなに気にしているんだ? そもそも、エリオスに恋愛禁止のルールはないはずだが」
「お前は特殊ケースなの! 自分の人気自覚しろよ。それに、ニューミリオンじゃ同性との恋愛自体そこまで市民権得てねぇだろ。ファンだけじゃねぇ、お前が山ほど出てる広告の契約先もキレるぞ?」
「俺が広告のイメージに合わなくなったということなら、降りれば良い」
「おいおい、オレがこんなこと言うのすげぇ変だけど、仮にも仕事だぞ?」
「そもそもイメージなど虚像だ。時にはイメージに合わせることも必要ではあるが、自分の譲れない部分が世間のイメージと合わないとしたら、それはそれでやむを得ないだろう。ヒーロー本来の職務に徹するまでだ」
「お前……」
キースはワインを呷って項垂れた。
「そんなボロボロのブラッド、オレは見たくねぇよ……」
「ヒーローとしての矜持に一点の曇りもない。何の問題がある」
キースは空いたグラスを落ち着きなく握ったり置いたりしながら、「そうだよな、お前はそういうヤツだよな……」と掠れた声で呻いた。思った以上に痛々しげな様子が少し気になったが、どうやらこれで一つキースを納得させられたらしいことを察して、俺は内心安堵した。
《IZAKAYA SAKURA Little Tokyo》
「この間の話の続きだけどさ」
席について注文を済ませると、開口一番オレは切り出した。前回はそれなりに頑張ったつもりだったが言い負かされてしまったので、今回は酒が回り過ぎる前になるべく話を進めてしまおうという戦略だ。なお、飲まないという選択肢はない。こんな話、飲まずにやってられるか。
「お前とオレじゃ、生きてる世界が違げぇだろ?」
この言い方はブラッドにはピンと来なかったらしい。「俺もお前もヒーローだろう」と眉根を寄せられてしまった。仕方ねぇ、具体的な話をするしかねぇか。
「聞いてるぜ、上層部から山ほど見合い話が降ってきてるんだって?」
「何が言いたい」
「お前にはそういうのが似合いだってことだよ」
日本酒を一口だけ飲む。ブラッドは今日もノンアルコールだ。好きなはずの日本酒を、しかも明日はオフなのにもかかわらず飲まないその意志の強さに、よっぽどオレと飲みたくねぇんだなと内心自嘲する。まあ、ここまで来れば何かしら事情があるのだろうということは察してはいるが。
「オレとじゃ結婚もできねぇし、当然子どもだってできねぇ。そういう生き方で本当にいいのか?」
ブラッドはお通しをつまんでいた手を止めた。
「結婚は、俺は形式に拘る質ではないから別段構わない。役所に紙を出すか出さないかの違いだろう。まあ、世間一般に対してお前は俺のものだと公示できないことは惜しいが……」
ブラッドの結婚観が思った以上にドライで、オレは呆気に取られた。その間、ブラッドは緑茶を一口飲んで淡々と言葉を継ぐ。
「子どもは、もちろん嫌いではないが、自分の子どもがどうしても欲しいかというとそうでもないな。お前と生きられることの方が重要だ」
平淡な口調でなかなかに熱烈なことを言われて若干戸惑う。でも、ここで引くワケにはいかない。
「お前が良くても周りがそれを良しとはしねぇだろ」
「前にも言っただろう、周りのイメージなど――」
「少なくとも、お前の親は、ガッカリするんじゃねぇの」
ブラッドは湯呑みに手を掛けたまま押し黙った。
《Everyday Sandwiches Central》
居酒屋での一件から数日後。オレは屋上で一服していた。
「キース」
振り返ると、紙袋を持ったブラッドが立っていた。慌てて煙草を消す。
一瞬オレの手元に咎めるような視線を送ったブラッドは、つかつかと歩み寄ってくる。
「昼食はもう済ませたか?」
「いや、まだ」
「……貴様、煙草の前にやることがあるだろう」
そう言って紙袋をぐいと差し出してきた。反射的に受け取る。
「これ、何?」
「サンドイッチだ」
「いいの?」
「良いから渡している」
オレたちはベンチに並んで座った。紙袋には二つ包みが入っていたので片方ブラッドに渡す。ブラッドと二人でこんなふうにランチをするなんて、何だか変な感じだ。
「お、美味ぇ。ありがとな」
「構わない。お前に話もあったしな」
「話?」
報告書なら今朝出したばっかりだけど、と思った時。
「実家に話をつけてきた」
「は?」
「聞こえなかったか? 実家に――」
「いや、聞こえたけどさ、話つけるって何のことだよ」
「お前が言ったのだろう、俺がお前を選んで一生結婚せず子どもも持たなかったら親が悲しむだろうと。だから話をしてきた。二人とも理解してくれたぞ」
「待てよ、念のため聞くけど、まさかオレのこと話してねぇよな?」
「何故だ? 話さなければ始まらないだろう。安心しろ、両親にはまだ俺の片想いだと言ってある」
「ひとっつも安心できねぇんだけど……」
オレは頭を抱えた。対するブラッドが意気揚々とサンドイッチを齧っているのを見るとますます頭が痛い。
「どうだ、これでお前の懸念はまた一つ払拭されたか?」
「別の特大の懸念が発生しちまったけどな……」
「近いうちに実家に招待する。歓迎されると思うぞ」
「お前、人の話聞けよ」
ブラッドは音符でも飛ばしそうな様子でサンドイッチを食べ終え、包みを片付けている。そのまま立ち去るのかと思いきや、真面目な顔でオレの方に向き直った。
「それからキース、そろそろ最初の言い分からの変化の有無を聞きたいんだが」
「最初?」
「俺と過ごす時間はストレスフルか?」
ここ一ヶ月ほどの日々を思い返す。外に食事に出掛けたのは二回だけだが、談話室で二人でコーヒーを飲んだり、屋上で立ち話をしたりと、この一月、仕事以外でブラッドと過ごす時間がぐっと増えた。二人で話すことなんてあるのかと思っていたが、何だかんだ飽きることなく色々な話をしたし、ブラッドの表情を見抜くこともほんの少しだが上手くなったような気がする。要するに、認めるのは癪だが、ブラッドと過ごす時間は、控えめに言って相当楽しかった。そもそも、ストレスフルだなんて本気で言ったワケでもない。
「……わかってんなら聞くなよ」
「そうか」
ブラッドは淡く笑んだ。その顔を見て胸が痛んだが、言わなければならないことがある。
「でもダメだ」
「何がだ?」
「オレと付き合うなんてダメだ、ブラッド」
「何故」
「……オレじゃお前を幸せにできねぇ」
ブラッドは目を細めて、静かに言った。
「それを決めるのはお前ではない。お前も分かっているんだろう?」
マゼンタに射抜かれる。
「キース、お前はどうしたいんだ」
オレは答えられなかった。
《Keith's place》
今回会う場所はキースの指定だった。今まで以上に込み入った話をすることになるだろうから、妥当な選択だろう。俺はテイクアウトの寿司を片手に玄関のベルを押した。
「おう、お疲れ」
「邪魔をする」
リビングに通され、手持ち無沙汰そうにしているキースに声を掛ける。
「取り敢えず、食事にしよう」
「そうだな」
この一ヶ月ほど二人で話す機会が多かったから余計にそう思うのかもしれないが、今日のキースは言葉少なだ。釣られるように俺も黙々と寿司を口に運ぶ。
食事を終えて俺の淹れた緑茶を二人で飲みながら、ソファに並んで座るキースの横顔を窺う。珍しく、表情が読めない。
「キース」
肩が僅かに跳ねた。
「まだ、俺に話していないことがあるな?」
どれくらい沈黙が続いたか、キースが小さな声で呟いた。
「……近付き過ぎたら、失くすのが怖くなるだろ」
「キース?」
「オレとお前だぜ? いつか絶対愛想尽かされる」
「そんなことは無い」
キースは俺の方を見ずにひたすらに首を横に振った。
「ムリ。そんなん、絶対ェ耐えらんねぇ」
情けねぇだろ、笑えよ。キースは乾いた声で言った。無論笑う気になどなれない。
「キース。お前が俺の手を取ってくれるなら、俺から手を離すことは決して無い」
キースが顔を上げた。その目はまだ暗い。
「……俺が信じられないか?」
「……信じられねぇのはお前じゃなくて、オレだよ」
痛いほどの自嘲を滲ませて、キースは口元だけで薄く笑った。
「分かった」
暫しの後、一つ息をついて口火を切ると、キースが怪訝そうな目をした。
「今は信じられなくても構わない。ただ、俺の話を少し聞いてくれないか?」
沈黙を了承と捉えて、静かに言葉を継ぐ。
「お前が頑なに俺を拒絶する理由を、俺なりに考えていた」
少しだけ声が震えた。俺は柄にもなく緊張しているらしい。
「お前は、俺を心配してくれていたんだな」
俺とは付き合えないと言うキースの挙げる理由は、明に暗に俺を案じ、俺のためを思ったものばかりだった。そして、好きじゃない、付き合うなんてイヤだと言う割には、その理由は言わず、その時に俺と目を合わせることもほとんど無かった。
「そのことに気付いて、隣に居て欲しいのはやはりお前だと思った。キース」
俯くキースを覗き込むように目を合わせる。
「俺は、幸せ者だな」
お前にこんなにも想われて。
「……ブラッド」
絞り出すような声音で、キースが俺の名を呼んだ。目を逸らして呟く。
「お前、バカなの」
「何故だ?」
「そんな顔されたら、いろんなこと全部すっ飛ばして、」
一度言葉を切ったキースは、呻くように続けた。
「傍に居たいって、思っちまうじゃねぇか……」
その言葉を聞いたら、もう駄目だった。
キースの腕を引いて抱き締める。「離せよ」と詰る声は弱々しい。
「ブラッド、冗談やめろ」
「嫌だ。それに冗談ではない」
「マジでやめろ。でないと、」
「でないと、何だ?」
キースの震える手が背中に触れた。
「逃がしてやれなくなる……」
思わず笑いが漏れた。
「それは良いな。本望だ」
柔らかな髪を撫でると、キースの肩が震えた。真っ赤になっている耳元に囁く。
「いつか、お前の価値をお前自身が信じて愛せるように。そのためにも、俺が傍に居る」
「……できなかったら?」
「それでも良い。俺が誰よりもお前を大切にする」
「ワケわかんねぇ……」
キースの両腕に、縋り付くように抱き締められた。
「もう、知らねぇぞ」
「覚悟の上だ」
しばらく無言のまま抱き締め合う。ややあって、キースが口を開いた。
「……悪かった」
「何がだ?」
「好きじゃないとか言って……」
「謝罪よりも、お前の本音が聞きたいな」
キースは一瞬固まった。次いで、肩を抱かれて目を合わせられる。
「ブラッド、好きだ。……ずっと好きだった」
「ああ、俺もだ」
恐る恐る重ねられた唇のあたたかさを、俺は生涯忘れないだろう。