you ain't heard nothin' yet 冷静に考えてみれば、世の中のことは全て運命めいてて、それでいて偶然で出来ているといってもいい。
大事故に巻き込まれながら急死に一生を得る人がいて、一部の人はそれを「運命だ」というのだろうし、一部の人はその人が助かった理由を分析して論理的に解説をする。どちらにしても、結果として与えられるものは同じである。与えられたのか自身で選んだのか不明な現実が手の内に入るわけだ。
だから、今現在の自分の立ち位置について賞賛された「運がよかった」と努力した人が謙遜するのも正解なのだろうし、逆に運だけで成り上がった人でも立ち位置さえ手に入れてしまえば「運も実力のうち」と開き直るのも正解だ。
それこそ同居人ならば何かの成功を収めた場合の反応として「まぁ私だからね」と胸を張る姿が簡単に想像がついてロナルドは、フッと無意識に表情を緩めた。
(大体がそんな感じ。あいつはそれが当たり前っていう結論になるんだよな)
ロナルドのことをドラルクは「お子様」「五歳児」「ロマンチスト」と揶揄するけれど、こちらだって子供ではない。
勿論、渋い大人になれているかというとそれも疑問があるのだけれど。
ロナルドは、もう二十歳を超えた大人だ。
世界と神様に愛されてると無意識に認識出来るほどの子供ではないし、運命を真摯に信じるには既に年を重ねすぎた。
だけれど自分の立ち位置と責任を投げ出すことを自ら選ばない程度には、自分は運命と世界から愛され、甘やかされているとも思う。だから相応に役割を果たすべきだとも。その期待に応えることが出来ているとき、ロナルドは安心と同時に世界からの承認を感じるのだ。
深夜に差し掛かろうとしている時刻、いつものようにシンヨコの街をパトロールで歩きながらロナルドはふとすれ違うカップルに目をとめた。
日付が変わるほど遅い時刻ではないが、それでも吸血鬼が跋扈する魔都でもあるシンヨコである。治安状況については良い悪いという一般的な評価から離脱して久しい。女性と言わず一人歩きは避けた方がよい。
彼らはおそらく自分より少し上の会社員同士らしい二人連れだった。
片方がパトロールをしているロナルドに視線を向けたのは派手な衣装とパトロールをしていることから退治人であるからが一目でわかったからだろう。
小さく黙礼をして「ご苦労さまです」と二人はロナルドに一言、ねぎらいの言葉を投げて帰路への足を進めていく。
「あ、はい。ありがとうございます。今日は今のところ吸血鬼の被害は聞いていませんが、お二人ともお気をつけて」
二人の薬指には揃いの指輪が見えたから恋人ではなくて夫婦なのかもしれない。
ごくごく普通の、平凡な街でよく見かける、特段特徴のない二人だった。
(もし『普通』っていうと失礼になるかな? 個性を強く意識してる人だったら『普通』は貶し言葉になっちゃうかも?)
ただあのすれ違った二人はそういう個性を意識するタイプにはあまり見えなかった。ジャケットを羽織ってはいたが、スーツを着込んではおらず、どこにでもいそうな二人。
ただロナルドはその二人のことを「仲睦まじい関係」「普通のカップル」だと好意的に感じた。
あの二人にもきっと何かしらの運命的な出来事があってそういう特別の関係になったのだろう。
ただそれは二人だけの運命的な出来事であって他人から見たら平凡かもしれないし、なんなら本人たちも「運命」だなんて思ってないかもしれない。
例えば、二人で見た映画の感想が全然自分と異なってて「おもしろい」と思ったとか、或いはケーキのイチゴを食べるのが最後で「一緒だ」と思ったとか。
受け取り方で事象の認識は変わる、と本で読んだことがある。
本人たちが運命だと感じるならそれは運命の出会いになるし、逆にそこから居心地がよくて恋人同士になったという「だけ」と本人たちが言うならば「ごくありがちなきっかけ」になるのだろう。
誰かどのように認識するかで少しばかり違うだけの話だ。
全ての出会いが運命で世の中に不思議なことなど何も有りはしない、全ては「当然」と言い切る小説家の言葉も真理ではあるのだ。それは理解できる。
ただロナルドの中で恋愛というのは縁のない言葉で経験だった。憧れはしても遠くにあるもので、だから映画やドラマ、小説めいたものであるのだろうとつい思ってしまう部分がある。
大切な思い出の品を拾ってくれた人と運命的な出会いを果たすとか。
(映画ではそういうとき、大体が目線があってその時点でもうお互い惹かれ合ってて。でも相手の名前も恋人の有無も知らないで恋が出来るものか?)
もし自分にそういう出来事があったとしよう。もし一目で魅力的に感じる人だったとして、そうしたら他の人だって魅力的に思うはずで、そうなると概ね恋人やパートナーがいるだろうということには簡単に推測ができる。
相手に恋人がいたら、それを知ったなら自分はどうするだろうか。
おそらく引き下がるだろう。
もし別れる直前だとしても自分を選んでくれるとは思えない。
元々恋愛経験なんて皆無に等しいし、いわゆる略奪愛が出来るほどの技量も胆力も精神力もない。何より元の相手より幸せに出来る自信もないし、自分の場合は無駄に作家業で鍛えた俯瞰する能力で恋人を奪われた相手の気持ちにシンクロしてしまい精神的に辛くなりそうだ。その相手に少しばかり心を躍らせることはあるのだろうけれど、それでおしまいだ。恋心まで発展することはない。
(シーニャなら『相手がフリーか否かでムービング変える時点で恋じゃないのよ』って言いそうだけど)
そういうことを考えるとやっぱり「運命の恋」なんてものは世の中にはないのかもしれない。というか、あっても自分に向いているものではないのだろう。
映画やドラマであるみたいな出逢いよりも、「この人と過ごす時間は楽しい」と感じることが自分にとっての運命なのではないのだろうか。
最近は、そんな風に思うようになってきた。
同居人はその発言を聞いて驚くのだろうか。
彼は自分との出逢いを運命的なものだと感じたと数ヶ月前の夜、彼らしくない辿々しい言葉で伝えてくれたのを覚えている。その言葉に驚きすぎて勢いで頷いてしまったのは事実であるものの、ドラルクと過ごす時間はいつの間にかロナルドにとっても掛け買いのないものになっていたことも事実だった。
「ねぇきみさぁ。本気なの? 私に対して気持ち悪いとか思ったりしないわけ?」
「思わねぇよ、さすがに。いつもみたく揶揄ったり馬鹿にしてくるなら怒るけど、そういう雰囲気でもなかっただろ。それなら」
こちらだって真剣に考える。
それからロナルドはゆっくりと頷いた。
「そういう意味なんだろ。わかった」
「『わかった』だって!? き、きみなんか頭悪い物でも食べてない? 変なトンチキ吸血鬼の催眠術とかかかったりして判断基準が狂ってない? 私の感情はそういうヤツだぞ! わかってるのか!?」
躊躇いながらも頷いたロナルドに驚いた顔を見せたのはドラルクの方だった。
そんな風に思うのなら、なんで告白してきた方が驚いているのか、言われたロナルドからすればそちらのがずっと不思議だ。
「じゃあなんで俺にそんなことを言ってきたんだよ。てゆか、どういう風になりたくてお前、ぅすすすす好き、とか。け、懸想しているだとか俺に言ったんだよ」
そのまま問えば、二〇〇歳オーバーの吸血鬼は目を左右に漂わせて「なんか、空気?」ととんでもないことを口にした。
「お前、馬鹿?」
「いや、なんか。横から君の顔見てたら勢いで出ちゃったんだよね。吐き出したかっただけだから、きみがまさか頷いてくれるとは思ってなかったし。だから正直びっくりしてしまって、言葉が出てこない」
伝えるだけで満足だったのだと言い切るドラルクの言葉に嘘があるようには思えなかった。真実、ただ「好きだから、そばにいるのが楽しい」と伝えたかった、それ以上を求めているわけではないと言い切る吸血鬼に対して、時間としては一分程度だとしても真剣にお互いの関係を考え、頷いた自分はただの馬鹿にも思えた。
(だって。そんなの)
自分も彼のことを好いていることに気付いてしまった。
求められていることを嬉しいと思ってしまった。
出来たら、この馬鹿馬鹿しいくらいに賑やかしい日々が続けばいいと願った。
現状維持で十分だったのに、それ以上を求めていた。
だから頷いた。
「お、お前はどうしたんだよ」
沈黙が続くのが心地悪くて耐えきれずに口を開いたのはロナルドの方だった。
「どう、って。何にも考えてなかったんだが。私はきみが好きだし、だから毎日が楽しいしこれからもゴリラを馬鹿にしたいとか思っているだけ」
「人のことをおもちゃみたいに扱うんじゃねぇよ。そんからゴリラじゃねぇ。こちとら人間様だわ」
一発平手打ちをして隣にいる吸血鬼を砂にしてから、ロナルドは天井を仰ぎ深呼吸を数度繰り返した。
自分が想像していた恋というのはこんな始まり方だとか、気づき方をするものではなかった。
もっと美しい始まり方で砂まみれでなくて。
(じゃあ、どんな始まり方だった?)
具体的には何も出てこなかった。
ただ砂から身体の再生をしている吸血鬼と過ごす日常は楽しくて、好きだと思った。これが恋なら、それも良いかと思った。
だって愉快じゃないか。楽しいじゃないか。
そう思うとだんだん愉快になって笑いが浮かんできた。
「なぁ、お前は?」
「え」
再生し終わったドラルクは、ロナルドから返させた疑問に目を瞬く。
「俺も、お前のことが好きみたいなんだけど。お前はどうしたい?」
「ど、ど。どど。おと、お」
元々が吸血鬼らしい血色の悪い顔なので、動揺から紅潮したようだがいまいち解らない。ついでに言うと口にした言葉はもっと謎だった。
「おと?」
「くっそ! 若造のくせに! 若造のくせに! 私は紳士的な大人ムービングしてやろうと思ってたのに!」
「俺のことを五歳児言う前にお前は二〇〇歳児じゃねぇか」
思わず、ロナルドは笑い声が出るのを感じていた。
近くでジョンが愉快そうに「ヌヌヌン」と言ってこちらを見上げている。
(それも、始まりの一種でしょ?)
ジョンがいう言葉は正しく思えた。
自分たち二人、好き同士で一緒に過ごす日常がこれからも続くという約束みたいなものだ。
「いい、い。いいのか。私はきみに懸想しているんだぞ!」
「だからそれは聞いたって」
「キスとかそれ以上もしたいんだが?! 突然、同居人の貧弱砂おじさんに肉体を求められたら恐怖感とか感じないのか君は!」
「あー。そりゃ突然襲われたら殺すと思うけどよ」
半分は反射で。残りの半分は照れと混乱だろうか。
ただ嫌悪感や生理的な拒絶は自分のなかに存在しなかった。それどころか、かすかに高揚した。ということは自分の中に存在するのはおそらく知らないことに取り組むときの緊張と期待と好奇心だ。恐怖がないわけではないが、いざとなれば殺せばいい。
「殺すな。仮にも恋人殺すとかとんだサイコパスだぞ」
失礼なことを言うので一度チョップで殺しておいた。
「出会い頭にキ、キスされたりしたら反撃されても文句言えないだろうが!」
「じゃあ予告したらいいってことか」
「よ」
自分が言い出したことだけれど、ロナルドは自らの退路を封じたことをその一瞬で理解した。だが、ドラルクはそこから大人らしく余裕混じりの表情を浮かべる。
「無理矢理手込めにするような趣味は私にはないよ。無粋だしね」
そう言って踵を返す吸血鬼は日常の関係へと戻った立ち位置で「コーヒーでも煎れようか」と口にした。
「あ。飲みたい」
「ヌンヌ!」
日常に戻るまでの時間は一瞬だった。
関係が変わったとはいえ、日常からの延長戦であることは変わらない。憎まれ口を叩く同居人との距離感はほんの少しだけ近くになって、映画を二人で見るときに座る距離だけ、数センチ近くなった。
手をつなぐまでにかかった時間は一ヶ月くらいだろうか。
「紳士だからね」
そう繰り返し言うドラルクは、ロナルドに対して急くことをしなかったし、なんなら待つことを苦に思っていないようだった。テレビを見るときやお互いの趣味、ゲームや読書に興じるときに肩を寄せ合うことが日常になるまで。ロナルドの身体から反射的な緊張以外のものが消え失せるまで。消えてから暫くもそのままに。
おそるおそる、ロナルドから手を重ねてくるまで彼は待っていた。
重ねられた手を見下ろして、吸血鬼はひどく嬉しそうに微笑んだ。
「いい?」
「な、にが?」
「私、吸血鬼だからさ。きみにいいって言ってもらえないと怖くてね」
「い、いい、ぜ?」
自分から重ねた手よりも随分と細くて華奢だ。節くれだった指は自分の無骨なそれよりもずっと繊細に見える。それがするりと自分の指の間に滑り込む。ひんやりした体温が指の側面と掌に伝わるのが心地よい。
「すき」
ぼろりと口から零れ出たのは「きみに懸想している」と言われた日からずっと心の中にあって形に出来ていなかった感情だった。声が震えていて、みっともなくて身体がかすかに強ばった。けれどもドラルクはそれを気にするでもなく。体温が数度違う手を離すことはなかった。
「うん、知ってた」
「おれも、ちゃんと。すきだから」
「ありがとう」
その五つの音が優しかった。気恥ずかしさから手をひこうとすると「だめだよ」とクスクス笑いながら、赤く染められた爪に飾られた手が追いすがってくる。
「ねぇ。壊れたラジオとか言わないでおくれよ? 私は、きみに懸想していて、きみのことを愛しく思っているんだよ」
「ん。あの。うん、わりぃ。……ありがと」
恋愛ドラマで見るみたいな展開は、自分たちの日常にはあまりにも遠くて。でもそれをロナルドもドラルクも不快には思わなかった。
体温すら違う相手と過ごす日常は馬鹿馬鹿しい出来事の連続で、いつだって笑うことに忙しい。
二人だけで過ごす時間はさほど多くはないが、帰る家に彼がいることはロナルドにとって嬉しい事柄だったし、ドラルクも夜食を楽しみに帰宅する人物がいることを楽しんでいるようだった。
「私? きみがうちの城に押しかけてきたときかな」
一度、夜食を食べながら自分に対して恋慕を抱いたのはいつなのかと質問をすると向かいの席でホットミルクを飲みながらドラルクはそう口にした。
「初対面じゃねぇか! そんときお前、俺の名前も何も知らなかっただろうが」
「知らなかったよ? けれどもシーニャさん辺りなら『熱情に理由はない』って言うだろう? そうだな。やたら……なんか眩しくて煩いのが来たなぁって。それで、思ったんだよね。『面白そう』『あの子の近くって楽しそう』って」
実際にシンヨコは面白い街だし、この事務所は狭い以外は居心地がいいとドラルクは続ける。言葉に嘘はない。
目を伏せて風味付けのリキュールをホットミルクに落としながら、「それは予感でしかなかったけど、実際きみの隣は居心地がいい」とつなげた。
「そ。そう……。俺も、それは同じだから」
傍らに棺桶が並ぶようになってから、眠るまでに数時間かかることはなくなった。何もすることがない時間やしなければならない作業が滞っているとき、居心地の悪さから頭痛や吐き気を併発させることも消えた。いつの間にかタバコの美味さを忘れて、調味料の名称に詳しくなった。
誰かの体温を愛しく思うようになったのは、独り立ちをしてから初めてだった。
あの時、季節はまだ晩夏でエアコンをいれないと暑くて身体がべたつく季節だった。掌を重ねたときに感じた手汗を口にしたら、ドラルクは「私だって体温は低くても緊張してるんだ。お互い様だろ」と一蹴したのを覚えている。
今はもう気温が下がって晩秋を通り過ぎ、街行く人たちの中にはダウンジャケットを着込む人も増えてきている。大きな川から流れ込む風が冷たく、日によっては窓ガラスが凍り付くことも増えてきた。
先ほど見送ったカップルも暖かそうな外套を着込んでいたし、汗っかきで暑がりなロナルドだってさすがに夜のパトロールには気が重くなる気温になってきた。
ここまで木枯らしが吹き荒れていると吸血鬼たちも外に出歩くことは少ないようだ。一通りのチェックを終えると、ロナルドは軽く伸びをしてからギルドに足を向けることにした。