狐狗狸さん 同級生たちは、いなくなってしまいました。
たぶん、はじめからそのつもりだったのです。そうでなければ俺なんかを誘ってくれるわけがないのです。そうやって納得することで痛みをやりすごそうとしました。でも、俺は自分が思っているよりずっと傷ついていたみたいです。次第に、見えている世界がみなものようにうるみはじめました。傷というものは、無理にふさごうとすればするほどかえって深くなるものです。溢れて止まらないものは波紋を描いて広がりゆき、やがて十円玉の下に敷いていた紙にこぼれおちました。約束、破っちまったな。俺とともにいまなお十円玉のうえに指を置いている一二三が困ったように笑いました。約束とは、儀式の最中は指を離してはいけないという決まりごとのことでしょう。みんな、離さないと言ったのに。みんな、嘘つきで意地悪です。みんなみんな大嫌いです。だけど、そんなことはどうだっていいのです。俺は取り返しのつかないことをしでかしてしまったような気持ちになって、涙が止まらなくなりました。ついさっきまで悲しくて泣いていたのに、いまはもう恐ろしさで胸がいっぱいでした。それにひきかえ、一二三はずいぶん落ち着いていました。信じていないのだと思います。迷信とか都市伝説とか幽霊とか。むかしからそうでした。サンタクロースの正体を教えてくれたのも一二三でした。いるとかいないとか、どうでもいいのです。自分の目で確かめたものだけがすべてなのです。俺も、そんな強い心がほしかったな。どこからはじまったのか、誰がきっかけだったのか、分かりません。いつの間にか流行っていました。気がついたら俺は、同級生たちとひとつの机を囲み、紙の上の十円玉に指を乗せていました。鳥居。五十音。はいといいえ。紙にはそういったものが書かれており、呼び出したらどんな質問にも答えてくれるのだと言います。聞きたいことなど、ありませんでした。俺はただ、遊んでほしかっただけなのだと思います。身の程知らずでした。するとまた悲しいほうへ天秤が傾き、泣き止まなくちゃと思えば思うほど涙は止まりませんでした。ずっとしゃくりあげているせいで、息も苦しかったです。止まんねぇなぁと苦く笑う一二三の指先はしとどに濡れていました。一二三はずっと俺の涙を拭ってくれていたのです。みんなが、一二三みたいなひとだったらよかったのに。そんなひとは、どこにもいません。でも、もういいのです。嘘つきな友達も、意地悪な友達もいりません。俺には一二三さえいればいいのです。すると、ふいに一二三が口を開きました。それ、ほんと?しゃべっている余裕なんかない俺はなんにも言っていないので、たぶん嗚咽をなにかの言葉と聞き違えたのでしょう。返事もできずに泣きつづける俺の背中を、一二三はもう片方の手で撫でてくれました。くるしいのやだな、つらいなぁ。よしよし。独歩ができるときにすこしずつ深呼吸してみ。ゆっくりでいいかんね。待ってっから平気だよ。そんなふうに笑って。だけど裏切られたばかりの俺は素直に頷くことができなかったのです。それでも言ってくれました。独歩、俺っちは待ってるよ。一二三は嘘をつきません。俺は、ようやく頷くことができました。
やがて泣きやんだ俺に、一二三は聞きました。途中で指を離したらどうなるか知っているかと。同級生たちは、怖いことが起こると言っていました。国語の授業で因果応報という言葉を習いましたが、いくら嘘つきで意地悪なやつらでも怖い目にあってほしいとは思えません。恐ろしいのはもう、嫌でした。なんとかならないのかと尋ねると、一二三は申し訳なさそうに言いました。ひとの口頭伝承でつくられたものは、ひとが決めた存在の定義から逸脱しては生きられないんだ。俺は俺の在り方に逆らうことができないのさ。だから、ごめんな。一二三の言葉は難しくてよく分かりませんでした。頭が落っこちるくらい首を傾げると、むにっと濡れた頬をつままれました。あいつらの言ったことなんか、独歩を怖がらせるための嘘に決まってんじゃん!大丈夫だって!一二三は明るく笑って言いました。それから、もういいんだと俺の指を十円玉から離してくれたとき、下校を促す最後のチャイムが鳴りました。十円玉は「はい」の上に置かれたままになっています。なんとなく気がかりでしたが、俺は一二三にぐいぐい手を引かれて教室を出てしまいました。こっくりさんに帰ってもらっていないことを思い出したときにはもう、布団のなかでした。
次の日の朝の会で、先生はすこし怒っていました。放課後に居残りして遊んでいる子がいるようです。まっすぐお家に帰りましょう。片付け方があまかったのか、同級生たちが口をすべらせたのか。不安になった俺はとなりの席の一二三に目をやりました。独歩ちん。昨日のことは、ふたりだけのひみつだからね。俺は首を横に振りました。だって、逃げ出した同級生たちにも、ひみつを共有するようお願いしなければなりません。だから俺は言いました。ひふみ、まちがってるよ、四人だよ。すると一二三は、いままで見たことのない顔で笑って言いました。
「合ってるよ」
同級生たちは、いなくなってしまいました。
(20220223 狐狗狸さん)