2025-07-17
「今日あたり戻ってきますかね」
クロムまで行っていたせいで溜まってしまった仕事はなんとか取り返していた。手を止めて茶を飲む時間ぐらいは取れるようになった昼下がり、同じように休憩をとろうというカミューが近寄ってくる。
二人して窓から外を眺めながらマグカップを傾ける。いつもと同じ城下で、ティントを仲間に引き入れた軍主を出迎えようという様子は見えなかった。
「昨日はコボルト村に泊まったって連絡があったから、そろそろ戻ってくると思うが」
リドリーが戦死した事は手痛いが、表向きはティントを仲間に引き入れられた事でこの遠征は成功した。ついでに吸血鬼を倒すという分かりやすい物語までついてきた。
吸血鬼も死んだ。ティント市に分かりやすい脅威と共通の敵をもたらした魔物を滅する術は同盟軍の元にあった。長く続いた復讐劇の終わり。刃は振りおろされ、吸血鬼は灰になる。
詩になるのだろう。物語にもなるだろう。そうして人々に膾炙され、分かりやすくなっていく。あの軍には吸血鬼を倒した立派な剣士がいてね。村が吸血鬼に襲われて自分だけが生き残って、追いかけて追いかけてついに念願を果たしたんだよ。
剣士はそれはそれは喜んで、同盟軍の本拠地として再生した村に戻った。念願を果たす助けをしてくれたタイラギ様に恩返しをしようというのだ。
お話はいくらでも思いつく。民衆はとかくわかりやすい話が好きで、シュウもそれを利用するのに躊躇はしないだろう。
ビクトールの怒りも憎しみも、全部整頓され、形を整えられていく。
「クッキー、召し上がりますか?」
菓子盆を差し出されて、フリックは自分が随分としかめっ面をしている事に気づいた。意識して口角を上げ、眉間に寄ったしわを指先で揉む。
自分がこんなことを考えてなんになるのか。
カミューの差し出したクッキーはバターの香りも高く、戦時中にあってはなおのこと貴重品だろうと思われた。意識もせずに食べては罰が当たる類のものだ。
うまいな、と思わず呟けば、カミューは鮮やかな笑みを見せた。
「マイクロトフ、君もこっちへ来るといい」
おいしいものはみんなで食べないといけませんからね。カミューがそう笑う。
それはまったくその通りだ。
物語の中で復讐劇は終わっても、ビクトールの傷がきれいさっぱりなくなるわけではない。あの男の人生は続いていく。一つの区切りではあったとしても、めでたしめでたしで本を閉じるようにはいかない。
どういう顔をして出迎えればいいのか、決めあぐねている。
祝福は出来る。ねぎらいも出来る。ただそれで終えて良いものかが分からない。
「ビクトール殿にも差し上げたらいかがでしょう」
いつの間にやら近寄ってきたマイクロトフが、カミューの机にあったらしいクッキーの缶をフリックに差し出した。
「これはカミューの故郷のあたりのクッキーで、俺が一番うまいと思うクッキーです」
グラスランドの文字でカマロと書かれたクッキーを思わず受け取ってカミューの方を見れば、榛色の目が柔らかく細められていた。
「私からのお祝い、という事で。祝福されるべきことでしょう」
「やっぱりそうなんだよな」
「それはもちろん」
「そこを違えちゃいけませんよ」
区切りをつけて、お祝いをして、あたらしい日常を作り上げていく。
ビクトールが次に何をしたいのかは分からないが、何をしたいと願ったとしても祝福されるべきことであってほしいとは思うのだ。
「酒とかのほうが良いんじゃないか」
「それはフリックさんが用意してくださいよ」
「宴でも開きますか?」
「それは、きっと喜ぶだろうな」
マイクロトフは得心して深く何度も頷いた。
「じゃあ私もとっておきを開けましょうかね」