ゆめのつづき 暗闇のなかに、ゆらゆら揺れながら連なる赤い光を見つけた。とても静かな夜だった。悲しいかな俺が家に帰れる時間はいつも静まりかえっているのだが、それにしたって静かだった。痛いほど沁みる静寂に、俺は携帯電話を握りしめた。一二三の声が、聴きたくなった。でも、何度かけても繋がらなかった。そりゃそうだ。一二三は働いている時間なんだから。分かってる。分かっていても、俺は一二三なら出てくれるような気がして諦めきれなかった。結局、繋がらなかった。そしてこれで最後にしようと発信ボタンを押したとき、圏外になっているのに気がついた。シンジュクのどまんなかで圏外。おれ、いま、どこにいるんだろう。我に返ったとき、俺はどことも知れない場所を歩いていた。なにか白いものを被っているせいで前がよく見えなかった。泥のなかを進んでいるように身体が重くて、そろりと視線を動かせばスーツじゃなくて白い着物を着ていることが分かった。そういえば、通勤鞄どこやったっけ。どうして提灯なんか持っているんだっけ。なんだか見覚えのあるそれは、すこし前に見たあの怪火そのものだった。背後からたくさんの足音がする。むせかえるような獣のにおいがする。俺は、得体の知れない大きなうねりの先頭を歩かされていた。やがていつの間にか一枚の襖の前に座っていた。後ろにはもうなんの気配もなかった。でも、この先になにかいる。怖くてたまらなかった。進みたくなんかなかった。それなのに俺は、襖を開けてしまった。そこは座敷だった。立派な金屏風の前に誰かが座っていた。顔はよく見えなかった。目を凝らすと、川に石を投げ込んだときのように歪んでしまうのだ。俺はその隣に座った。目の前には朱塗りの銚子と三枚重なった杯が置かれていた。だから分かった。いまから行われるのは三献の儀だ。俺が被っているのは綿帽子で、身にまとっているのは白無垢だ。これは、結婚式だ。拒絶すればするほど、俺の手は素直に動いた。一の盃、二の盃と滞りなく酒を酌み交わし、とうとう三の盃だけになってしまった。このままでは夫婦になってしまう。ふるえている場合じゃない。俺は一二三が好きなんだ。愛しているんだ。死ぬまでいっしょは一二三がいい。俺の大事な幼馴染みで、たったひとりの友達で、家族。俺は力をふりしぼって差し出された三の盃をはねのけた。はずみで綿帽子も落ちた。肩で大きく息をしながら濡れた畳の上を這って逃げると、隣にいた「なにか」が逃がすまいと覆いかぶさってきた。ぶん殴ってやる。そう意気込んだのに、できなかった。そこにいたのは、一二三だったからだ。あまりの衝撃に呆然としていると、その隙に無理矢理くちづけられた。口のなかにとろりと流しこまれたもので、喉が焼けるように熱くなった。酒だ。きっと俺がさっき拒んだ三の盃の代わりだ。一二三が俺にこんなことするもんか。こいつは一二三じゃない。今度こそしっかりぶん殴ってやると、一二三の顔をした「なにか」は俺の下腹部を撫でてうっそりと微笑んだ。
目が覚めるとベッドのなかにいた。汗びっしょりで、肩で息をしていた。それくらい嫌な夢だった。俺は「なに」と夫婦になろうとしていたんだろう。「あれ」は間違いなく一二三じゃなかった。・・・一二三じゃ、なかったよな。ほんとうは一二三だったらどうしよう。冷えた汗に凍えてくしゃみをすると、となりの一二三がむにゃむにゃ寝言をつぶやいて毛布をかけてくれた。夢のなかでまで俺の世話をしているのかよ。すこしだけ心が軽くなって、俺は一二三の胸にくっついて肌のにおいをいっぱいに吸いこんだ。やっぱり俺の一二三はここにいる。ここにしかいない。だから大丈夫だ。このままもうひと眠りしよう。そう思ってまぶたを閉じた瞬間、下腹部がずくんと脈打った。
三の盃には、一家安泰のほかに子孫繁栄の意味が込められているという。
(20211108 ゆめのつづき/狐の嫁入り)