輪郭を辿る「……やっぱり、二択だったらそっちを選ぶもんなのか?」
じっと見られているなと視線は感じていた。何か考え込んでいるのか、まあ用があったら声をかけてくるだろうと穂刈は気にせず筋トレを続けていた。一通りルーティンが終わり、握っていたダンベルを置いてスポーツ飲料水を手に取った時だ、荒船がそう声を落としたのは。
荒船は制服姿で、顎に手を当てて何やら難しい顔をしている。一瞬何の話か分からず反応を取り損ねた穂刈は、一拍を置いて「ああ」と手中のものを見た。
「まあ、そうだな。そうかもしれない、確かに」
握ったペットボトルは、穂刈が一部から呼ばれるニックネームと同じ名前の商品だ。最初は名付け親の王子や同い年の連中がそう呼んでいたのに、気づけばボーダー内の何人かにもそのニックネームは感染っていた。別にそれが嬉しいわけでも嫌なわけでもなく、ただ何となく、これが並んでいれば手が伸びてしまう。もしかしたら刷り込みに近いのかもしれない。
ぐい、と中身を呷る。汗をかいたあとのスポーツ飲料水は殊にうまい。ごくごくと飲み下し、ふうと息を吐く。
「……あるだろう、CMを担当した女優とかが他社の競合商品を使ってはいけないって。そんな気持ちに近いな、恐らく」
「まずもって女優じゃねえだろうが」
「新人女優のポカリちゃんかもしれねーぞ」
「知らねえよこんなごつい女優」
ふは、と吹き出した荒船が手を伸ばしてくる。一口くれとねだられたので、口を開けたままのペットボトルを手渡した。
「そんなこと考えてたんだな、難しい顔をしてると思ったら」
こくりと一口飲んだ荒船は、「やっぱ甘いな」と小さく呟いてペットボトルをこっちに寄越す。
「いや、さっきはおまえのほっぺ固そうだなって考えてた」
「ほっぺ?」
そうだと頷かれ、穂刈は自分の頬に指で触れる。確かにあまり肉のついてない頬に弾力はなく、触っても楽しいものではないだろう。半崎の頬なんかはスクイーズのような気持ちよさがあり、同級生たちに構われているのを見かけたこともあるが。
「やわらかいもんではないな、確かに」
「そもそも、表情筋自体固そうだよな。あんま顔に出ねえし」
「……触るか、気になるなら」
冗談混じりの提案だったが、荒船は好奇心が強いらしく素直に首肯した。それに少し驚いているあいだに穂刈の隣に移動してくると、何の躊躇もなく指先が頬に触れる。
荒船の手は綺麗だ。ほどよく筋張り、指が長くて爪の形がいい。その手が、穂刈の頬を滑るように動く。上に向かって動き、外に向かって引っ張られ、親指と人差し指で軽くつままれた。
「固いな」
「だろうな」
「やっぱり鍛えてるからか?」
荒船は興味深そうにぶつぶつと言いながら穂刈の頬を触り続け、両側から口角を引っ張り上げて無理やり笑みの形を作っている。手を離されるとすとんと元に戻り、自覚のある無表情を前に荒船は何故か楽しげだ。
「楽しそうだな」
肩を竦めると、荒船は玩具に夢中になった子供のようにこくんと頷く。
「面白い」
荒船の手は顔から離れ、そのまま首に落ちた。頸動脈をなぞり、服の上から肩を通ってTシャツの袖口から腕に触れる。軽い指の感触が少しくすぐったくて身じろぐと腕の筋肉が動き、荒船がまた興味を引かれたようにじっと視線を注いだ。
「最初、もっとひょろかったよな」
「育て上げたからな、せっせと」
腕を辿り、肘の凹凸をなぞって手首に行きつく。荒船はそのまま穂刈の指先まで指を滑らせた。穂刈の深爪気味の爪の先に、荒船の形のいい爪が触れる。
「ごつくなったな、おまえ」
「惚れたか?」
「もう既に惚れてるよ」
「オレの筋肉、に……」
冗談めかそうとした倒置法の隙間にきっぱりと真っ直ぐな言葉が滑り込み、後半の声が柄にもなく不発になった。不意打ちに二の句が継げず、マイペースに指先を握り込む荒船の顔をぎくしゃくと見る。
荒船はきょとんとしていたが、つと嬉しげに笑った。
「珍しい。照れてんのか」
「照……いや、違う。待て、不可抗力だ」
空いているほうの手で顔を覆う。普段、あまり感情は顔に出ない。それが一発で荒船にバレてしまうくらいだ、一体どんな顔をしていたのだろう。
「おまえでも照れるんだな」
「いや、だから」
くつくつと喉の奥で笑う荒船の声はそれこそ楽しそうだ。指の隙間からちらりと覗けば、口角を上げてにやにやとしていた。
「手、どけろよ。照れてるとこ見たい」
「楽しいもんじゃねーだろ、こんなの」
「十分楽しい。ほら、隊長命令だ」
「……」
そんなずるい命令があってたまるか。穂刈は自分の顔から手を外すと、そのまま荒船の目を塞いだ。
「あ、おい邪魔だ」
「どけたぞ、手は」
「そういう意味じゃねえよ」
じたばたと暴れ、空いている手で剥がしにかかってくる荒船の動きを力で封じて穂刈はいつもの無表情を引き寄せる。一度平常心に戻ればあとは容易だ。荒船の視界が光を取り戻した時、穂刈の動揺はもうしっかりと落ち着いていた。
「ッチ、珍しいもんだったのに」
「見せもんじゃねーよ、オレの顔は」
「減るもんじゃないしいいじゃねえか」
悪態を吐きながらも、握り込まれたままの指先が離されることはない。不服そうにしながら、荒船は逆の手でまたぺたりと頬に触れてきた。
「次は何したら照れんの?」
「さあな。してみるか、キスでも」
「調子に乗るんじゃねえよ」
荒船は次こそ冗談として捉えたようで笑い飛ばした。そううまくはいかないらしい。
穂刈が肩を竦めると、しかし荒船は握った手を引いた。頬に触れていた手が胸ぐらを掴み、ぐいと引き寄せられる。
近づいた顔に穂刈が目を丸くすると、荒船は悪戯が成功した子供のように無邪気に笑った。