【剣伊】さよならいつか がっかりしたでしょう、と己のマスターとなった少女はどこか申し訳なさそうに云った。
「何が?」
「ここにはまだヤマトタケルはいないから」
「そうなのか」
ここはカルデア。自分のマスターとなった少女の所属する組織、とでもいうのだろうか。彼女のサーヴァントとなった俺はこれからここで過ごすことになるという。
案内するね、と連れ出された館内は見たことのないものばかりで、あいつがいたら目を輝かせてすぐにあちこち駆けて行って見失ってしまいそうだ、なんて思って頬が緩んだのも束の間、どうやら彼はここにはいないらしい。
ヤマトタケル。
心の中でそっとその名をなぞる。
かつて自分は彼のマスターとして彼と共に在ったのだという。そんな自分が今度はサーヴァントとして現界し、かつての江戸とよく似た場所で彼と再び巡り合ったのだから、なんだかおかしな話だ。
けれど自分には彼と共に過ごした時間の記憶がない。
全て置いてきてしまったからだ。
己の内側にはその分の空白だけがぽっかりと底の見えない空虚のように存在している。
薄情、なのだろうか、それは。
何も覚えていない自分にセイバーが少し寂しそうな目を向ける度、少しだけちくりと胸が痛んだ。
きみは何も聞かないのだな、と幾らかの時間を過ごしたあとで彼は云った。
共に過ごした時間について。儀のこと。その結末について。何を願っていたのか。
『……そうだな、知りたくないと云えば嘘になる』
けれど、それと同じくらい知らないままでいいと思ったのも事実で。
自分に向けられるセイバーのまなざしの温度。声のやわらかさ。
無邪気に笑ったり、目を輝かせながら美味しそうに朝餉を平らげるのをいとおしいと思ったり、その剣を、戦う様をうつくしいと感じたり。
たった数日の短い時間。江戸とよく似た街で共にした時間は多くはないけれど、それでもそのあいだ隣に在ったそのひとに対して抱いた感情はかつて彼と共に在った自分のそれと同じだろう、と、それだけはよく解った。
ならばそれが自分達のあいだに在ったもののすべてであり、ひとつの答えであり、それ以上でも以下でもなく、
だからいいのだ、知らないままで。
『知らないままでもあんたは変わらないだろう』
『それは……まぁ、イオリはイオリだからな』
『ならいい』
そばにいて、隣に在って、また知っていけばいい。
今度はマスターとサーヴァントではないけれど。こうして再び出会ったことに意味があるのなら、また一から知って積み重ねて、今度は、
「セイバーもそのうちここに来るんだろう?」
「そのつもり!」
「まだまだ力不足だから召喚に応じてもらえるかはわからないけど……」勢い良く返事をしたあとで少女はしおしおと自信なさげに笑う。
「なら、それまで剣の鍛練を怠らないまでだ」
もう二度と弱い、なんて云わせないように。
「……ん?」
弱い、と云われたのはいつだっただろうか。この前? それとも、
「どうかした?」
「ああ、いや、何でもない」
「早くまた、会えるといいね」
「そうだな」
話したいことがたくさんある。
知らない景色に驚いたり、些細なことに泣いたり笑ったり腹を立てたり。あのころころ変わる表情をもっと見ていたい。
ここにいたらいつか叶うだろうか。
もう一度出会えるだろうか。
月のひかりにもよく似た、たったひとりの、俺の、