赤、青、黄色。天井につり下がった巨大なミラーボールから出た光の欠片はゴースト達の演奏に合わせて会場中を飛び回り、パーティーを楽しむ生徒達を明るく照らしだす。
テーブルに並んだ豪華な食事に舌鼓を打つ者。流れている音楽に合わせてゆらゆらと体を動かす者。皆が思い思いにパーティーを楽しんでいる中、レオナは群衆から離れたところで壁に背中を預けながらぼんやりと目の前の光景を眺めていた。
生者と死者の一夜限りのハロウィンパーティー。学園全体を巻き込んだこの大騒動は、蓋を開けてみればなんてことはない、ただのはた迷惑な妖精族の戯れということで幕が下りた。
クラシックだった音楽がアップテンポな曲に変わる。すると、それまで食事を楽しんでいた生徒の一部が皿を置いてフロアの真ん中で踊りだした。ステップもなにもない、まるで飛び跳ねるかのような自由なダンスに、周りで見ていた生徒達も自然とその輪に加わり始める。
お気楽なものだ。皆、ここに至るまでの道中のことなどすっかり忘れてしまったかのように、パーティーを満喫している。
レオナも最初こそ食事をとったり踊っている輪の中に混ざったりとパーティーをそれなりに楽しんでいたのだが、今はさっさと寮に帰ることしか頭になかった。なんせ夜中に寮生達が消えたと寝ているところを叩き起こされたのだ。たった二、三時間程度の睡眠で体が満足するはずもない。
全ての問題を解決した今、レオナが求めるのは温かい自室のベッドだけだった。今なら三秒もいらずに寝られるだろう。そう思いながらクワリと大きく口を開けて欠伸をしていると、一人輪の中心から離れて気だるげに佇んでいたレオナに、一つの影が近づいてきた。
影は真っすぐにレオナ向かって歩みを進め、そして臆することなく声をかけてきた。
「レオナ先輩、これもう食べました?結構美味いっすよ」
欠伸でぼやけた視界に入ってきたのはレオナと同じ寮の一年生、ジャック・ハウルだった。手に持った皿には肉の山が築かれている。
レオナはチラリとその肉の皿を見やり、ジャックに向かって、あっと口を開けた。そして香草がまぶされた鶏肉を指差す。皮がパリパリになるまでこんがりと焼かれているそれは、見るからに美味しそうだった。
口を開けたまま、視線だけでジャックを見やるレオナに、ジャックはえっと戸惑うような声を上げた。開けられた口も、肉を差す指先も、見上げてくる視線も、全てがジャックに食べさせろと訴えてくる。
けれどジャックも、はいどうぞと簡単に手を動かすことはできなかった。これが二人きりの場ならば何の抵抗もなくレオナの口に肉を運んであげられるのだが、いかんせんここには人の目が多い。周りには何百人もの生徒がいるのだ。誰に見られているかなんて分かったものじゃない。
ジャックは辺りを窺うように、きょろきょろと周りを見渡した。けれど、二人を見ている者など誰一人としていなかった。皆パーティーを楽しむのに夢中で、他人に気を配る余裕などないのだ。
ジャックはそれを確認すると、鶏肉の香草焼きにフォークを差し、おずおずとレオナに差し出してきた。レオナはそれにぱくりとかぶりつく。香草にはスパイスも混ざっていたのだろう、舌にぴりりとした刺激があった。肉を飲みこみ、レオナは満足そうに舌で唇を舐めとる。
このパーティーの料理長はもともととある宮廷で働いていた一流シェフだったそうだ。充分に満足いく味に、レオナは再びジャックに向けて口を開いた。
するとジャックは今度はすぐに新たな肉をレオナの口に向けて差し出してきた。すかさずかぶりつき、こんがりと焼かれたそれをゆっくりと噛み締める。噛めば噛むほど、深い香りが鼻を通り抜け、じわりと肉汁が口の中に広がる。
ジャックはそんなレオナに笑みを浮かべ、自身もレオナと同じように壁に背を預けて寄りかかった。そして赤みが残っているステーキを突き刺し、今度は自身の口に運ぶ。
目の前では相も変わらず光の欠片が会場中を覆いつくしている。いつのまにか、曲はまたクラシックに戻っていて、今度は二人一組になった生徒が優雅にステップを踏んでいた。
ただ目の前にある光景を見ているレオナともくもくと食事を口に運んでいるジャック。なにもない二人の間には穏やかな時間が流れていた。バイオリンの音が二重、三重に重なり合い、重厚なハーモニーを奏でる。
ふと、レオナが隣にいるジャックの横顔に目をやると、こめかみあたりに黒い汚れが付いているのを見つけた。乾いた土だろうか。レオナはおもむろに腕を伸ばし、その汚れた部分を指で擦る。
さりっと乾いた感触を指先に感じたと同時に、ジャックが驚いたようにバッとレオナを振り返った。見開かれた琥珀色の瞳にレオナの姿が映りこむ。それを見た時、レオナの口からはある言葉が飛び出していた。
「怪我は?」
「え、あ……」
琥珀色の瞳が一瞬だけ揺れ動き言葉を探す。けれどもそれもすぐにいつもの色を取り戻した。そして優しく緩められた瞳がふっとレオナを見つめ返す。
「ないです。大丈夫です」
そのはっきりとした声に、レオナは汚れを拭い取った腕を戻した。
指先に付いたのはやはり土だった。指同士を擦り合わせるとカラカラに乾いたそれはぽろぽろと床に落ちていく。
「あの……」
「ん?」
その光景を黙って見ていたレオナの耳に、控えめなジャックの声が届いた。レオナはとっさに顔を上げ、ジャックを見返す。
するとそれまで一歩離れたところに立っていたジャックがそっとレオナに身を寄せてきた。二人の距離が一気に縮まり、肩が触れ合いそうなほど近くなった。
「すいません、心配をおかけしました」
目の前に広がった全く予想していなかった穏やかなジャックの表情に、レオナはぱちりとまばたきを一つ返した。は、と開いた口が、けれども何も言わないままに閉じられる。
そしてレオナはそのままジャックから視線を逸らし、フロアに顔を向ける。ミラーボールの明かりがレオナの瞳に光を散らした。
「別に。心配なんてしてねぇよ」
ぽつりと呟かれた言葉といつもと変わらない横顔に、それでもジャックは嬉しそうに顔を綻ばせた。そしてジャックはレオナを覗きこむように身を屈め、口を開く。
「レオナ先輩は大丈夫でした?怪我とかしていませんか?」
それに対してレオナはぶっきらぼうに言葉を返した。
「ゴーストごときに遅れをとるかよ」
ふんと鼻を鳴らしながらきっぱりとそう言い切るその姿に、ジャックは更に笑みを深める。
「エペルから聞きました。エースとフロイド先輩と一緒だったらしいですね。なんか色々大変だったとか」
「フロイドの奴が次から次へと問題を起こすからな」
そう言いながらため息と同時に肩を落とすレオナに、ジャックの頭には突拍子もない行動で場をかき乱すフロイドの姿が浮かんできて、ははっと苦笑いを浮かべた。エースはともかくとして、あのフロイドを思うように動かすのは骨が折れるだろう。自由なフロイドに頭を抱えるレオナの様子が浮かんでくるようだった。
するとそれまでずっと感情が見えなかったレオナの唇がふと弧を描いた。同時に細くなった目がニヤリとジャックを見やる。
「俺も聞いたぜ。ゴーストに乗っ取られてポムフィオーレの連中みたいになったとか」
「なっ!?」
ジャックはその言葉にぶわりと尻尾を膨らませながら顔をひきつらせた。
「チミィ、とか言いながら半べそかいてたんだろう?」
「誰から聞いたんですか、その話っ!」
まさかレオナがあのことを知っているなんて。面子からして面白おかしくそのことを語るような人物はいなかったと思うが、いったいどこからその話が漏れたのか。
ゴーストに乗っ取られていたとはいえ、あんななよなよした態度でありえない言葉を自分が口走っていたと思うと恥ずかしくてたまらなくなる。
ぐぬぬ、と顔を赤らめるジャックに、レオナは良いおもちゃを見つけたとばかりにくつくつと笑っていた。
「せっかくなら俺のところに出てくれば良かったのによぉ」
「もう、やめてくださいよっ」
恥ずかしさから赤くなった頬を隠そうと必死に顔を背けるジャックに、レオナは楽しくて仕方がないと笑いながら顔を近づける。真相を聞き出そうと妖しく光る瞳がジャックに狙いを定めると、ジャックは突然あっと声を上げて大きな声で早口に喋り始めた。
「そうだ、俺なんか飲み物取ってきますよ。ジュースから紅茶まで色々ありましたけど、レオナ先輩はなにがいいですか?」
あきらかに話題を逸らそうとする態度に、レオナは片足に体重をかけるように立ち、腰に手を当てて仕方なしに水とだけ答えた。
「冷えたやつな」
「はい。分かりました。少し待っててくださいね」
そしてジャックはこれ幸いとばかりに急いで飲み物を配っているゴーストのもとに走っていく。遠ざかる後ろ姿。レオナは離れていくジャックの背中を、ただじっと見つめていた。