兄弟 イナとマダムが話す間、サンウォンは夕飯のおかずを買い足しに出かけた。買い物から戻ると、家の前の道路に見慣れない車が停まっている。そういえばマダムが迎えが来ると言っていた。
覚えのある香りがして目をやると、玄関から少し離れたところで、黒いロングコートの男が煙草を吸っている。
背格好も髪型も似ているから、てっきりギョンフンがいるのかと思ったが、違った。
ギョンフンは顔のパーツが丸みを帯びているが、振り向いた彼はもっと直線的な印象だ。
涼しげで鋭い目はサンウォンの姿を認めた瞬間、はっとしてから、切なげに潤んだ。
「……――ン」
微かに発した声のかけらが届く。
彼は懐かしむような顔になり、それから、どこか悲しそうな目で黙った。
どう声をかけたらいいのかわからず言葉を探していると、玄関のドアが勢いよく開く。
「ウォンフン、師匠が呼んでる」
玄関からギョンフンがイナを連れて出てきて、彼に呼び掛けた。
「パパ、お帰り」
「アジョシ、お帰りなさい」
「ただいま――弟さん?」
会えるのはもっと先だと思っていたが、名前の響きや呼び掛けの感じからいって、多分そうだ。
「ええ。ウォンフン、こちら――ヨン・サンウォンさんと、娘さんのイナちゃん」
どうやら着いてすぐ一服していて、挨拶はまだらしい。
「ホ・ウォンフンです。どうぞよろしく。はじめまして、イナちゃん」
子どもは好きなのか、ウォンフンはもの凄く優しい顔になる。
「……はじめまして」
イナもギョンフンと彼を見比べて、驚いている様子だ。
ギョンフンはサンウォンの荷物を半分引き取ると、玄関のドアを大きく開いた。
「寒いから、煙草は消して中に入って」
泊まらないとしても、話が長くなりそうだ。すぐ食べられそうな物を多めに買って良かった。
「ウォンフンさんも退魔師なの?」
「そうだよ」
「室長と似てるけど、似てないんだ」
そう。兄弟にしては似ていないが、他人にしては似ている。
「そう。お父さんとお母さんは違うけど、一応、血は繋がってるんだ。名付け親も同じ」
「そうなの?」
新たな情報だ。マダムを迎えに来たということは、おそらく師匠も彼女だ。
彼女ならトム・フォードでもグッチでも上手く選んで二人に着せられるだろう。マダムのおかげで、前から疑問に思っていたその辺りのことに合点がいった。
「そうなのか」
ギョンフンと目を合わせたら、やや疲れてはいるが、もう何もかも諦めた様子で頷いた。
「親戚なんです。退魔師は体質なので、その一族」
イナはずっとウォンフンの顔を見ている。見惚れても仕方ない色男だと思うが、好みのタイプなのだろうか。
「お兄さん……前にどこかで会った?」
「ははは、う~ん、夢の中かな?」
笑い方はまた、ギョンフンと似ている。いや、もしかして二人ともマダム由来か。
ウォンフンとイナはリビングに着くと、そのままマダムと話し始めた。冷蔵庫に飲み物をしまい、サンウォンはギョンフンと夕飯の支度にとりかかる。
「ギョンフン」
「はい」
「しばらくこっちにいるなら、イナのコンサートにあの二人も呼べるか?」
イナは人見知りする方なのだが、懐く時は初対面からわかる。マダムとウォンフンは後者だ。
チケットは家族分もらえるし、席が埋まった方が喜ばれる。
「ああ……多分。春節の近辺は忙しいですが、年末年始は仕事を抑えていると思うので」
「じゃあ、俺から誘ってみる。ドレスアップにも慣れていそうだし」
ギョンフンの盛装も、密かに楽しみだ。
「師匠ならイナちゃんと控室にも入れますしね」
「そこまで甘えるのは悪いだろ。招待客としてでいい」
「イナともさっきその話をしていたんで、師匠が面倒見てくれると思いますよ。僕たちといるよりお互い楽しいでしょうし」
「ならいいが」
「師匠も僕の家族です。遠慮は無しだ。その代わり、こっちにいる間は僕らもがんがん使われますんで覚悟して」
卵を割りながら、ギョンフンは想像してちょっとうんざりした顔をする。
「弟さん――色男だな」
率直に一般的な感想を述べると、ギョンフンはさらに複雑な表情でため息をついた。
ただ、サンウォンがイメージしていた『父親と静かに暮らしているギョンフンの病んだ弟』とは、かけはなれている。
「だから、会わせたくなかったんです」
わかりやすい反応に笑ってしまう。
「俺は顔の良し悪しじゃなく、シマリスみたいな君が好きだから、要らぬ心配だ」
「シマリス?」
不満気な顔が面白い。本当に、退屈しない男だ。
「寝起きは薄いから、キタリスっぽいか」
「どっちにしてもリス?」
笑い声につられたのか、ウォンフンがこちらへやって来る。
「手伝います」
白い歯を見せにっこりと笑う彼に、ギョンフンは呆れた顔をした。
「キッチンは定員オーバー。これ、そっちに運んで。あと師匠にビール」
ギョンフンは横柄だが、ウォンフンはずっと楽しげだ。
「ぼくはサンウォンさんに早くお会いしたかったのに、フニが駄目だって言うんですよ」
卵焼きを受け取り、素早く皿に盛る。手慣れた連携だ。
「俺も会いたかった」
「嬉しいです」
「駄目駄目、アジョシは面食いだから駄目。僕の話も禁止」
ギョンフンが割って入り、食卓の方にウォンフンを押す。
「兄貴のけち」
「接近禁止令を出す」
「俺は、弟から見た君のことも知りたい」
それは本心だ。仲は良さそうだから、兄貴を取られたくないのは彼の方かもしれない。
「ぼくも話したいです」
ウォンフンはわざとサンウォンに絡んで、ギョンフンが怒るのを面白がっている。
「何、『ぼく』とか言ってんだよ。いつもは『オレ』だろウォニ」
ウォニと呼ばれ、同じ愛称のサンウォンもちょっと反応してしまった。
「フニだってどうせ猫かぶってんだろ」
ああ、兄弟も愛称がかぶるからその分け方か。やっと兄弟同士の素顔が見えてきた。
「変装して不法侵入されたし、ラーメンとヒマワリの種食いながら説教されたけど――全然猫はかぶってない」
サンウォンがそう介入すると、ギョンフンが恥ずかしそうにうなだれた。
「ははははは!完全に素だな。ねえ、うちの兄貴、かわいいでしょ~?リスみたいで」
やはり、サンウォン以外の人間にもリスに見えるらしい。
「そうだな」
「そうだなじゃなくて」
男三人で騒いでいるところに、イナがそっと近寄る。
「ホ室長、マダムが呼んでるよ」
ギョンフンはイナに袖を引かれ、ソファまで連れて行かれてしまった。
ウォンフンは手慣れた様子でギョンフンの料理を引き継ぎ、仕上げていく。
「いくつ離れてる?」
「フニとは一つしか違わない」
「へぇ。大人っぽいな」
だがあのビデオだと、随分小さく見えた。
「オレ、生まれつき呪われてたんです。病弱でね。前世だか先祖の何か色んな厄のせいで、家族にも影響が――でも呪いが解けたらこの通り。アジョシは何年生まれです?」
「七九年」
人の懐に入る速さは、ギョンフンと一緒だ。
それにしても、退魔師の家系というのは普通に幸せを望むのも大変らしい。かといって、一般家庭に一人だけ生まれてしまっても苦労するわけだから、ある意味幸運なのか。
「ああ、じゃあ近いんですね。兄貴がアジョシアジョシ呼んでるから、もっと上かと」
兄弟で少しはサンウォンの話もしていたらしい。あの様子だと、ウォンフンが絡んで無理矢理聞き出したのかもしれない。
「仲がいいんだな」
「ふふ、いい兄貴なんで」
「で?俺は合格か?君からギョンフンを奪うつもりはないんだが」
サンウォンがそう囁くと、ウォンフンは真顔になった。
ウォンフンがサンウォンの品定めをしているのは、口説くためではないはずだ。
「へえ、思ったより鋭いですね。ええ、合格です。オレもサンウォンさんのことは好きになれそうだし」
鋭い顔がにやりと笑う。サンウォンの見たところ、彼が好きなのはギョンフンだ。
「ギョンフンを不幸にはしないつもりだ」
「邪魔する気はありません。ただ――あなたの厄はオレと同じくらい重そうだから」
「ウォンフン?何絡んでる」
いつの間にか険しい顔で、ギョンフンが戻ってきていた。
「今度三人でやろうって話してた」
そう不敵な顔で笑ったウォンフンを肩で押し、ギョンフンは二人の間に割り込んだ。
ギョンフンに恋人ができなかった理由を思い、サンウォンは少し気の毒に思った。