ストレイジの微笑「状況は……良くは無ェな。お前らもそう思うだろう」
暗い室内。僅かな明かりが緩慢に揺れて、その男の口元を照らす。
言葉に反してゆっくりと弧を描く唇は、低い声を紡ぎ出した。
「おれとカイドウをぶつけるつもりだったんだ。麦わら達は確実に奴とやり合う」
「麦わら達がカイドウに敵うか?」
「逆に、カイドウが必ず勝てる保証も無ェだろう。フフフフッ……!白ひげだって死んだんだ」
妙な沈黙を守り続けるこの海は、いつか、大きなうねりを伴うのだろう。
それに乗れた者だけが、新時代を闊歩する事ができるのだ。
「万が一、カイドウが失脚した場合……おれ達に必要なのは、」
カイドウの寵愛が生む大き過ぎた後ろ盾。四皇が欲しがる武力の形。それに匹敵する大きな権力を手に入れる必要があるのだ。
「必要なのは……」
ゴクリと、誰かが固唾を呑む音がする。
雲に遮られていた月光が、再びその顔を照らし出した。
「必要なのは他社には無い、画期的な新商品だ……!」
どよめいた空気が静まり返るのを待って、船長ドンキホーテ・ドフラミンゴは組んだ手のひらに顎を乗せる。
「新商品会議を始めるぞ」
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「目下の問題は、ワノ国の武器調達ルートが絶たれる事と、スマイルというインパクトのある商品が失われる事だ」
「海楼石の調達が出来ないのも地味に痛いぞォ〜。んねー?ドフィ〜?」
「しかし、画期的な商品ってもなあ。研究開発をするならシーザーレベルで倫理観が終わってる科学者をスカウトする必要があるぜ」
「あのクズ野郎呼び戻せないのか」
「流石に死んだんじゃない?」
明かりを付け、ホワイトボードを引き寄せたドフラミンゴは、会議室として使用している広間に集まった面子が口々に言うのを聞いた。
「シーザーが戻って来るならそれはラッキーだが……あまり期待しねェ方が良いだろう」
「しかし、海楼石の流通はワノ国と取引をしていたおれ達の専売特許だった。海楼石が市場で不足するなら、それを補う物があれば良いのでは……?ね!若!そうですよね!」
「「「「……」」」」
「グラディウス……お前、寝てて良いんだぞ」
腹と肩に弾丸を受け失血死に片足を突っ込んでから、三日三晩昏睡をキメたグラディウスが高層スラム内の病院から帰ってきたのはつい先日である。
本来ならば絶対安静の筈で、ドフラミンゴも会議前にグラディウスには「寝ていろ」と声を掛けていた。
それでものこのこ出てきたこの男は、妙に生き生きとしている。
「いえ、大丈夫です。おれは若の背中を守った男なので」
「ウザい。死んで」
間髪入れずに言ったシュガーの言葉すら、今やこの男には届かなかった。
それはいつも通りといえばいつも通りで、ドフラミンゴも過剰に心配するのを諦める。
そして、気を取り直すようにやっと届いたサングラスを直した。
「海楼石が不足するのは事実だ……。何か代わりになるアイディアがあれば良いというのも的を得ている」
「それよりも悪魔の実の調達に力を入れた方が良いんじゃねェか。若。能力者の優位性は必然的に上がるぜ」
セニョールの言葉に、ドフラミンゴは少しだけ得意気に口角を上げる。
「悪魔の実の調達については、実はもう手を打ってあってな。どの程度活用できるかは分からんが……面白い話がある」
勿体ぶるように、一度口を噤んだドフラミンゴへ視線が集まった。
ゼロから全てを構築しなければならない絶望的状況にしては、彼らの船長の機嫌は良い。
つまるところ、この男はビジネスというものが嫌いではないのだ。
「ドンキホーテ・ファミリーは、」
「悪魔の実図鑑の出版社と業務提携をする」
******
島中に漂う、インクの独特な匂い。
それが、この島の最も特徴的な事象の一つだ。
一歩中に踏み入れば、製紙工場の長い煙突が見え、世界的ベストセラーの石碑が港に聳えている。
悪魔の実図鑑の出版社、イレブンス・アワーは島を一つ独占し、編集から製本、出版までを一貫して島内で行っていた。
「……妙だな」
本来であれば、大勢の編集者や取引先が慌ただしく行き交う筈の港に降り立ったドンキホーテ・ファミリーは、閑散とした島内を眺めている。
世界で一番悪魔の実の情報を持っていると言っても過言ではないイレブンス・アワーと業務提携を行う為に、遥々新世界まで訪れたドフラミンゴは肩透かしを喰らい顎を擦った。
「アポイントは取ってあるから、休みという訳でも無い筈だが……」
「社員はこの島に住んでいるんだろう。こんなにも閑散としてるのは、休みでもおかしいぜ」
イレブンス・アワーは千人以上の社員を抱える大企業で、その半数がこの島で本の制作に携わり、あとの半数は世界中で悪魔の実の探索を行っている。
実の本体を必要としないこの会社と業務提携を行い、悪魔の実の在り処を教えて貰う代わりに、ドフラミンゴ達は本の流通を担う事になっていた。
それについて既にイレブンス・アワーの社長とは話がついており、色よい返事も貰っている。
明らかなトラブルの気配に、ドフラミンゴは面倒臭そうにため息を吐いた。
「お待たせして申し訳ない。ドンキホーテ・ドフラミンゴ君だね」
その時、背後で響いたのはヒールが地面とぶつかる音。
振り返ったドフラミンゴの視線の先に現れたのは、ブラックスーツの女だった。
「……お前は、」
「遥々、ジャーナルの島へようこそ」
揺れる、ウェーブがかったアイボリーの髪。
彼女は女にしては低い声で、たった一人ドンキホーテ・ファミリーを迎え入れた。
「私は……イレブンス・アワーの代表だ。人は皆、私の事をストレージと呼ぶ」
由来も知らない通り名を口にした女は、ドフラミンゴ達の前まで歩み寄る。
その瞳の奥は読めないが、会社を背負えるタフネスが垣間見えた。
「ご丁寧にどうも。それより、様子がおかしいように見えるが」
ドフラミンゴが興味を持ったのはこの女では無い。この会社の事業の方だ。
それを匂わせるように低い声を出したドフラミンゴは、目の前の女を見下ろした。
「……単刀直入に言おう」
強烈に、嫌な予感がする。
割と冴えている方の危機察知能力が、全方向でがなり立てていた。
そんなドフラミンゴの心中などつゆ知らず、女は、ゆっくりと瞳を上げる。
「来てもらったところすまないが」
「この島は、バスターコールを受ける予定だ」
ああ、ついていない。
ドフラミンゴは一度も享受したことの無い平穏を、何故か懐かしく想った。
******
「うわあ、すごいすごい……!」
「イレブンス・アワーは悪魔の実以外にも図鑑や専門書をたくさん出しているんだ。海王類、植物、気候……必要な資料があれば持っていっても構わない」
案内されたオフィスは、まるで博物館のようだった。
所狭しと棚に収まっている資料の類と、模型や剥製。
デリンジャーとシュガーは嬉しそうに海王類の模型を見上げていた。
「で、どういう事だ。何故、イレブンス・アワーはバスターコールを受ける」
大勢の社員が居たであろう業務フロアは、閑散としていて誰も居ない。
社長自らコーヒーを注いだり、デリンジャーとシュガーにジュースの瓶を出したりするのを眺めていたドフラミンゴは、重たい口を開いた。
「話は少し前に遡る。君達が脱獄する二ヶ月ほど前かな。ウチの社員がとある大海賊にえらく気に入られてね」
悪魔の実図鑑のファンだと言うその男は、四皇、赤髪のシャンクス。
悪魔の実の探索を行っていたイレブンス・アワーの社員に、赤髪は、とある悪魔の実の情報を話したそうだ。
「……ゴムゴムの実。君達もよく知っているだろう。その実を赤髪は持っていた事があると言い、ウチの社員にその形状をスケッチしてくれた」
「あ?ゴムゴムの実?」
これを、因縁とでも言うのだろうか。ドンキホーテ・ファミリー全員が嫌そうに顔を顰めたのを見て、女はコミカルに肩をすくめて見せる。
「同時期に、私の元へ別の名を持つ悪魔の実のイラストを持ち帰った社員がいた。驚いたよ。赤髪が描いてくれたゴムゴムの実と、同じ形だったんだ」
他者を寄せ付けない、閉鎖的な島の時代遅れな部族。
悪魔の実の探索でその島を訪れたイレブンス・アワーの社員は、その部族の人間達に、とある悪魔の実を探して欲しいと頼まれたらしい。
「太古の昔から、国宝として大切に守られていた悪魔の実が五百年も前に奪われたそうだ。その子孫達は現在でもなお、その実の在り処を探している」
「ゴムゴムの実を?何故?」
「正確に言えば……彼らが探しているのはゴムゴムの実という名前の果実ではない」
今までに、膨大な数の悪魔の実を目にしてきた自負がある。
それでも、そんな事が起きたのは始めてのことだった。
「ヒトヒトの実……モデルニカ。彼らは探している悪魔の実の名前をそう伝え、ゴムゴムの実と同じ形状を描いた。この時始めて、ゴムゴムの実にはもう一つ名前が付けられていると知ったんだ」
「……」
一つの実に、二つの名前が付けられた事実。
それを、後ろ暗いと思ったのは彼女だけだった。
「ニカとは太古の昔に奴隷達が信じた、人を笑わせ苦悩から解放してくれる伝説の戦士だ。しかし、その名前を世界政府は表に出ないよう消し続けている。ゴムゴムの実も、恐らく政府が後から付けた名前だ」
「オイオイ、陰謀論も大概にしろよ。フフフフッ!太陽の神なんざ、奴隷共の譫言の類だろう」
ドフラミンゴの台詞に女の瞳が鋭く光る。
明らかに、何かを知っている女の口ぶりに、ドフラミンゴは妙な焦燥を覚えた。
「いや、それは違う。ニカとは確かに存在したが、歴史の裏でひっそりと消された神の名前だ」
「一体、お前は何を根拠に話しているんだ」
溢れる。この世の事象を記録した紙束と書籍。海の主の剥製。大量のペンとインク。
本当に、この世の知識がここに集結しているような錯覚を覚えた。
「記憶しているんだ。それが、この血のさだめ」
女の口角が、まるで、裂けるように上がる。
記憶していると、そう言ったその真意を、ドフラミンゴは未だ掴めてはいなかった。
「私の一族には、ポーネグリフの内容と空白の百年以降の歴史を全て記憶し、現代に受け継ぐという使命がある」
ポーネグリフが破壊されたり、隠されたりした時にその内容を然るべき者へ伝える役目を担う一族。
世界政府の目を盗み、ポーネグリフと共に世界中へ散らばった彼らは、ポーネグリフの内容と、歴史の裏で消されゆく全ての事象を記憶し、代々後世へ受け継いできた。
「八百年分の歴史と、ポーネグリフの内容を全て覚えているとでも言うのか」
「瞬間記憶能力。私達は聞いたり見たりしたものを瞬時に記憶する事ができる。そういう家系なんだ。……言っただろう」
大量の資料を背後に背負い、ドフラミンゴを振り返る、全てを記憶し続ける女。
嘘か、本当か、それを判断する術など無い。
「人は、私をストレージと呼ぶんだ
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