クリームソーダは恋の味?(わぁ。もうなくなっちゃった)
禰󠄀豆子は桃色のクリームソーダを前に目を丸くしていた。透明な器に脚があって中には桃色のソーダ。小さな泡がぷくぷくと上がっていき、ソーダの上にはあたたかみのある白色のアイスクリームがのっている。空気みたいに軽い豆腐でも半分は味噌汁に沈むのに、これは液体の上にぷかぷか浮いている。不思議だなぁと思いながらひとくち食べてみたのだ。
柄の長いスプーンがまだくちびるから離れていないのに、もう口の中には何もない。陽だまりみたいな色だったのにひんやりと冷たかった。まったりとした甘さの余韻だけ残して、まばたきしている間に消えてしまったアイスクリーム。飴みたいに口の中で溶けるとは聞いていたけれど、こんな一瞬で消えてしまうとは思っていなかった。そして、とても甘い。飴とも餡子とも違う。
禰󠄀豆子はもうひとさじすくうと口に運んだ。スプーンの上では形があったのに、口に入れるとたちまち溶ける。先に一口飲んでみたソーダにも驚かされたのに、アイスクリームにも驚いてしまった。するんと消えてしまうなんて、こんな体験は初めてだ。ドキドキとソワソワが止まらない。この胸の高鳴りによく似た感情になったことがあったなと思う。
(いつだったかな……)
考え事をしながらストローに口をつける。口をすぼめて吸う。笛に近いのにこれは吹くわけじゃなくて吸う。アイスクリームが乗ったままでもソーダが飲めるのだから画期的な発明品だなと思う。ソーダが口の中で広がり、シュワシュワと泡が弾けていく。ひとくち目はチクチクと刺されているような気がしたが、ふたくち目は優しく転がっていった。アイスクリームの甘みも好きだし、ソーダの甘みも好きだ。思わず頬が緩む。口の中で泡がぱちんと弾けると、頭の中で探していた答えが浮かび上がってきた。アイスクリームの甘く溶けるドキドキも、ソーダの刺激的なドキドキも、箱の中で感じたあの時のドキドキに似ている。
(あの時みたい……)
箱を守ってもらった時のことを思い出すといつも胸がドキドキする。どこの誰か知らないけれど男の子の声がしたことだけは確かだ。
(あの男の子はどこの子なのかなぁ?元気にしてるといいなぁ)
実は禰󠄀豆子が探している男の子は目の前で柑橘色のクリームソーダをすすっているのだが、まだ禰󠄀豆子はそれを知らない。
禰󠄀豆子の正面に座った善逸はくるくる表情を変える禰󠄀豆子を覗き見るように片目だけでうかがっていた。水色のテーブルクロスにガラスの器、フリルのついたエプロンの女給に銀のお盆、そしてクリームソーダ。店に入ってから目をキラキラさせている禰󠄀豆子を、禰󠄀豆子に負けず劣らず目を輝かせて善逸は盗み見ていたのだ。
(ぎゃわいいィィィィ!!!)
大人の男のたしなみとして人前では叫ばないようにしてはいるが、叫びたい。無性に叫びたい。禰󠄀豆子のかわいさを讃えたい。が、善逸はぐっと堪えて心の中で叫び続けていた。
(アイスクリームがあっという間に溶けたのにびっくりしてるし!ソーダのパチパチにも驚いてるし!もうかわいすぎィィィ!!)
禰󠄀豆子はアイスクリームを口に運んで固まっている。視線はソーダに添えてあるいちごに注がれている。考え事でもしているらしく、ほんのりと頬が赤い。ワクワクして目を輝かせている子供とは違う。恋わずらいみたいな頬の染め方。耳を澄ませてみて、聞こえてくる音に感情の名前をつけても同じ答えが出る。正直言って禰󠄀豆子の恋の音は聞きたくなかった。片想いだと突きつけられる。善逸は苦しくなった。口から喉までが全部苦い。
「善逸さん、恋の味ってこんな感じ?」
どこから漏れたのか忘れたが善逸が過去に何人もの女の子を好きになったことは、禰󠄀豆子を始め炭治郎や伊之助にも知られている。三人とも誰かに恋焦がれたことがなかったことが幸いして、あまり大事にはならずあっさり片付けられたのだが、ここへきて蒸し返された。禰󠄀豆子はまだ恋を知らない。
「クリームソーダに似てるかってこと?」
禰󠄀豆子がこくんと頷いた。善逸の恋愛遍歴はことごとく悲しい結果に終わっていて、甘くてとろけそうな思い出はひとつとしてなく、どれも苦いだとか不味いだとかそんな味しかしない。でも、禰󠄀豆子への想いは?と訊かれればこのクリームソーダによく似ている気がする。アイスクリームのようにつかみどころがなくて、添えてある果物のように甘酸っぱくて、ソーダみたいにちくちくとやわらかく刺激する。似ているかといえば似ていると言えそうだ。
「似てる、かな。でも失恋しちゃうとお焦げみたいに苦いよ」
焦げ焦げの焼き魚でも思い出したのか禰󠄀豆子の眉間が寄った。口に残るあの苦さは経験せずに済むなら知らない方がいい。禰󠄀豆子がこんなことを言い出したということは心当たりがあるのだろう。善逸はため息をつきたくなった。過去に味わったあの苦さをまた経験しなくてはならないのかと思うと気が重い。とはいえ、好きな子が幸せになれるなら、それを祈るのも大人な対応なのかもしれない。でも、できれば避けたい。
「そっかぁ」と言って禰󠄀豆子はソーダをひとくち飲んだ。
やっぱりあの時のドキドキと似ている。ドキドキが記憶を呼び覚まして、色々なことを思い出す。あの時は鬼のいる建物の前で兄が箱ごと置いていったのだ。
(あの時は……伊之助さんの声がして、お兄ちゃんもいて……)
ソーダの炭酸が口から消えると、またひとつ思い出した。
(あの後のお屋敷に善逸さんもいたということは、もしかしたら善逸さんも知っている人かもしれない)
「禰󠄀豆子ちゃん?大丈夫?」
目を見開いて固まっている禰󠄀豆子の顔の前で善逸は手をひらひらと振った。善逸から好意を持たれてることも求婚されてることもすっかり忘れて、禰󠄀豆子は自身の疑問をぶつけた。
「あのね、私がまだ鬼だった時に箱ごと守ってくれた男の子がいるの」
善逸はかつて自分がそうしたことを思い出した。同じようなことをした人が他にもいたとは初耳だ。自分を棚に上げて言うのもおかしなことだが、鬼を守ろうだなんて稀有な人がいるものだなと思う。禰󠄀豆子がドキドキしている相手はその男の子だ。年上の善逸に「男の子」という表現はしないことだろうことを考え合わせると、やっぱり他人に違いない。胃がきゅうっと縮み、苦味が迫り上がってくる。
「怒ってる声は伊之助さんだったと思うんだけど……善逸さんも知ってる人かなぁ?」
変なこと訊いてごめんね、知らなかったらいいんだけど、と付け加えられたが、善逸の耳には届いていなかった。伊之助が襲っていたのを止めたのは自分だ。伊之助は猪突猛進な奴だが二度も莫迦なことはしない。
ということは───