地上では午前一時を回った頃、ふと通りかかった水屋から物音が聞こえて立ち止まった。パタパタと小さな足音からするに物音の主は葉月であろう。
地獄には朝も夜もないが、元は人間である葉月は地上の時間に合わせて生活している。こんな夜更けに何をしているのかと部屋を覗き声をかけた。
「もう遅いが、眠れぬのか」
「五官王様…!」
丸い目をパチクリと開き此方に振り返る。
儂の足音にも気がつかなかったとは、やはり何か考え込んでいたのではないか。
「悩みがあるのならば話してみろ」
このまま放っておくのも気掛かりだ。葉月が座る位置から斜め前の椅子に腰をかけた。
「悩みではないのですが…聞いていただけますか」
あまりに神妙な顔つきをするものであるから、思わず身構える。
「亜八さんと二和ちゃんのことなのですが…」
「ほう」
その二人といえばちょうど今日───日付は変わっているが───珍しく休みの予定が合い、この地獄で葉月と茶会をしていた。その折に何か問題でもあったのか?
静かに目を伏せて数秒。やがて意を決したように口を開いた。
「亜八さんと二和ちゃんは国宝に認定すべきでは?」
「……楽しそうでなによりだ。さっさと寝ろ」
真剣に聞いた儂が馬鹿であった。
葉月の口から猫妖怪の話が出て真面目な内容だったことがあるだろうか。いや、ない。
バカバカしいとあからさまに眉をひそめてやるが本人は意にも介さぬ。それどころか謎に興奮している様子。
「あの可愛さはいつか悪人に狙われます!国に守ってもらわなくては…!」
いらぬ時間を要した。葉月の猫狂いには付き合っておれん。椅子から腰を浮かせたところで、涼やかな声が割って入った。
「葉月、落ち着きなさい」
「おお、宋帝王か」
宋帝王は儂に向かって柔く微笑みながら会釈をすると葉月の前の席に座った。お主、何故そこに座る!?
「いいですか?まず亜八は、人間に守られなくとも自分の身を守る術を持っています」
儂の疑念に満ち満ちた視線を軽く受け流し、あたかも教師よろしく説法を始めた。こやつはこの一見真面目に見えて妙に生き生きとした顔が厄介なのだ。葉月は「なるほど…」と重く頷いている。
「二和は確かにまだまだ修行が必要でしょう。ですが…」
ふんふんと聞き入る葉月。
「彼女のことは貴女が守ればいい」
「宋帝王様…!」
目から飛び出る数多の星が視認できそうだと錯覚するほど瞳を輝かせ大きく息を呑んだ。
「宋帝王!葉月を焚き付けるな!」
そうドヤしてみても暖簾に腕押し。目を細めてさも楽しげに肩を揺らすばかり。
呆れ果て、儂はもう行くと足早に部屋を出れば、背後から「私が二和ちゃんの騎士(ナイト)になります!」だの「ええ、その意気です」だのと…。
くだらん…心底くだらん…。もう叱りつける気力も失せた。勝手にしてくれ。そして儂を巻き込むな。
どっと疲れが押し寄せる。儂も少し仮眠を取ろう…。