【レイチュリ】明日の僕もどうか愛していて 3「先生」
「何だ」
「ドクター?」
「何だ」
「レイシオ」
「何だ」
「レイシオ先生?」
「だから何なんだ」
「君のことは何て呼んだらいいんだい?」
「好きに呼べばいい」
「じゃあ……ベリタス?」
「……それはやめてくれないか」
「今好きに呼んでいいって言ったのに?」
「君は自分が死んだときのことを覚えていられないと言っていたな」
「うん、そう。普通はみんな死んだときの記憶を持ってるんだ。そうでないとまた同じ末路を辿ることになるし、それはつまりおとなになれないってことだからね。まぁそれもそう言われてるってだけで本当のところはわからないんだけどさ」
「ならなぜ君は自害の回数を把握しているんだ?」
「ああ、それは銃だよ」
「銃?」
「そう、僕はいつもあの銃を肌身離さず身に付けているんだ。護身用って言ってるけどお守りみたいなもの。いつでも死ねるようにね。自害するときは必ずあれを使う」
「あれには弾は一発しか入れない。それで回数を把握してる」
「ねぇ先生、この世界の外にはいくつも別の世界があるって本当かい?」
「ああ、そうだな」
「へぇ、本当なんだ。例えばどんな?」
「雪に覆われた世界もあれば砂に覆われた世界も美しい緑に覆われた世界もある。夢の世界も」
「はは、君、『幸運持ち』に外の世界の話はしちゃだめだって教えられなかったのかい?」
「君が他言しなければいいだけの話だ」
「うっわー、先生って堅物そうに見えるのに案外そうでもないの?」
「誰しも興味を持ったことについて知る権利は平等にある。君が外の世界について知りたい、学びたいというのなら僕の知っている範囲で教えよう」
「外には行けないのに?」
「君は外の世界に行きたいのか?」
「んーどうかな。わかんないや。考えたことないし、どうせどこにも行けないし」
レイシオはやたらと僕と言葉を交わしたがった。
最初の一週間程、彼は朝から晩まで僕に付き添った。
朝目を覚ますとカーテンが開けられて僅かに窓が開いている。差し込んだ透き通るきんいろの光、その光と同じ透明度の空気。それらが瞼を、鼻の頭をくすぐって、それで僕は彼が部屋に来ていることを知る。
彼が何時からこの部屋に来ているのかは知らない。
部屋の扉に鍵は付いているけれど此処での生活において部屋の鍵などあってないようなものだ。此処へ配属されたときに合鍵でも渡されているのだろう。部屋に私物は必要最低限のものしか置いていないし、見られて困るものはない。部屋に施設の人間が出入りするのはよくあることだし、自分が死んでいるあいだについては知りようもないのでそれについて抵抗感を抱いたこともない。そもそも、ないのだ。自分のものであると言えるような場所や物を持ったことが。そんなものがあるとするならそれは自分のこの身ひとつと、その内側にあるものだけだ。ああ、だけど僕の命もずっと誰かのものだった。だとしたら僕のものだと言えるものって何なのだろう。内側にあるものだって死んで生まれ直す度にどこか綻んでいくのに。
僕が目を覚ますまで彼は傍らで本を読んでいることが殆どだ。僕のことを起こしたりはしない。僕が起きるのが朝早くだろうが昼過ぎだろうがあまり関係ないといった顔で。
僕が目を覚ますと彼は食堂に向かってふたり分の食事を取りに行く。僕が食堂で食事をするのをあまり好まないどころか食事自体栄養バーとドリンクで賄っていることを知った彼が勝手に始めたことだ。
僕の分の朝食は果物多め。それからスープ類。僕は本来朝食をとらないのだ。そんな僕の前で彼はきちんと日替わりの定食を一食分平らげる。食事のあいだ特にこれといった会話をするわけではないので僕はほとんどの時間を彼の口に次から次へと食べ物が運ばれていくのをただ眺めているだけになる。
他人と同じ空間で食事をとるのは好きではないし、食事自体面倒な行為でしかなかったのに、不思議と彼が持って来る食事を蔑にする気にはならなかったし、向かい合ってこうしていることも嫌だとは思わなかった。
「こうやって僕に付いて回って楽しい?」
「楽しいかどうかでこうしているわけではない」
「ならどうして? そもそも必要ないよね、こんなやり取り。僕に医療行為は必要ないし、研究がしたいなら気が済むまで僕の体を隅々まで調べればいいだけだし」
「僕はただ君という人間が知りたいだけだ」
「人間……人間ねぇ。レイシオには僕が人間に見えてるんだ」
「? そうだろう?」
「なら尚更僕のことなんて知らないままでいた方がいい」
「なぜ?」
「だってすぐに死ぬ人間のことを知ったって意味ないだろう? それともそれが君の方針みたいなものなのかい?」
朝食が済んだら訓練場へ向かう。
僕が行う訓練は射撃が殆どだ。
訓練にはなぜかレイシオも参加した。
射撃の腕は悪くない。なんならそこらの兵士よりよっぽど腕が立つ。
医療現場が戦場になることもあれば研究の為に危険な未開の地へ赴くことも少なくないからな、と彼は何でもないことのように言うけれど、果たしてそんな事があるだろうか。もしそれが本当なのだとしても自分の探究するものの為にそこまでの領域に達するのは容易いことではないはずだ。
天は二物を与えないなんて言うけれどやっぱりそんなのはデタラメだ。むしろ彼が持っていないものを探す方が難しいのではないかとすら思う。けれど彼が本当に何を持っていて何を持っていないかなんて僕は知らない。大体にして自分以外の人間は僕より多くの何かしらを持っている。僕があまりにも持たなすぎるだけなのだ。けれどそれだってそう見えているからそう感じるだけなのかもしれない。自分より外側にあるものを本当に知ることも理解することもできない。それより先に別れがやって来るから。
「ここ? うーん、いつからいるんだろう。ここへ来る前は奴隷だった。違法賭博場にいた。そこでは『幸運持ち』を戦わせるんだ。自分か相手、どちらかが死ぬまで。ちなみに僕は負けたことがない」
「ほう?」
「昔はね、死の偽装ができたんだ」
「死の偽装?」
「そう。今は三日くらい掛かるようになっちゃったけど、昔はそれこそ死んですぐに新しい生に移行できたんだ。それが他人には不死身に見える。さぞかし不気味だっただろうね。おかげで僕の主人は大儲けさ。まぁ彼も僕の生まれ直しの秘密については知らなかったから最期は僕に殺された」
「僕の知っている法では奴隷が主人に逆らうのは罪に当たるがこちらでは違うのか?」
「え? 罪だよ? 聞いてないのかい? 僕は死刑囚だ。僕の命の所有権有が加虐趣味のジジイからこのカンパニーに変わっただけでさ。だから僕に任務に対する拒否権なんて最初から存在しないのさ」
訓練の間に昼食を挟む日もあれば、午前中で訓練を切り上げる日もある。
基本的に任務以外の時間をどう過ごすかは各々に委ねられている。任務さえきちんとこなしていれば十分すぎるくらいの報酬は与えられるし、だから生活に困ることはない。趣味のひとつでもあったならここでの暮らしはもう少し有意義なものにでもなっただろうけど、生憎僕にはそんなものがなかったので訓練に費やす時間は人より多かった。
勤勉なわけではない、ただの暇つぶしだ。
暇つぶしにただ、延々とシミュレートする。現れた敵をただ無心で、羽虫を潰すように、焦点を定めて、撃つ。ただその繰り返し。
それにも飽きたら訓練を切り上げてただ眠る。
レイシオはその全てに付き添った。
訓練時間が長いとか短いとか、内容について何か口出しをするわけでもなく、僕が訓練に向かうと言えば一緒に向かい、僕が切り上げると言うまで一緒にそれを行った。
訓練のあとで僕が眠っているときは朝と同じように傍らでただ本を読んでいる。そうして夕食までを共に過ごして、そうしてようやく彼は自分に与えられている部屋へと戻る。
「で、結局君が一週間僕を観察して知りたかったことって何だったんだい?」
「言っただろう、ただ君という人間を知りたいと」
「まさか本当にそんなことを信じるとでも?」
「君は僕に自分のことを信じさせる為に自害までしたくせに僕の言うことは信じないんだな」
「信じるわけないだろう? だって君にとって僕は何だい? 患者? 研究対象? 本当に知りたいのは僕のことじゃないはずだ」
「確かに僕がこの世界にやって来たのは『幸運持ち』についての研究の為だ。そしてその中でも特異な存在である君。なぜ君だけが他の彼らと違うのか、それについて知る為にはまず君という個について知る必要がある」
「なぜ僕だけが他の『幸運持ち』と違うのか、か。確かにそれは僕も知りたい話だ」
「何か思い当たることはあるか?」
「こんな回りくどいことしないで最初から聞いたらよかったじゃないか」
「こういうことは互いの信頼があって初めて進む話だと思っている」
「信頼ねぇ……そういうのは真っ当な人間相手にしたらいいのに、って言っても君には僕も人間に見えてるんだっけ」
「…………」
「悪かったって。そんな顔して睨まないでよ。うーん……何か思い当たることって言われてもそもそも『幸運持ち』の発現条件だってわからないままなのに……」
「あー、でも昔、一族のみんながまだ生きていた頃よく言われたな、『幸運の女神の祝福を受けたこども』だ、って」