Grab a herz こんな筈では無かった。
嵐に見舞われた船の中で、罪人シーザー・クラウンは手首に嵌められた手錠を忌々しく見る。
時折激しい揺れに見舞われるその牢屋の中を、雷鳴と共に強過ぎる光が照らした。
我が城、パンクハザードは天才級の研究成果諸共、呆気なく吹き飛んでしまった。
それが、自分の行いのせいだという事は、とっくに棚に上げている。
そんな、些細なミスになど、目を瞑っても余りある頭脳を、自分は持っていると疑わないこの男が嘆いているのは、消失した可能性の高い研究成果と、こうして罪人として輸送船に乗せられている自分自身だ。
(海軍の馬鹿共め……!このおれ様を捕らえるとは……!殺し合いの進歩に何年遅れを取るか分かっていねェのか!)
パンクハザードで爆発事故を起こしてから、既に数日経過している。
一刻も早く戻り、開発した兵器の無事を確認したいシーザーは、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
この輸送船がインペルダウンに到着する前に、どうにかしてここから逃げ出さなくてはならない。
(手錠の鍵さえあれば……)
そう思った、まさに、その時。
ガチャリと金属の擦れる音が耳に届き、シーザーの眼前に大きな影が落ちた。
「……誰だお前は」
フラッシュが焚かれた劇場のように、轟音と共にパッと明るく照らされた鉄格子の中と外。
鉄格子越しに見たその男は、何がそんなに面白いのか、ニンマリと口角を上げていた。
「パンクハザードに、戻してやろうか」
その手のひらに握られた鍵の束に、シーザーはごくりと固唾を呑む。
この男は神か、悪魔か、救世主か、一体、どれだ。
「……だから、お前は一体、どこのどいつだと聞いているんだ」
傲慢なシーザーの感性が、縋り付くという行動を起こさせず、苦々しく口を開く。
相変わらず面白そうに笑う男の口元が、ゆっくりと動くのを、ただ、見ていた。
「ジョーカーと、そう呼べ」
******
「ジョォォォカァァアアア!」
「……何だ、騒々しい」
のんびりと揺蕩う穏やかな波。
船の自室で本を読んでいたドフラミンゴの平穏を殺害したのは、昨日から同乗している男だった。
気体になれる筈のその能力はなりを潜め、騒々しい音を立てながら介入したシーザーを眺めたドフラミンゴは、うんざりと本を閉じる。
「パンクハザードに向かうんじゃねェのか⁉︎航路が違うだろう⁉︎一体どこに向かってやがる!」
「シーザー……。パンクハザードは爆発事故の影響で、人間が上陸できる状況じゃァねェんだ。ガスガスの実の能力者であるお前だって、無事じゃ済まねェかもしれん。一度、ドレスローザにお前を匿う」
それはそう、としか言えない返答に、押し黙ったシーザーは、イメージよりも幾分静かな印象のドフラミンゴを憮然とした表情で見た。
まさか、窮地のシーザーを救った男が、かの有名な海賊、ドンキホーテ・ドフラミンゴだとは、あの夜は気づきもしなかったのである。
「何を、企んでいる……?良い噂は聞かねェぞ。天夜叉」
北の海くんだりから遥々新世界までやってきたこの田舎者は、あっという間に王下七武海の称号を手に入れ、ついには一国の王となった。
海賊が王位を継承した事に、世界が揺れたのは既に、五、六年も前の話。
その間この男は、ドレスローザを裕福な国へと変えた。
奴の背後でまことしやかに語られている黒い噂は、海軍に居ながら闇社会と繋がりを持っていたシーザーにとって、ごく当たり前の物である。
「……人造悪魔の実、作れるんだろう」
あの夜、鉄格子の中で眺めた顔と、同じ顔で笑う。
組んだ手のひらで口元を隠したドフラミンゴのサングラスに映る自分自身を、シーザーは怪訝そうに見た。
「だから何だ。欲しいのか?残念だが、売り先はほぼ決まっている」
「百獣のカイドウだろう。フフフフッ、知ってるよ。だが、何故カイドウにしか流さねェ?あんな金になりそうなモン、欲しがる人間などゴマンといるだろう」
「うるせェ!おれの設計は完璧だが、量産できる環境と人手がいるんだよ!まだカイドウに渡してる量だってほんの僅かだ!」
まるで、その言葉を待っていたかのように、ドフラミンゴはサングラスの隙間からシーザーの瞳を眺めている。
どこまで、何を知っているのか。それを悟らせないのは、この海で巨大なシンジケートを築く男の貫禄か。
「カイドウから何度も催促されている状況でパンクハザードの爆発事故か。困ったなァ……?シーザー・クラウン。このまま放置しておけば……世界最強のジジイが怒り狂うぜ」
知った風な口を利く、その男にシーザーは心の内で舌を打った。
この男が思うより、状況はよっぽど悪い。
人造悪魔の実開発費用として、多額の前金を賄賂として受け取っているのだ。それにも関わらず、当初予定していた数量の三分の一しか納めておらず、更には追加の賄賂を要求していたのが、つい一月ほど前の話。
加えて、海軍の後ろ盾はもう無いのだ。
今まで多少目は瞑っていたカイドウの堪忍袋の緒は、既に切れつつある。
「知った風な口を利くなよ!北の海のオノボリさんがよォ!マズイことはこのおれが一番分かってんだ!大体そんなやべーおれを何で匿う⁉︎テメェもカイドウの怒りを買うぞ!」
図星を突かれて怒鳴るのも惨めだが、後にも引けない状況である。
大きな声を上げるシーザーに、反して目の前の男は静かなままだ。
「……人造悪魔の実の工場を、ドレスローザに作ってやる。植物を育てるのが得意な種族も居る。お前はパンクハザードで材料のSADを今まで通り量産しろ」
(何故、)
一介の海賊風情が、そんな事まで知っているのか。
そもそも、四皇連中との癒着すら、海軍本部でも知るものは殆どいない筈だ。
相変わらず得体の知れないその田舎者を、シーザーは気味悪そうに見る。
「お前とカイドウの間にはおれが入る。悪い話じゃァねェだろう」
「そんな、簡単な話じゃねェ。……相手は、あのカイドウだぞ」
量産体制が整うのは願ったり叶ったり。海軍の後ろ盾を無くした今、これだけの勢力を誇る海賊に拾われたのも幸運だ。
それでも、素直に喜べない理由は、たった一つ。
この男が、怖いからだ。
「新世界で国を構えるにゃァ、四皇の傘下に下るのが常識だが……おれァそんなのは死んでも御免だ。だが、なァ、シーザー。武力で敵わない相手に勝つ方法など、この世にはいくらでもあるんだぜ」
この男が望むのは、ひとつなぎの大秘宝か、国の平穏か、莫大な金か、権力か、武力か。
そのどれとも違うようなドフラミンゴの物言いに、シーザーは未だ理解し難いその心中を、素直に怖いと思った。
「おれと、お前が組めば……カイドウの心臓を握れるんだ」