悪魔?悪役?チャットで部屋に呼び出してきたのはサタンの方だというのに、いざノックをしても反応がない。
「サタン?」
もう一度ドアを叩いてみることにする。部屋の主人は無言を貫いたままだ。もしかして、今は留守にしているのだろうか。いや、それはおかしい。チャットの内容からして彼はつい先程この家に戻ってきたはずなのだ。
中の様子を伺うために、扉にぴとりと耳をくっつけることにした。淡々と低い声で呟いているサタンの声が聞こえる。なんだ、いるじゃん。ルシファーに向けたプランでも練っているのだろうか。
「サタン、入るね?」
開けた途端に飛んでいる本がこちらに当たらないかと怖かったけれど、実際に部屋の中にいたのはソファに座りながら何かを見下ろしているサタンだった。ほっとしたのも束の間、サタンの機嫌が悪そうなことに気付く。
彼は脚を組み片肘をつきながら、何かを限りなく冷たい眼差しで見下ろしている。その目線を辿れば、黒光りしている何かが氷漬けになっていた。
「……え、ゴキブリ?」
「俺の部屋にノコノコと出てきやがって。何様のつもりだ?ん?お前ごときの種が存在していい場所だとでも思っているのか?」
「おーい、サタン」
声に出した時、自分の口の中がカラカラだと気付く。私自身に向けられていないとはいえ、強烈な殺意が部屋を満たしているからだろう。
「ククク、だとしたら思い上がりも甚だしいな。その証拠に、今のお前は決して動くことができないだろう?」
「サタン?……聞こえてないなこれ」
魔界は知らないけれどここは人間界だ。ゴキブリの一匹や二匹出たとしてもおかしくはないはずなんだけどな。氷漬けにしてあの虫に罵詈雑言を並べているサタンは、悪魔どころか映画の悪役みたいだな、とぼんやり思う。
「舐めた真似すればどうなるか分かってるんだろうな。ドブを這い回るネズミほどの価値もないんだ。地獄に堕ちろ」
「おーい」
「ふぅ……。まあまあスッキリした、な」
サタンの綺麗な翡翠の瞳が、私の瞳を捉えた。
「あ、やっと気がついた?」
パチン、と指を鳴らす乾いた音が響いたかと思えば、氷漬けのアレが跡形もなく消え去ってしまった。サタンは平然とした顔でソファから立ち上がり、こちらに手招きをしてきた。
「やぁ。早かったな、そんなところに突っ立ってないで中においで」
「えっと、サタン」
「ん?どうかしたか?」
コレは何も無かったことにするつもりだな。あとでそっと漆黒キャップでも仕込んでおこう。静かに決意して、彼の部屋にそうっと脚を踏み入れた。