例えば、他の奴と違う距離感。行動に対する肯定、賞賛。明らかな色と熱を持つ視線。
気付かない方がおかしいと思う。
「オマエ、俺の事好きだろ。」
人気の無い寮の通路で窓から吹く柔らかな風に短い髪を泳がせながら紙パックのジュースを飲んでいた宿儺に、明日の授業内容の変更の話をした後いつものように他の奴には向けない温度の視線を感じた時に出た言葉。
「それがどうした。」
告げた後に言わなければ良かったか、と思ったのも杞憂だったらしい。堂々としたものだ。しかしその堂々とした応対から、ひとつの疑問が生まれる。コイツなら気持ちを自覚した途端すぐに言葉にしそうなものだが、俺は"好き"も"付き合え"も聞いた事がない。
「その割にはオマエ、何も言ってこないよな。」
「何もとは?」
「…好きだとか、付き合ってほしいとか。」
「ああ、成程な。」
ふむ、と顎に手を添えて考える仕草をとる。
「付き合いたいとは思っていない。」
「は?」
思わず声が出た。コイツさっき、好きなの肯定したよな?なのに付き合いたくはない。…ダメだ、理解が追いつかない。
「…解説してくれ。」
「言葉通りなんだがな。オマエの事は好ましく思っているが、付き合うという形をとりたいわけではないし、その形にメリットが見当たらない。」
…メリット。らしいと言えばらしいが、宿儺からすれば恋人としか出来ない行為や行動に興味がないということだろうか。
「あるだろ、何か…独占出来るとか、…キスとかその先とか…。」
「他人との接触がオマエの成長の手助けになるのなら独占したくはないし、肉体的な接触も無くて良い。オマエがしたいと言うならするが。」
「…俺をクズにしようとすんじゃねえよ…。じゃあ、…デートとか。」
「出掛けるくらい好きにすれば良いだろう。」
今までまともに口に出した事のない小っ恥ずかしい単語を吐いたものの不発に終わったようだ。
理解出来ずにいる俺を余所に"そういえば、"と何かを思い出した様にして携帯を取り出し操作した宿儺が此方に画面を見せてくる。
「電車一本で行ける駅の近くに水族館が出来たそうだ。行くか?」
俺が動物に弱いのは周知の事実で、コイツも知った上で言っているのだ。ここで断りを入れ、恋人としてでないと2人でそういう所にはいけないと言うのが正解なのだろう。
「…行く。」
「決まりだな。なら次の日曜に。」
動物と、宿儺と出掛けられるという2つの欲に完敗した。後悔先に立たずと言うが、自分の単純さに頭を抱える。
「伏黒恵。」
「何…。」
「デートだな。」
項垂れていた頭を思わず上げると、してやったりと言いたげな顔で笑う宿儺と目が合った。
オマエ、絶対俺の気持ち知ってんだろ。
-------------
日曜。
2人で寮から出るのはあまり見られたくないという俺の意向を汲んでくれ、駅で待ち合わせとなった。こういう待ち合わせというのもデートっぽい、と柄にもなく浮かれていた自分がいたのは否定出来ない。Tシャツにスキニーというシンプルな服装の俺と異なり柄物の軽いアウターを肩を出して羽織ってきた宿儺は、いつにも増して近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
「ヤンキーかよ。」
「オマエに言われたくはないな。」
「…黒歴史を掘り起こすな。」
そんな会話を交えながら電車に乗り駅から出れば潮の匂いが鼻を掠める。水族館が駅から近いと言っていた事を考えると、海も近いのだろう。
駅からバスに乗り換え徒歩数分、着いた水族館は春にオープンしたばかりの真新しいもので夏の日曜ということもあり、よく賑わっている。
支払いを済ませ入館すれば、一気に薄暗くなった館内にライトアップされた水槽が拡がった。この空間だけが現実と切り離されたような幻想的な景観に目を奪われる。色とりどりの珊瑚、魚、海月。掲げられている説明書きを読んでは宿儺と会話を交えた。
楽しい。浮かれに上乗せされた感情に影響され"この時間の終わりを考えたくない"と思ってしまう程度には夢中になっていた。
次へ足を進めれば、前の部屋よりも明るく照らされた部屋に浅瀬に生息する海洋物が展示されている。
比較的明るい場所だからか、ふと周りの人々に視線に移った。
手を繋いでいるカップル、はしゃぐ子供を抱える家族連れ、SNSに上げるであろう写真を撮っている女性達。…男2人で来ているのは自分達以外に見当たらない。現実に戻されそうになった矢先、手首を温かいものに包まれた。
「何を呆けている。次に行くぞ。」
どうやら宿儺の手だったらしい。宿儺に引かれゆっくりと歩みを進める。
こんなに他人の視線を気に留めず、自分自身のまま振る舞えるのはコイツくらいなんだろう。
だからこそ強くて、かっこいい。
半歩先に居た彼に歩みを並べながら軽く腕を引く事で弛んだ手を繋ぐ。それに驚いた宿儺が此方を見上げ、視線が合った。
「宿儺、好きだ。」
意識もせず漏れた声に内心自分でも驚いたが、俺よりも驚いたらしい宿儺が目を丸くする。…いや、元より俺が顔に出にくく宿儺が表情豊かなせいだろうか。
「…急に何だ。」
「別に、思ったら出てた。オマエ、ほんと他人の視線気にしねえよな。」
「オマエ以外は景色にしか見えんな。」
「エグ…。」
コイツは自由過ぎて分からない。けど気分や反応は全て表に出す分、予測が出来なくとも結果は分かり易いのだ。
今もほら、口元を歪めて視線を逸らした。恐らく照れている。…なるほど。
「オマエの言ってる意味、分かったかも知れねえ。」
この水族館のメインであろう巨大な水槽の前のベンチに座り、前触れ無く秘事のように小声で呟く。
「何の話だ。」
「付き合わなくても良いって言ってただろ。」
「ああ。」
「こうやって歩いて手繋げて、色んな表情見れるなら敢えて付き合うって形とらなくても良いかもしれねえって思った。」
「そうか、それは残念だ。」
そうだろう、と同意の言葉が返ってくるとばかり思っており上手く言葉が拾えなかった。
なんて言った?残念?
「…は?」
「俺は今日、オマエに向けられる他者からの視線に熱のある視線がある事に気付いた。出掛けたからこそだな。オマエが俺をどう思おうが大して重要ではないが、あの視線が近しい者から向けられそうになった場合、付き合うという形をとる事は先手で打てる牽制なのだと。」
「…つまり、」
「独占欲だな。面白い、オマエは俺が知らん感情を次々と生ませてくれる。独占欲も好意も。オマエと付き合えばまた新しい感情に出会えるかもしれんと思ったところだったが…仕方ない。」
「は?オイ、何が仕方ねえんだよ。」
「伏黒恵に付き合う気がなくなったのなら仕方がないなぁ。」
はあ〜、と態とらしく溜息を吐いた宿儺が立ち上がる。文字通り開いた口が塞がらなかった俺は、遊ばれていると分かりながらも数秒遅れてその後ろ姿を追いかけた。
記念日、7月24日。
終