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    ふたくら

    @ftkr_2LDK

    那須熊が好きです。

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    ふたくら

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    ハロウィンに、隊の皆と一緒に放棄地帯の遺品回収に向かう那須さんの話。
    ・ボーダーの行事の捏造があります
    ・三門市民が出ます
    ・何でも許せる方向け

    枕辺に花は飾らない/那須熊「玲、そういやホラー映画って観ないよね」
     私の部屋、本棚の一番下、並んだDVDを眺めながらくまちゃんが言った。
    「そうね」
    「なんで?もしかして怖がりだったりする?」
     からかうでもなく、いつもの調子で尋ねる彼女に、私は曖昧に肯く。
    「ふふ、そんなところ」
     その反対なのだとは、言えなかった。
     私たちはあまねく死者になる、遅かれ早かれ。


     珍しく点けっぱなしのリビングのテレビが、ここではない遠くのニュースを伝えている。今日はハロウィンで、シブヤでは、混雑を見越して既に警戒体制が敷かれているらしい。量販店の衣装売場前で、前のめりにインタビューに答える若い男性たち。
    「玲、出られそう?」
     玄関から聞こえるくまちゃんの声に「今行くわ」と答えて、テレビを消す。ハロウィンの前に、私たちにはやるべきことがある。


     背後から吹き抜けた風が、かさかさと、黄に色づいた木の葉を揺らす。以前ここに来たときには、溌剌とした緑が日に映えていた。季節は巡る。そこに観測者がいなくても。そんな当然のことを、私は今更思い出す。
     主人を失った家々は、太陽に照らされてもなんだか寒々しい。トリオン体だから、実際に強い寒さを感じることはほぼ無いのだけれど。
     放棄地帯。それがこの場所の呼び名だった。
     くまちゃんも茜ちゃんも、通信の向こうの小夜ちゃんも、ここに来るときは言葉少なになる。それは私だって同じで、何を言えばいいか考えあぐねては、結局口を閉ざしてしまう。ただ、もう点くことのない電灯を、開くことのない窓を、見つめる。
     遠くから低く唸るような音が聞こえて、それは近づいてやがて立ちつくす私たちの後ろで止まった。三人揃ってそちらに向き直ると、柔らかな黄緑色のワゴンから、髪を後ろで一つに結んだ女の人が降りてきた。
    「今日は、母をよろしくお願いします」
     深々と頭を下げるその人に、私たちも慌ててお辞儀を返す。
    「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
     私たちが頭を上げるのを待って、その人は後部座席のドアを開けた。「足元気をつけてね」と言いながら、手を差し出す。それに自身の手を重ねて降りてきた女の人が、今回の依頼主の方だ。丸みを帯びた、少しだけ白髪の混じった柔らかい焦げ茶のヘアスタイルも、少し下がった眦も、穏やかそうな印象を私たちに与える。グレーのスニーカーが、アスファルトを踏みしめる。
    「花村といいます。今日は、よろしくお願いしますね」
     その人は、微笑んで言った。今日彼女は、あの日置き去りにした場所に帰るのだ。

     遺品回収。それが今日の目的だ。
     放棄地帯は、平常時は一般市民立ち入り禁止だ。それはトリオン兵との遭遇や瓦礫による怪我のリスクを鑑みてのことであったし、ある程度の理解は得られている。それでも、突然”もう戻れない場所”になってしまったところに、大切なものを残してきた人は多くいる。通帳や印鑑、そういう実用品は特例措置で対応がなされた。けれど、それ以外のもの――故人との思い出の品、この世に一つだけの手作りのもの――そういった替えが利かないものはある。本来であればきっと、トリオン体で活動できる隊員がそれらを回収できるのが一番良いのだろう。しかし、防衛任務や、戦力増強のための訓練や模擬戦、秘密裏に進行している遠征準備など、日々を保つだけで精一杯なのが実情だ。加えて、許可があるとは言え人の家に勝手に入ることになるため、トラブルの発生も想定しなければならない。とても、常に行える業務ではない。
     それでも、放棄地帯に住んでいた人のために何かがしたい。誰かの声で、こうして年2回、夏と秋に、志願者による遺品回収が行われている。私たちも、参加するのは2回目だ。
     防衛任務との兼ね合いもあって実際に護衛にあたれる隊は少なく、それゆえに回収に行ける市民の方の数も限られている。今はやむを得ず、第一次近界民侵攻で命を落とした方のご遺族に限定して希望者を募り、その中から無作為抽出を行っている。花村さんもその一人で、あの日旦那さんを亡くされたのだと、ボーダーの事前説明で聞いた。
     くまちゃんが前、私が依頼主の隣、茜ちゃんが後方の陣形で、花村さんの道案内に従って進む。広範囲の索敵は小夜ちゃんが担ってくれていて、今のところ私たち以外のトリオン反応は無いようだ。本当は道案内も小夜ちゃんの仕事だったのだけれど、その必要は無かった。
    「こんなに変わっちゃっても、覚えてるものね」
     からりとした口調の言葉に私は上手く返事ができず、そうなんですね、とだけ答えた。電柱は傾き、塀は倒れ、足元には細かな瓦礫が散らばっている。時折くまちゃんが、足で瓦礫を払いのけて、後続の私たちの進路をつくる。変わり果ててしまった。この街のもとの姿を知らない私ですらそう思うのだ。ましてや、彼女にとっては。
     頭上を、一羽の鳥が飛んでいく。名も知らぬ白い鳥。


    「ここです」
     足を止めて見上げた先には二階建ての民家。白漆喰の壁の上には赤茶の瓦が乗っかっていて、西洋の家のような、愛らしい佇まいをしている。周囲の家に比べると損傷が少なく、それだけで少しほっとしてしまう自分が嫌になる。外見がきれいに保たれていたって、もうこの家が役目を果たせないのは明らかなのに。
    「ごめんなさい、トリ……近界民が潜伏している可能性があるので、先に入っても大丈夫ですか?」
    「もちろん。よろしくお願いします」
     くまちゃんが手をかけると、ドアは何の抵抗も示さず開いた。あの日からずっと開かれたままのドア。くまちゃんが進んでいく先は暗くてよく見えないけれど、私はいつでも射出できるように変化弾を手元に準備する。隣の花村さんからは見えないように、背中に隠して。
    『トリオン反応ありません、大丈夫です』
     くまちゃんが手で大きく丸を作って戻ってくるのと同時に小夜ちゃんの声が聞こえて、変化弾を解除する。
    「では、私たちはここで待機しています。恐らく大丈夫かと思いますが、万が一何か不審なことがあったらすぐに呼んでください。一時的に通信が繋がっているので、小声でも大丈夫です」
    「分かりました」
     出来るだけ剣呑にならないように言葉を選ぶ。こんな状況だけれど、安心してくださいなんて言えないけれど、それでも彼女がここに来た目的に集中できるような状況を作りたい。私たちに出来ることは、それだけだから。
    「それから、これ……」
     本部を出る前に配布された機器を手渡す。硬い素材の黒のヘッドバンドの先に、小型カメラがついている。
    「万が一のために、室内の映像をリアルタイムで本部の隊員に共有する装置です。申し訳ないのですが、安全確保のために着けていただいてもよろしいでしょうか。映像は何事もなければすぐ破棄を行います」
    「大丈夫ですよ」
     私の拙い説明を、目を合わせて聞いてくれていた花村さんがそう言って機器を受け取る。すぐに頭に装着しながら、ふふ、と小さく笑った。
    「気を遣ってくれてありがとうね、大丈夫だから」
     向けられた優しさを受け取る方法が分からなくて、私は曖昧に笑い返す。一番辛いであろう人に気を遣わせてしまったことが、苦くて重たい。
    「じゃあ、行ってきます」
     やや撫で肩のその背中を、三人で並んで見送る。足音が止んで少ししてから、暗闇の向こう、押し殺した嗚咽が聞こえる。茜ちゃんが帽子を目深に被る。くまちゃんが自身の袖を強く握る。私は、熱く重くこみ上げる塊を、何とか飲み下す。
     私たちは、泣いてはならない。

    「ごめんなさいね、お待たせしちゃって」
    「いえ、大丈夫です」
     縁側に並んで座り、見るともなく空を眺める。遠く向こうが、薄く橙に染まりはじめている。くまちゃんと茜ちゃんは、運び出す予定の荷物の一部を、放棄地帯外に待機している花村さんの娘さんの車に積み込みに行っている。一往復で済みそうだから、二人が戻ってきたらすぐここを発つことになる。
    「今日、ハロウィンなんですってね。お嬢さん方も仮装をするの?」
    「私たちはしませんが、基地にはきっと仮装してる人もいます。だから、私もお菓子を準備しているんです」
    「あら、それは楽しそう」
     彼女は、ほころぶ花のように笑う。その目尻はまだほんのりと赤い。
    「でも、どうして荷物の運び出しも今日だったのかしら。ハロウィンと何か関係があるの?」
     そう聞かれて、実施要項の前書きを思い出す。読み飛ばさなくて良かった。どこまでが本当かは分かりませんが、と前置きして、私は要項の内容をそのまま伝える。ハロウィンはケルトの祭りが由来だとされていること、10月31日には亡くなった人の霊が家族を訪ねると信じられていたこと、だからボーダーでは、慰霊の念を込めて、お盆とハロウィンに放棄地帯の荷物の運び出しを手伝っていることを。
    「そうだったのね」
     呟いて、彼女は再び視線を前にやる。砂利の敷かれた庭の向こう、野放図に伸びきった生垣には、小ぶりの鮮やかな紅色の花が咲いている。萩の花だと、さっき教えてもらった。
    「帰ってきてくれたら、いいのにねえ」
     風の音で掻き消えそうなその言葉は宛のない手紙に似ていて、受け取るべきはきっと私ではないから、ただ、言葉が舞っていくのを見送る。
     花村さんは、生成り色の丈夫そうなトートバッグから一冊の本を取り出す。深みのある臙脂色の布装丁、けれど背表紙には何も書かれていない。本来であれば題字が書かれているであろう場所を、彼女の指がゆっくりと撫でる。
    「それ、どんな本なんですか?」
     尋ねると、彼女はふふ、と少し悪戯に笑った。
    「日記よ。主人の日記。」
    「日記……」
     想定していなかった答えに、私はただ言葉を繰り返してしまう。いや、題字のない表紙から、個人的なものだと気付くことはできただろう。けれど、私にとって他人の日記は随分と縁遠いものだったから。
    「他人の日記を読むなんて、ダメよね」
     心の裡を見抜かれたようで、なんだか据わりが悪い。ダメかどうかを決められるのは、きっと当人だけだけれど。
    「そんなことは……」
    「ふふ、いいのよ。私も迷ったの」
     そう笑ってみせたあと、彼女は再び本を撫でる。細められた目に込もるのは、きっと愛おしさとしか呼びようのないもの。
    「…怖く、ありませんか。知らなかったかもしれないことが書いてあるのは」
     それは聞くはずのなかった問いだった。けれど、彼女の目線を追っていて、つい転がり出てしまった。恐ろしくはないのだろうか、望むべきことのみがそこに在るとは限らないのに。
    「……恐ろしいわ、少しね」
     返ってきたのは、意外な答えだった。それなら、どうして。
    「でもね、私の中であの人が”死んだあの人”になってしまうことの方が、もっと恐ろしい」
     その言葉は私の胸の裡に落ちて、真円の波紋を立てる。死んだ人に、なること。それは私にとっても、知らない話ではなかった。
     いろんな人が過ぎ去っていった。同室のおばあさんも、学校の先生になるんだ!と聞かせてくれたあの子も。殺菌された白い部屋の中で、それは日常ですらあった。そうして、過ぎ去った人はどんどん美しくなるのだ。優しく、清く。私たちの記憶の中で。
    「それは、少しだけ分かる気がします、少しだけだけれど」
     若輩者の言葉に、彼女は微笑んだ。


    「それじゃあ、ありがとうございました」
     道中にも何度もお礼を言ってくれたのに、最後にまた深々と頭を下げて、その人は車に乗り込んだ。低い音を立てて走り去る車を、私たちは黙って見つめる。
     言わなかったことが、一つだけある。ハロウィンの由来。人々は、異界の門が開くその日にやって来る魔から身を守るため、仮装をしたのだという。魔なるもの。迎え入れるべき霊魂とそれらの境界線は、どこにあるのだろう。
     私たちはあまねく死者になる、そしてその死は、時に押し流されていく。流れの中で、角を失い、滑らかになり、美しいだけの記憶になる。あるいは、人々の胸に残された罪悪感が増幅し、研ぎ澄まされ、悪霊と呼ばれるものを産む。それはきっと、形が違うだけでよく似ている。だから私は、ホラー映画を恐ろしいと思えない。やがて私たちが押し込められる箱の形、私はきっと、人よりそれに近い場所にいたから。
    「玲!」
     くまちゃんが振り返って私を呼ぶ。夕映えが、彼女を縁取る。
     くまちゃん。愛しいあなた。私を私に出会わせた人。
     あなたに出会うまで、私は私の形を知らなかった。病弱で大人しい子ども。それが私の鋳型だった。あの日あなたの手を取って、皆と共に戦場を駆けるようになって、薄いカーテン越しの世界は色彩を知り、私にとっての現実になった。自身の手の中に抱えきれないほどの望みがあること、そしてそれを口にするのが恐ろしくないことが、代えがたい幸せとなった。私は思っていた以上に我儘だったんだと、初めて気付いた。私の輪郭はあなたと共にある。
     もしも私が死者になるとき、あなたの中に私は残るだろうか。病で命を落とした可哀想なあの子ではなく、皆に出会い幸福を抱いて生きた私のことが。炭酸飲料を飲むのが下手で、実は寝起きもそんなに良くない、そういう情けなくてくだらないことが。そうであればいいな、と願う。どうかうつくしい化石にしないで。
     呼び声の方に向かう。淡く橙に照らされたくまちゃんの髪を、風が揺らす。その姿を、鮮やかなことを覚えておこうと思って、私は一度瞬きをする。
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