エンド・オブ・ストリング『若様ですか?はい、元気です。最近は特に!ご飯もたくさん食べています』
きっと、大き過ぎる受話器を抱えているであろう、幼い声音を聞いた。
この身分では、電話を掛けるのも一苦労だが、ヴェルゴは暇を見つけてはこうして幼い彼女を電話口に呼び出している。
「いつもすまないな。ドフィを頼むぞ、ベビー5」
『はい!あと、それと、』
ミニオン島の雪景色が未だ、鮮明に浮かぶのだ。
心臓部分を撃ち抜いて、無事でいられる者などいない。
直接聞いても大丈夫だとしか言わないであろうあの男の様子を、ベビー5はいつも、丁寧に教えてくれていた。
「……?なんだ」
「若様が、」
臓器が一つ、空白になってから、数ヶ月。
彼らはじきに、グランドラインへ向けて旅立つ予定だ。
『若様が、私とばかり話していないで顔を見せに来いと言っています』
「……」
その時、受話器の向こうで押し殺したような笑い声が聞こえ、ヴェルゴはつい、押し黙る。
変わりないのなら、それで、良かったのだ。
「……近々、帰ると伝えてくれ」
サングラスの上から瞳を覆い、ヴェルゴが低い声で言う。
目の前の奇妙な虫は、少女の満面の笑みを真似て、「はい!」と良い返事をするのだった。
******
白い砂浜に、青い海。
元々、武器工場があったこの島の所有者は既にこの世にはいない。
ドンキホーテ・ファミリーが取引を始めた直後に起きた工場火災で、武器弾薬の類と一緒に燃え尽きたのだ。
その後放置されたこの島に、出入りする者はいない。
(相変わらず……外面の良い島だ)
ボストンバッグを手に、砂浜を踏みしめる足元はビーチサンダル。
この島に革靴で来ても良いことなど無いのだ。
相変わらず焼け野原な反対側に反して、まるでリゾート島のようなこちら側の海岸を眺めたヴェルゴは白いTシャツにジーンズというラフな格好である。
『少しくらい休んだってバチは当たらねェだろう』
ベビー5との密談に割り込んだあの男は、数日後ヴェルゴにこの島の永久指針を送りつけてきた。
長い歳月を共にする中で、いつの間にか恋人の真似事をするようになった筈だが、確かに、ミニオン島以来顔も見せていないのは、些か薄情というものだ。
そう思ったヴェルゴは一週間の休暇を手に入れて、この二重人格とも言える島に降り立った。
「……はやかったな!」
その時、突然太陽の光を遮る何かが頭上に現れ、砂浜に落ちた大きな影へヴェルゴは視線を向ける。
砂浜へ、水鳥のように降り立った人影は、頭からスッポリ被っていたフード付きのマントを翻し、ゆっくりと振り返った。
「用心深いな」
「フフフフッ!別に、バレねェためじゃァねェよ。なんだって揉み消せる。これは、ラオGを撒いてきた。あのジジイ、おれの事をまだティーンだと思っていやがる」
「護衛も付けないで、か」
「フッフッフッ……!あァ、まだそれを言いやがるんだぜ」
フードの下から現れた金色の髪が、太陽の光を受けて光る。
その金色を、眩しそうに眺めたヴェルゴは、刈ったばかりの自分の坊主頭を掻いた。
「久しぶりだ……ドフィ」
「ああ。随分男前になったな、ヴェルゴ」
ドフラミンゴも少し髪を切ったようだが、その僅かな変化を電伝虫は伝えはしない。
この先も、ずっと、彼のあらゆる変化を、一番はじめに知る事は出来ないのだ。
そんな、与えられた職務への不満にも取られかねない我儘を、この男が口にする日もきっと来ない。
それでも、こうして二人ぼっちになれるのは、自分にしか許されていない特権だと知っていた。
それで全てをチャラにする。ゲンキンな自分自身は既に、その金色に手のひらを伸ばしていた。
「ドフィ、会いたかった」
******
「ベビーが頻繁に電伝虫を持って消えやがるから、男でも作ったかと思ってな」
無人島と化したこの島に、ドフラミンゴはファミリーにも悟られず、こっそりヴィラを建てていた。
白い砂浜に映える、赤いレンガ造り。大きな窓ガラスは太陽の光を遮らない。
そのリビングに用意されていた昼食を、ヴェルゴとドフラミンゴは囲んでいた。
(……確かに、元気だ)
美しい所作でフォークを操る手のひらは次々と食事を口に運び、その喉元が上下する。
あまり、ものを食べている印象の無いドフラミンゴに、食欲の気配を感じるのは初めてだった。
「いつもより、よく食べるな」
「あ?」
行儀悪く、肘をついてパスタをフォークに巻き付けてはいるが、やはりその所作は美しい。
今までの話題をぶつ切りにしたヴェルゴの台詞に、ドフラミンゴは間抜けな声を上げた。
「……最近、どうもよく眠れるんだ。夢も見ねェ。よく眠れるからか、腹も減る」
「良いことじゃないか。健康第一だぞ。おれ達ももうすぐ、三十だ」
「フフフフッ……!嫌な会話だぜ」
ドフラミンゴは殆ど眠らない。それを、ヴェルゴは知っていた。
同じ寝床に入っても、ドフラミンゴが先に眠る事は無い。
「ベッドに入ると、すぐに記憶が無くなって、気づいたらもう朝だ。気を失っているようで妙でもあるな」
「疲れているんじゃないか?おれもハードな任務の後はそうだ」
「どうだろうなァ……。自分じゃァ分からん」
その時、ドフラミンゴがいつも着けていた筈のピアスが、片方無くなっている事に、ヴェルゴは目ざとく気が付いた。
左耳だけになったピアスに、気付いている様子も無い。
「ドフィ、お前、」
あの島を境に、僅かな変化を見せた自分の王様。
まさか、撃ち抜かれた心臓部分は、何かを持って行ってしまったのだろうか。
「何だよ。ヴェルゴ」
次の台詞を促すように、視線を上げたドフラミンゴへ、ヴェルゴはついぞ、何も、言わなかった。
******
「本当に、グッスリだ」
日の落ちた島内は、遠くに波の音を奏でる程度で、酷く静かだった。
開け放したままの大きな窓から吹き込む風でカーテンが揺れ、酷く心地よい寝室。
シルクのシーツに包んだドフラミンゴは、ほんの、一、二分で静かな寝息を立て始めた。
一応、やる気はあったのだが、こうもグッスリ眠られては手も出せない。
ドフラミンゴの髪を撫でるヴェルゴの首元で、ドッグタグだけが少し、耳障りな音を立てた。
(まるで、何かに消費されているようだ)
今までよりも、エネルギーが必要になった理由など、離れているヴェルゴには分からない。
それでも、妙な焦燥と怒りは、静かにヴェルゴの足元に燻り続けていた。
(……コラソン)
同じ名前を授けられ、別の行動を起こした男が二人。
死んだからこそ尚更に、ヴェルゴはあの男を許せない。
「……コラソン、」
その時、ドフラミンゴが譫言のように呟いた台詞を聞いて、ヴェルゴのこめかみで細い何かが張り詰めた。
死んだ人間には敵わないと、ヴェルゴはどこかで理解しているのだ。
「……」
ヴェルゴが無言でドフラミンゴの頭を引き寄せると、その腕がヴェルゴの首に回る。
既に、自分はこの男の心臓ではない。だから、何も応えなかった。
「……!」
その瞬間、ヴェルゴの腕がグズグズと何かに埋まる。
驚いて視線を向けた先で、ベッドの中に沈んで行く自身の腕を見た。
「……?!い、糸に……」
ベッドが細い糸の群れに変化している。
ヘッドボードが徐々に崩れ、ドフラミンゴとヴェルゴを飲み込むように太い糸の束となって絡みついた。
「イトイトの実か……?!ドフィ……!起きろ!!」
ブチブチと力任せに糸を引き千切り、上半身を起こしたヴェルゴはドフラミンゴの肩を揺らす。
しかし、その意識が戻ることは無かった。
「これは……」
その時、左耳のピアスすら、糸になってホールを抜けていくのが見える。
そこで、毎夜暴走を繰り返す、その能力を悟った。
『若様ですか?はい、元気です。最近は特に!ご飯もたくさん食べています』
『……最近、どうもよく眠れるんだ。夢も見ねェ。よく眠れるからか、腹も減る』
(元気だと……?馬鹿言うな)
まるで、悪魔の実が覚醒したように、全てに影響を及ぼす能力。
ように、ではない、きっと、この能力は無意識に覚醒を見せたのだ。
「何故……おれの、思い通りに、」
その時、呻くように言ったドフラミンゴをヴェルゴは見下ろす。
この男の肉親は、いつだって、この男の手のひらでは踊らないのだ。
その焦燥をかき消すように、きっと、彼の能力はもう一つ上のステージへ歩みを進めたのだろう。
「コラソン……」
その時、ヴェルゴの瞳の奥で、憎悪とも嫉妬とも取れる赤い光が灯る。
きっと、もう、この男の心臓部分を自分が補う事は無い。
(それでも、)
『ドフィ、ウチのボスだ』
あの掃き溜めのような場所で、この男を見つけ出したのは、他でもない、自分なのだ。
(いつか……。いつでもいい、代わりでも良い)
その心臓部分を、
(おれに)
ヴェルゴの手のひらがドフラミンゴの頰を撫でる。
譫言のように繰り返される呼び名を、ヴェルゴは聞いていた。
「ドフィ、おれは、ここに、」
そうではないという事は、知っている。
きっと、その瞳は開かないのだ。
「おれは、ここに居るぞ。ドフィ」
その時、予想外に開いた瞳に映るヴェルゴの顔は、自分でも驚くほど酷い物だった。
******
「ヴェルゴ」
「ドフィ……!うわ!」
ベッドが殆ど糸の束と化して、崩れ落ちるように床へ転がる。
床も既に細い糸の集合体で、痛みは無かった。
「ドフィ!これはどういうことだ!」
「おれにも分からんが……そうか、夜殆ど記憶が無ェのはこういうことだったのか」
覚醒直後の朦朧で呟くドフラミンゴは、未だ呑気に欠伸をし、自分とヴェルゴに絡みつく糸をぼんやりと眺めている。
「制御できないのか?」
「ああ、できん。朝になれば元通りになると思うが……途中で起きた事ァねェから、何とも言えねェな」
他人事のように言ったドフラミンゴの落ち着きようを、ヴェルゴは怪訝そうに見つめていた。
その疑問を理解したドフラミンゴは、ヴェルゴの下で仰向けに寝転んだまま、その瞳を手のひらで覆う。
「フフフフッ……!何となく、分かるんだ。止め方がよ」
その言葉と共に、ベッドサイドに置いてあった机がゆっくりと糸になり、元の形状が崩れた。
机の上に置いてあった小銃と花瓶が、ヴェルゴの手元に転がり落ちる。
「おれの心臓を撃て、ヴェルゴ」
「何を、」
唐突に、言ったドフラミンゴの言葉に共鳴するように、無数の糸の束がヴェルゴの手のひらに小銃を押し付けた。
それを、面白そうに見るドフラミンゴの口角が上がる。
「死ねば、能力の効果は消える。安心しろよ。撃たれたらすぐに心臓を糸で修復する。死んだふりって奴だ」
戸惑うようにその眼球が揺れて、ヴェルゴの手のひらは、抗えないように小銃に触れた。
本当は、死んだふりが目的では無いと、ヴェルゴは分かっている筈だ。
(糸の先の人形を、)
己の手のひらで忠実に踊る、糸の先の人形。
それを欲するあまり、この能力は開花したのだ。
奇しくも、糸の先に繋がってはいなかった弟の存在を知り、この能力は暴走している。
(お前は、どうだ、ヴェルゴ)
命じれば、この心臓すら撃ち抜く、糸の先の人形。
それを、好機だとばかりに試している。
「ドフィ」
その執着を表すように、大量の糸に絡んだヴェルゴの手のひらが小銃を掴む。
未だグラグラと揺れる眼球の動きが、次の瞬間、ピタリと止まった。
「お前が死んだら……おれも死ぬぞ」
「フフフフッ……!あァ、当たり前だ」
月光を受けて輝く、金属の銃身。
自分の手のひらで踊る、糸の先の人形。
その銃口が火を吹く瞬間、ドフラミンゴは、己の身体の中に巣食う悪魔達が、静まり返るのを確かに感じたのだ。
(ああ、おれの)
(おれの心臓があった場所は、空白なんかじゃァない)
******
大きな銃声が静かな島に響く。
反動で跳ねたその銃口から上がる一筋の硝煙を眺めていた。
「ドフィ」
長く親しんだその呼び名を呟くと、ベッドや机が元の姿に戻って行く。
唐突に、動き出した状況の中で、一人だけ、動き出さない目の前の男。
「ドフィ……!」
背中を伝う冷たい汗に急き立てられて、ヴェルゴはドフラミンゴの肩を揺する。
一筋だけ、口の端から垂れた血液が、まるで作り物のように見えた。
「……」
開かないその瞼にキスをして、小銃を握り直す。
ゆっくりと上がる腕は、その銃口を自分のこめかみに向けた。
僅かな安堵と、優越感を持ってその引き金を引き切る瞬間、
「気が早ェ」
バラバラと切り刻まれた小銃の破片が落ちていく先で、ドフラミンゴの瞳が開く。
気が抜けたように、床に倒れたヴェルゴは、重たい息を吐いた。
「勘弁してくれ。おかしくなりそうだ」
「フフフフッ!悪かった。だが、制御できたぜ」
嘘のように、鳴りを潜めた彼自身の能力は、この先、彼の手のひらの中へ落ちるのだろう。
覇王の色すら手懐けるこの男が、操れない物など無いのだ。
「気は済んだか。ドフィ」
「ああ、勿論だぜ。相棒」
満足そうに笑うドフラミンゴの顔を眺めて、その額にキスをする。
いつか、その息の根と共に止まる、心臓の鼓動を夢見ていた。
ドフラミンゴより、短命であるべき糸の先の人形達。
その立場にあるまじき願望を、ヴェルゴはいつもそっと棄てる。
(おれは、お前の、)
心臓になりたい。
その、的外れな想いを、ヴェルゴはずっと抱き続けるのだ。