2025-04-12
「これに頼るなよ」
紋章師はそう言った。自らの右手に刻まれた紋章というものを矯めつ眇めつ見ていた子供たちの背筋がピリリと伸びるほど真剣な声音でだ。
外はぽかぽかとあたたかく、窓から差し込む日差しは穏やかだ。広くもない紋章師の部屋には乱雑にものが積まれ、それらを全部遮っている。子供たちの視線が自分に集まったのを確認した紋章師は、深く息を吸い込んでそのまま吐き出した。持ち上げた紋章師自身の手にはまるで痣のように紋章が浮かび上がっている。
馴染んでいる。フリックは宿してもらったばかりの自身の紋章を、無意識の内に指でなぞった。感触が違うわけではないが、なにか別のものが自らの中に入った違和感は消えない。
「なんで頼っちゃだめなんですか?」
隣から、当然の疑問の声が上がる。力を得るために日々鍛錬を重ね、認められて紋章を宿した。その力を頼るな、とはどういう意味だ。
「単純な話だ。これはそんなに便利なもんじゃねえからだ」
ぞわぞわするし、ぞくぞくしている。
「旅のお守り程度に宿すんなら別に構わねえがな。お前らは違う」
伸ばされた指先から、紋章師の宿す炎がぞろりと這い出た。水が湧き出るように炎は骨ばった掌に溜まり、そうして耐えきれずに零れ落ちた。床に落ちる。落ちる寸前、炎はふっと消え失せた。次から次へ炎は湧きだしこぼれ落ち、消える。
不可思議な光景を可能にしているのは、紋章師の卓越した魔力の制御能力だ。紋章を通して、世界を形作る何かと言葉には寄らぬ対話を重ね、己が意のままに自然現象を操る。
子供達は歓声を上げた。同じほどの熱量で、その技を盗もうと目を凝らしていた。フリックとて同じ事だ。
これが自らの力になる。どこへ行くにも、なにをするにも、何を得るにも、力がなければ始まらない。
「お前らはこれを使役する。使役だ。分かるな」
「俺たちのほうが上、って事ですか」
思わず上げた声に、紋章師は深く頷いた。湧き出していた炎を紋章師は強く握りつぶす。あっけなく消えたように見えるその炎が、わずかなバランスの違いで彼を焼きつくしていただろう事は、彼の手に薄く残る火傷の跡が教えてくれる。
紋章師は唇の端を上げ、肩をすくめた。
「心構えとしてはそうだ。剣や弓と同じ、目的を達するための道具でしかない。分かるな」
分かっている。分かっているつもりだ。世界の一端と結びついた五行のうちの一つの欠片。
何度も分かるな、と紋章師が言葉を重ねるものの、どこか上滑りして響かない。この世界は27の真の紋章が支配しており、それとつながった力の一端が自らの身に宿っている。胸がざわめく。浮足立つ。自分がより大きくなったような気分だ。
紋章の宿った右手をぎゅっと握りしめた。見れば、周りも同じような反応だ。紋章師のいう事が耳には入っていても心には届かない。だって、自分たちには力があるのだ。
子供たちのその反応も、おそらくは想定内なのだろう。紋章師は頭をかいて、立ち上がった。それを合図としていたかのように扉が開いた。教師役の大人たちが各々見慣れぬ道具をもって、どこか楽し気に足取りも軽く入ってくる。
新たな訓練が今日から始まるという事だ。時間は有限で、やるべきことはあまりにも多い。
「痛い目を見て覚えりゃいいさ。お前ら、素質だけはあるんだからな」
いつか世界に出ていくために今は力を得ればいい。使い方だけは教えてもらえても、その力の向ける先など、フリックにはまだ想像も出来ない。