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    MASAKI_N

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    クローゼット⑥
    文庫同人誌『転禍為福』通販受付中です。
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    #クローゼット
    closet
    #ホ室長
    headOfTheEChamber
    #ギョンフン
    #サンウォン
    ##クローゼット

    自白 湯船に浸かってリラックスしきったところで目を閉じたら、そのまま眠ってしまいそうになる。
     この家を買う時に聞いた、日本では、風呂場の死亡事故が交通事故より多いらしいという話が脳裏をかすめたところで、ギョンフンのノックの音に起こされた。
     さっきソファでせっかく気持ち良さそうに眠っていたのに、自分が声をかけたせいで起こしてしまったのか。男同士なのをいいことに「開けていい」と答える。
     もう少し親密になりたいと思う気持ちが酔いで解放され、断られるかもしれないと思いつつ「入れば」と誘った。
     微妙な表情をされたものの、ギョンフンは素直に提案を受け入れた。
     ギョンフンの入れ墨は上半身の方が多くて、この前シャツを脱いで見せられた時ほどの驚きはない。それより、常々思っていたスタイルの良さに改めて感心する。
     あまりじろじろ見るのも失礼かと思ったが、自分もとっくに脱いでいる。今さら幻滅されることも大してないだろうと、どうでもよくなった。
    「本当に全身にあるんだな。お湯に浸からない方が良かったりするのか」
    「ここ一年くらいは新しく入れてないので大丈夫です。その薬湯ならゆっくり浸かりたい」
     ヤクザほど大変な柄ではなく、色は一色、一番凝ったものでもレース編みよりはシンプルな図案だ。
    「まさか子どもの頃からは入れないよな」
    「身体の大きさが確定してからですかね。僕の場合は高校を出て兵役を終えて、そのまま家族と離れて退魔師に師事した時からです。聖俗のバランスのちょうどいい、良い師匠でしたよ」
     のびのびとしつつ、さりげない気の使い方や、年上の男と飲むのに慣れている感じは、そのせいか。居候するのにぎこちない感じが無いのも、そういう暮らしを経験したからだ。
    「きれいだけど、やっぱり痛そうだな。難儀なもんだ」
     ギョンフンは口をへの字にするいつもの顔で「まあね」と言って、身体を洗い始めた。
     鏡のある側の壁に寄り掛かるように浸かっているから、肩を沈めていれば身体に目線が行かずに済む。
    「話って何です?また何か見えました?」
    「兼業は?」
     自分の感じている予感をどう確かめるべきか思案して、そう切り出した。
    「え?」
    「さっきしてた、転職するならって話だ」
     心配の色は消え、今度は冗談を言う酔っ払いの相手をするのか、という表情になる。
    「兼業って、どんな?僕は運転と変装ぐらいしかできませんよ」
    「……本当に俺のアシスタントになるとか」
     上目遣いでじっと見つめたら、ギョンフンは緊張を解き、笑い始めた。
    「はは、ご冗談を。でも嬉しいです」
    「不服か?接客は俺より向いてるだろ?おかげで仕事もまあまあ安定しそうだし、生活は保障できる」
     上から目線の嫌な言い回しだ。自分が嫌になる。
    「え?……あれ、本気ですか?」
     間近で笑っている顔なんて見るんじゃなかった。
    「俺が暇な時は君の仕事のフォローもできる。悪霊退治に直接関係ない雑務ならな」
    「そんなうまい話は無いでしょう」
    「俺だって今さら転職はできないのは同じだろ。裏はあるぞ。雑務じゃなくて、霊現象に強い建築物を作るためのアドバイザーとしてならどうだ?俺だってメリットが無きゃ、君をすんなり居候させようなんて思わない」
     ギョンフンを居候させることに仕事上の狙いがあったことを伝えて、反応を見る。
    「なるほどね」
    「先に蔵のリフォームを思い付いたのは君だろ」
    「ええまあ。リフォームならいいですが、新築は難しいかも。個人宅のアドバイザーなら昔からいます。そういう人たちは大体、退魔はできない。それより退魔師向けの建築物を作る方が現実的ですよ。あなたなら、組合が企画するような規模の大きいものも得意でしょうし」
     返答は冷静で、至極論理的なものだった。
    「あ、そうか。最初から問題の無い家だと――因果関係や効果が立証できない」
    「需要はあると思います――あまり儲けは出ないかもしれませんが。僕たち退魔師は霊現象と建物の関係について知識はあっても、建てることには無知ですからね。宗教として成立していれば関連施設の作り方は決まっているし、専用の建築家も存在しますが、僕らフリーの退魔師は予算もまちまちだし、個人の資質による傾向と対策の個人差が大きいです。お金はあっても、制約があると迷惑がられたり、胡散臭くて断られることもあるし、一般的な風水と異なる部分で対立してしまうこともある」
     ギョンフンが身体の泡を流したところで、サンウォンは自分のタオルを腰に巻き、浴槽に脚だけ浸かるように移動した。壁と同じタイルのしっかりした枠に埋め込まれた大きなバスタブだ。二人で入れないこともないが、お湯が溢れて無くなる。
     一瞬だけ、入れ墨だらけで年下の――一応、美男である――彼を花びらの浮いた風呂に誘って眺めている構図に疑問を感じたが、話の内容に集中することにする。
    「なんか、業界って感じだな」
     霊能者も商売として成立するには社会性が大事なのだろう。
    「結局、退魔師も人間ですし、社会の一部ですからね。宗教と霊的なものはごっちゃにされ、カルトだと誤解されることもある。実際、カルトより危ない部分もあるし、資金援助の関係で新興宗教と組んでいる退魔師もいますから、カオスです。世襲制だったり師弟制度があるところは、ヤクザみたいなもんだし。建築土木関係の業者がヤクザや政治家と癒着するのと変わらないことも起こる。そこと癒着している退魔師もいます。要は、いつの時代も金と土地の価値が人を狂わせる。意外と、僕とあなたの業界は近いところにあるのかも。死体が埋まっていない土地も、霊がいない地域も、地球上にはほとんどありませんから」
     真面目だが込み入った話になってきた。師弟関係に慣れているなら、このままギョンフンにいつまでいてもいい、一緒に暮らしたいと伝えた方が良かったのかもしれない。
    「まあ、そうだろうな」
    「建築について相談を受けるところから始めるのがいいかも。僕以外でもお金が回収しにくい相手は逆に、霊現象対策のアドバイザーになってもらえばいいわけだし、人脈もそれでできますね。本当にちゃんと建物を整えれば効果は出ます。多分、退魔師もゆくゆくは儲けが出るようになる。もし本気なら、僕も一緒に組合に相談しに行きます。本当にやりたいと思ってるならね」
     ギョンフンは、完全に素人であるサンウォンの思い付きにも真面目に答えてくれている。
    「熱意や志が必要なら、軽々しく手を出そうというわけではないよ」
    「普通の仕事で食べていけるなら、わざわざそんな怪しい仕事に手を出さない方がいいです。そういうことに関心がある普通のお客さんに、詳しい人が相談に乗ると紹介してもらう方がいい。まあ、それも怪しい誘導には違いないかな。逆に、アジョシの実績は規模の大きい施設が多い。仕事に困っていると知られたら、カルトから変な施設の依頼が来るかもしれません。ヤバそうな団体なら僕が見分けられるので、頼ってください。現在進行中の現場は大丈夫そうでしたが――悪いものを掘り当ててしまうこともあるでしょう」
     それはその通りだ。
     でも、駄目で元々のつもりだった案があながち的外れでなかったのと、アシスタントになる話を嫌がられなかったことに気を良くして、話を続ける。
    「イナもあと十何年もすれば独立する。すぐにどうなるという話ではないとはいえ、うまい話じゃなくても、悪い話じゃないと思うなら、考えてみてくれ。蔵のリフォームが済んでも元々近いんだし、暇な時に手伝ってくれれば――」
     ギョンフンは困ったような顔で、静かに微笑んでいる。
    「いい話だと思います。でも、リフォームは中止してもいい」
    「……なんで」
    「キャンピングトレーラーか何かを一台買える金額だけ出してもらえれば、あなたが安定したところで、ここを出ます。あとは、本当に困った時にご飯を食べさせてくれれば、僕の生活は問題ない」
    「――ギョンフン」
     突き放されるような感覚に戸惑って不安になり、名前で呼んでしまった。
    「裏があるのは僕の方です。そこまでの善意を示されてしまうと――なんというか、申し訳ないです。きっかけを作れたなら喜ばしいですが、あなたは、僕に合わせて変わったりしなくていいんです。居心地が良くて、つい、甘え過ぎてしまった」
     ギョンフンは苦しげな表情で、黙ってうつむいた。
    「善意?どういうつもりでも俺は構わないし、もっといい方法があるならそれでも」
     ギョンフンは静かに動揺していて、泣きそうに見える。
    「せっかく取り戻せた人生を、僕なんかに使っては駄目です。多分、不幸にしてしまう」
     切なげな声で絞り出すようにそう言われ、初めて、ギョンフンがサンウォンにしてくれようとしたことが胸に届いた。
     異界に送る前に冗談めかして「報酬を払って」と言ったあの時と同じで、サンウォンを生かしたいと思ってくれているのだ。
    「そういうことは、そうなった時に考える」
    「僕への同情ですか?共依存とかそういうのでは?」
     同情や善意だけではない。ギョンフンも含めて、未来を少しでも明るくしたいだけだ。
    「何でもいい。人生を取り戻したのは君もだろ?俺が亡くしたのは妻だが、イナが亡くしたのは母親だ。君と同じだから、関わる意味はある」
    「イナちゃんのためですか」
     そう呟いた声は、ほっとしたようで、残念そうな響きもある。
    「俺が関わりたいからだ――そういう時は独りの時間も必要だが、誰かに頼って繋がることでしか癒えないのは、俺たちが一番よく知ってる」
    「僕があなたたちにとって、そうあるつもりだったので、もう責任はほとんど果たしました。アジョシも本来の、インテリで傲慢で強気なやり手の建築家に戻りつつあるから、僕以外の人ともっと関わって、支え合うべきです」
     ギョンフンは膝を抱えるようにして、震えているように見える。
    「君を放っておきたくない。仕事の話は一つの案で、これからも近所で助け合おうって話だ」
     真意を薄めて伝える。善人ぶって個人的な欲望を伏せるのが、正解なのかはわからない。
    「僕かもしれないから」
     震える声で弱々しく息を吐くギョンフンは更に首を下げ、顔は髪と腕に隠れた。
    「――何が」
    「僕が、悪いものを呼んでるのかも」
     声の響きで、絶望で血の気が引くのが見えるようだ。
    「そんなわけあるか」
     腕に刻まれた文字が、平凡ではない人生を見せつける。
    「それが、家族と離れて暮らしている理由です。実の家族ですらそうなんだ。これ以上、僕と関わっても何の得もないあなたに、迷惑をかけるわけにはいかない」
     泣いてしまわないよう必死で息を整えようとしているのがわかり、胸が痛んだ。
     家族の不幸が、自分の責任かもしれないと悩んでいたのか。
     母を探しおろおろと泣き叫ぶミョンジンを抱きしめた時のことを、思い出す。
     彼の母親がギョンフンをサンウォンと引き合わせ、ミョンジンの元に導いたのは、このためだったのではないかと思った。かわいそうだと思う気持ちより、震える身体を人間らしくて愛おしいと思う気持ちが勝る。
    「だから、人を遠ざけて生きてたのか?君はちゃんと解決できただろ。たくさんの子どもたちと、俺の呪いを解いた。もし悪いものを呼び寄せたって、俺も腕輪をして高いお札を貼れば一緒にいられる」
     感情が決壊するような呻きが、浴室に響く。
    「なんで、そういうところだけ潔いんですか」
    「ミョンジンほどの強い霊は滅多にいないんだろ」
    「あぁ……言いましたけど、そういう意味では」
     泣きながら笑って、ギョンフンは首を振った。
    「必要なら入れ墨だって入れる」
     近くに座り直し、腕の入れ墨あたりをつかむ。
    「アジョシぃ……もう充分ですってば」
    「迷惑だって言うんなら仕方ないが、遠慮は要らない」
     顔を覗き込んで、目を合わせる。
    「その顔はずるいですって」
    「嫌そうに見えない」
     ギョンフンは口を押さえるようにして、必死で息を整えている。
    「やですよ。僕のは面倒臭いストーカーみたいな執着で、あなたを幸せにしてきたスンヒさんとは全然違うでしょ?あんまり優しくして勘違いさせないで」
     サンウォン自ら異界に行きたいと言った時と同じ葛藤が見える。
     ギョンフンもサンウォンのことを想っているのだとはっきりわかり、胸が高鳴った。
     それでも関わって先に進みたいとは限らないということか。
     それだけ、ギョンフンが今あるところが辛いということなのではないのか?
    「恋人はいないって言ってたろ。他にも色々聞いた。スンヒも結構、変わってたよ」
    「……言いましたよ」
    「お互い傷付く結果になるとしても、関わっていたい。君は自分で思ってるより打たれ弱い。俺が戻ってきた時も泣きそうだったもんな。人から何かしてもらうことに慣れてないし、人と一緒に何かするのも苦手なのはわかった。俺と一緒だ」
     戸惑って嫌だと言っている割には、サンウォンといることで得る安心感をギョンフンの心身が欲して、離れられないのではないか。そういう気持ちを自分はよく知っている。
    「僕の心の準備は無視ですか」
    「だってもう――始まってるんだろ」
     サンウォンが知りたかったのはタイミングではない。お互い同じ方向に進みたいと思っているかどうかだ。ギョンフンの言う「準備」は待つにしろ、その先にサンウォンが望むのと同じものがあるとわかってしまった。
    「あぁ……僕、今、自白しちゃいました?」
     涙を追い出すように目をつぶってから、ギョンフンはタオルで顔を拭った。
     のぼせて潤んで濃くなった顔が美しくて、愛おしい。
    「布石は君だって打ってたろ」
    「酔った勢いなんて嫌だ。こんな情けないことを白状するつもりなんてなかった」
    「じゃあ、酔いが醒めてからやり直すか?」
    「居候してる間に変な関係になったら、イナちゃんと顔を合わせるのが気まずいでしょ」
     一応、気を使ってくれたのか。
    「イナはもうとっくに気付いてる」
    「――は?」
     話している様子が二人とも楽しげに見えると、イナに言われた。
     ギョンフンは放っておいても楽しそうだし、サンウォンは別に面白い男ではない。だから、サンウォンがギョンフンに向けている好意のせいでそう見えたのだと思っていた。
     イナは片方が不在の時をそれぞれ見ているから、わざわざサンウォンにそう言ったことには特別な意味があったのだと、今わかった。
    「十二歳の言うことだからと思っていたが――君、俺の好みのタイプを探ってたんだってな。イナや仕事仲間に聞かずに、俺に直接聞けよ。スタイルが良くて仕事ができて、媚びずにはっきりものを言うタイプだ。話が面白くて、美味そうに食う」
     イナを連れギョンフンの行った先であったことを、少しはサンウォンも聞き及んでいる。
     ただの情報収集だと思っていたが、この様子だと、ギョンフンの悩み方はサンウォンより重症だ。
    「そうですか」
    「邪魔者はもういないんだろ?悪い男だな」
    「……ここにいる間だけは、あなたに一番近い存在でいたかっただけです。上手くいくかもしれないって想像が楽しかっただけで、実現させようなんておこがましいこと、思ってませんよ」
    「俺と君は波長が合うんだろ。さっき、同性間でもそういうのが効果あるとも言ったな。そういうことが報酬代わりになるなら、要求すれば良かったのに」
     深刻さを薄めようとそう言うと、ギョンフンはまた困った。
    「それは――僕が嫌です。あなたが善意でそうして、僕だけに下心があったら、仕事を利用するのはセクハラじゃないですか。仕事まで嫌いになってしまうから」
    「俺も君を好きで、下心もあるのに?」
     自分でも驚くほど素直に言えた。
     目を合わせると、丸くなった目に探られる。
    「アジョシは僕の見た目が好きなだけでしょ」
    「……あ?」
    「僕もアジョシの見た目が好きなだけなら良かったのに、中身もちゃんと僕好みなんですもん。ずるいです。ぴえぴえしてた時もかわいかったですけど、病状が良くなったらどんどんかっこよくなるし」
    「それ、何が駄目なんだ?見た目は確かに好きだけど――今までした会話とか、助けに来てくれたこととか、そういう信頼関係が恋愛感情に育ったんだろ」
    「信頼してもらおうとしましたけど、そう思って猫かぶったり、茶化してた部分もあるので、正直、なんか騙してる気分にもなってたんですよぅ」
     そういうことは、成立前のカップルの醍醐味ではないかと思うが、ギョンフンには違うようだ。
     離婚したならまだしも、死別だからというのもあるのだろうか。自分だってこんなにすぐに自分が恋に落ちる相手が現れるなんて、予想していなかった。
    「まだ知らない部分も多いけど、見た目以外も好きだと思う。最初は胡散臭かったし、今も、騙されてるのかと思うことはあるけど――俺だってそんなに立派な人間じゃないし、騙し合いの方が気楽なことだってあるだろ」
     ああ、自分はこの男になら騙されてもいいと思っていたんだな。急におかしくなって表情を緩めたら、ギョンフンは一層、目を丸くした。
    「いやいやいや、待ってください。有り得ない。『退魔師 ホ室長』ですよ?『俺の恋人は退魔師のホ室長です』って、普通、無理じゃないですか?あなたは凄くまともな人生を一生懸命歩んできたのに、無いですよ、無い無い。仕事でたまたま出会った依頼人がハ・ジョンウ似の未亡人で、色気も才能もお金もあって、悪霊から救ったら僕を好きだと言い始めるなんて、そんな都合のいいエロ漫画みたいな話あるわけない」
     都合のいいエロ漫画の未亡人?いつものギョンフンが戻ってきた気がする。
    「そういうノリの漫画なら、キム・ナムギル似の退魔師も、相当エロい目に遭うんじゃないか?現実はもっとロマンチックに、花びら浮かべた風呂場で恋心を語ってる」
     冷静にツッコミを入れたら、茹だった顔が更に赤くなった。
    「アジョシ、淡々とそういうこと言うのやめてくれませんか。あと――ドキドキするからあんまり触らないで」
     サンウォンはとっくに力を抜いているのだが、触れている手を押しのけられはしない。
     というか、触れているところが何か変だ。
    「触ると――変な感じがするな」
    「そりゃそうですよ。あの儀式は――」
    「うん?」
     ギョンフンはしまったと言うような、気まずい顔をした。まだ何かあるのか。
    「『消えたらあなたが死んだか時間切れだ』と言った火を、僕の血で消えないようにしたせいです」
    「まさか――寿命か何かをくれたのか?」
     儀式には血を使うのだと、退魔師は血で決まるのだと、そういうものだと思っていた。
     消えたら死ぬ炎が彼の血で消えずに済むなら、サンウォンを生かすために燃えているのはギョンフンの命ということになるのか。
    「そんな感じで……僕の命と霊力の源のようなものが少し、あなたに注がれました。そのせいで、無条件に僕の言うことに従ってしまう時があるでしょう。あなたが心身の健康を取り戻すために都合がいいので、そのまま利用していました。あなた以外の依頼人に対しても使う退魔法の一つです。心身を操るわけではなくて、自分を傷めたり追い込むような悪い気持ちを抑えるだけです。ワクチンみたいなものかな。恋愛感情なんかと混ざらなければ、心が健やかになったところで、そのまま霊力は消えるはずだった」
    「なるほど。理屈はわかった」
     だとすると今ギョンフンを支えたいと思う気持ちも、その浄化作用のせいではないのか。
     ギョンフンはそこに気付いていない。
    「二者間で霊力を増強する効果があるのは、多少なりともお互いに心身の繋がりを求めている場合なので――全然消えなくなってしまって――困るでしょう」
    「誰が」
    「アジョシが」
     もの凄く申し訳なさそうに、とんでもなく官能的なことを言ったことに、気付いているのだろうか。
    「俺の中のそれも、俺のせいで増えてるってことだろ」
    「それは確かめようがなくて――だから全部、僕の感情のせいかも」
     ギョンフンが何を問題だと思っているのかはわかった。自分の特性でサンウォンを操ることができるから、恋だと勘違いするなと言われている。勘違いでもサンウォンは別に構わない。
     ――お互いそう思えた相手はお察しの通り、いないですね。
     今までもいたのに気付いていなかったか、サンウォンが初めてなのか。
    「別に、嫌な感じはしない。儀式で性的な繋がり方もするんなら、肉体関係を持つと情が移ることと、どう違うんだ?波長が合うから身体を繋げて霊力が増すって――普通の恋愛も何割かはそういう仕組みなんじゃないのか?」
     ギョンフンの言ったことをサンウォンなりにまとめると、そうなる。
    「違いま――あれ……一緒なのかな」
     何も知らないサンウォンがミョンジンと同調できたのだから、霊的なことを認知しているかどうかの違いだけだ。
     人によっては恋愛なんて、心霊現象と同じぐらい疑わしい。ギョンフンにとっては、心霊現象の方が確かだったのだろう。
    「キム・ナムギル似で国内ナンバーワン退魔師なのに、区別がつかないもんなのか」
     ギョンフンは冷静さを取り戻しつつあるが、サンウォンの指摘した部分に気付かなかった自分にショックを受けているようだ。
    「ハ・ジョンウ似のインテリ売れっ子建築家に言われると傷付くんで、やめてください」
    「問題解決だな」
     つまり、原因と結果が逆だったのだ。信頼感や親近感は恋心から生じていて、信頼感から恋したわけではなかった。もしくは、同時に芽生えた気持ちだ。
     浮かれた気分になって、お湯や花びらが溢れるのも気にせず湯船に戻る。
    「ちょっと、ぐいぐい来ないで」
     ギョンフンは小さく身体を縮めて端に寄る。
    「全部見たい」
     腕にかけていた手を手首まで滑らせ、軽く引く。
    「は?」
    「入れ墨」
     自制していた酔いと熱を解放し、赤くなったギョンフンの耳に触れた。
    「やですよ恥ずかしいな!」
    「さっきは見せる気だったろ」
     もう一方の手で、水中にあるギョンフンの足の甲に触れる。
     磁石が引き合うような感覚がして、特別な繋がりを感じた。
    「――っ、今見せたらまずいことくらいわかるでしょ」
    「……まずくない」
     目を合わせたまま、ゆっくり額を近付ける。唇を合わせたら、また花の匂いが強まって、サンウォンは夢心地で目を閉じた。

            *

     サンウォンが再び目を開けると、目の前からギョンフンの姿は消えていた。
    「あ……?」
     どうやらサンウォンは、湯に浸かったまま眠ってしまっていたようだ。
     唇の感触も、震える声も、あんなに確かに思えたのに。
     強く覚えているのは花の香りが妙に強くなったことと、あの、肌が引き合うような感覚。
     ――夢?
     自分の実存に不安を覚えのろのろと浴槽から出て扉に向かうと、人影が映る。
    「アジョシ……?」
     ループする既視感に襲われながらゆっくり扉を開けると、そこには呆然とした顔のギョンフンが立っていた。
    「ギョンフン」
     目元が赤く潤んでいる。
    「あ――僕、今」
     さっき口付けた時と同じ顔で、ギョンフンはそう呟いた。
    「今のは……夢じゃないんだな?」
     浴室の花の香りとギョンフンの煙草の匂いが混ざり、サンウォンの意識を揺さぶる。
    「――アジョシ!」
     薄れる意識の中、すがるようにギョンフンの腕を左手でつかむと、引き合う感覚がさっきよりずっと強く届く。
     ギョンフンに抱き止められたのがわかり脱力し、サンウォンはそのまま意識を失った。
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