NUM-AMI-DABUTZ貨物船『VERMILION』。
コールサインは、R7FJD。
早朝、太陽が昇りきる前に自国の貨物を載せたその船は、読み通りに静かな波の上を滑るように出港した。
積荷は戦争中の同盟国へ届けられる筈だった、武器弾薬の類。
しかし、それは友の手に渡る事なく海難事故により海の藻屑と消えた。
「モルガンズさん……どうしたんです。そんなに散らかして…」
「……うるせェぞ!無駄口叩いてる暇があったらスクープの一本や二本でも取ってこい!」
一ヶ月程前、武器工場で起きた火災は、延焼に延焼を重ね、やっと消し止められたらしい。
(……そして、)
フィッシャー・タイガー紛いの、奴隷解放事件。
それなりに名を馳せていた有名ヒューマンショップの奴隷達が、一夜にして全員逃げ出したのだ。
首謀者も、奴隷達の行方も未だ不明。同業者共の愚かな潰し合いか、それとも、大きな何かに踏み潰されたのか。
「……良いな!胸が踊る!」
デスクに散らばった、三つの騒動を取材したメモや資料。
無能は罪だ。記者は自分も含め全員優秀なのを集めている。
ありとあらゆる事実だけが、目の前で文字として散らばっている今この時が、最もジャーナリストの嗅覚を試される瞬間だった。
「三つの事件がどうかしたんですか?どれもそう、珍しくはないでしょう」
「……」
大海賊時代幕開けから十数年。暴力と略奪が賛美され、海には悪辣なミーハー共がのさばった。
こんな事件はそこかしこで起きている。
しかし、大きなうねりとは、小さな歪みの積み重ねだとも知っていた。
(武器を積んだ貨物船の沈没は……同盟国同士に軋轢を生み、結果、別の戦争の引き金となった)
国土の三分の一を失う大火災を引き起こした超大手武器工場は、あっという間に倒産の結末を歩む。
そして、奴隷解放事件の直後、舞台のヒューマンショップは取引先組織の襲撃を受け、オーナー諸共組織構成員は殺害された。
「マーヴェラス......この海に小さな歪みを生んだ三つの事件は……全てが一つの航路上で起きている……!」
小さな歪みを、読み取れないならビッグ・ニュースの名が泣くだろう。
その航路を、同時期に通過した海賊船の中で、その嗅覚に掛かる名前は、たった一つ。
まるで、船の後を追うように、小さな歪みが生まれているのだ。
(北の海の凶悪)
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
******
「あァ……あっちィなァ……。北の海とは大違いだぜ」
「若!かき氷、まだありますよ!いかがですか」
「いや、充分だ。気にしなくて良いから、お前らで食えよ」
「ありがとうございます!」
ジリジリと肌を焼く、強い太陽の光から逃げ出すように、プールサイドの木陰で溶けつつあるかき氷を飲み干したドフラミンゴは、うんざりと額の汗を拭う。
懇意にしていた、悪魔の実ブローカーの男から誘いを受け、この灼熱の夏島に上陸してからというもの、ドンキホーテファミリーは用意されていたこのホテルに入り浸りだ。
詰まるところ、暑いのだ、どうしようもなく。
「そろそろオークションの準備をしねェとなァ……。オイ、招待客のリスト寄越せ」
この島に上陸したのは、オークションの開催という目的があったからであり、あまりのんびりとしている暇は無いということも分かっていた。
うんざりと項垂れつつ、プールで暑さを凌ぐファミリーに、ようやく仕事の話を振る。
(使われるのは癪だが……まァ、良い)
ドンキホーテファミリーが長く取り引きをしている、悪魔の実の流通を牛耳る仲買組織は、悪魔の実の売買には長けていたが、オークション開催のノウハウを持っていない。
そこで、ドフラミンゴにオークション開催のプロデュースを依頼してきたのだ。
「グランドライン上で動く組織の構成員は……およそ、千人。んねードフィ。こんな一大組織……ホントに乗っ取れるのかァ?」
相変わらず暑苦しいトレーボルが、近過ぎる距離で言うのを責めはせず、差し出された招待客リストを受け取る。
そして不安気なトレーボルに、笑い顔を見せた。
「フフフフフッ……!人員が増えりゃァ、それだけ不満と鬱憤が溜まるモンだ。僅かでも綻びがあるのなら……そこを突く。徒党を組んだ悪党なんぞあっという間に烏合の衆だ」
そもそも、この仲買組織が悪魔の実の流通を牛耳っているばかりに、偉大なる航路で悪魔の実の売買は自由に行えない。
およそ千人の構成員達が各海に散らばり、悪魔の実の探索や売買を行うという大規模な活動により、有名海賊団から果ては世界政府まで、様々な団体がこの組織と通じていた。
同じく悪魔の実を扱うドフラミンゴにとって、目障りでしか無いこの組織を乗っ取り、悪魔の実の調達に関わるノウハウと人手を手に入れる。
それが、ドンキホーテファミリーがこの島を訪れた本当の理由だった。
「しかし、流石は有名ブローカーだ。招待客も裏の有名人ばかりだぜ」
オークション開催までは、二週間。
ドフラミンゴは上機嫌に笑い、未だ不安気なトレーボルを見上げた。
「駒が一気に増えるが、なんてこたァねェ。こっちにはシュガーがいるんだ。黙らせたい奴の口など、容易に塞げる」
相変わらず、強い太陽の光が作り出す、色濃い影がドフラミンゴの足元に落ちる。
いずれ、全て手のひらの中なのだ。
ドフラミンゴは悠然とビーチチェアに寝転び、この先に起きるであろう騒動を思い描きながら、ゆっくりと口角を上げた。
******
「オークション、やるんだろう?おれも参加したいんだが……席は余っているか」
「……」
騒がしい、昼時のカフェテラス。
元々この島は、例の仲買組織が支配するブラックマーケットのメッカだ。
あまり素行のよろしくない連中が闊歩し、海軍本部も投げ出した、悪党の島。
その治安の悪さを表すように、周囲では小競り合いや黒い商談の声が絶え間なく響いていた。
この気温に若干参っているドフラミンゴに気を遣い、「カフェで休んでいてください」と言ったグラディウスは、一人で会場候補のホールへ図面を貰いに行っている。
冷たい炭酸水を飲むドフラミンゴの背後のテーブルに着いた男は、椅子に座ると同時に聞き捨てならない台詞を吐いた。
「欲しい悪魔の実があるんだ。金も、地位もちゃんとあるぜ。おれに無いのはモラルと社会性だけだ」
目が覚めるような派手なブルーのシャツに、柄物のパンツ。飾りの付いた黒いハットを被ったその、ドフラミンゴと同じくらいの長身の男は、リズミカルに言う。
その顔は、深く被ったハットに遮られてはいるが、およそ見覚えは無かった。
「……誰だ、あんた」
「通りすがりの旅人だ。いいだろ、多少得体が知れねェくらい。どうせ、招待客共も魑魅魍魎の類だ」
「残念だが……」
そもそも、このオークションは告知などしていない。
それこそ、魑魅魍魎蔓延るこの海で、得体の知れ無い人間を呼ぶのは自殺行為だ。
信頼できる顧客にのみ、案内を出す招待制を取っている中で、素性の知れないこの男がオークションの存在を知っている事自体、既に雲行きは怪しい。
「完全招待制だ。既に座席も埋まっている。また今度、機会があれば招待状を送ろうか」
「つれねェな。残念だ」
「……もう一度聞こうか。テメェは、誰だ」
まるで、鳥が鳴くような、独特な笑い声を上げた男はゆっくりと立ち上がった。
警戒したように瞳を細めたドフラミンゴは、椅子の背もたれに腕を掛けて、やっと振り返る。
「ある島に……ゴール・D・ロジャーの大ファンが居てな」
まったく意図していなかった方向に飛んだ話題に、ドフラミンゴは思いきり顔を顰める。
それも気にせず、楽しそうに笑った男は、相変わらずリズミカルに話した。
「熱狂的にロジャーを支持していたその男は、とうとう自分をロジャー海賊団の元クルーだと思い込み、ロジャーの残した財宝を取り戻す為に海へ出た。そこかしこで元クルーだと吹聴するもんだから、当時は海軍も、ジャーナリストもこぞって奴を追っていた」
ドフラミンゴのテーブルに、紙幣を二枚置いた男は帽子を被り直して口元だけで笑う。
何の話か分からないドフラミンゴは、訝しげに眉を潜めるだけだ。
「結局奴は流行り病を患い、偉大なる航路には入れもせずにこの世を去ったがな。……ただの妄執野郎に、世界中が付き合わされた訳だ」
「……何が言いたい」
意図の読めない、鳥類を思わせる瞳が、探るようにゆっくりと細くなる。
それを眺めたドフラミンゴの視線の先で、その唇が開いた。
「ドンキホーテ・ドフラミンゴ」
素性が知れていることを、もう既に、驚きはしない。
それだけのことを、この海でしてきた自負があった。
それでもその、呼ばれた名前に不快感は拭えない。
「お前はこの世にうねりをもたらす凶悪なのか、或いは、ただの妄執野郎か」
自分の命の価値を、誰かに量られるのが嫌いだ。
体に流れるこの気高い血液を、目の前の人間風情は知らない。
ドフラミンゴの腹の底で、吐き気にも似た激情が湧いて出た瞬間、耳障りな金属音がして視界に銃口が入り込み、一瞬、ドフラミンゴの揺れる瞳が止まった。
ゆっくりと、視線を横に流した先には、銃を構えるグラディウスの姿。
「テメェ、若に何の用だ」
明らかに、警戒した様子を見せるグラディウスに、ドフラミンゴは腹の底の何かを静めるように息を吐いた。
自分の立場と、この島に降り立った目的を思い出し、気まずそうに前髪を掻き上げる。
「グラディウス。そう殺気立つな。こいつは確かに怪しいが……敵意は無い」
「お前の部下か?落ち着け。おしゃべりしてただけだ」
「うるさい!若と二人きりでおしゃべりしている事自体、おれからすれば絶許案件だ!」
「普通に怖い。久しぶりに恐怖を感じた」
「……グラディウス。外でそのノリは止めろ。恥ずかしいだろ」
突然の横やりに、ため息を吐いた男はぐるりと踵を返して歩き出す。
その背中を見送るドフラミンゴは、不意に口を開いた。
「よォ、オッサン。稀代の悪党か、妄執野郎。……あんたはおれを、どっちだと思う」
実年齢よりも上に見えるその顔が、突然、少し幼く笑う。
それを、意外そうに眺めた男は後ろ手に手を振って歩き出した。
「稀代の悪党である事を望み、おれは、ここに来たんだ」
******
「ハァ……!は、ハァ……!なんで……、」
雲の多い夜。
気まぐれに顔を出す月の明かりが、斑に地面を青白く照らした。
細い路地裏を走り抜ける男は、抱えた木箱に視線を落とし、何も理解できない状況に溢す。
何も、分からないのだ。
何故、自分の体が勝手に走っているのか、何処へ行こうとしているのか。
そもそも、何故、オークションに出品予定の悪魔の実を抱えているのかも分からなかった。
(……体が、勝手に、)
自分の意思に反して動く体に、まるで、夢か幻想のような浮世離れした感覚。
それを現実に引き戻すかのように、鋭い銃声が響いた。
「参謀……!何故貴方がこんなことを……!」
自分の後を追う構成員達の台詞に、それはこっちが聞きたいと心底思う。
再び出てきた月が、まるで、スポットライトのように自分の体を照らしたと思った刹那。
「死ね……!裏切り者……!」
その声の主が誰なのか、どうしたって分からなかった。
分からないと思った瞬間、振り向いた先に銃口を向け、自分の指が勝手に引鉄を引く。
その一瞬後に、追っ手の集団の中からも銃声が上がり、その場の全員が戦慄したように静まり返った。
全てが緩慢に流れ、視線の先で血飛沫と悲鳴が上がった刹那、空を切る弾丸が、男の眉間を無惨に貫く。
額で舞った赤い血の向こうで、既に光の入らない眼球に映ったのは、月明かりを受けて煌めく、金色の髪だった。
******
「まったく、由々しき事態だ」
「……あァ。心中お察しするぜ」
相変わらず、暑い。
それでも、仲買組織が拠点にしている木造の屋敷は、横に長い造りが幸いしたか、開け放たれた襖を通り抜ける風が心地良い。
畳に向かい合って座った、ドフラミンゴと仲買組織の大頭は揃って重たいため息を吐いた。
「奴は、旗揚げ当時からこの組織を参謀として支えてきた男でな。各海で悪魔の実の探索を行っている約千人の部下達を纏めていたのは実質奴だ。何故こんなことになったのか……。残念でならない」
大頭は悲痛な面持ちを隠しもせずに、眉間に深く皺を刻み、低い声で話す。
昨晩、悪魔の実を持ち逃げし、組織構成員達が射殺した参謀の死体は、明るくなる前にこの屋敷に運び込まれていた。
オークションの準備どころでは無くなった仲買組織は、朝から物々しい雰囲気に支配されている。
「オークションはどうする。延期にするか」
「それこそ奴に、顔向けできん。オークションは予定通り行う。明日、この島にいる組の者だけで葬儀は行う予定だ。君も、時間が合うなら顔を出してくれ」
「あァ、勿論だ」
概ね、順調だった。
立ち上がった大頭がドフラミンゴを残し、部屋を出て行く後ろ姿を眺めて思う。
昨晩、ドフラミンゴに操られ、悪魔の実を持ち出した仲買組織の参謀は、言い訳の暇も無く射殺された。
尤も、参謀を射殺した男も、参謀も、どちらもドフラミンゴに引鉄を引かされ、互いの弾丸で死亡している。
撃った理由など、既に闇の中へと葬り去られていたのだ。
(……後は、参謀派と大頭派で組織が分裂するように仕向けるだけだ)
元々、粗暴な大頭に不満を抱き、参謀派だった構成員は多い。
だからこそ、大頭は構成員の指揮権を参謀へ渡していたのだ。
(生じた軋轢は、気付かぬうちに修復し得ない大きな裂け目となる)
ドフラミンゴは涼しい風に金色の髪を遊ばせながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
自分の手のひらで、容易く踊る人間。これこそ、最も欲しかった世界だ。
「フフフフッ……!……馬鹿共め」
「……何故、こんなことに」
白い布が、死体の顔を覆っていた。
畳の上で布団に寝かされた、死体の数は二つ。
悪魔の実を持ち逃げしようとした参謀と、それを追い、命を落とした組織の構成員だ。
その枕元に座り込み、呟いた男は白くて動かない喉元を見つめている。
「何故、だと思う……?」
「……ッ!」
返答を求めていた訳ではなかったのに、反して応えたその声に男は勢い良く振り返った。
開け放したままの襖の外に立つ、大きくて、不潔な男。
気配もなく現れたトレーボルに、男は怪訝そうに眉を顰めた。
「あの男が逃げる時に持っていた木箱の中身を……知っているかァ……?」
「……悪魔の実だろ。知ってるよ」
粘着質なトレーボルの喋り方を、嫌そうに聞いた男の台詞に、当の本人は小さく肩を揺らして笑う。
まるで、世界が息の根を止めたような、妙な静けさを感じた。
「いやァ……?違う。あの木箱の中身は、あの男の身の回りの品だった」
「……どういう事だ」
日が傾くに連れ、暗くなっていく室内。
夕日がトレーボルに遮られ、ゆっくりと、長い影が落ちた。
「大頭は、組織内に参謀派の人間が増え過ぎた事を危惧し、ドフィに殺害を依頼していてなァ……。勿論ドフィはそれを断ったが、その会話をたまたま聞いてしまった参謀は、身の危険を感じて、昨日逃げ出したんだ」
「……そ、そんな筈は、」
「無いのか?んねー?無いのかァ……?あの箱の中身を、お前、見たのかァ?」
ぐるぐると、思考が渦巻き、纏まらない。
箱の中身を見ていないのは確かだ。そもそも、現場に行っていない自分が見たのは、運び込まれたこの死体だけ。
それならば、何故、あの夜、あの箱の中身を悪魔の実だと思ったのか。
「んねー?あの箱の中身を、悪魔の実だと言ったのは、一体、誰だった……?」
そうだ、あの時、突然騒がしくなった、あの時。
組織の若頭である自分を、呼びに来たのは、部下では無かった。
「……親父、」
直々に部屋にまで訪れ、悪魔の実が盗まれたと言ったのは、紛れもなく大頭だ。
男の瞳が僅かに揺れたその瞬間を、トレーボルは逃さない。
「大頭は……お前と死んだ参謀の男は親友と呼べる間柄だった事を気にしていた。だからこそ、昨夜は、絶好の機会だと思っただろうなァ……。その証拠にあの時参謀を追ったのは、元々参謀殺害を目論んでいた大頭派の構成員だ」
この部外者を、信じていいのか、それすらも分からない。
一つ、確実なのは、唯一無二の親友は死んでしまったということだけだ。
「大頭は参謀殺害の罪をドフィに着せ、殺すつもりだろう。そうなれば、おれ達は大頭派と正面衝突せざるを得ない。おれ達が負ける事はあり得ないから、大頭は死ぬ。その時、この組織の頭はお前だ」
「参謀派の人間達は、おれに付いてはこないだろう」
「だからだ。だから、お前が殺す必要がある」
その時、瞳の奥で燃えた何かを、トレーボルは確かに捉える。
(……ああ、懐かしい)
目を覆え。我に返るな。牙も剥けない悪党に、生きる場所などこの海には無いのだ。
(……お前も、あの男の為に踊れ)
夢にまで見た、自分だけの王様。
その席に、あの男を座らせる為に今必要なのは、この、ちっぽけな男のくだらない怒り。
トレーボルはゆっくりと首を傾げ、その手のひらに小銃を握らせた。
「んねー?お前が引く引鉄には、大きな意味があると思わないかァ……?」
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