めぐり、めぐる。 俺は疲れ切っていた。
ここのところずっと手こずっていた案件にようやく目処がついたと思ったら、今日に限って別案件のトラブルが舞い込んできた。なぜこんな日にとイライラが募っても、不可抗力で発生したものだから、恨む先すら見当たらなかった。
ふらふらになりながら退社しようとドアを開けると、びゅうッと冷たい風が吹き込んだ。朝はうっすら汗ばむくらいの陽気だったのに……。
朝の日差しの中ワイシャツで来てしまったので、辛うじて会社に置いていた薄手のジャケットを取りに戻った。ボタンをきっちり閉めても、まだまだ全然寒かった。
「おかえり〜。今日もお疲れ」
半分凍えながら帰った俺を、輝かしい笑顔で出迎えたのは杉元だ。なんと、まさかの半袖でいやがる……。
「おい、この寒さで半袖とか正気か?」
鼻で笑うと、料理中はあちぃんだよ、となんでもないように笑うから調子が狂う。
ちなみに俺と杉元は「お付き合い」と「同棲」を経て、今はいわゆる「ふうふ生活」というやつをしている。
「お突き合い」をしていた頃、ある日杉元が顔を赤らめながら、そろそろ一緒に住むぅ……? なんて言い出したので、とうとう家賃も払えなくなったのかと鼻で笑ってやった。そしたらこいつが、同棲だっつーの! と騒ぎ出したのが、今となっては懐かしい。
俺は、そもそもこれは付き合ってたのか、とか、俺になんのメリットがある、だとか、ずいぶん物好きもいたもんだな、なんて好き放題罵った。しかし、ブスッとしながら反論する杉元に、結局なんだかんだ丸め込まれてしまった。まあ寄れば喧嘩とお突き合いしかして来なかった俺たちのことだ。そのうちすぐ御破算になるだろうとタカを括り、好きにさせることにした。
実際に暮らしてみて分かったのは、杉元がかなり感情豊かだということだ。怒っているところはよく見ていたが、笑ったり泣いたりと毎日本当に忙しない。その上、俺に対しても笑いかけることが増えたのは意外だった。一緒に住むと、そんなマジックも起こるのかもしれない。もちろんデカイ喧嘩も幾度となくしたが、気づくとまた同じ時を過ごしていた。そのまま時が流れ、一緒に過ごしていく中でなんとなくお互いの考えていることも分かるようになってくる。けどそれがいつの間にか「ふうふ」にまでなっちまったのは、自分でも不思議で仕方ない。世の中、何が起こるか分からんもんだな。
そうやって一緒に過ごしているうちに、また季節がめぐろうとしていた。
ふらふらのまま杉元の作った飯を食べ、なんとか風呂に入り、ほうほうの体で寝る準備をする。いつもならこのあと資格の勉強をするのだが、今日はとっくにエネルギー切れだ。先日、マットレスをちょっと良い物に買い替えたし、こんな時こそ活用しなくてどうする、と自分に言い訳をする。そういえば昨日まで暑かったから、薄手の掛け布団しかないが、二枚重ねたらなんとか大丈夫だろう。
さっきまでころころと足にまとわりついていたふぉぜ尾も、今はケージの中のふわふわブランケットの上に丸まっていた。
こいつも、途中で俺らのかぞくに加わった。多頭飼い崩壊で引き取り先を探していたらしく、見学に行った時に杉元が一目惚れしたのだった。
「お前も、もう寝るのか?」
ふぉぜ尾は問いかけられたことにも気が付かず、安心し切って眠っている。コイツがいるから、昨日までは冷房も付けっぱなしだったのにな。もはや設定温度のほうが気温より暑い気がして、エアコンの電源を切った。
寝室に移動し、先にベッドに転がっていた杉元に目をやると、まさかのタオルケット一枚だった。見ているだけで寒い。
横で自分の分の布団を重ねて、からだを潜り込ませると、杉元が寝ぼけ眼で抱きついて来た。俺はその体温の高さに驚く。子ども体温というより、筋肉が発する熱のようなものを感じた。そりゃまだまだ薄着でいられる訳だ。
昔は抱きついたりなんてしなかったのにな。そう思いながら、俺は杉元の肩に顔を埋めたて、ほっと息を吐いた。
ピピピピピ……
不快な電子音に無理やり意識を引っぱり上げられると、ぶるりとからだが震えた。かなり気温が下がっているらしい。だが、いつもと何かが違う。なんだ……? 謎の違和感を抱きながら、上半身を起こした。
そこで俺は、重ね掛けしていたはずの薄手の布団がないことに気がついた。朝起きて多少ズレてしまっていることはあるが、丸々なくなっているのはめずらしい。
そのまま何気なく横を見ると、見慣れたものがあった。俺の掛け布団だ。まさに、つい今しがた、探していたその布団だ。それは、杉元の体に綺麗にかぶさっていた。
「お前、俺の布団取りやがったな……」
地を這うような低音でそう呟くと、杉元がそろりとこちらを向く。実は起きていたらしい。
「えへへ……だってぇ、朝方寒かったから……」
男はそう言って、腹立たしいくらい整った顔でへらへら笑った。
——ふつう、寒がりの俺が取る側じゃねぇのか?
少々ズレた怒りを覚えながらも、出勤前に言い争いしている時間はない。ごめんねぇ、といいながら上目遣いをする杉元に心底ムカつくのに、顔が良すぎて怒りきれないのがことさら癪に障る。
俺は腹立ち紛れに、杉元の顔面めがけて掛け布団を投げつけてやることしかできなかった。
後日、せっかく衣替えした毛布も同じように奪われ風邪を引かされたので、とことん看病をさせた上、今後のために着る毛布を買わせたのは、また別のお話。