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    Shijima_shhh

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    Shijima_shhh

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    α安室×Ω飛田の続き
    ・独自設定ありのオメガバース
    ・年齢操作あり(19歳×20歳)
    ・ところどころセリフのみ

    #安飛
    anfi
    #降風
    (fallOf)Wind

    恋ははしかのようなもの2(安飛) 安室透はαである。
     金色の髪に、蒼い瞳。そして、小麦色の肌。それらのどれもが日本人らしからぬ色ではあるが、安室透の美しさを否定する者はいないだろう。また、学生時代の安室は常に学年一桁前半の成績を誇っていたし、日本最高学府である東都大学の法学部に現役かつ主席での入学を果たしている。大学に入ってからの成績もオール優であり、教授陣の覚えもめでたい。だからといって勉強ばかりの頭でっかちというわけではなく、身体能力も非常に高く、テニスでは全国大会で優秀な成績を残している。知人友人も多く、安室について聞けば誰もが「素晴らしい人物」「明るく公平で親切」と褒め称える。幼い頃からの幼なじみである諸伏景光ですら「ゼロに欠点があるとすれば、人に頼るのが下手なことかな」と笑う。「まあ、頼らなくとも自分でどうにかできちゃうのがゼロではあるんだけどな」とも付け加えて苦笑するのだが。ちなみに、ゼロというのは安室透のあだ名である。

     αというのは、一般的に優等種と認識されている。実際、政治・経済・スポーツ・芸術、ありとあらゆる分野におけるトップクラスの人物は軒並みαである。そのため、スポーツ界などでは男性と女性という第一性に基づく競技の別があるのであれば、α・β・Ωの第二性もまた競技を分けるべきではないかという意見も多い。あるいは、チーム競技であれば1チームにおけるαの人数を制限すべきだという意見もあるが、それは一種のバース差別になるのではないかとも言われており、今のところ実現にはいたっていない。
     この「バース差別」というのは、近年さかんに議論されるようになった問題である。αは優等。βは凡庸。Ωは劣等。そんな固定概念から、その人自身ではなく第二性という属性ありきで相手を判断する者は少なくない。第二性は重要な個人情報として秘匿され、決して人に教えてはいけないと幼い頃から教育されるものであるが、やはり他人の第二性は気になるものである。また、無意識のうちに外見や成績などから勝手に相手をα、Ω、などと判断してしまうことは珍しくない。その結果、αを過剰に優遇したり、その反対にΩを過剰に冷遇したりする例が後を絶たない。特に後者は、いじめという社会問題にも発展し、深刻な問題となっている。さらに、Ωはヒートなどの問題から、日本では警察官や国会議員にはなることができないなど、就業の自由が制限されていることもまた、大きな人権問題だと言われている。Ωを被害者とする性暴力事件は、抑制剤のめざましい改良により15年前の3割まで減っているが、Ωをめぐる社会的な問題は後を絶たない。
     バース性に基づく差別はΩに対するものだけではない。αもまた、優秀なαを妬むβの逆恨みから危害を加えられたり、あるいはその優秀さに心酔するあまりストーカーになってしまう事件も起きている。

     さて、話を戻そう。
     安室透はαである。それも、とびきり優秀な。
     そのため、安室も今までに妬まれたり執着されたり性的な意味で襲われたりなど、19歳という年齢に見合わない人生経験を積んできた。しかし、その優秀さを遺憾なく発揮し、それらの問題もいずれをも大きな問題と発展する前にうまくかわし、解決し、時には隠蔽してきた。それらは安室を傷つけることはなかったが、人間不信には育てた。幼なじみの諸伏の他には数名の親友たちを除いては、安室が信頼する人間はほとんどいない。というか、そもそもそれ以外の他人には興味もない。そのため、誰かと番になりたいと思ったこともないし、誰かに迫られても番はおろか恋人関係になろうと思ったことすらなかった。幼い頃に近所の医院の美しい医師に憧れのような初恋をして以来、誰かに恋愛感情を抱いたこともない。安室の番あるいは恋人になりたがる者はいくらでもいたが、安室はそれらの誰にも興味も関心も抱けなかった。また、フェロモンを武器にΩに迫られても、ひたすらに不快なばかりであった。

     そんな安室自身にとってはある意味非常に有り難く、ある意味非常に困ったことに、医者曰く安室はΩのフェロモンに対して敏感であると同時に好き嫌いの激しいタイプのαだった。
    「Ωのフェロモンって、めちゃくちゃ臭いですよね」
     そう相談した安室に、医師はきょとんとしてから、少し困った顔をした。この医師は、安室の初恋の医師が紹介してくれたバース専門医である。第二性を診断されたときからずっとお世話になっており、安室にとっては数少ない信頼できる人間である。第二性については安室はこの医師になんでも相談するようにしている。だから、Ωに性的に迫られることの増えた中学生の安室もやはり医師に相談したのだ。
    「ええと、それはヒートの時ですか? それとも」
    「普段からです」
     皆まで言わせず、安室は食い気味に言った。本当に、困っていたし辟易してもいたのだ。
    「すれ違ったり同じ部屋にいたりする程度なら問題ないんです。普通に会話をするだけでもまああんまり近づかなければ、ちょっと嫌な、って言うと言いすぎかな。臭い……うーん、あまり好きじゃない匂いがするっていう程度で、我慢できるんです」
    「ちょっと待ってください、透くん。それはつまり、目の前の相手がΩがそうでないかわかるということですか」
    「はい。たいていわかります」
    「なるほど。透くんはかなり鼻のきくタイプのαのようですね」
    「普通はわからないものなんですか?」
    「ええ。普通はわかりません。目の前の相手の第二性というのは、ヒートであるとか性的に興奮しているであるとか、フェロモンの分泌が通常よりも多いときでない限りわからないものなんです」
    「ふうん」
    「特に優秀なαの中には、フェロモンについて鼻が利く人、つまり通常時でも相手のフェロモンを嗅ぎ分ける人がたまにいると聞いたことがあります。きっと透くんもそのタイプなんでしょうね」
    「臭いばっかりであんまりいいことないですけどね」
    「臭く感じるのは、透くんの好き嫌いが激しいからです」
    「好き嫌いって……僕、他の人のフェロモンでいい匂いっって感じたこと今まで一度もないです」
    「ほんの少し好ましいと思ったことも?」
    「臭いとめちゃくちゃ臭いの二択です」
    「やっぱり、かなり好き嫌いが激しいんですね」
    「好きな匂いなんてあるとは思えませんが……。もしかして、個人差とかではなくて、Ωのフェロモンそのものが嫌いなのかもしれません」
    「そんなことありませんよ。いつかきっと透くんが好ましく思えるフェロモンの相手とも出会えますよ。根拠はありませんが」
    「ないんですか」
    「出会いがあるかないかは医者にはわかりませんからねえ。私の立場から言えるのは、可能性がある、ということだけです」
    「それもそうですね。まあ、別に出会わなくてもいいというか、むしろそんなものに出会わない方がいい気もしますけどね」
    「まだ中学生なのに、そんな枯れたことを言わないでください。せっかくですからロマンを持ちましょうよ」
    「ロマンって」
    「〝運命の番〟って聞いたことありませんか?」
    「ドラマとかでやたらと出てくるアレでしょう。アレって本当にあるんですか? 現実には聞いたことありませんけど」
    「そうですねえ。〝運命〟っていうのは、フェロモンの相性のことなんですよ」
    「相性?」
    「ええ。たいていのαもΩも好き嫌いはあまりないものなんです。あっても微々たるもので。喩えるなら、パックで買った苺の個体差程度のもので」
    「意味がわからないです」
    「ありませんか? 同じパックの苺でも、こっちは甘くてこっちはちょっと酸っぱいとか」
    「まあ、ありますけど」
    「その程度の違いなんです。でも、透くんの場合は……食べ物の好き嫌いあります?」
    「あまりないです」
    「そうですか。じゃあ、うーん……よし。透くんの場合は、ショートケーキの苺と腐ったミカンくらいの違いがあるんでしょうね」
    「それって、好き嫌いというよりも食べられるものと食べられないものの違いだと思いますけど」
    「あれ? 確かに。でもまあ、腐ったミカンはどうしても食べなければ飢え死にするくらいのところまで追い込まれても食べるかどうか悩むでしょう。それと同じで、透くんは世界に二人だけ取り残されたとしてもその臭いと感じるΩと番いになるかどうか悩むでしょう」
    「なるほど。……たぶん、僕は追い込まれてもミカンは食べないし、Ωと番にもならないと思います」
    「私も、透くんはそういうタイプだと思います」
    「はい」
    「でもその反面、好きなものはとことん大事にするタイプですよね」
    「え?」
    「幼なじみの景光くんのことなんかは、すごく大切にしてるし、宮野先生のことも今でも大好きでしょ」
    「……ヒロは親友だし、エレーナ先生は……今はもう、憧れですよ」
    「でも、どちらも大事でしょう」
    「それは、まあ、……はい」
    「透くんは一度好きになったらとことん好きだし、大切にするタイプですからね。とても一途で、素敵だと思いますよ。いつか、いい匂いだと思えるΩに出会ったら、大事にしてあげてくださいね」
    「……」
    「もちろん、αだからといってΩと番わなければいけないということではありません。αでも、βでも、Ωでも、なんでもいいんです。愛しく思える存在ができたら、大事にしてあげてください。透くんは愛情深い子ですから、透くんに愛される人は幸せでしょうし、きっと誰かを愛することによって透くん自身も幸せになれます」
    「……そう、ですかね」
    「ええ、きっとそうです。これは、医師としてではなく、透くんのことをよく知る一人の大人として、そう思いますよ」
     その後、医師はαとしての嗅覚を鈍らせるための薬はあるけれど、それはおすすめしないと言った。まだ成熟しきっていない段階で下手に薬でαとしての本能を鈍らせてしまうと、成長したときにどこかに歪みが生じてしまう可能性があるから、と。また、安室はこれから先、今以上に多くのΩからアプローチを受けるだろう。そのときに、相手がΩであるかどうかを判断できるのは非常に大きな意味を持つ、とも。αである安室が噛まなければ番になることはないが、関係を持てば子どもができる可能性はある。なんと言っても、αとΩは男と女よりもさらに妊娠確率が高い。Ωは華奢で小柄で愛らしい、などというイメージはあるが当然のことながらそうではないΩだって世の中にはいる。外見だけでは第二性を断定することはできない。しかし、匂いでわかるのであれば、Ωを警戒し遠ざけることはぐっと容易になる。それは、安室にとって強みになるはずだ。
    「とはいえ、どうしても耐えられないような匂いであれば、弱めの薬を処方することもできますよ。常に好ましくない匂いを感じ続けるのはストレスにもなるからね。それはそれで良くないし。透くんはどうしたい?」
    「余程近づかなければ問題はないので、大丈夫です。今後、耐えられなくなったらそのときにまた相談します」
    「そうですか。わかりました。何かあれば遠慮無く相談してくださいね」
    「はい」
    「僕個人としてはあまり薬はおすすめしないので、なしで大丈夫なようならなしでいきましょう」
     そう言って微笑んだ医師は、その微笑みのまま、服薬するとΩのフェロモンそのものをシャットアウトしてしまうため、好ましいΩに出会っても気づけない可能性がありますからね、と最後に付け足した。
     どうやら安室に愛する存在ができることを望んでいるらしい医師の優しげな眼差しは不快ではなかったが、好ましく思えるフェロモンのΩなどというものは今の安室にとっては幻の生き物に過ぎず、存在するかどうかも怪しいため、それは別にどうでもいいな、と思った。


     あの時の医師の言葉は正しかったのだろう。
     疲れ果てて隣で眠るできたばかりの番を見つめながら、安室透は思った。
     あれからおよそ5年。安室は依然としてΩのフェロモンを臭いと思い続けていた。それでも薬で嗅覚を抑えることをしなかったのは、この「Ωのフェロモンを嗅ぎ分ける能力」というのは思いのほか役に立ったからだ。成長するにつれて安室に関係を求める者は第一性第二性問わず増えていった。その誰に対しても興味を抱けないのは相変わらずだったが、年を重ねるにつれて性的な方法で強引に安室を自分のものにしようとする者も増えてくる。その中で、もっとも警戒すべき相手として安室はΩを真っ先に遠ざけるようにしてきた。臭いの不快よりも、便利さが上回ったのだ。
     そして、そんな日々を過ごしてきた安室は、ついに出会ったのだ。一度嗅いだら忘れられないほどに芳しいフェロモンに。今から二ヶ月前のことである。



    「!」
     それは、テニス部の練習試合のために訪れた私立大学のキャンパス内を歩いている時に感じたものだった。
     思わず振り返った先には、背の高い眼鏡の男がいた。
    (あの人……)
     背の高さ以外には平凡な容姿だ。手入れされていない眉毛はボサボサで、服装も清潔感はあるがこれといって特徴はない。しかし、目を離せなかった。ずっと見ていたい。自分のものにしたい。
     その男と安室は5メートルは離れたところに立っていたが、その香りは安室の五感を支配するかのように強く感じられた。周りの誰も反応していないのが不思議なほどであった。いわゆるΩらしい容姿ではない。むしろ、安室自身よりも男性的で、Ωと聞いて一般的にイメージされる姿の正反対に位置するような容姿であった。あの男を見てΩだとは誰も思わないであろう。けれど、安室だけにはわかる。あの男は、Ωだ。安室のための、Ωだ。
    (みつけた)
     僕のΩ。僕の番。僕の運命。
     Ωらしからぬあの容姿すら、安室には好ましく見えた。あの男がほしくてたまらない。あの男のフェロモンを感じたことによって、初めて安室は自分のΩを求めていたことに気が付いた。そして、一度知ってしまったら、際限なくいくらでもほしくなってしまう。あの匂いを、あの男を、自分のものにしたい。ほしくてたまらない。男の隣に立って親しげに笑い合っている男を今すぐに突き飛ばして排除し、眼鏡の男の手をとって自分の元に引き寄せて腕の中に閉じ込めうなじに噛みつきたいとすら思った。
     しかし、安室は冷静だった。かつてないほどに興奮していたが、それと同時に頭の中ではどうすればあの男を自分のものにできるのかとめまぐるしく思考が駆け巡っていた。
    (今すぐに声をかけても不審がられて、怯えられるかもしれない。もっと確実な手を打たなければ)
     あの男は自分のものだ。あのΩは自分の雌だ。あの人は、あの存在は、安室透のためのものだ。だから、ちゃんと手に入れなければ。

    「ヒダのおかげで、こないだのレポート間に合ったよ。ありがとな。御礼におごるよ」
    「おごらなくてもいいけど、次からは気をつけろよ。必修落としたら洒落にならないぞ」
    「わかってるって」
     聞こえてきたその会話の親しげな様子への嫉妬を、口の中を噛みしめて堪える。あの呆れた顔ですら、他の男ではなく自分に向けてほしかった。
    (あいつ……なんであの人の隣にいるんですか。なんで、僕じゃなくて、あんな男の隣にいるんですか、あなたは)
     彼の隣の男が、どうしようもなく邪魔だった。けれど、その男のおかげで彼の名前がわかった。
    (ヒダ、さん。ヒダさん。ヒダさんかあ。どんな字かな)
     会話の内容からして、彼はこの大学の学生なのだろう。回生まではわからないが、大学がわかっているのは非常にありがたい。また、〝ヒダ〟というのが名字なのか、名前なのか、あるいはあだ名なのか。それすらわからないが、手がかりは得た。
    (これだけわかっていれば、すぐに見つけてみせる)
     怯えさせないように。怖がらせないように。そして逃げられないように。
     今すぐ連れ去って自分のものにしたい気持ちを抑えて、自分の手を決意と共に強く握りしめる。遠ざかっているヒダの背中をじっと見送りながら、安室は初めて自分がαで良かったと思った。
    「はやく番になりたいなあ」
     αの安室がうなじを噛んでしまえば、ヒダは安室だけのΩになる。
     その瞬間のことを考えると、今にもイってしまいそうなほどに興奮した。


     それから二ヶ月。諸伏や友人の力も借りて一週間以内にヒダの身元を特定した安室は、次の一週間でヒダ、いや、飛田男六の好きなものに関する情報をできる限り集めた。ついでに、飛田の周囲にいる者たちについても簡単に調査をしておいた。何のためとは言わないが、念のために。
     調査の合間に幾度か飛田の姿を遠目に見たが、その度に飛田から漂うフェロモンにうっとりと興奮してしまう。また、惹かれるのはフェロモンだけではない。調べれば、調べるほど、その人柄も愛おしくなっていく。真面目でお人好しで、努力家。貧乏くじを引きがちな反面、妙に強運。さらには、平凡な容姿のどこにでもいそうな男であるというのに、見れば見るほどにかわいく見えてしまう。早く飛田の視界に入り、存在を認識されたい。飛田に見つめられ、名前を呼ばれ、笑顔を向けられたい。そんな思いでいっぱいになるあまり「飛田さん、飛田さん、飛田さん……」と譫言のように呟く安室に友人たちは協力しつつもドン引きしていた。幼なじみの諸伏などは露骨に呆れた顔で「普通に声かけて知り合いになればいいのに」と言ったが、安室は慎重派なのだ。確実に飛田がほしいのだ。だから、そのための手間は惜しまない。急がば回れ。急いては事をし損じる。自分に必死に言い聞かせて、今すぐに飛田のうなじを噛みたい気持ちをぐっと抑えているのだ。
    「頼むから、我慢が限界を迎えて出会い頭にうなじに噛みつく、なんていう通り魔みたいなまねはやめてよね」
     本気で心配そうな顔をしていた諸伏と、真剣な顔で茶化すこと無く頷いていた友人たちはいったい安室をなんだと思っているのだろうか。


    どうやら飛田は推理小説家の工藤優作のファンらしい。工藤優作の作品はいくつか読んだことがあったが、未読のものもまだ多い。共通の話題がある方が親しみを持ってもらえるだろうと、飛田について調べる傍らせっせと工藤優作の作品を読みあさった。また、飛田の行きつけの喫茶店の存在を知ると、そこでアルバイトも始めた。工藤優作の新作発売日にはポアロという名のその喫茶店のカウンターの端の席で買ったばかりの工藤優作の新刊を読むのが飛田は好きらしい。タイミングよく、一ヶ月後に工藤優作の新刊の発売予定がある。間違いなくその日、飛田はポアロに現れるだろうと、安室はその日、開店から閉店までシフトを入れた。飛田は甘いものが好きだという情報も得ていたので、ポアロの新作スイーツの開発にも力を入れる。個人経営の喫茶店の緩さ故か、まだ採用から日の浅いアルバイトの意見も積極的に取り入れてくれるオーナーには感謝しかない。せっかくならば、自分の作ったものを食べて喜ぶ飛田が見たい。諸伏に相談に乗ってもらい、友人たちに何度も試食をさせながら開発したガトーショコラは、我ながら最高の出来だ。オーナーも先輩アルバイターの榎本梓も大絶賛してくれ、すぐさまポアロのメニューに加えられた。

     そうして待ちに待ったその日。安室の読み通り、飛田はその日のお昼過ぎ、心なしか嬉しそうな顔でポアロに訪れた。朝からずっと飛田を待ち続けていた安室は、もしかして今日は来ないのではないか、いや僕の推理に間違いはないと、落ち着かない気持ちのまま店中の食器を洗ったりカトラリーを磨いたりしながら午前中を過ごしていたが、通りに面した窓ガラスの向こうにその姿が見えた瞬間、笑み崩れた。店内には5人の客がいたが、幸いなことに誰も安室の笑みに気が付かなかったらしい。カウンターに座った男性は新聞を読み、もう一人のカウンター席の女性はスマホを操作し、ボックス席の三人組の女性はおしゃべりに夢中だった。
    「いらっしゃいませ」
     ドアが開いた瞬間から安室を誘う飛田の芳香をさりげなく吸い込んで堪能しながら、どうにか表情を引き締め、平常心、平常心、平常心、と心中で唱える。
    「お好きなお席へどうぞ」
     安室の堪えきれなかった笑顔を正面から向けられて軽く目を見張った飛田は、頬を染めてぎくしゃくとカウンターの端の席に座った。それすらも安室の目からはかわいらしく、いとしく映った。飛田を見つけたあの日から、調査の傍ら何度も飛田の姿を遠目に見ていたし、その香りを堪能してもいた。しかし、これだけの至近距離で、しかも飛田の視界に入り存在を認識され言葉を交わすのは初めてのことである。安室は柄にも無く自分が緊張しているのを感じた。
    「ご注文が決まりましたらお呼びください」
    「はい」
     メニューとともにお冷やとおしぼりを置くと、律儀に頷いてくれるところもかわいい。他の客のコーヒーをいれながら、さりげなく飛田の様子を観察する。メニューを開き、ガトーショコラを見つけ目を輝かせる。かわいい。甘いものが好きで、特にチョコレートを好むことを知った上でのガトーショコラだ。
    「ご注文はお決まりでしょうか」
     いれたばかりのコーヒーと、生クリームを添えたガトーショコラをカウンターの女性に出してから、飛田の元へ向かう。にっこり笑うと、やはり頬を染めた飛田が、コーヒーとガトーショコラを注文する。狙った通りのオーダーに内心でガッツポーズをしながら、カウンターに戻る。丁寧にコーヒーをいれて、残っているガトーショコラの中で一番大きなカットを皿に移し、ほんの少しだけ多めに生クリームを添える。
    「お待たせいたしました。コーヒーとガトーショコラです」
     にっこり。先ほどから、飛田を見る度に自然と笑顔が浮かんでしまう。だって仕方がないではないか。かわいいのだ。しかも、安室の笑顔を受けて頬を染める飛田はその度にフェロモンを強くする。他の人に気づかれないかと心配になるくらいだ。しかし、店内の誰も飛田に反応している様子はない。かつて医師が言っていた通り、ヒートではないときのΩのフェロモンは他の人にはわからないらしい。また、βは基本的にαのものもΩのものもフェロモンを感じ取ることはできない。つまり、今、店内で飛田のフェロモンを感じられるのは安室だけなのだ。それは安室の独占欲をほどよく満たした。
     しかし、たったこれだけで満足できるのであれば、わざわざアルバイトまでしたりなんてしない。ちなみに、テニス部は飛田を見つけた翌日に辞めた。飛田に時間を使いたかったからだ。

    「あっ」
     思わず、という体を装って声をあげる。
    「え?」
    「あ、すみません」
    「いえ。……何か、ありました?
    「その、それ……工藤優作の新刊ですよね。今日発売の」
    「そうです。さっき買ってきて、ここで読もうと思って。もしかして、店員さんも」
    「安室です」
    「え?」
    「安室と言います、僕」
    「安室さん」
    「はい」
    「あ、えっと。飛田です」
    「飛田さん。どんな字だろ。飛騨高山の〝飛騨〟ですか?」
     字も、下の名前も、既に知っている。だが、飛田の口から教えてもらいたかった。そうすれば、いつでも呼ぶことも書くこともできるから。
    「〝ひ〟はそれですけど、〝だ〟は、田んぼの田です。飛ぶ田んぼで飛田。安室さんは、安全な室(しつ)で安室、であってますか?」
    「ええ、あってます」
    「よかった。安室さんも、工藤優作氏のファンなんですか?」
    「ええ。中学生の時にナイトバロンシリーズを読んで以来、ファンなんです」
    「ナイトバロン! 僕も、工藤優作氏を好きになったのはナイトバロンがきっかけなんです!」
    「そうなんですか!? 一緒ですね!」
     一緒なのは当たり前だ。飛田がナイトバロンシリーズが特に好きだということくらい、もちろん調べてあるのだから。
     他の男への「好き」という言葉に内心で顔をしかめながらも、にこにこ笑う飛田に安室も笑顔を向ける。
    「嬉しいな。ふふっ。あ、お邪魔してしまってすみません。それ、読み終わったらぜひ感想聞かせてください。もちろん、ネタバレはなしで! ごゆっくりどうぞ」
    「ありがとうございます」
     ふわり。返された笑顔とえもいわれぬフェロモンの芳香に胸を打ち抜かれる。なんだこのかわいい人。くらりと目眩を覚えながら、どうにかカウンターへと戻る。いただきます。一人だというのに律儀に手を合わせる飛田を視界の端で愛でながら、ボックス席の三人に水のおかわりを持って行くためにウォーターピッチャーを持ち上げる。
    「落ちてますよ」
     いとしい声に、ちらりとそちらを見る。飛田から一つ空席を置いた隣に座っていた男のハンカチが床に落ちていたらしい。気が付いた飛田が拾い上げてカウンターテーブルに置いてやる。律儀で親切でかわいい。安室のいとしい存在は何もかもが最高だ。浮かれた気分のままボックス席の三人組のグラスに水をつぎ足し、カウンターへと戻る。飛田がガトーショコラを食べる一口目は、ぜひともこの目に焼き付けたい。その思いで視線を飛田に向けたその時、事件は起こった。

     ガシャンッ。ドサッ。

     食器の割れる音。何かが床に倒れる音。店中の視線がそこに集まる。
    「きゃーーー!!!!」
     悲鳴を上げたのは、カウンターの女性。そこにあるのは割れたコーヒーカップと、血を吐いて倒れ頸聯する男性。

     安室と飛田の、記念すべき出会いの場となるはずのポアロは、その瞬間、事件現場に早変わりした。



     その後、駆けつけた救急隊員の奮闘も虚しく男性は亡くなり、警察により殺人事件と判じられ、安室も飛田も殺人事件の容疑者となってしまった。
     が、飛田にかっこいいところを見せるチャンス! と奮起した安室により、事件は爆速で解決した。殺人事件に遭遇したショックで青ざめた顔をしていた飛田は、安室の推理が進むにつれて目を尊敬で輝かせた。犯人はボックス席にいた三人組のうちの一人だった。追い詰められて、犯人が鞄に隠し持っていたナイフを振り回したところでは安室も他の客、とりわけ飛田に被害がいかないかとひやりとしたが、冷静さを失って闇雲にナイフを振り回すだけの女など安室の敵ではない。すぐさま拘束。腕をつかまれた犯人が落としたナイフはすぐさま飛田が取り上げ、犯人の手の届かないところへと回収。その上で、真剣な顔で犯人の女性に向き合い、真摯に言葉をかけたところで犯人は号泣。憑きものが落ちたかのようにおとなしくなった女性は最後に、迷惑をかけてごめんなさい、とぽつりと呟いてから警察に連行されていった。

     さて、そうして事件は解決し、後日調書作成のためにまた改めて話を聞くかも知れないと言われたがとりあえずは解放されたわけである。他の客は疲れた顔で次々に帰っていき(こんなことがあったため、お代は受け取らなかった)、店内には安室と飛田だけが残った。飛田が残っているのは、安室を気遣ったためである。
    「飛田さんがいてくれて本当に良かったです」
     殺人事件に遭遇するのは初めてのことではなかったし、今回はトリックも簡単なものであったため実際のところ安室にはたいした負担でもなかったのだが、犯人が連行された直後にほっとした顔をしてそう言ったのだ。殺人事件という特殊な状況。工藤優作ファンという共通事項。警察からの事情聴取の中で判明した1歳という年齢差。また、男性同士という共通点。推理ショーに協力したこと。つい数時間前に初めて言葉を交わしたばかりだったが、これらすべてが追い風となり、飛田はすっかり安室に肩入れし親しみを覚えているようであった。そのため、他の客が皆帰ってしまっても、飛田は気遣うように安室の隣にまだ残ってくれているのである。
    (まあ、ある意味で怪我の功名だな)
     本当は工藤優作の新刊をきっかけに会話を広げ、連絡先の交換まで持って行こうと思っていたのだが。店内で起きた殺人事件はもちろん歓迎すべからざる出来事であったのだが、結果として安室と飛田の距離を近づけるのに一躍買ってくれた。ついでに、安室の方がひとつ年下であるということを理由に「安室さん」から「安室くん」と呼び方を変えてもらった。本当は下の名前で呼んでほしいところなのだが、それはおいおいでいいだろう。とにかく、「さん」づけよりも「くん」の方が親しみを感じる気がする。そんな小さな一歩ですら安室には嬉しい。呼び方を変えたからなのか。飛田が最初よりも砕けた口調になってくれたことも安室を喜ばせた。
     誰かの一挙一動で、その視線や笑顔だけでこんなにも満たされた気持ちになるだなんて、安室は今まで知らなかった。そして、満たされたのと同じだけ、あるいはそれ以上に飢えていくのだということも。
    (飛田さんがほしい)
     飛田の何も賀茂を自分のものにしたい。飛田を見つけてから二ヶ月。飛田を見るたびに、飛田の事を知る度に募っていった思いと欲望は本能とともにこの数時間で急激に膨らんで、いっそ安室自身を戸惑わせる。
     この人は。僕のΩは、なんてかわいいんだろう。
     飛田が笑う度に。安室を見つめる度に。安室の名を呼ぶ度に。飛田がほしくてたまらなくなる。
    「飛田さん……」
     もう限界だった。怖がらせないように。怯えさせないように。少しずつ、少しずつ。飛田が逃げられないように自分のフェロモンを覚えさせて、心を絡め取って、確実に自分のものにしてしまおうと思っていたのだが。
     そんな悠長なことをしている余裕は、安室にはもうなかった。
    「飛田さん、あの……良かったら、うちに来ませんか。飛田さん、ガトーショコラせっかく注文してくれたのに、食べる前にあんなことになってしまいましたし、良かったら作りますよ」
     あとのことは、オーナーが引き継いでくれることになっていた。今日は所用で遠方に赴いていたためまだ戻ってこられてはいないのだが、電話で安室の報告を受けたオーナーは一通りの確認の後で安室を心配し、数日は休業することになるから、営業再開の目処が立ったらまた連絡をすると言っていた。
     そのため、店を閉めて帰るのは、まったく問題がなかった。
    「えっ。あれ、安室くんが作ったの!?」
    「はい。僕のレシピなんです」
    「いや、でも今から作るなんて安室くんの負担になるし、そもそも家にって、それは」
    「僕、一人暮らしなんで大丈夫ですよ。あ、でも飛田さん、ご家族がご飯用意したりとか」
     飛田が一人暮らしであるということは、もちろん調査済みである。
    「僕も一人暮らしだから、それは大丈夫だけど……でも、邪魔になるんじゃない?」
    「邪魔だったら、最初から誘いませんよ。それに、目の前であんな殺人事件が起きたばかりですし、家に一人でいる方が……」
    「あ……。それは、確かに、僕も……。……その、安室くんが大丈夫なら、お邪魔しても、大丈夫かな。実は、安室くんともっとお話できたら嬉しいな、ともちょっと思ってたんだ」
     そう言ってはにかむ飛田を抱きしめないように我慢するのは、殺人事件を解決するよりも難しいことだった。


     Ωは周期が来れば勝手にヒートという発情期間が訪れる。しかし、αにはヒートがない。ヒート時のΩのフェロモンに誘発されてαも発情状態になる。そうして、Ωのヒートが落ち着くまで幾度となく性交するのだ。αのパートナーがいないΩは抑制剤やオモチャ、βのパートナーなどでヒートを乗り切ることになるのだが、それらはΩの本能が求めるαのフェロモンとは異なるものであるため、αと過ごすよりもヒートが長引くらしい。αのフェロモンはΩのヒートを深めると同時に、鎮めるものでもある。だからこそ、Ωは本能でαを求めるのだ。
     というのが、Ωとαのフェロモンの関係である。また、αがΩのフェロモンに誘発されて発情状態になるように、Ωもまた興奮状態のαの濃厚なフェロモンを至近距離で浴びることによりヒートあるいは疑似ヒートと呼ばれる状態になることがある。そして、安室はあるものを用意していた。

     というわけで、家に飛田を連れ込むことに成功した安室は、優しい言葉と甘い笑顔、それから美味しい手料理で飛田との距離を詰めた。
    「飛田さん、甘いもの大丈夫ですよね。今日食べそびれたガトーショコラの代わりに、デザートにホットチョコレートをどうぞ」
    「わあ!」
    「ふふっ、ガトーショコラはまた今度、ポアロに食べに来てくださいね」
    「うん! 安室くんのレシピなんだよね。楽しみだなあ」
     嬉しそうににこにこと笑う飛田には既に、殺人事件に遭遇したショックは残っていなかった。それがかわいくて、安室の頬はずっと緩みっぱなしだ。
    「自慢のレシピなので、ぜひ飛田さんにも食べてもらえたら嬉しいです」
     そう言って、にっこり笑う。飛田の頬が赤く染まった。その頬の赤みを愛でながら、安室も自分のマグカップに注いだホットショコラをこくりと飲む。
    「飛田さん」
     安室のホットショコラには、あるものを入れてあった。
    「え?」
     飛田の頬が赤みを増す。手を伸ばし、真っ赤な頬に触れる。その熱すら、いとしい。
    「ふふっ、飛田さん、かわいい」
    「あむろ、ぃ……?」
     頬だけではない。耳も首も、肌を赤くした飛田の目が潤んでいる。それにたまらなく興奮しながら、安室はどろりと欲望を込めた笑みを浮かべ、二ヶ月前に偶然見かけて以来、寝ても覚めても求め続けていた人を見つめた。
     安室は自分自身のホットショコラに、即効性のあるフェロモン促進剤を仕込んでいた。

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