Bulls on Parade水平線に浮かぶ、黒い島の輪郭。
無数の煙突から立ち上る煙でぼやけるそれを眺めたドフラミンゴは、ゆっくりと双眼鏡を下ろす。
海図とコンパスを照らし合わせ、足早に甲板を後にした。
北の海を転々と移動しながら商圏拡大を図り、早数年。
瓦礫に集ったガキ共の集合体は組織に変わり、見られるようにもなってきた。
「オイ、島が見えた」
「おお!やっとか!住み心地は良さそうか、ドフィ」
「傍目じゃ分かんねェよ。オラ、とっとと上陸準備だ」
船室の扉を開けたドフラミンゴに、顔を向けたクルー達は暇潰しのトランプをテーブルに投げ捨てバタバタと席を立つ。
「"大富豪"か」
「おうよ。今んとこ、王様はこのおれ様だ」
「フフフフッ……!オイオイ、その手札じゃァ上がれねェだろう」
ディアマンテが放り投げた手札はたった一枚。
"ジョーカー"を眺めたドフラミンゴは、からかうように言う。
「"切り札"に取っといたら残っちまったが……良いタイミングだぜドフィ!ホラホラ野郎共、このゲームはおれの勝ち逃げだ!上陸準備上陸準備」
「ったく、男らしくねェ王様だな!」
ディアマンテの態とらしい台詞に、セニョールが言いながら煙草に火を付けた。
クルー達が放り投げたカードの山に埋もれていくその"切り札"から、ドフラミンゴは呆気なく目を逸らす。
「……住めば都だと良いがな。あの島は……"悪党"と"労働者"の吹き溜まりだ」
クルー達を伴って、甲板へと続く扉を潜ったドフラミンゴは、風に煽られた柄の入った派手なシャツの襟を正す。
ここまでくれば、グランドラインも見えてくるのだ。
「"スパイダーマイルズ"……ここに拠点を置き、商圏拡大と、グランドラインへ入る準備を行う」
******
「拠点ってもなァ……。若、アテはあんのか」
「フフフフッ。ねェなァ。来たのは初めてだ」
「天井が高ェところがいーなァー。窮屈なのは船室だけで充分だぜ」
「おれは若が気に入ったところが良い」
「そりゃお前はな、グラディウス……」
「広いところはマストだな。人員も増えた……コラソン、お前も希望があるなら言え」
「……」
上陸したスパイダーマイルズは、日雇い労働を求め集まってきた労働者達と、違法な商売で財を成すマフィア達の巣窟である。
その陰鬱とした背景に違わず、薄暗く煙る港町は殆ど工場と倉庫に埋め尽くされていた。
寂れた酒場に入り込んだドフラミンゴ、ディアマンテ、セニョール、グラディウス、ロシナンテは新たな根城を探す手立てを見つけている最中である。
好き勝手に希望を言うディアマンテの横に座る、つい最近再会を果たし、"コラソン"の席に座らせた"弟"は、ドフラミンゴの問いかけに"とくにない"と書かれた紙を差し出した。
「欲の無ェ男だぜ!段差の少ないところとか、色々あるだろお前は」
「「それはそう」」
「フッフッフッ、そう言うな」
上機嫌に笑ったドフラミンゴが酒瓶を傾け、未だ他人行儀なロシナンテのカップへ注いでやる。
"あの時"生き別れた唯一の肉親が、こうして自分の元へ"戻った"という事実は、ドフラミンゴにとって大きな意味がある。
その、肯定とも呼べる事実に多少、浮足立っているのは確かだった。
「若は何か希望はありますか?」
「……あァ?おれァ……、」
不意に、グラディウスの視線を受けて、ドフラミンゴは考えるように顎を擦る。
正直、機能性以外にそう興味は無かったが、そういえば、"一つだけ"。
「アー、でけェダイニングテーブルが置きてェなァ。全員座れるぐれェの……」
「「「「……」」」」
あまりにも、平和じみた台詞を吐いたドフラミンゴに、四人は同じモーションで瞬いた。
そして、次の瞬間、椅子を蹴って立ち上がったグラディウスを合図に、ディアマンテとセニョールがドフラミンゴの肩を両側から抱く。
「全員座れるダイニングテーブル頂きましたァアアア!神速でお持ちしまァアアアす!!!!!」
「いや、拠点が決まってからだろ。あと恥ずかしいから大きな声を出すな」
「いやいや若、同時進行で探そうじゃねェか。ウチはデカい奴が多い。特注しなきゃならないかもしれねェだろう」
「そうだぜドフィ。メシは皆でがウチのルールだ。拠点を移したら初日から皆で食卓を囲もうな」
「……」
一人だけ冷静なロシナンテは、一体何を見せられているのか理解するのは諦めたように、煙草の煙を吐き出した。
その時、周りの喧騒とは微妙に異様なざわめきを醸し出していたドフラミンゴ達のテーブルに、酒瓶が置かれる硬い音が響く。
「お兄さん達、働き口を探しに来たのかしら」
「……誰だ、あんた」
突然声を掛けてきたのは、高級そうなスーツを着こなした、見知らぬ大柄な女だった。
顔半分を覆う火傷痕が目を引くが、色素の薄い肌と髪を携え、割りと、美しいのではないかと思う。
「この街の職業安定所を管理しているの。見ない顔だったから、貴方達もこの島に仕事を探しに来たのかと」
「いや。そういう訳じゃァねェから結構だ」
「そう。それは失礼。お詫びに一本どうぞ」
断りを入れたドフラミンゴの前に、酒瓶を押し出した女は分厚いロングコートを肩に掛け、颯爽と踵を返した。
そして怪訝そうにその背中を見送るドフラミンゴ達を、カタギとは思えない貫禄で振り返る。
「スパイダーマイルズへようこそ。ゆっくりしていきなさいな……"坊や"」
その瞬間、既に出口へ向かう女の背中へ、グラディウスが銃口を向けた。
その引き金が引かれるタイミングで、グラディウスの腕に飛び付いて来たのは、この店の店主。
「馬鹿馬鹿馬鹿、やめとけ!あの女に手を出してみろ!国家戦争レベルの戦力を引っ提げて迎え撃つぞ!!」
「黙れ!!!部外者は引っ込んでいろ!!あの女……若を侮辱しやがった!!」
「いやおれの店でドンパチは辞めろ!!!!」
唐突に起きた揉み合いに目もくれず、ドフラミンゴはゆっくりと遠ざかる女の背中に手のひらを向け、思い直したように下ろす。
「よォ、"フライフェイス"のお嬢ちゃん。あんた、名前は」
この街を取り巻くマフィア達は、潰し合い、拮抗しながらしのぎを削り合っていた。
この街で商売をするのならば、その潰し合いに参戦することは明白である。
そうなれば、利用価値も分からぬ組織に無闇に噛み付くのは時期尚早なのだ。
ドフラミンゴの問いかけに、薄く笑う唇はゆっくりと開く。
「……内緒」
つれない台詞を残し、去ったその背中にドフラミンゴは瞳を細めて口角を上げる。
いつか食い千切る首の面影を忘れぬよう、閉まりゆく扉をただ、眺めていた。
******
(本当に殆ど工場と倉庫だ……。あとは安宿か。暫くは船にいるしかねェなァ)
酒場を後にしたドフラミンゴ達は、買い出し組のジョーラ達と合流し、ドフラミンゴ以外は荷物を持って船に戻った。
少し街を見て回りたいと思っていたドフラミンゴは、一人で市街地を彷徨っている。
世界政府非加盟国であるこの島に、海軍の加護は届かず、その結果吹き溜まりと化した訳だが、それは悪党には都合が良い。
横槍を入れられる事も無く、商売と準備に掛かる事ができると踏んでいたが、ドフラミンゴのお眼鏡に叶う根城は未だ無かった。
「……ここは、」
街のハズレまで辿り着いてしまったドフラミンゴは、目の前に広がる懐かしい光景に足を止める。
積み上がる瓦礫と廃棄物。
必要な物など一つも無い、ゴミの山。
街中から集められた廃棄物が投棄されているのか、うず高く積まれたゴミが時折崩れる音が響いていた。
「……戻るか」
ここにも倉庫らしき建物は見えるが、ゴミ捨て場に"戻る"つもりも無い。
踵を返したドフラミンゴは、不意に視界の端でゴミの塊が蠢くのを捉えた。
「……あ?」
「ぐほ!!ゲェッホ!!!いやはやいやはや……九死に一生……」
ゴミ山の下から這い出てきたのはまさかの老人で、ドフラミンゴは思わず間抜けな声を漏らす。
ドフラミンゴの存在に気が付いてもいないのか、酷く汚れた老人は、よく分からない独り言を呟きながら大きく伸びをした。
「……あんた、何してんだ」
「今日は天気が良いのう。育てとるサボテンは元気か」
「耄碌してんのかジジイ……。誰かと間違えてんぞ。おれはサボテンなんぞ育てていない」
「ワッハッハ!そりゃァ失礼」
噛み合わない会話に、面倒な奴に話し掛けてしまったとドフラミンゴが後悔する横で、老人はゴミ捨て場から街へと続く道へ上がる。
「宝探しか?」
「いやいや、悪巧み中でな。兄ちゃん、あんたこそ見ない顔だな」
「今日この街に来たんだ。爺さん、この街は長いか」
「ああ、長いぞ。この街でおれの名前を知らない奴はおらん」
「フッフッフッ!そうかい。なァ、おれも悪巧みがしてェんだが、アジトに使える良い建物を知らねェか。誰かの所有物でも構わねェ。殺して奪うからな」
冗談半分で、老人の前にしゃがみ込んだドフラミンゴの台詞に、その眼球が皺の奥で動く。
僅かに、得体の知れない凶暴な光を含んだその瞳をサングラスの奥で眺め、思わず息を呑んだ。
「兄ちゃん、"悪党"か」
「あァ、そうだ。ファミリーの頭だ」
「……そうか」
同じ倫理観を持ち合わせる者同士でしか、垣間見る事は出来ない"牙"の類。
この海では、噛み付く牙を持つ人間と持たない人間の分別がある。
その、牙の気配を唐突に感じ、ドフラミンゴは訝しげに瞳を細めた。
「ワハハハ!!そうは見えんな!!チンピラかと思ったぞ!!!」
「あァ?!」
突然、その牙の気配が消え失せて、代わりに聞こえた聞き捨てならない台詞。
今日は、同じような事が多い。
ガラの悪い声を上げたドフラミンゴに臆する事も無く、老人はゆっくりと歩き出した。
「頭を張るならスーツにしなさい。スーツは良い。格好良いからのう」
「深いようで浅い」
最早呆れ混じりにドフラミンゴが言うのを笑い声で返し、老人はゆっくりと倉庫のような建物へと歩いていく。
まさか、こんなところに住んでいるのかとドフラミンゴが見送る背中が止まり、振り向いたその顔は、再び"牙"の気配を感じた。
「あんたァ、あんまり似合わなそうじゃがのう」
「……」
ピキ、と額が力むのを感じ、ドフラミンゴは思い切り口角を下げる。
グラディウスを諌めた手前、何か起こす訳にはいかない安い船長面を忌々しく思った。
『チンピラかと思ったぞ!!!』
『ゆっくりしていきなさいな……"坊や"』
収まらないイラつきを隠すこと無く舌打ちをして、ドフラミンゴは老人とは反対側に歩き出す。
いずれ破壊するこの世界の歯車達に、構っていられる程暇では無い。
その平穏を崩す力を、一刻もはやく手にしたいのだ。
(どいつも、こいつも……)
「あら、おかえりなさい。若様」
「ってオイオイオイオイ。お前、どこ行くんだ。今帰って来たばかりじゃねェか」
「……スーツ買ってくる」
「どうした急に」
「………………………うるせェ」
その後、唐突に船に戻ったドフラミンゴは、一度船長室に入り、珍しく騒々しい足音を立てて甲板に現れた。
再び島の方へ飛び立とうとするドフラミンゴに、甲板で一部始終を見ていたクルー達が心配そうな声を上げるが、あっという間に飛び去ってしまう。
今まで割りと、上の年齢に見られる事が多かったドフラミンゴが受けたその屈辱を晴らす術は、齢二十四の若造がいかにも思いつきそうな物であったが、本人は気が付いていない。
"似合わなそうだ"という侮辱も相まって、"それ"を着る以外、彼に選択肢は無いのだ。
こうして、ドフラミンゴは最優先事項であるアジトの前に、スパイダーマイルズで臙脂色のダブルスーツを手に入れる事となる。
******
「お、また来たな。拠点は見つかったのかい」
「あァ、候補はいくつか見つかった。あとは決めるだけだ」
「そりゃァ良かったな。"鉄砲玉"も安心だ」
「殺すぞ貴様」
島に滞在して二週間が過ぎた。
ファミリー内でも意見を出し合い、何となくではあるが希望する間取りも見え、候補地もいくつか発見できた頃。
"用事"を抱えたドフラミンゴは、グラディウスを連れて既に行きつけとなりつつある酒場に入ると、カウンター席へ並んで座った。
初対面で掴み合った店主とグラディウスは謎の方向に親密度を上げており、ドフラミンゴはその様子を不思議そうに見る。
「今日は随分キメてるな。どこか行くのか」
「オイ、口には気を付けろ。若はいつでもソークール、ソーエクセレントだ」
「ウンウン、そうだな」
「……あの女と傘下の組が集まる会合に呼ばれた」
先日仕立てたダブルスーツを身に着けているドフラミンゴに、店主が言うと何故か先にグラディウスが口を開く。
全てのやり取りを無視したドフラミンゴの言葉に、店主はうんざりと顔を顰めた。
「オイオイ、物騒だな。何やらかした」
「知らん。来いと言うから行ってやるだけだ。丁度暇だしな。この街の力関係を把握する良い機会だ」
「ドンパチはやめてくれよ。ただでさえ、毎日どこかしらで揉め事は起きているんだ」
潰し合うか、迎合するか。この時代の縮図のようなこの街で、大きな勢力を持つ組織は三つ。
その内の一つにして、この街最大の火力を保持している組織のボスは、初日に出会ったあの"フライフェイス"だった。
彼女に招待を受け、これからその本拠地に向かうのである。
「……そういえば、ゴミ処理場で妙なジジイに会ったが」
「ああ、そうか。絡まれたか」
「何だ、有名なのか」
酒瓶が二つ出されたところで、ふと、ドフラミンゴは何の算段もない台詞を吐いた。
情報通の店主は勿論その存在を知っているようで、僅かに口の端を歪ませる。
「昔、この街で一大勢力だった組織の元頭領だよ」
「ヘェ……そうか。隠居してゴミ漁りたァ夢が無ェなァ」
「昔は格好良かったんだぜ。ビシッとスーツでキメてさ。昔もこの辺はゴロツキだらけだったが、あの人に楯突く奴はいなかった」
「組織はもう無いのか」
全てが過去形で語られる、店主の口調にドフラミンゴは怪訝そうに瞳を細めた。
店主は少しだけ悲しそうに笑うと、拭いていたグラスを棚に戻していく。
「本当は息子が継ぐ筈だったんだが……その息子がどっかの島で天竜人の前を横切ったって難癖付けられて奴隷として連れてかれちまったのさ。数年後、戻ってきたのは酷い有様の死体だけ。そっからずっと、あの調子だ。部下も付き合い切れなくなって皆街を出て行き、組織は崩壊。あの爺さんだけが、ずっとゴミ山に籠もってる」
この海に生きる者全てに降り掛かる可能性のある"災厄"。
その被害者に、この男が同情する事は無い。
むしろ、その被害者達こそが、この男の怒りの原点である。
ただ、一つ、気掛かりなのは、未だ折れない"牙"の気配だ。
(何を企んでいやがる……)
被害者はいつしか加害者に変わる。
それを知るドフラミンゴだけが抱く、あの眼球の光が仕出かす報復への危機感。
あの老人は、耄碌などしていないのだ。
「……何をしているんだ」
「チェックだよ。チェック」
思考の渦に嵌りかけたドフラミンゴの耳に、グラディウスの声が入り込む。
思わずそちらに目を向ければ、店主が売上金であろうベリー札を一枚一枚明かりに向けて眺めていた。
「聞いてないのか?最近スパイダーマイルズでニセ札が出回ってんだよ。あの女の取引にも紛れ込んだようで、いつ疑惑を向けられるかと敵対組織の連中はヒヤヒヤしてる」
「ニセ札?面倒だな」
「全くだ。ニセ札掴まされちゃァ商売上がったりだからなァ。お前らも気を付けろよ」
「そりゃァ、どうも」
"正義"の横槍が無い代わりに、あっちもこっちも火の付いた火薬庫だ。
いつ大爆発を起こすとも知れないその不穏な気配に、ドフラミンゴはため息を吐いて酒を煽る。
(さっさと腰を据えた方が良さそうだ……)
荒れるならば、陣が要る。
ドフラミンゴは飲み干した酒瓶と、紙幣を数枚取り出すと、グラディウスに目配せをして立ち上がった。
******
「指を切っても、目を潰しても、奴らは知らないの一点張り。こちらとしても落とし所は必要でね。早い話が、早期に解決をしたい訳だ」
「フフフフッ……!その"落とし所"を、新参者におっつけようってのか、"フライフェイス"」
彼女の組織はいくつかの倉庫を占拠し、違法な商売と職を求めて集まる労働者への職業斡旋を行っていた。
斡旋先であるこの街の工場との癒着は明白で、そうなればこの街全体を実質支配しているのは彼女という事になる。
権力者らしく、殺風景な倉庫内に設置されたチェアに悠々と座った女は、その眼の前に置かれた大きな円卓を囲む傘下の幹部連中を見回してから、頑なに、その円卓には着かず、ポケットに手を突っ込んだまま立つドフラミンゴに視線を向けた。
話は、例の"ニセ札"の件。
取引先の組織からニセ札を掴まされたこの女は、息をするように相手方組織の幹部を拷問にかけたと言ったが、それは無駄に終わったようだ。
「そうは言っていないが、君がこの島に来てからニセ札騒動が頻発しているんだよ、ドフラミンゴ君」
言いたいことは、きっと、それが全てなのだろう。
この女を前にして、傘下の連中は延々と口を閉ざし続けていた。
「しかし、我々は君に聞きたい事など一つも無い。更に、ここは託児所でもロースクールでも無い。態々君に、この街のルールを教えてやるつもりも無いが、一つ、言えるのは、私の前に立ちはだかる者は全て殲滅するという事だけだ。よく覚えておきなさい」
背後に立つグラディウスの周りで色めき立つ空気。
それでも、"キレるな"と事前に言われた命令を、その忠実な青年は守り抜いていた。
(……中途半端な奴らだ)
均衡など、全て殺し尽くす気概のない者達が、束の間の平穏を舐め合っているだけに過ぎないお遊びだ。
そのお遊びに、付き合うつもりも無いドフラミンゴはゆっくりと口角を上げる。
「おれは、聞きたい事が一つある」
こんな小さな街で生温く拮抗し合う、愚かで残虐なフダツキ共。
御多分に漏れず彼らは、ずっと前からこの男の標的だ。
「何故、そう思った段階でおれを殺しに来なかった?均衡か?大義か?証拠か?同情か?はたまた、このおれがご自慢の"円卓"でお茶会に参加するとでも思ったのか?この瞬間、既に、テメェは遅れをとった」
ビリビリと揺れる空気に合わせ、円卓に着く傘下の連中が一人、二人と椅子から転げ落ちていく。
その様子を眺めていた女の瞳が、ゆっくりと細くなった。
("覇王色"持ちか……。とんでもないのが来たな)
王の器と言うには、あまりにも凶暴過ぎる。
その腹に巣食う獣のような本性を、この街はきっと、呑み込むことはできないのだろう。
「おれが……この街のルールを守る必要は無い。その円卓に着く必要も無い。お前が信じる均衡主義に感化される必要も無い。……全ては弱者の行いだからだ」
「お山の大将を気取りてェのなら勝手にしろ。ただ、おれの上にお前が立つ事は無い」
「人間風情に取れる選択肢二つ。おれに従うか、死ぬかだけだ」
まるで、神のような物言いをするその若造を眺め、女はやがてため息を吐く。
そうやって、全て捻じ伏せてきたのなら立派だが、そうするには磨り減る物が多過ぎると知っている。
(気の毒な男だ……)
******
「あんたずっとこんな所に居るのか」
「おお、久しぶりじゃのう。サボテンは元気か」
「だからおれはサボテンなんぞ育てちゃいねェ」
女の元を後にしたドフラミンゴは、グラディウスを先に帰し、再び街外れのゴミ処理場へ足を運んでいた。
まさか、こんな夜更けに現れるとも思っていなかった件の老人は、倉庫の階段に腰掛けてゴミ山の先の海を眺めている。
相変わらず噛み合わない会話を繰り返す老人は、深い皺の刻まれた瞼をゆっくりと開いた。
「良いスーツだな。やっぱり男はスーツだ。格好いいからな」
「……そうかよ」
若干辟易としながら階段を昇ったドフラミンゴは、老人の背後に立つが、呑気にも、その老人の小さな背中が振り向く事は無い。
階段に設置された常夜灯が、色濃い影を生み出した。
「聞いたぜ。あんた、この街で結構な勢力を持ってたんだろう」
「のうのう、ずっと気になってたんじゃが、なんで夜なのにサングラス掛けとるんじゃ。しかも何か形おかしくね????」
「……ほっとけ!!!ブチ殺すぞクソジジイ!!!!」
やっと振り向いたその老人は、あまりにも間抜けな台詞を吐き出し、思わず乗ってしまったドフラミンゴは、自分の浅はかさを諫めるように額を撫でた。
諍いと暴力、回り続ける機械の音。煙る視界。
夜でも喧しい筈のスパイダーマイルズで、ここだけは、妙に静かだ。
「息子が天竜人に殺されたんだってなァ……あんた、何か仕出かすつもりがあるだろう。報復か?」
気掛かりなのは、"奴ら"と同じ、"被害者"の眼球。
この老人は、ドフラミンゴにとって紛れもなく牙を剥く隣人だ。
再び前を向いてしまった老人は、黙ったま、飽きることなく真っ黒い海を眺めている。
「聞き出すのが下手じゃのう若造。武力があればここまでは来れるが……今後、武力で敵わん相手を、あんたどうやって捻じ伏せる」
静けさの合間を縫うように、呟かれた台詞をドフラミンゴの耳が捉えた。
何となく、言葉に詰まったのは図星だからだ。
この男は全ての人間を愚かだと決めつけてはいるが、馬鹿でも無ければ、自分の力を過信してもいない。
そして、誰かの上に立ち続けてきたドフラミンゴに、手本を示す存在はいないのだ。
ここ最近抱いていた懸念を刺すようなその言葉を、ドフラミンゴは誤魔化すように舌を打つ。
「担ぎ上げられるのは意外と簡単。この世には……下に付きたがる人間というのは驚く程多い。下の連中が望む姿を、死ぬまで見せ続ける事ができんなら、誰かの上に立つなァ辞めた方が身のためじゃろう」
ゆっくりと立ち上がった老人は、頼りない首を傾けてドフラミンゴを見上げた。
その皺だらけの瞼の奥で、相変わらず明瞭な光を放つ獣のような眼球。
「年をとると説教臭くなるのう……。"素質"ある若造には口を出したくなるもんなんじゃ」
言って、笑った、その言葉の意味を、理解できないドフラミンゴは、素直に眉間に皺を寄せる。
"何も"知らない筈のこの老いぼれが、何故、ドフラミンゴに素質などを見出すのか。
「あんたァ、出会った時からずっと"怒っとる"。普通の人間はそんなに長い間怒っていられんよ。だが、なァ、この海じゃァ怒れる事には、大き過ぎる価値がある」
分かるような、分からないような事を言いながら、老人はゆっくり階段を降りて行く。
その背中を眺めたドフラミンゴは、小さく息を吐いた。
「こんな老いぼれの"悪巧み"なんぞ、眼中に入れてちゃァ呆気なく死ぬぞ。わしの、老い先短い怒りの類で残せる爪痕なんぞ何もない」
カン、カン、と軽い音を立てて去っていくその背中は、言いようもない程"孤独"である。
それに、感慨を抱く程真っ当な感性を持ち合わせていないドフラミンゴは、ただ、全盛期のその生き様に、少し興味を抱くだけだ。
(……結局、はぐらかされたな)
そうは思うが何故か、悪い気はしない。
それが、奴の言う武力以外の力の一つか。
ドフラミンゴは小さくなるその背中をしばらく、眺めていた。
「あの女許せん!絶対!!殺してやる!!!!」
「いやもう帰れよ。閉店だぞ」
「だがな、若はやはり最高にクールだった。あんな……ウゥ……若……格好良い……グスッ」
「え、何で泣いてんの、怖い」
一方その頃、グラディウスは積もりに積もった怒りとストレスを酒にぶつけ、店主に絡み酒をキメていた。
******
「……なんだ、騒がしいな」
「どうせまた、組同士の抗争でも起きてんだろ。火事と喧嘩がこの街の華だぜ」
呼び出しを食らった会合から数日後、拠点候補地を下見していたドンキホーテ・ファミリーは、僅かに騒がしさを増した大通りに多少、身構えた。
ディアマンテが呑気に言うが、逃げ惑うと言うよりは、火事場に野次馬へ向かっているように見える人の流れを怪訝そうに見遣る。
「オイ、何があった」
セニョールが足早に何処かへ向かう男の肩を掴むと、煙草の煙を吐き出しながら問う。
カタギには見えないその男は、鬱陶しそうな顔でそれでも足を止めた。
「ニセ札事件の犯人が捕まったらしい」
そう言って去っていった男の向かう方向に、僅かに人集りが見える。
興味本位と野次馬根性で、ドフラミンゴ達もそちらへ、誰ともなく歩き出した。
「……」
人間と人間の間から覗く、"見覚え"のある老人。
数人に取り押さえられ、地面に跪くその老人に、銃口を向けていたのはあの、"フライフェイス"だった。
「ゴミ処理場でニセ札を作ってたらしい。……スパイダーマイルズで使ってみて、バレなそうだったら天上金に紛れ込ませるつもりだったらしいぜ」
ドフラミンゴの耳に届く、誰とも知らない声。
それでも、その怒りの類を理解した。
『わしの、老い先短い怒りの類で残せる爪痕なんぞ何もない』
分かっていながら、あの老人は加害者に変わることを望んだ。
それは、最早人間の習性とも呼べる哀れな防衛本能。
「ドフィ、」
こちらに背を向けた、女の銃口が火を吹く瞬間、その腕が操られたような滑らかさで跳ね上がる。
空へ向かって放たれた弾丸は、何も貫く事は無く、ただ耳を劈く銃声を響かせただけだ。
人集りを押しのけ、ゆったりと騒動の中心へと進み始めたドフラミンゴを、ファミリーさえ怪訝そうに見る。
「……何の用かな、坊や」
ドフラミンゴの糸が絡んだ右腕は、未だ空へ銃口を向けている。
振り返った女の瞳が、獰猛に赤い光を上げた。
その問いかけと眼光を無視したドフラミンゴは、取り押さえられた老人の鼻先へガラ悪くしゃがみ込む。
「おお、久しぶりじゃ。サボテンには音楽を聞かせると良いらしいぞ」
「……だから、おれは、サボテンなんぞ育てちゃいねェ」
お決まりの、噛み合わない挨拶をして、嬉しそうに笑った老人をドフラミンゴはサングラスの下で見下ろした。
弱者は死に方を選べない。
その不文律を、この老人はこれから享受する。
「爺さん、おれが、一体何に怒っているのか教えてやろうか」
怪訝そうに揺れた、その瞳を満足そうに眺め、ドフラミンゴはゆっくりとその耳元に顔を寄せた。
この男の怒りを肩代わりするつもりも無ければ、意志を継ぐつもりも無い。
ただ、一縷の"希望"を、その孤独な背中にやっても良いかという、ただの気まぐれの一種。
「 」
誰にも聞こえないような低い声音で呟かれたその台詞に、老人の瞳が憐れみの色を含む。
それでも、その皺だらけの手のひらが、ドフラミンゴの柄シャツを掴んだ。
「喰ろうてくれるか、あの、悍ましい神々を」
「ああ、引きずり降ろしてやるよ」
静まる事を知らない、その瞳の内の凶暴が、パッと明るく炎を上げる。
その様を眺めたドフラミンゴは、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、傍らで立っていた女の腕は、糸が切れた人形のようにガクリと下がる。
去っていくドフラミンゴを彼女は訝しげに眺めていたが、口を開きはしなかった。
「後は、頼む……あんたァ、おれの"切り札"だ」
後ろ手に、手を振りながら歩き出したその背中で、響く、3発の銃声。
潰えたその生命の価値は、この街では酷く軽い。
未だ訝しげな顔をしていたファミリーを、顎で促したドフラミンゴが振り返る事は無かった。
「馬鹿言うな。これは、おれの野望だ」
******
「あー、まー、確かに静かで良いかもしれねェな。ダイニングテーブルも置けるし」
「眺めはお察しだが、居心地は良いかもしれねェな。若、ダイニングテーブルは明日届くぞ」
「こんな良い場所を見つけていたなんて……流石若だ。ダイニングテーブルはどこに置きますか?」
「……ダイニングテーブルから離れろ」
この島に上陸してから、およそ三週間が過ぎた。
ようやく決めた"拠点"は、街のハズレのゴミ処理場倉庫。
勝手に占拠するのが悪党の流儀とばかりに、いの一番にシャッターへ「DDF」とマーキングを施した。
続々と船から荷物を運び込んでも、広い倉庫内は未だ広々としている。
「わかさま、これはなんですか??」
「ああ、フフフフッ!"先代"の忘れ形見だ。取っておけ。いつか使えるかもしれん」
いくつかある部屋の一つに置き去りにされていたのは、ガラクタを組み合わせて作られた"印刷機"だ。
その正体を知らぬベビー5は、大きな瞳を瞬かせて、ドフラミンゴを見上げている。
「ドフィ。あの女頭領のとこの使いだ。ニセ札事件の検証の為にここを調査したいらしいぞ」
「追い返せ。別に殺しても良い。ここは既におれのナワバリだ」
「はいよ」
突然姿を見せたディアマンテに、考える素振りも無く応えた。
そうなることなど、ここを拠点にすると決めた時から分かっていたのである。
ぶつかる準備も、勝てる算段も有るならば、迎合する必要は無いのだ。
『武力で敵わん相手を、あんたどうやって捻じ伏せる』
ただ、未だ答えの出ない懸念。
やっと言語化されたその懸念は、これから手にしなければならない"力"の一つ。
(駆け上がらなければ……落ちるだけだ)
それだけが、この男が恐れる唯一の結末。
落ちた先に、希望など無い事はガキの頃から理解していた。
ドフラミンゴは船から下ろした自分の荷物を抱え、自室となる予定の部屋の扉を開ける。
一番先に買ったばかりのスーツを取り出すと、シワにならないよう、とりあえず窓枠に掛けた。
臙脂色の上等な生地を眺め、そういえば、終ぞ"似合っている"とは言われなかった、などと、くだらない事を思う。
その心残りとも呼べる多少の引っ掛かりを消し去るように、ドフラミンゴは窓を開けてゴミ山の先の海をしばらく眺めていた。
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若様にも24歳だった時があると思うと感慨深いですね(怪文書)