アット・ザ・ドライヴ・イン硝煙。薄暗く煙る、嵐前にも似た静けさの中で、吹き付ける風に散らされた紫煙を追って"准将"ドンキホーテ・ロシナンテはゆっくりと瞳を閉じる。
今朝方起きた、小さな、小さな"兄弟喧嘩"を思い起こして、うんざりと溜息を吐いた。
「……"コラさん"、部下が探し回ってるぞ。いい加減陣営に戻れ」
切り立った崖の上から、下の"戦場"を見下ろしていたその背後に、よく知る気配と共に"大佐"トラファルガー・ローが現れる。
緩慢な仕草で振り返ったロシナンテは、"おー"、と、何ともやる気のない声で応えた。
「……喧嘩。本部中で噂になってるぞ。あの"中将殿"にとうとう弟君がキレたって」
「あのなァ、喧嘩くらい……しょっちゅうしてるだろ」
「マァ、そうだけどな」
上からも下からも、信頼されるに足りる、この男を"兄"とは"違い"温厚だと思っている人間は多い。
しかし、兄弟をよく知るローからすれば、血の気が多いのは明らかに"弟"の方だ。
「何が原因かは知らねェが……許してやれよ、コラさん。ドフラミンゴの奴どっかで泣いてるかも」
「んな馬鹿な」
からかうようなローの言い草に、ロシナンテは吸っていた煙草を足元に落として踏み付ける。
怒っているつもりは毛頭無いが、ただ、"許せる"事でも無いのだ。
『ドフィ……。"あの島"が"掃討作戦"の舞台になるぞ』
言わなきゃ良かった。それは、今もそう思っている。
どうして自分は、兄に似ず、思ったことをそのまま口に出してしまうのだろうか。
それでも、あの男が仕出かした"大騒動"に、黙って部下の命を差し出すのがどうしても嫌だったのだ。
『……だから、何だ』
『……ッ!!』
(……それを、ドフィは、)
化物じみた顔で、一蹴したのである。
いつまで経ってもあの男は、血の繋がりに求めた"理解"の範疇に収まらなかった。
「……行こう。コラさん。おれ達は……"海軍"だ。上が揺らいでたら、下が混乱するぞ」
きっと、頭の良いこの青年は、喧嘩の"理由"を知っている。
どこまでも優しいローに甘えるのを止めたロシナンテは、ようやっと踵を返して歩き出した。
その背後で、一際大きな爆発音が上がる。
煙る風景と、地面に染み込む他人の血液。渦巻く怒号と、賛美された暴力。その全ての始まりは、一発の"弾丸"。
(……ドフィは、おれにすら、"本当の事"を話さない)
結局、小競り合いの根本はそこなのに、ロシナンテはそれに気が付かないのだ。
何か大きな黒いものに、食われてしまう、血を分けた筈の同胞。
それを見ている事しか出来ない焦燥に、名前は未だ付いてはいなかった。
######
「人口僅か一千万人の小国が……恐れ入るなァ、おつるさん。五年間もよく政府相手に殺し合いを続けたモンだ」
「終わったように言うのはおやめ……ドフラミンゴ。この国には"革命軍"の勢力もある。わたし達も無事では済まないだろう」
「オイオイ、"大参謀"が弱気とあっちゃァ、士気が下がるぜ」
港に配備された軍艦は約十隻。
出張る中将率いる大量の海兵達は、突入の準備に奔走していた。
その甲板で既に開始している戦闘を眺め、背後のつるを振り返ることなく言ったのは、"中将"ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
「……ドフラミンゴ。お前、こうなる事が分かっていただろう。どうして"あんな事"を仕出かしたんだい」
「……」
反政府を謳う、この革命紛いの闘争は、海軍本部の"将校"による"誤射事件"から始まった。
たまたま島を訪れていた海軍将校と、島民との間で起こった小競り合いの中で、将校の持つピストルが"暴発"し、結果、島民が一人死亡したのである。
元々、天上金による貧困が背景にある島だったこともあり、あっという間に反政府をシュプレヒコールに、この小国は武器を取った。
反乱が始まってすぐに、鎮圧の名の下、海軍本部は軍艦を送り込んだが、当時"革命軍"の後ろ盾を得ていたこの島は軍艦を退け、この闘争は五年経った今も終わってはいない。
そして今日、とうとう痺れを切らした海軍本部が、バスターコール級の戦力を引っさげ、"掃討作戦"に踏み切ったのだ。
「フフフフッ……。おれァ別に、人間を守る為に海兵になった訳じゃァねェからな」
誤射事件を起こした海軍本部の将校。全ての始まりである"張本人"は、愉快そうに口角を上げ、喉の奥で笑い声を上げる。
「……お前が、誤射だなんて間抜けな真似をする筈無いだろう。ドフラミンゴ、一体お前は、何を仕出かしたんだい」
「軍法会議でも……ピストルの整備不良が認められ、担当者はクビになった。そしておれも一ヶ月の謹慎処分を受けたぜ。それで全てチャラの筈だ。この戦争が、"上"の予想よりも長く続いているのはおれのせいじゃねェよ」
その一ヶ月の"謹慎処分"中、この男が一体、どこで何をしていたのか知る者は居ない。
それだけに留まらず、謹慎後、ドフラミンゴは中将へと昇格を果たしたのだ。
一連の誤射事件には箝口令が敷かれ、本部内で話題になる事も無かったが、この一件が、得体の知れないこの男に纏わる後ろ暗い噂話の一つである事だけは確か。
「……この島を取り巻く事情は、目に見えている程単純じゃないということかい」
「さァなァ……。それを、"今日"、確かめに来たんだ」
「……?」
まるで、"何も知らない"かのような物言いに、つるが眉間に皺を寄せた。
その表情を物ともせずに、ドフラミンゴは船の縁に足を掛ける。
「今日の"掃討作戦"にゃァ、おれも相当キてるんだ……おつるさん。"奴ら"、このおれを"使った"癖に、何か、隠してやがる」
「……どういう、」
またしても、理解し得ない台詞を吐いて、ドフラミンゴはその縁から飛び降りた。
単独行動を咎める間も無く、その背中はあっという間に煙る背景に消えてしまう。
(……一体、お前は、)
何を知っているのか。
明らかに、"中将"の権限から逸脱したあの男の"特権"は、全てその体に流れる"血"が生み出している。
(……そうやって、あの子を、"仲間外れ"にするからだよ……センゴク)
また、何か考え倦ねるように口を閉ざした、恐らく"共犯"の元帥に、つるは深いため息を吐いた。
ドフラミンゴ本人と、あの男を取り巻く連中は、こぞって奴を人間として扱わない。
それを、操る側に立てたとドフラミンゴは喜ぶが、つるの目にはただ、負け惜しみにしか映らないのだ。
(あの子は、ただ、)
"聖地"で生まれたというだけの、ただの、一人の人間なのだ。
つるの心中を表すように、遠くの方でまた一つ、大きな爆発が起きる。
それを見つめたつるの視界に、あの大きな背中は既に、映りはしなかった。
######
「コラさん……!危ねェ!」
「うわ!」
先発部隊だったローとロシナンテは、港で迎え撃つ反政府軍を鎮圧し、本隊が陣を敷く中央広場を目指して市街地を奔走していた。
街の中でも既に乱闘は開始されていて、弾丸の飛び交う大通りをひたすら走り抜ける。
自分の鼻先を掠めた流れ弾の矛先に、ローが思わず怒鳴り声を上げ、その襟首を掴むと、民家の窓を蹴破り中に転がり込んだ。
「……あ?」
「お?」
「……」
外の喧騒が、一瞬遠のいたように感じ、ローとロシナンテの間抜けな声がその空間に木霊する。
泥だらけの二人の目の前で、煙る土埃を物ともしない上等そうなコートがふわりと翻った。
「……なんでテメェらがこんなところで油を売っているんだ。さっさと大将首咥えて主人の元へ帰ったらどうかね」
「「……な、」」
顔の中心を走る傷跡。指輪だらけの無骨な手のひら。嫌に獰猛そうな目つきに反して、滑らかに艶めく、手入れの行き届いた黒い髪。
まさか、こんなところで相見えるとは思って居なかったロー達は、思わずその名を口にした。
「クロコダイルさん!」
「ワニ屋!お前こそこんなところで何してんだよ!七武海は王宮側から中央広場に攻め込む予定じゃねェか!」
「クハハハ!中央広場には行ったが……君たち海兵は一人も辿り着いて居なくてなァ。一人で手柄を頂いても良かったが……これは君たちが長い間温めていた闘争だろう。部外者があまりしゃしゃり出るのは止めておこうかと」
いけしゃあしゃあと、恩着せがましい台詞を吐いたのは、"七武海"、"サー"・クロコダイル。
飛び込んできた二人をまるで子犬でも見るかのような表情で見下ろしていた。
「誤魔化すなよ……ワニ屋。こんな民家に何の用だ」
明らかに、何かを探していたようなクロコダイルに、ローが"誰か"譲りの目敏さで口を開く。
それを鼻で笑い、クロコダイルはゆっくりとダイニングテーブルに腰を降ろした。
「テメェらこそ……このおれに協力を仰いだにしては、説明が足りねェように思えるが……?何故おれが、お宅の"中将殿"の尻拭いをせにゃァならん」
「……それはそうかも知れねェが、あんたは王下七武海だろ、クロコダイルさん。あんたも海軍本部の戦力の一つだ」
その物言いに、クロコダイルは心中で"駄馬め"と悪態を吐く。
まさか、この弟は、自分の兄貴が本当に誤射事件などを起こし、"必然とも取れる偶然"でこの反乱が発生したとでも思っているのだろうか。
「……ワニ屋。あんたはこの一件の……"何か"を知っているのか」
「……」
刀を担いだローの視線を受け、そういえば、この二人が持つ、便利過ぎる能力が頭を過ぎる。
隠密行動に秀でた二人を前に、気が変わったクロコダイルはゆっくりと葉巻を咥えて火を着けた。
「"何も"知らんが、あの"糸屑"が誤射なんてマネすると思うのか」
「それドフィの事?」
「悪態が斬新過ぎて話が入ってこねェ」
「悪かった。悪態の吐き方も君達のレベルに合わせよう」
明らかに、違う方向へ行きそうだった会話の趣旨を取り戻し、クロコダイルはゆったりと煙を吐き出す。
そもそも、何故、あの男はこの島を訪れたのか。
"天上金へ不満を募らせている国民達に、反乱の意思が無いかを確認する為"。それが、口には出来ない方法で盗み見た、ドフラミンゴがこの島を訪れた理由である。
そして、将校クラスが出向く程の任務とは思えない先で、あの男は余りにも無能な過ちを起こすのだ。
「"誤射事件"の後、すぐに奴は中将へ昇格した。引火するように起きた反乱の、"鎮圧"の最中で死んだ男の"後釜"としてだ」
他人の口から聞けば、それは確かに出来すぎている。
ロシナンテとローは箝口令とは別の感情で、進んで口にしなかったその話題を、気まずそうに聞いていた。
「ドフィの誤射が……意図的な物だったとしても……そんな事して一体何になるんだよ」
「だからだ。テメェらの親玉が……一体何を隠しているのか気になってな。少し、探りを入れていただけだ」
クロコダイルの言い草に、"何が少しだ"と、ローは息を吐く。
そもそも"元凶"である誤射事件を、ドフラミンゴが起こしたという事実は公表されていないのだ。
噂が噂を呼び、海軍本部には知れ渡ってしまったが、そんな噂話を外でする程馬鹿な兵隊は、この組織には居られない。
どこで聞き齧ったかは知らないが、あくまで"部外者"であるこの男が、全容を把握するのは無理に等しい筈だった。
(……ったく、直接聞けば良いものを)
公然とも言えないが、隠してもいないこの二人の関係性を、ローは肯定的に捉えていたが、反して、面倒な奴らだとも思っている。
そうコソコソ嗅ぎ回らなくても良いとは思うし、この男になら、ドフラミンゴは真実を話すような気もしていた。
「……ドフィ、何か面倒な事に巻き込まれてんのかな」
「さァな。まァ、そうだとしても、おれにゃァ関係の無い話だ」
「関係無ェ割に、首突っ込むのか」
思わず口をついてしまった、その台詞に、クロコダイルの瞳が一度、光を含んだように見える。
愛情とも憎悪とも取れるその感情を、ローはまだ、理解してはいなかった。
「馬鹿なのも、根暗なのも我慢してやるがな」
ゆっくりと動く唇から、流れる低い言葉を聞いて、あの男を馬鹿な根暗呼ばわりするのはこの男だけだと思う。
そんな"二人"の弟を前に、クロコダイルは葉巻の煙を吐き出した。
「"不様"なのは、我慢ならねェ。それだけだ」
彼らを取り巻く愛憎模様は、恐らく他人には理解できない。
ある種の諦めを持って、ローは辟易と、ため息を吐くのだった。
######
「あんたがおれに、言った言葉を覚えているか」
僅か数キロ先で、命のやり取りが巻き起こっているなどとは思えない、静かで、穏やかな場所だった。
島の奥地にひっそりと建てられた礼拝堂は、五年に及ぶ平和を知らない日常によって、すっかり忘れ去られているように見える。
その座席の一つに座り、神を騙る壁画を見上げてドフラミンゴは口を開いた。
「"政府へ反する意思のある、ならず者国家へ攻撃をする口実作り"だと、そう言ったよな」
五年と、少し前の"あの時"、呼び出されたドフラミンゴは"極秘任務"の命令を受けた。
"誤射"により島民を殺害、クーデターを誘発。そしてそれを、海軍本部が掃討する。
マッチポンプ紛いの、非人道的なその作戦は、"一ヶ月の休暇"と"中将"への昇格を実現させた。
「おれを選んだのは正解だ。おれァ人間共がどんな凄惨な末路を迎えようとも、大して興味は無ェし、あの頃おれは、何よりこの組織で地位が欲しかった」
偶然知った、この世を揺るがす某のお陰で、この組織の上は酷く、ドフラミンゴに協力的である。
しかし、海軍本部に身を置く以上、政府のお偉方連中とこの男の間には厚く、大きな壁があった。
この組織の最上部に立てば、殆ど全てが意のままに操れる。
あの頃も、そして今も、ドフラミンゴはただ、この組織の頂点を渇望していた。
それがそのまま、この世の"システム"を破壊する事に繋がると、ずっと、盲信しているのだ。
「だが、なァ。一つ、どうしても気になる事があるんだ」
手頃な島民に道を尋ね、頃合いを見計らいその哀れにも"選ばれた"人間を殺害する予定だったが、それは、予想外の展開を生む。
『一体、何の調査だ』
そうやって、ドフラミンゴに声を掛けてきた男が居た。
島民達には"島の調査"だと申告していた為、ドフラミンゴはそう疑問にも思わずその男の台詞を聞き流した事を覚えている。
「あの男はしきりに調査の概要を示せと煩かった。丁度良かったぜ。誰か選ぶなら、この馬鹿だと決めた」
そして、ドフラミンゴが細工された小銃を握った瞬間、男の口からそぐわない単語が滑り出たのだ。
『……"エンドポイント"の、』
詳細を聞く前に、男は胸に鉛玉を食らい、まるで人形のように地面に落ちてしまったのである。
その言葉の真意を、確かめる機会はこの時、永遠に失われた。
「確かに奴は……"エンドポイント"と言っていた。しかも、あの男は火山研究を生業としていたらしい。なァ、それで、おれァ思ったんだがよ」
ステンドグラス越しに、極彩色で揺れる太陽の光。
この海で、真相を掴むのは、恐ろしく難解だ。
「ファウス島、セカン島、ピリオ島。エンドポイントと総称されるその三つの火山島は、全て破壊すると、新世界を巻き込む大破局噴火を引き起こすという有名な"都市伝説"がある。」
世界政府が調査し、明確に存在を否定したそのポイントを、ドフラミンゴも信じてはいなかった。
火山の下のマグマ溜まりが、海底で繋がっているなど、常識では考えられないし、通常、火山は独立して活動している筈。
三つの火山島を破壊したからといって、それが大破局噴火を誘発するなど、B級にもなれない酷いストーリーだと思っていた。
「だが、なァ。もし、エンドポイントが本当に存在するとしたら。独立している筈の火山島が、それぞれに影響を与える事が可能だとしたら。"この絵"は、また、違った見方ができるよなァ」
ドフラミンゴが言葉を切って、背もたれに腕を掛ける。
五年前と変わらぬその天井を彩る古い壁画は、海図のような物だった。
三つの島を繋ぐ謎のラインと、その中心に描かれたこの国のマーク。
綴られた古代文字は読めないが、海図と照らし合わせれば、線で繋がれた三つの島は件の火山島で、国章が描かれている位置も、この島と一致していた。
「ここからはおれの妄想だが……エンドポイントの中心に位置するこの島は、何らかの"トリガー"になり、エンドポイントを破壊する事が出来るんじゃねェのか。それに気付いた世界政府は、新世界を破壊しうる、兵器のようなこの島を地図から消したかったんじゃねェのか。そう思ったら、どうにも確かめずにはいられなくてなァ……」
「……それを、知ってどうするつもりだ」
初めて、口を開いた"観客"に、ドフラミンゴの口角が嬉しそうに持ち上がる。
余りにも、凶暴に光るその眼球に思わず息を呑んだ。
「奴ら、焦るだろうぜ。このおれに、また"最悪"のカードを渡しちまったとな」
身がすくむ程の憎悪を、腹の底に溜めたこの男を、"上"は持て余し、目の届く範囲に置きたがっている。
ドフラミンゴは、この組織でその特権を活用し、この世界のシステムを破壊する為の算段を持っていた。
どちらが操り、どちらが操られているのか、既に、誰にも分からない。
「さっさと島民を皆殺しにして、政府の管理下に置こうぜ。そうしなきゃァ、この島を"使う"時、革命軍の馬鹿共が煩そうだ。なァ?……"元帥殿"」
あの日の共犯、"元帥"センゴクは、この男が既にそれを"妄想"とは思っていない事を、その時悟った。
######
「エ?ここ、ドフィが撃った島民の家なの????」
「何だ、知らずに飛び込んできたのか」
「スゲェ偶然だな……」
一方、外の喧騒も忘れ、井戸端会議を繰り広げていたロシナンテ達は、クロコダイルの言葉に目を丸くした。
「だからクロコダイルさんここに居たのか。……何か分かったのか?」
「撃ち殺された男が、火山の研究をしていた事は分かったが……それ以外は何も無ェな。普通の家だ」
「というか、この島でクーデターが起きたのも……意図的だったって事か……」
「少なくとも、フラミンゴ野郎の"誤射"はクーデターを起こすための物だろうな」
民家のリビングで、戸棚という戸棚を漁りながら、小さい声で言ったロシナンテに、クロコダイルはぞんざいに応える。
その後黙り込んだ弟に、金色の瞳を向けた。
「……なんだ」
「イヤー、はは。今朝、今日のドンパチの件で喧嘩しちまって……。多少……いやかなり、酷いこと言った気が……」
「拗れる前に謝ったらどうだ。フラミンゴ野郎、多分どっかで泣いてるぞ」
「ねェ、もしかしてローもクロコダイルさんも、ドフィがメソメソ泣いてるの見たことあるってコト?」
「つーかワニ屋。海賊が普通に真っ当なアドバイスすんな」
「そうだったな。すまなかった。……違う意見は捻じ伏せて当然だ。気に入らねェ奴はすぐ殺せ」
「極端!!!!」
「……誰ですか?」
「「「……!!」」」
突然、リビングから続く部屋の扉が開き、三人の随分下から声がする。
驚いたロシナンテ達に見下され、現れた少女はその細い肩を揺らした。
「……民間人?!オイオイ、お嬢ちゃん!!民間人には避難命令が出てる筈だぞ……!!」
「で……出てないです。避難命令なんて……だって、皆、それで殺されてしまったのに……」
「……は、ウソだろ」
今日の任務は、この島を拠点に活動する、反政府軍を捕らえることだった筈。
人口の半数以上が、この反乱に加担していると聞いていたが、それ以外の人間達は指定避難区域に避難していると、元帥の口から聞いていたのだ。
「クハハハ!立派なクロが出たな!島民を皆殺しとは……余程バレたくねェ何かがあるようだ」
「わ……笑い事じゃねェだろ!ロー!この子を避難区域まで連れてってくれ!」
「ああ……!」
「オイオイ、まだ分からねェのか。これは、"バスターコール"と同義だぜ。避難区域なんぞ、存在しねェのさ。テメェらの親玉は、この島を地図から消す気だろう」
「……そ、そんな命令は出てないだろ!」
小綺麗な文字面の裏で、潰えた膨大な真実の存在を、まるで知らない青年達に、クロコダイルは憐れむように瞳を細める。
そうやって、"過保護"にしてきたあの馬鹿の真意は、一体、何だ。
「……わ、わたしは、世界政府に屈しません!出ていってください!さ、さもないと……」
縋るように、大きな本を抱き締める細い腕が、小さく震えている。
それを、押さえるように息を吸い込んだ少女は、大きな声を出した。
「……さもないと、"新世界"を"火の海"にします!この国は……そういう武器を持っています!」
######
「「「ハァアアア?!?!」」」
少女の口から滑り出た、驚愕の台詞に、三人は思わず大きな声を上げて、少女の目線までしゃがみ込んだ。
いきなり囲まれた少女は、酷く怯えたように、薄っすらと瞳に涙を浮かべる。
「どういう事だ?!何だそれ?!もう新情報ヤメテ!!」
「コラさん……落ち着け」
「成程。詳しく聞こう。金額は……まァ、言い値でも良い」
「買うな買うな」
次を促すような三人の視線に、おずおずと、持っていた本を差し出した少女は、値踏みするように三人の顔を見回した。
「……父は、この島でずっと火山を研究していました」
「……」
本だと思っていたものは、どうやら誰かの日誌のようで、受け取ったクロコダイルはペラペラとその中身を流し読む。
恐らくこの少女の父親が書いたものだろう。近海に浮かぶ火山島の調査結果が、几帳面な小さな文字で綴られていた。
「……」
かつて存在を否定された、"都市伝説"。三つの火山島。そしてその"引き金"。
日誌の中で踊る、余りにもオカルトじみた文字の羅列に、クロコダイルは思わず眉を顰めた。
「……何だよ。何が書いてある」
「エンドポイントの存在を証明する根拠と……この島が、その三つの島を破壊する"トリガー"になっているという仮説……」
「……なんだそれ。エンドポイントは、都市伝説じゃねェのか」
「ほ……本当です!父は、この島を破壊すると、その衝撃はエンドポイントに到達し、さらには新世界を巻き込む大破局噴火に発展すると言っていました。」
「オイオイ……そんな事が本当に……」
狼狽える弟二人を、ゆっくりと動く金色の瞳がただ、眺めている。
明確に"無い"と言われ、息絶えるように忘れ去られた、新世界随一の脅威。
そもそもそれを、"無い"と言ったのは、誰だった。
「仮に……"それ"が真実だとして、」
珍しく、考えるよりも前に口が開く。
クロコダイルは勝手に動き出した口元が紡いだ台詞を一度切った。
低い割に通るその声は、ローとロシナンテの視線を引き付ける。
「エンドポイントも、"トリガー"も真実だとすれば……この騒動全てに"理由"が付くと思わんかね」
"誤射事件"はクーデターを起こす為。それならば、引き起こされた反乱の、理由は一体、何だ。
「エンドポイントを、"無い"と断言したのは政府だ。そりゃァ、そうだ。これ程までにデカい爆弾を悪用されたら敵わねェ。なら、トリガーの方はどうだ。どう考えても"エンドポイント"よりも危険な代物だぜ。罪無き島民を皆殺しにしてでも隠したいだろうな」
「……この反乱は、島民を排除する為に仕組んだ口実か」
馬鹿馬鹿しく、常識外れな憶測で、初めて合った"辻褄"にローはいつもよりも低い声で言う。
いまいち事情を把握していない、少女の瞳が一度、瞬いた。
「だとしたら……ドフィは……、」
「……ッ伏せろ!!!!」
ロシナンテの眼球が、力なく揺れた瞬間。
妙に震える気配に駆られ、クロコダイルが少女に手のひらを伸ばす。
全てがスローにモーションを描き、一瞬後、クロコダイルの頭上で何かに押しつぶされた天井が降り注いだ。
「"ROOM"……!」
殆ど反射的に開いた手のひらを起点に、半透明のサークルが広がる。
視認できない速度で四人の姿が消えた瞬間、轟音と土埃を上げながら、民家は無惨にも倒壊した。
######
「オイオイ、そりゃァ一体、何の真似だ?!仏の名が泣くぜ……?!」
振り下ろされた大き過ぎる拳。その衝撃で吹き飛ばされたドフラミンゴは、空き家の煙突に糸を掛けて体制を立て直す。
屋根の上からですら、見上げる事しかできない巨大な造形。"ヒトヒトの実"とは、些か皮肉だ。
ドフラミンゴは聳え立つ"大仏"に、薄ら笑いを浮かべてがなり声を上げる。
「……黙れ。それは……貴様が知るには危険過ぎる"真実"だと判断したまでだ」
「フフフフッ……!そりゃァ、そうだろうなァ!だがそれは……お前を含むこの世界への罰だぜ、センゴク!!」
「だから、貴様の口を封じるのがおれの務めだ……!」
拾い上げた、この世を牛耳る神々の子ども。腹に怒りを抱え、這いずるように進む、哀れな生涯。周りの人間に、翻弄され続ける孤独な男。
いつか、きっと、"そうじゃない"と、教えてやれる筈だったのに。
(……何故、お前の"怒り"は、)
静まる事を、知らないのだろうか。
「……せ、センゴクさん?!ドフィ!!」
「……!!ロシナンテ?!何故まだここにいる?!」
「い、色々あったもんで……」
やり合うセンゴクとドフラミンゴの間に、突如現れた四人の人影。
それが、見知った顔だと悟ったセンゴクの視線が僅かに逸れた。
「オイオイ……!よそ見してんじゃねェぞ耄碌爺が……!」
「耄碌などしとらんわ!そもそも貴様のその舐めくさった態度が気に食わん……!!朝のラジオ体操に糸人形が出ている事は知っているぞ!!!」
「……フフフフッ!優秀なこのおれが二人も居たら、あんたも助かると思ってな!!」
「クソガキが……!その根性叩き直してくれる……!!」
「「……恥ずかしいからウチでやれ!!!!!」」
謎の方向に進む、その親子喧嘩のような様相に思わず地上でロシナンテとローが怒鳴る。
センゴクの一撃が、ドフラミンゴの立つ空き家の屋根にぶち当たり、ドフラミンゴは避けるように地面に降り立った。
「おお?!鰐野郎!お前は王宮側から中央広場だろうがよ」
「うるせェなァ。そのくだりはもう終わったんだよ、糸屑野郎」
「始めて言われるタイプの悪口!!」
降り立った先で、のんびり立ち昇る葉巻の煙に、ドフラミンゴが口を開けば苛ついたように返される。
「……ドフィ!この島が……エンドポイントのトリガーになっていると……知ってたのか?!」
駆け寄るロシナンテが放つ言葉に、一度、ドフラミンゴの口元が小さく歪んだ。
まるで、笑っているようにも見えるその表情に、ロシナンテの背中に冷たい汗が流れる。
「……グ、」
何も言わず、虚空に向けて手のひらを握ったドフラミンゴの動きに合わせて、センゴクの巨体がグラリと傾いた。
そのまま轟音を立てて倒れる、神を騙る造形を眺めて、ドフラミンゴはゆっくりと踵を返す。
「……この騒動を、お前どう収めるつもりだ」
その背中に言葉を掛けたクロコダイルを首だけで振り返り、ドフラミンゴは人知れず、サングラスの奥で瞳を細めた。
「"作戦通り"だ。"鳥籠"を使う。この島の民を皆殺しにすれば……この"最終兵器"は、おれの手のひらの中だ。その存在を、"知っている"事が最大の抑止力に……、」
その時、ドフラミンゴの腕を掴んだのは、傷だらけの手のひら。
その光景を、目の前で見ていたローは、ある種羨望の眼差しを向けた。
「なんで」
思い起こせば、この男の腹に巣食う、怒りと憎悪をただ、隣で眺めていただけのように思う。
この男を止めるなら、殺すしか無いと、ずっと思っていた。
『兄上やめてー!!!』
頭蓋を砕く鉛玉。弾けるように散った血と、優しい"人間"。人間であることに重きを置いた"あの人"を、否定するようにこの男は延々と、"化物"のままだ。
「なんでお前は、"そっち"に行くんだよ……!おれ達は、はじめから人間の筈だ……!」
傷とも呼べるその台詞に、ドフラミンゴの動きが止まる。
二つの眼球を覗く、その瞳に明らかな恐れが浮かんだ。
「……頼むよ。ドフィ。"そっち"に……行くな」
まるで、泣き出すように眉間に皺を寄せたドフラミンゴの手のひらが、小さな動きでロシナンテを払う。
吐き出す言葉を選ぶように、口を開けたまま黙り込んだ。
「"そっち"に行きたいなんざ……思った事ねェよ」
燃える足元に、群がる憎悪。吸い込んだ熱い空気に焼かれた肺を、今でも覚えている。
ドフラミンゴが飛び立とうと身を屈めた刹那、揺れる葉巻の煙と目が合った。
「……フラミンゴ野郎、」
無理に逸したその視線を、無理やり繋ぎ止めるように低い声で彼は呼ぶ。
振り向かないその背中に、クロコダイルは随分と嬉しそうに笑った。
「不様な真似はするなよ。百年の恋も冷めるぜ」
「……そんなモン、した憶えはねェよ」
######
「五分で退避しろ。それ以上は命の保証は無いぜ」
「……待て!ドフラミンゴ!!」
身軽な動作で飛び上がったドフラミンゴの背中に、巨大なセンゴクの手のひらが迫る。
それをすり抜け鮮やかに去った姿は、あっという間に遠ざかった。
「マズいぞ……"鳥籠"を使うつもりだ……!早く止めないと!!ロー!ドフィを追うぞ!」
「ああ!」
「待て!ロー!ロシナンテ!!奴を止めるのは無理だ……!引くぞ!!」
一瞬で、人型に戻ったセンゴクは、走り出すロシナンテとローの肩を掴む。
勢い良く振り返ったロシナンテの顔は、少しだけ、傷付いて居るように見えた。
「この島は消さなきゃならん!!どんなに卑怯で姑息なマネをしようともだ!割り切れ!!」
「……違う!!!!」
センゴクの腹に、手のひらを付いたロシナンテは一度、強く、その両目を閉じる。
センゴクの口から出ていった筈の言葉は、何故か音を生み出さなかった。
「あんたが下した判断も……この島の危険度も分かってる!!……おれが、諦められないのは、」
いつも、ただ一つの"後悔"に、支配されている。
目敏く、聡明で、責任感の強い兄が、あんなにも怯まぬ性を持ったのは、ただ、傍らの"弟"が泣いているだけだったからではないか。
(おれが、)
余りにも情けなくて弱いから、守って立たなければいけないと、思ったからではないのか。
怒りを持たない自分の為に、永遠絶やすこと無くその"怒り"を、燃やし続けているのではないかと、思ってから、もう、何年だ。
「……おれは、ドフィを、諦められない」
いつか、あの男が安らかに眠るその時を、ずっと待っている。
それなのに、結局こうして、兄に何でも押し付けてしまうのだ。
(それでも、おれは、)
兄の腕を、"此処"で、引き続けなければならない。
「……やっとお出ましか」
唐突に、通り抜けて来た市街地が騒がしくなり、振り返ったクロコダイルの視界に、街の入口付近で交戦していた海兵達の集団を捉える。
やっと入口を制圧したらしい、その悠長な行動に溜息を吐いた。
「……このままじゃ中央広場で衝突するぞ!デカい戦闘の中でドフラミンゴを見つけるのは無理だ!!」
「ドフィは中央広場方面に行ったよな?とりあえずおれ達も広場に行こう!!」
「退避しろと言うのが分からんのか!!奴を止められなかったらどうするつもりだ?!」
「センゴクさん……おれが居るんだ。どうしようもなくなったら、三人位どうにか逃がせる!あんたは撤退の準備をしていてくれ!」
「……何でおれも行く方向なんだよ」
迫り来る海兵達の足音と、猛る怒号を聞いたローの手のひらが開く。
現れた半透明のサークルに、クロコダイルは思わず苦言を呈したが、そこから逃げようとはしなかった。
「……悪い。センゴクさん」
センゴクと、彼らを隔てた薄い壁の向こうで、酷く、悔やむようにロシナンテは呟く。
組織の上に立つセンゴクが、自分に強いた"不自由"を、ロシナンテは知っているのだ。
「……バカモンが」
センゴクの口元が、苦しそうに開いた瞬間、目にも留まらぬ速さで消えた三人の代わりに、小石が三つ地面で跳ねる。
呆然と立ち尽くす、小さな少女の頭を撫でて、センゴクは自分の両目を手のひらで覆った。
「……奴を、頼むぞ」
######
「……悪い。ミスった」
「ハァアアアア?!?!ロォオオオオ!!!ここで?!ミスるか?!お前が?!?!」
「まぁ、そういうこともあるだろ」
「オイ喚くな。鬱陶しい」
「クロコダイルさんはいーよな!!飛べるもんな!!あれ?!飛べないのおれだけじゃねェか!!!!」
中央広場に移動するはずが、何故か随分上空に現れてしまった三人は、突然始まった降下に渋い顔をする。
空中での移動手段が無いロシナンテは、必死にクロコダイルの腰にしがみついた。
米粒程にしか見えない、中央広場に集まった反乱軍を見つけ出し、ローは再び手のひらをつき出す。
「なぁ、コラさん、ワニ屋」
「ああ?!何だよ?!」
「……」
突然、静かに言ったローの手のひらの中で、ゆっくりと広がるサークルが、ロシナンテとクロコダイルを覆っていった。
憎悪に駆られ、破壊衝動を持て余す、面倒で繊細な、海軍本部の闇を表す怖い男。
斑に蝕む白い皮膚を、大きな手のひらで包んだのは、悪魔と呼ばれる男だった。
「あいつは……優しいよ」
瞬きの狭間で、あっという間に辿り着いた、中央広場。
その地面に降り立った瞬間、目の前いっぱいに広がったのは、はためく大量の"白い旗"だった。
まるで、"操られて"いるような滑らかさで、白旗を振る反乱軍達は、何も理解できないように、酷く狼狽え、悲痛な叫びを上げている。
「……ドフィ、」
呆然と立ち上がったロシナンテの背後で、押し寄せていた海兵達の足が止まった。
困惑したような両者の間で、ロシナンテは一度、指を鳴らす。
「反乱軍は降伏した……引け。撤退だ。」
反乱軍側の喧騒がピタリと止むその時を、待っていたかのように現れた"元帥"は、ゆっくりと口を開いた。
相変わらずはためき続けるその白い旗の"出処"を、探すように瞳を揺らすが、その姿は見えない。
今、この瞬間、確かなのは、たった一つのシンプルな現実だけだ。
「……戦争は、終わった」
######
「アーアー、随分ダセェ戦略だぜ。見損なったか、"鰐野郎"」
切り立った崖の上から、足を投げ出し座り込んだ男は、背後に感じたよく知る気配に、戯けたような声で言った。
強い風が散らす、葉巻の煙はあっという間に掻き消えていく。
無理に終わらせた戦争が、今後、どういう方向に進むのか、そんな事はドフラミンゴにも分からなかった。
十中八九、今後海軍の管轄となるこの島で、反政府を謳い、武器を取った島民達は、押し付けられた平和と見紛う緩い抑圧に、恐らく再び武器を取るのだろう。
それでも、この結末を選んだのには、明確な"訳"があった。
「センスが無ェ奴は、何をしてもダセェもんなんだよ」
「フフフフッ……!相変わらず厳しい男だ」
遠くに見える無数の白旗を、つまらなそうに頬杖をついて眺めたドフラミンゴは、まるで何かを奏でるように動いていた長い指をゆっくりと閉じた。
「……あいつが、泣いているのを、見てられねェんだ。昔から」
自分を見て泣き喚く癖に、この腕を離さない、厄介な存在。
そのせいで、こんな、中途半端な場所に立っている。
「……ったく、面倒な奴らだぜ。別に……お前を見て、泣いてる訳じゃァねェと思うがな」
余りにも、核心を突くクロコダイルの物言いに、ドフラミンゴはいつになく、穏やかな気持ちで瞳を閉じた。
こうやって、あの男も"人間"に、焦がれたのだろうか。
「百年の恋も冷めたか」
小さく、喉の奥で笑い声を上げ、ドフラミンゴは肩越しに振り返る。
いつも通り、気怠げな視線を寄越すこの男は、この結末を、どう思うのか。
「確かにダセェが……"不様"では無ェな」
心地良い、低い声で吐かれたその台詞に、ドフラミンゴは緩やかに口角を上げた。
自分の腕を掴んで離さない、無数の手のひら。
その中に、この男の手は、あるのだろうか。
「あァ、それなら……良かったぜ」