「宿儺。」
どろり、液状の様な影が人の形を模し凝固する。
見慣れた制服姿の彼は自ら意思を持ち、手の平を開いては閉じる事で感覚を確かめている。
「どうだ?」
「ふむ、障りない。しかし…。」
影で作られた己の体を見下ろし、少し不服そうに眉根を寄せた。何かおかしな所でもあるのだろうか。
「受肉していないというのに小僧の姿とは。」
「ああ…俺がその姿のオマエしか知らねぇから。」
「やはりそうか。」
宿儺の意思を持っているとはいえ、その形を作っているのは伏黒だ。よって伏黒の記憶の範囲内でしか姿を留められない。
然し伏黒はハッとする。伏黒の思い通りに影を作れるのならば、想像の範疇でなら姿を変えられるのではないだろうか。
「…何か、どうしてほしいとかあんのか?」
「生前の体とまでは言わんが、この服は好かん。窮屈だ。着物に変えろ。」
「着物…。」
宿儺の言葉通り想像する。燻んだ白、紺色の帯、襟巻き、草履。想像し影の形を変化させれば見慣れない格好の宿儺がそこに立っていた。どうやら憶測通り、伏黒の想像で変える事は可能らしい。…ということは…
(想像次第で色んな格好させられるって事か…。)
あられもない猫耳や尻尾でさえも可能なのか。自分にそんな性癖は無かった筈だが相手が宿儺となれば別のようで、様々な欲を掻き立てられてしまう。
「…おい、伏黒恵?」
黙り込んでしまった伏黒を怪訝に思い宿儺がかけた声で漸く想像から抜け出した。頭の上にはてなマークが浮かんでいるような表情で此方を窺う宿儺に、きゅっと胸が締め付けられた。可愛い。
「こっち、ここに来てくれ。」
そう言いベッドに座る自分の前を指差せば、指示通りに歩み寄り床に腰を下ろしてくれる。
夢にも見れなかった状況だ、と思う。
忘れる事は叶わなかったが、ずっと視線を逸らし続けていた彼への感情が増幅し、彼を傍に着かせてから止め処なく押し寄せ続けてくる。
自分より低くなったその頭を両手で撫でれば、心地良いのだろうか。伏し目がちになりながら眉尻を僅かに下げ受け入れてくれる。
可愛い、愛しい。その感情で頭と胸が一杯になる。
宿儺、と呼ぶと顔を上げ視線が此方に向いた。撫でていた両手は肩まで辿り、顔を寄せ口付ければ彼の方から食み返され背中に手が回る感触がする。
そのまま何度か角度を変え唇を合わせた後視界に入った宿儺は、瞼に覆われていた赤い瞳を覗かせるも眩しそうに目を細めてしまった。
そういえば日が昇って暫く経つこの時間は、自分の背の方にある窓から太陽の光がよく差し込む。
「外にでも行くか。」
今日は宿儺が影に定着してから初めての休日だ。
呪力消費が式神よりも激しい宿儺は休日以外はあまり呼び出せない。だからこそ、休日は積極的に呼び出そうと決めたのだ。
燦々と輝く太陽の下にいる宿儺は何だか新鮮に見える。過去数える程しかなかった対面時は雨か夜しかない。そんな事さえも嬉しく思え、思わず口元が緩んでしまう。
そうしていれば軽快な足音と共に聞き馴染みのある声がした。ランニングしていたらしい虎杖と目が合う。
「あ、伏黒おはよ…、ほげぇーーーー……。」
「…何だよ。」
「ウザ。」
「いやだって!!生得領域で見た時と同じ格好してんだもんコイツ!」
「生得領域…。」
それは虎杖だけが知る宿儺。その筈だった姿もこうして見る事が出来る。その事実に妙に優越感を覚えてしまった。
「それよか伏黒、あれ以降眠れてるみたいだな。顔色も戻ったし隈もないし!」
「ああ、心配かけて悪かった。」
「いーよ全然気にせんで!釘崎もさ〜!…」
徐々に脱線していく会話を少し離れた位置で傍観する宿儺に1人の男が声を掛ける。
宿儺を直接的に祓った張本人だ。
「や、元気そうで何より?」
「ほざけ。」
「え〜、最期あんなに楽しそうだったのに僕悲しい〜。まあそれは置いといて、仲良くしてるみたいで安心したよ。まさか宿儺が大人しく縛られるとは思ってなかったけどね。」
「彼奴の意思と俺の意思が一致しているに過ぎん。」
「へえ?やっぱりそうなんだ。恵の呪力を貰って使えるなら、逆に恵を縛る事も出来るんじゃないかって思ってたんだよ。体も服も、呪力を貰えば自分で変えられるんでしょ?」
六眼で呪力の流れや質が見える五条にはやはり悟られていたかと溜息を吐く。実際、伏黒が記憶していない体の箇所や内臓は宿儺自身が形成している。そうでなければ服の中は影一色となっているところだろう。
然し宿儺からすれば愚問だった。受肉している間、宿儺は伏黒を手の平で転がしていると言っても過言では無かったが、今度は逆を甘んじる事で伏黒との最後を楽しもうとしている。
「伏黒恵には言うなよ、興が削がれる。」
「もしバラしたら?」
「俺が気に食わん結果になった場合は、伏黒恵の呪力を食い尽くして共に死んでやる。」
「わあ、熱烈。」
そう返したところで術式が解け、宿儺が影に溶ける。
疲労が原因で解けたのだろうかと五条が伏黒を見れば疲れた様子は無く、意外にも五条に向け睨みを効かせていた。どうやら伏黒の意思で解いたらしい。
「…何話してたんすか。」
「別に〜?」
これだけ求め、独占し合っていれば、そんな些細な事で崩れたりはしないだろう。然し宿儺としては一つでも多く楽しみを残しておきたいのだろうか。五条はそう憶測しながら先程彼と話した内容には口を閉ざした。そんな事で彼の機嫌を損ねては、あまりにも不利益だ。
「仲睦まじそうで何よりって言ってただけだよ。」
「…宿儺を殺すなんて考えないで下さいね。」
「大丈夫だよ。恵が宿儺を制御してくれるなら、寧ろ協力するつもりだし。」
「…そうですか。」
じゃあね、と言い残し任務へと向かう五条を見送った伏黒は再び宿儺を呼び出しジッと様子を窺うが、変わりない表情で小首を傾げる彼に胸を撫で下ろした。
「じゃ、俺もシャワー浴びたいし戻るわ。」
「ああ、分かった。宿儺、行こう。」
虎杖とも別れ宿儺を連れて歩み出す。先日までと変わらない筈の空の晴れやかさだというのに、心なしかとてもクリアに見える。気持ち次第でこんなにも違うものかと内心関心すら覚えた。
「…宿儺。」
「何だ。」
「俺は術式でオマエを無理矢理繋いだが、危害を加える事以外なら基本的にはオマエの自由に過ごしてほしい。」
「ほう。その割には先程の行動とは矛盾が生じるが。」
先程の行動とは、五条と話していた時に術式を解いた事だろう。痛い所を突かれ口を曲げながらも伏黒は続ける。
「俺は俺、オマエはオマエで自由にするって事だ。」
「俺には随分と不利だが?」
「呪いの王だろ、そのくらいのハンデ負えよ。」
理不尽だな、と言いながらも特徴的な笑い方で返す宿儺に不服そうな様子は見て取れない。
釣られて口元を緩めながら隣の彼に視線を向ける。
「だから、その上で言う。死ぬまで一緒に居てくれ。」
我ながら臭い台詞だと思いながら発した言葉だがこの言葉が一番自分の欲求に合うと判断した伏黒が宿儺の指先に触れる。その言葉を浴びた宿儺は片眉を上げ驚いた様にも見える表情をするも、すぐに笑みに戻し指を絡め返した。
「その上で返そう。これで最後になるだろう今回のこの生は、オマエと共に過ごす。」
改めて互いの意思を確認し合った彼らは、何方からともなく誓いのように唇を合わせた。
終