2025-07-16
シエラのところを辞して、部屋に戻る。城の廊下は明かりがそこここについていて、昼間のようとは言わないまでも明るい。人の顔ははっきりと見えるし、城全体が夜の中に浮かび上がるようだ。
人の気配はそこここにある。俺がただ気づかなかっただけだ。
星辰剣を掴んだまま隣を歩くフリックは眠たげに目を閉じたり開いたり。日付はもうとっくに変わって、月もだいぶん傾いている。忙しいこの男を寝不足にしたら、シュウにどやされるだけではすまなそうだ。
別に来てくれなくてもよかった、と言うのも本心だ。夜は怖いが、余人に何か出来るわけではない。酒を飲んで話をして、いくらかごまかすのが関の山。酒の力を借りて眠りについたとて、乾いて飛び起きることだってあるのだ。
それでも、星辰剣を携えて迎えに来てくれたフリックの姿を見た時には、不安がまるで溶けるようだった。昔のように起きている口実に酒に誘う事もなく、酔うためでもない酒を飲む事に対して罵られるわけでもない。
来てほしかったわけではない。知られたくないと思う事も本当だ。だけれど、それでも、夜は怖い。怖いのだから、ただ助けてほしいだけだ。
階段を上がる乾いた音が響く。三階の角、俺の部屋の前まで来てフリックは星辰剣をぐい、と押し付けてきた。
「それじゃあな」
「まて。それでは意味がない」
思わず受け取った星辰剣がどこから響くのか分からぬ声を上げた。お前に似てお節介だと言われてシエラに笑われていた剣はフリックが部屋に戻る事にいたくご立腹のようだ。良いじゃねえか、こいつだって明日も早いんだし。
「寝つきの悪いバカは黙っておれ」
「ひでえ言い草」
「なんで俺が狭いベッドでこいつと一緒に寝なきゃいけなんだよ」
「わしが毎度呼び出すぞ、それでもいいのか」
「良いわけないだろ。やめろ、って言ってるんだ」
正直なところ、フリックが居ようが居まいが、悪夢の質は変わらないだろう。起きた時空虚な部屋を見るのは嫌なものだが、寝入ったこいつをわざわざ起こして慰めてもらうのはかなり申し訳ない。
何しろ俺の過去にフリックは一切関係がないからだ。関係してほしいとも思わないからだ。
ネクロードは滅んだのだから、こいつに手を出す事はもうまったく出来ない。ネクロードに繋がる俺と、こいつは切り離しておくべきなのだ。そう決まっているのだ。
だというのに星辰剣は、俺の意思などまるで無視してわあわあと言い募る。
「この男はお前をネクロードに取られると思っている。妄想だ。そう言ってやれ」
フリックは派手にため息をつき、星辰剣の柄頭を掴んで押しのけると俺の方を見た。
「お前はどうしたいんだよ」
「どうって」
「俺に起きてほしいってんならそう言え。一緒に寝酒ぐらいは飲んでやる」
ずっと昔と同じようで、違う。あの頃は意識を塗りつぶすために酒を飲んだ。酔うよりもよほど質が悪い。
そうではなくて、俺が落ち着くまで一緒にいてくれると言うのだ。酒だって本当はなくていい。怖い夢を見た、とただ伝える相手が欲しい。
夜が怖い。夢が怖い。それを伝えたって、どうにもならないとしてもだ。
「俺は、」
フリックの手の中で随分と乱暴に扱われているというのに、星辰剣は黙っている。それもなんだか腹立たしい。
「……お前を、起こすのも、悪いなって」
「気ぃ使われるほうが面倒なんだよ。どうせ起きるんだから」
そういやこいつはこいつで眠りが浅いんだった。俺とは違って、そう言う風に作られているから。
俺は大きく息を吐き出し、なんだかもうどうでも良くなってきた。過去は過去だ。なんにも変わらない。フリックを近づけて、耐えられないならやめればいい。
「俺は、お前に起きてほしいけど」
「分かった」
フリックはそれだけ言って、星辰剣を離した。表情など変わらないはずの剣は、だがどこか満足げに瞳を光らせている。なんだこいつ。
「今日はもう大丈夫か?」
「……一緒に寝てくれんの?」
「なんで俺がお前と一緒に寝ないといけないんだよデブ」
「ひでえ」
フリックはからかうように笑って、踵を返した。その背に言う。
「おやすみ」
「おやすみ」