村雨礼二と四条の老舗割烹の名物料理メイン通りから一本入ると、喧騒を振り切ったかのように静かになった。
碁盤の目のように走っている道のせいか、路地に入るとがらりと雰囲気が変わるのがこの土地の不思議なところだ。
地下鉄を降り、しばらく群衆に紛れて移動していた村雨がぬるりと入った路地は町屋でひしめいていて、その大半が飲食店として使われている。
その中の一軒に入ると、女将の明るい声が出迎えた。
カウンターを中心に、同じ向きの一人席でぐるりと囲んだ店内は、八坂神社の能舞台や三条・四条大橋の欄干を模しているらしい。
村雨は勧められるまま一人席に座ると、机に置いてあるメニューを見た。
「何にします?」
「利休辨當を」
利休辨當とはこの店の名物だ。
かやくご飯と何種類かの肴、汁物のセットで、客の大半がこれを注文する。
利休辨當を頼む客の目当ては汁物で、白味噌仕立てのそれは絶品なのだ。
「お味噌汁の具、お豆腐なんですけど、壁に書いてあるものに替えられますよ」
店の奥の壁には汁ものの具が書かれた木札がずらりと掛けられている。
「おとしいもに変えてくれ」
女将ははあいと返事をした後、店の奥に消えていった。
その後、客が何組か入って来たが、店の佇まいがそうさせるのか、皆声量を抑えて話している。
この店の雰囲気を村雨は気に入った。
客の話していることや装い、纏う香りなどで、村雨は店内の大体の人柄や連れ立って来た者との関係を把握したが、特に興味も沸かずに料理の完成を待った。
程なくして、女将が料理を持ってやって来た。
「お待たせしました。利休辨當…お味噌汁はおとしいもにしてあります」
村雨は女将に礼を言うと、盆の奥に置かれた腕に手を伸ばし、口をつける。
白味噌の甘味と、すり入れた山芋のねっとりとした舌触りが良く合う。
既にいた客も、後から来た客も注文しているだけあるなと村雨は思った。
腕の中を空にしたあとは、手前の漆器に行儀良く並べられた副菜をひとつずつ食べ進める。
ぜんまい煮の口の中でとろけるような柔らかさと、それとは逆に、ぎゅっと弾力のある卵豆腐は何度食べても驚く。
焼き鮭は箸で崩しやすく、程よい塩気と魚の旨味が食欲をさらにそそった。
かやくご飯は何度口に運んでも飽きない味で、時折挟む漬物もあっさりしていて歯触りも良い。
最後に残しておいた鶏肉の煮物を食べ、村雨はふう、と息をつきながら箸を置いた。
女将が食後の茶と伝票を運んできて、ごゆっくりと言いながら膳を下げていく。
程よい温度の茶をひと口飲むと、胃の中が落ち着くような心地がした。
村雨が京都にいるのは、親族の結婚式に参列するためだった。
式は昨晩開かれ、用意されたホテルに一泊した。
午後の早い時間には帰る予定でいたが、新幹線の時間まで余裕があったので、以前家族で来たことのあるこの店に昼食を食べにやってきた。
近くの百貨店で土産でも買うかと、この後の予定を反芻する。
あなたにはパンが最適だろうが、日持ちしないのが残念だ。
あなたには、配信映えする限定の何かが良いだろうか。
キャラメルを好むあなたにはあの店のキャラメルを使ったオレンジケーキを。
そして、あなたには料理に使える調味料か、それとも上等な肉を送って食べに行くか。
…まさか、土産を買う存在がこんなにできるとは。
四つの悩みができたが、村雨は悪くない気分だった。