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    kuromituxxxx

    @kuromituxxxx

    文を綴る / スタレ、文ス、Fate/SR中心に雑多

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    #レイチュリ
    Ratiorine

    【レイチュリ】ANSWER 2「雨は嫌い」
     天気予報がそれを告げるとき、任務先で急にそれに降られたとき、朝目が覚めて窓硝子をそれが叩くとき、彼の横顔は憂鬱そうに翳って、いつも喧しいだけの口は静かになる。
     いつもに増して薄っぺらな笑顔ばかり浮かべるようになるか、それすらもしなくなって明らかに機嫌が悪くなる日もあった。雨の夜は夢見が悪いのか決まって魘されているか、最初から諦めたように眠らずにベッドの端で膝を抱えるように丸くなっている。一緒に眠ることに慣れてからもそれだけはしばらくのあいだ変わらず、そのうちに雨の日だけは彼の方から僕の腕の中にするりとやって来ておとなしくそこに身を委ねるようになっていた。
     一緒に暮らし始めるより前、まだ自分の中で彼の存在がどういったものであるか理解するよりも先に体の関係を持つようになっていた頃、いつも悪態ばかりの彼が雨の日だけは「もっと」と縋るように何度も求めてきていたことに気付いたのは最近になってからだ。
     昔のことを思い出す回数が増えたからだろう。もしくは彼がいなくなった理由の答えがどこにあったのか探さずにはいられないだけか。いずれにせよ一緒にいた頃はそれよりも前のことなど思い出しもしなかった。今目の前にいる彼がすべてだったから。思い出す必要がなかったのだ。


     僅かに開いた窓の隙間から、むわりと湿っぽさを含んだ、けれどそれでいて少しばかり肌寒さを感じるような空気が入り込む。
     今日は朝から雨だった。もしも彼が今もここにいたなら一日ベッドから出て来なかったかもしれないし、きっと不機嫌であろう彼の為に仕事帰りにアイスクリームショップで彼のすきなフレーバーをいくつか土産に買って帰っていたかもしれない。
     今はもう馴染みのないものになってしまったいくつものふたりだけの習慣。ここにはそういうものが一体どれくらいあるのだろう。
     結局僕は彼がどうして雨を嫌っていたのか、その本当の理由は知らないままでいる。
     それを聞いてしまうのは簡単で、けれど聞いたところでできることなどないこともわかっていた。それを口にすることは彼にとって恐らく自傷行為と変わりないことも。
     一緒に過ごす時間が長くなればなる程に知っていったこと、似ていった面は増えたけれど、いくつもの知らないことについては知らないままで。
     彼の本当の名前も誕生日も僕は知らない。
     明け渡されていたのはこの家で一緒に暮らしていた約二年のあいだの時間と公私共にパートナーとして隣に立てる権利だけ。
    『今日はずっと雨?』
     いつの間にか隣にやって来ていた創造物が僕の脚の間から窓の向こうを覗く。
    「ああ、今日からしばらく雨らしい」
     彼と初めて寝たのもそんな、雨の続いた日の夜だった。
     それから彼が僕の家で一緒に暮らすことを決めてくれたのも。
     始まりにはいつだって雨が降っていた。
     この日々の終わりにも。
    『ちゅり、大丈夫かなぁ』
     大きなまるい瞳はどこか不安そうに空を見上げる。
     自分たちの主が雨の日を嫌っていることを理解している賢いこのいきものたちは彼がいなくなってからも雨の日は毎度律儀にこうして空を見上げては心配の色を瞳に浮かべる。
    「どうだろうな」
     そもそも今同じ空の下にいるのかどうかすらわからないけれど。
    『ちゅりは雨の日嫌いだったけど雨の日はおうちにいてくれることが多かったから僕はすきだったの。ちゅりには内緒だったけど』
    「そうか」
     悪態ばかりのあの口が少しだけ素直になるという点に於いては雨の日は僕にとってもいいものであったのかもしれない、と今は思う。彼には申し訳ないけれど。
     どこにいるのかもわからない彼の隣には今寄り添ってくれる誰かはいるのだろうか。
     想像して、少しだけ胸の奥がもやりと重くなって。
     けれどあの横顔が憂鬱になっていなければそれでいいとも思う。夜も悪夢に魘されることなく眠れていたら尚のこと。
    『早く帰ってきてほしいね』
    「そうだな」
     足下からくしゅんとちいさなくしゃみが聞こえて僕は窓をそっと閉じる。その途端、部屋の空調機器が設定されていた温度を思い出したかのように僅かな音をたてながら風を送り出す。
     果たして彼は帰ってくるだろうか。
     そんな、もう何度も繰り返した疑問が頭の片隅を過って、そして答えは今日も与えられないまま。
     その繰り返しをもう、三年。
     いつの間にかここで一緒に暮らしていた時間よりも彼がいなくなってからの時間の方が長くなってしまった。

    ―― ごめんね
     最後の日、ひとりごとのように零して、彼は僕のそばを離れた。
     その日も雨が降っていて、「終わりにしよう」と数日前彼から告げられた言葉はそのままに、僕たちはいつもそうしていたように同じひとつの傘の中で肩を並べていた。
     あんなに雨に濡れるのを嫌がっていたのに、そこから彼が出て行ってしまうのは一瞬の出来事で。
     そのすぐあとで、銃声。


       ◆

     アベンチュリンが何らかの目的を持ってカンパニーに所属していたことは彼と戦略的パートナーを組んだ当初から薄ら気付いてはいた。けれどそれが何であるかは彼の計略が表立って実行されるまで知る由もなく、見事目的を達成させた彼はその身を拘束されたときも満足そうに笑っていた。
     その光景は手の届かないどこか遠く、確かに目の前で起こっていたことだったけれどテレビの中の知らない誰かのことのように僕の目の前を流れていった。
     そしてその後脱獄した彼が今どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかも僕は知らない。
     街の至るところに貼られた指名手配書の中でだけ、彼は今日も不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。

     自分たちは特別な関係ではなかったのか。
     そんなことを何度、思っただろう。
     思えば彼は最後まで僕に『恋人』という役を与えようとはしなかった。
     それでも数えきれない程に繰り返し愛を囁き、それを確かめ合って同じ朝を迎えた。
     自分たちのあいだにあるものはすべて『しあわせ』なのだ、なんて言って彼は目を細めて笑った。
     彼の隣には僕。僕の隣には彼。それ以外の選択肢など端から存在しないとでもいうくらいに、彼という存在は僕の骨の髄にまでずっしりと深く居座っていた。そうなってしまった。
     知り得る限りの彼の思考や行動パターン、ルーツから彼の素性や行方を辿ろうと思えばきっと、行き着くのはそう難しくはなかっただろう。
     けれどそうはしなかった。
     彼は僕に何も言わなかった。何も告げずにいなくなった。そもそも、それよりも先に終わりを切り出されていた。
     つまりはそういうこと、それがすべての答えなのだ。
     僕がいるのはいつだって彼の人生の外側。
     戦略的パートナーとして、共に生きる者として、誰より同じ時間を過ごし、何度肌を重ねても僕は彼の人生の内側に触れることはできなかった。
     結局、彼の本当の名前すら僕は教えてもらえていないままなのだ。
     そんな訳で今日も僕は彼のいなくなった街で彼の姿を探しながら生きている。
     よく待ち合わせに使ったカフェだとか、任務の打ち合せに使ったバーだとか、眠れない夜に散歩した線路沿いの道だとか。

     それから、

     講堂の一番後ろの端の席。
     いつも空白のその場所にときどきいたよく見知ったやわらかなきんいろが、今日はいないかどうかとか。

    ―― 教授の字っていかにも教授の字ってかんじだよね
     そんなことを言われたのはいつだったか。

    「また来ていたのか」
    「あはは、教授もよく気付くねぇ。いつもこっそり来てるのに」
     ときどき、彼はそこにいた。
     気まぐれな猫のように。
     最初は任務の打ち合わせなんかの仕事がある日に。体を重ねるようになって幾らか経ってからは用事がなくてもふらりとやって来ることが度々あった。彼だって忙しい身だっただろうに。
    「君は目立つからな」
     そう言うけれどきっと僕は彼がどんな格好をしていたって、どこにいたって見つけられてしまうのだ。
    「こんなちゃんとそれっぽい格好で来てるのに?」
     小首を傾げてゆるりと笑う。
     ゆったりとしたカジュアルなパンツにシャツ。確かにここへ来るときの彼はいつものやたら装飾品の多い華美な装いとは程遠い、ごく普通のありふれた生徒のひとりのような格好をしていた。
     年齢を尋ねたことはないが、恐らくはここに通う生徒たちとさして変わらない年頃だっただろう。生まれが違えばもしかしたら、彼にもこんな風に過ごす日常があったのかもしれないと思う反面、そうであったなら出会いもしなかっただろうし、そもそも今ここにいる彼にはなり得ないのだろうから難義なはなしだ。
    「で、今日の講義はどうだった?」
    「勿論、なーんにも? さっぱり何言ってるのかわからなかったよ。共感覚ビーコンで言語は通じてるはずなのにねぇ」
     両手を広げて、彼はへらりと笑う。
    「それは……退屈なのではないか?」
    「うん、退屈。確かにそうかも。よく君の生徒たちはこんな意味のわからないことをわざわざ聞きに来る気になるな~っていつも思う。きっと僕とは頭の構造が違うんだろうね」
    「そうは思わないが……」
     実際彼は賢い男だった。学はないけれど頭の回転は異様に速く、思考も柔軟だ。
     そんな風に言われるとは思っていなかったのだろう。彼は不可解なものでも見るように口をへの字に曲げて僕のことを凝視していた。
     その視線に気付いてこほん、と誤魔化すように咳払いをする。
    「だが君もそれなのによく何度もここへ来る気になるな。君だって暇な訳じゃないだろう」
    「そうだけど講義をしてる教授は講義を覗きに来ないと見られないじゃないか」
    「それはそうだな」
    「僕ね、君の講義の内容は一ミリも理解できないけど講義をしてる君を見るのはすきなんだ」
     ふたりでいるときとか、任務のときとか、そのどれとも違う“教授”の顔してる。あとね、話してる声のトーンとか、黒板に書かれる数式とか。
    「数式?」
    「うん、教授の字っていかにも教授の字ってかんじだよね」
     彼の言葉の意味するところがわからず思わず怪訝な顔になる。
    「それは褒めているのか貶しているのかどちらなんだ?」
    「褒めてるんだよ。几帳面で綺麗に整っていて、君の人となりをよく表している」
     それが白い線で小気味良い音で描かれていくのを見ているのがすきなのだと彼は言う。
    「君の字もそれなりに綺麗だったと記憶しているが……」
    「あ〜君は僕のサインしか見たことがないだろう? あれだけはカンパニーに入社したときにジェイドにしこたま練習させられたんだ」
    「ならそれ以外は?」
    「それ以外はすごく気を付けてないとミミズが這ったような字になる。君になんて見せられたものじゃないよ」
     まぁついこの前までは読み書きすらできなかったんだから仕方ないよね、と笑っていたけれど僕からしたら全く笑えもしない話で、そんなときに一番、自分と彼の生きてきた時間にある消えない隔たりを感じていた。
     彼の書く文字をサイン以外で初めて見たのは一緒に暮らし始めて間もない頃だった。
     テーブルの上に書き置きされたメモ。
     彼が言うほどひどいものではなかったが、確かにまぁ、サインと比べたら上手いとは言い難いものだった。けれどもしかしたらそんなメモ一枚すら、それなりに気を張って書いていたのかもしれない、と今は思う。
     僕は彼の『本当』を知らない。いつも。


     コンコン、と教授室の扉をノックする音で我に返る。
     ノックの主は秘書。こちらに届いていた手紙や荷物を届けに来てくれたらしい。
     講演会の知らせがいくつかと、取り寄せていた本が数冊。その中に一通、薄緑色の封筒が紛れていた、と分別されたそれらをテーブルに並べて彼女は部屋を後にする。
     大きさからして招待状や書類などではないことは一目瞭然で、表面には僕の名が宛名として記されていた。
     少し癖のある、それでいて見覚えのある字。
     それを目にした瞬間、込み上げて来た感情を理解するよりも先に僕の指先はその封を切っていた。
     消印は星系の端の方に位置する辺境の星。
     裏面の送り主の名前は『カカワーシャ』。知らない名前だが、僕がその言葉を見聞きするのはこれが初めてのことではなかった。
     封筒の中には一枚の写真と一枚の便箋。

    ―― やぁ、レイシオ久しぶり。元気にしてるかな?

     手紙はそう始められていた。
     まるで目の前に彼がいて、語りかけてくるように。

     カンパニーの手が行き届いてない星系まで行けたら君に連絡をしようと思ったら、そもそもそれじゃあ手紙も届くか怪しいことに行ってから気付いたよ。
     あれから三年も経ってるし、もしかしたら君も引っ越してるかもしれないと思って大学に手紙を送ることにしたんだけど怒らないでね。
     この星は空の色が君の目と同じ色をしていて気に入ってるんだ。昔任務先から空の写真を送ったのを君が気に入っていたのを思い出したので一緒に送るね。

     たったそれだけの、どこにいるのかも、何をしているのかも、何にも触れない手紙。
     けれどそれで十分だった。少なくともこの長い三年の間、何度も何度も自分に問い掛け続けた疑問への、彼からの答えとするには。
     結局僕は今回もまた彼の嘘も本当も、何ひとつ正しく理解することなどできていなかった。
     同封されていた写真の中には確かに自分の瞳の色と同じ、朝焼けのような夕陽のような橙が切り取られて収められていた。
    「ふん」
     カカワーシャ、か。
     今はきっとそう名乗って生きているのだろう。
     この橙の空の下で笑っている彼を想像する。

     さて、これからどうしたものか。
     彼がいつ戻って来てもいいように一緒に暮らしていた家はそのままになっているけれど、そんなことが夢物語であることなんてとっくに解っていた。何かひとつ変わってしまったら、それこそもう何もかもが失われてしまうような気がして、ただ僕がそこから離れることができなかっただけだ。
     けれどどうしたところで戻るものなんてないのなら、これを機にどこかの星へ研究対象と拠点を移すのも悪くない。
     とりあえず、返事の代わりはひと月分の休暇申請と片道切符でいいだろう。
     何から話そうか。ケーキたちも連れて行こう。
     便箋と写真を丁寧に封筒に戻したあとで薄緑色に記された名前をもう一度ゆっくり目でなぞる。
     言う程ミミズが這ったような文字ではないからきっと、それなりに気を付けながら書いたのだろうと想像しながら。

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