2025-07-15
ベッドがごつごつと鳴る音で目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む月の光は明るくて、ものの少ない部屋の中が良く見える。柄頭に派手な装飾のついた剣が枕元にぷかぷかと浮き上がるその情景は、事情を知らぬものならば夢かと思っても仕方がない。
超常の者にとっては鍵などどうという事もないのだろう。本来ならば隣の部屋にあるはずの星辰剣を、横になったまま眺めるフリックにしびれを切らしたのか、剣はやかましく響いた。
「起きよ、と言っているのだ」
「……何時だと思ってるんだよ」
「まだ日が変わったぐらいだ。夜はまだ長かろうて」
夜の静けさを司っているくせにそれを破る剣を見上げて、フリックは内心ため息をついた。この数日、ビクトールがよく眠れていないのは知っている。定例会で見かけた時も大あくびをしてシュウに睨まれていたし、幾度か共にした食事の最中も何度も眠たげに目をこすっていた。
元々大して眠るのがうまくはないやつだ。眠りが浅いし悪夢の種なんていくらでも持っている。それはネクロードという一つの元凶を滅ぼしたことで枯れるものではないはずだ。失われた者たちがビクトールに何を言うのか、想像することしかできないが奴を追い詰めるには十分すぎるだろう。
戦況が差し迫っていれば、命を預かるものとして眠ることを選ぶとしても、今はそれも小康状態だ。夜だけがただ長い。跳ね起きて、部屋に一人でいることもできずに、夜の中をうろついている。
夜の紋章はそれを心配しているというわけだ。まったく、持ち主によく似てお節介なことで。
「ビクトールはさ」
かすれた声が出た。
眠れずに目を見開いてじっとしているビクトールなど、星辰剣に言われずとも知っている。フリックとて、ビクトールと知り合ってそれなりの長さだ。それこそ最初の頃はビクトールが跳ね起きるたびにこちらまで起きて、そのまま酒場に連れ込まれることなどしょっちゅうだった。一人は嫌だ。誰かのそばに居たい。酔いもしないのに強い酒を飲むビクトールのことを、酒に対する侮辱だと罵ったこともある。ビクトールはただ笑っていた。
「俺にもう関わってほしくないんだと思うんだよな」
星辰剣が揺れた。同意とも不承知ともとれぬ動きだ。
解放戦争が終わって、共に旅をするようになって飛び起きる回数が減ったのは確かだが、ゼロにはとてもならなかった。変わったのは、飛び起きたビクトールがフリックをわざわざ起こそうとはしなくなったことだ。申し訳なさそうに笑んで、寝てなと囁いたりなんかして、ただ一人で外へ出る。そのまま横になることもある。眠れないと、してもだ。
触れられたくはないのだろうと理解した。ほかの何を共有しても、この過去だけは違うのだと線を引いたのだ。
ビクトールがそう決めたのならば、フリックにどうできるというのだ。
星辰剣が揺れ、目の位置にはまった石を月明かりに光らせる。怒っているように見えた。
「眠れず、跳ね起きて」
星辰剣は唸る。
「わしをきつく掴んで、その必要はないからゆっくりと手を離してな」
そうしていつも、と星辰剣は言うのだ。
「お前の部屋のほうを見る。起こせばよいのだ、人の子が夜を怖がって何が悪い」
「あいつに言えよ」
「言ったとも。出来ぬといわれたから、わしが直々に来た」
ビクトールが泣いている。星辰剣は続けた。
夜が怖い。眠るのが怖い。毎夜訪れる小さな死の中で、過去が追いかけてくるのが怖い。つまらぬ意地でその恐怖を抱え込むさまはあまりにも愚かしい。
「愚かなのだ、あのバカは」
これではただの好々爺だな。憤慨する星辰剣を転がったまま眺めていたフリックは、仕方ないなと体を起こした。夜はもう冷える。暖まった布団の中に冷気が入り込んで、背筋が震えた。
星辰剣をひっつかみ、適当に上着をひっかけてから部屋を出る。あくびが出た。眠たくて仕方ない。どこに行ったのだ、あのバカは。
「眠たい」
「だったら早く探せ」
理不尽な夜の紋章を思い切り振り回しても、誰も見てはいないのだ。
「迎えじゃぞ」
散々探したビクトールは、人気のない墓場にいた。明かりに浮かび上がるほど白い少女が、フリックと星辰剣を指さす。振り向いた男は、一瞬心底驚いた顔をしたと思ったら、次の瞬間にはまるで溶けたように甘い安堵の笑みを見せ、フリックは強く胸をつかれた気分だ。