行き過ぎた愛寵「以蔵さん、お茶菓子どれがいいですか?」
「こないだ食ったアラレでえい」
「でもあれ醤油味だから日本茶には合いますふけど、紅茶は今ひとつなんですよね」
「食堂で和菓子でも買うてくるか?」
「それもいいですね。クッキーの買い置きもありませんし」
そんな他愛もない会話をしたのはほんの10分前だったか。
そろそろ帰ってくるであろうマックスウェルの為に、紅茶を入れる。
入れ方にはこだわりがあるのか、しっかりと手順はレクチャーされたので、日本男児ながらなかなか上手に入れられると自画自賛している。
だが、今日はその紅茶にあるものを2、3滴垂らす。
色も香りも変わらなく、味はどうだろうとは思ったが飲んで確かめる訳にはいかなかった。
「あっ、紅茶ありがとうございます」
食堂から帰ってきた彼がお礼をいいながら、茶托に買ってきたものを所狭しと並べていく。
………相変わらず買いすぎでは…??
美味しいものには目がないのも分かるが、夕食前のお茶にしては菓子が多すぎない?
彼の部屋にあるサイドテールでは乗り切らず、ベットまで占領して困ったことがしばしば…。
これがあるからお茶はもっぱら自分の部屋になる。
まぁ、畳敷きの方がくつろげるのでいいのだが。
…………おかしい…
サクッと美味しそうなクッキーの歯触りと共に、彼が紅茶を口にする。
もうカップの半分も飲んでるのに……効果が出ていない。
もしや使用量を間違えてたか?と思ったので、必死に頭に取扱説明書を思い出した。
『これでみんな貴方にイチコロ☆
☆パラケルスス印の惚れ薬☆
相手に数滴飲ませるだけで、相手は10分間はメロメロに!!
(毒耐性がある方には聞きませんご注意下さい)』
こんなあからさまに怪しいピンクのパッケージに丸文字で書かれたのを思い出した。
明らかにマスターには効きません的な事を遠回しにかいあったが、それでも飲ませる気満々のサーヴァントが何人いるか知りたくなったのは言うまでもなく。
そもそも毒耐性があるサーヴァントってどれくらい居たか?
状態異常の解除が出来るサーヴァントは何人かは知ってはいるが、とりあえず目の前のには当てはまらないはずなのだが。
手にしたお茶をぐいっと飲み干す。
「お茶おかわり持ってきましょうか?」
「…おん」
これぞチャンスとばかりに、懐から小瓶を取り出すと、彼の紅茶にもう2、3滴入れる………ハズだった。
気付かれない様急いだ為に、勢いよく振りかけようとしてスポンと抜けた小瓶の内蓋。
まるでラーメンにうっかり胡椒をぶち撒けたり、親子丼にかける七味で一面真っ赤にしている様子を体現していて。
何とか内蓋だけさっと取り出したが、紅茶に溶けた液体は小瓶に戻すことは叶わなかった。
「はい、以蔵さんどうぞ」
コトン、と目の前に置かれたお茶。
何も知らない彼は即座に自分の位置に座り直すと、同じ動作で紅茶を口にした。
あっ、あっ……飲んでる……
『お薬は用法容量を守って適切にお使い下さい』
何処かの薬品のCMを思い出して、止めるべきだったかと思いつつ、もし止めるならば今し方自分が行って来たことを暴露する様なもので。
いや、これで変わらなければ……
「……以蔵さん…」
不意に呼ばれた彼の声に目を向けると、少し紅潮した彼の顔が近づいていて。
茶托越しで距離があったはずなのに、するりと近づいてくると、顔が近づいた故にサングラス奥の瞳がトロンとしているのが目に入った。
めちゃくちゃ効いてるーーー!!
細い指先がこちらの指に絡まると、猫の様に擦り寄って来た。
その背中を空いた片手で抱き寄せると、トロンとした瞳のまま彼はふわりと笑うのだった。
……可愛いなぁおい……
こんなに甘えられる事なんていつ以来?
そもそも自分よりしっかりして居るのが常の彼がこちらに忖度無しに甘えてくれる事は少なく。
お酒とかで一服盛れば容易く見れるのだが、どちらかと言うと彼よりも酒に弱い為に先に潰れてしまうのが難点で。
こんなの脳内に永久保存版だと、自分がやらかした事を棚に上げて嬉々するのだった。
「……以蔵、さん」
彼の白い指先が顎に触れる。
そのまま細かくついばみながら、唇を奪われるのにはそれほどかからなかった。
深いと言うよりは、戯れる様な口づけ。
何度も細かく唇同士を触れ合わせながら互いを求め合う。
一方的ではなく、彼からもこんな風に求めてくれるのが嬉しくて。
だがその勢いは、薬のせいか明らかに彼の方が強かった。
同じ体格故に拮抗するはずが、気づけば背中は畳に付いていた。
彼はそんな事お構い無しに、馬乗りになりながら唇だけでなく頬や鼻に愛情を落とす。
それは確かに嬉しいのだが、いつもは乗ってるのはこちらなのでそれは譲れなくて。
押し返そうとしたが、その手は両方ともがっちりと彼に掴まれてしまっていた。
あれ?いつの間に?
「…マックスウェル、ここじゃ茶托もあるき、布団へ…」
「嫌です」
はっきりとした否定の言葉。
それは甘える様な猫撫で声では無く、ナイフの様な鋭い声だった。
「…何じゃあ?」
「だって離したら以蔵さんは何処かに行ってしまうかもしれないでしょう?」
ギリッとこちらの両手を掴む手に力が篭る。
押し返す事は容易いと思っていたのたが、サングラス奥の瞳があまりに真っ直ぐにこちらを見ていて。
あっ、この瞳なんだか見たことある気が……
「何ゆうとう、畳じゃ痛いちや」
「駄目です。以蔵さんはここに居るんですよ。貴方は自由奔放なんでしすから、私がきちんと繋ぎ止めておかないといけませんよね。何も不都合なんてないでしょう?
ねぇ、以蔵さん?」
……知ってる…これってヤンデレって言うやつだ……
マスターが好かれるあまりに、そんな困ったサーヴァントに追いかけられてるのを見たことがある。
愛情はたっぷりの表現なのだが、いかんせん瞳がイってしまってるのを見た事があるのだ。
これ、あれと同じじゃないか?
薬のせいとはいえ、豹変した彼にどうやったらあの効力を消せるのかと思わず思案してしまうのだった。
「……今瞳を逸らしましたね。どうして真っ直ぐ私を見てくれないんですか?何か後ろめたいことがあるんですか?私はこんなにも以蔵さんの側に居たいのに、何処かにいってしまうんですか?誰の所に?私以外の誰かに触れようとするなんて、耐えられません。他の誰かを思う思考を持つだけで心が痛みます。このまま側に居てくれると誓ってくれるまで私はこの手を離さないつもりです。私の力など以蔵さんには容易いものかもしれませんが。それでも全力で貴方を繋ぎ止めようとするのを以蔵さんは許してくれますか?」
「ち、ちくっと待ちや!」
ものすごい長文を息一つ乱さず早口で捲し立てる彼に気圧される。
なんかすごい事を言っているのは分かるが、捲し立てられた言葉は頭には入ってこなくて。
「待てませんよ。カルデアに共に居られる今しか以蔵さんの心を繋ぎ止める事が出来ないんです。座に帰ったら私の事など忘れてしまうでしょう?」
「…わしは忘れたりしやあせんぞ」
「それは以蔵さんの意思でどうこう出来る事では無いんですよ。分かっています。きっと私も忘れてしまうと思いますし。それに共に召喚されるなんて稀有な事が2度目もあるなんて思ってませんから」
手を掴む力が強くなる。
だが彼の力など、非力過ぎてこちらが全力で押し返せば容易くひっくり返るだろう。
でも、何故か出来なかった。
瞳はヤンデレっぽいと思っていたのに、その表情は酷く悲しげだったから。
「約束しちゃる。何度会ったって忘れたりしやぁせん。それにここに居る間はずっと一緒やき」
「……ありがとうございます以蔵さん」
互いの唇が触れる。
誓いにも似た口づけは長く、ただ触れているだけなのに、不思議と鼓動が速くなった。
腕が解かれると、その両手はギュッとこちらを抱きしめた。
べっこう飴にも似た髪はくすぐったいほど近いけど、だた覆いかぶさりながらこちらの存在を確認している様な彼に声をかけることが出来なくて。
スーツの背中に回った両手は、確かにじんわりと彼の体温を感じた。
薬を盛ってでも手にしたかったのものは、なんなのか。
軽い好奇心だったのに、すごい結果になってしまったが、今欲しいものは腕の中にあると言う喜びに、使う価値があったと少し思うのだった。
「……すみません、なんだか取り乱してしまって……」
随分と抱きしめあった後、不意に彼が起き上がった。
互いに座り直すと、いつもの微笑みに戻った彼にこれほどまでに安堵した事はない。
もしや薬の効果が切れた……?
そういえばこの薬の効果っていつまで持つんだっけ?
『即効性!!』と謳われていたのは目にしたんだがなぁ……。
「急にすみませんでした。さぁ、お茶の続きしましょう。ほら、ブーティカさんのお手製サブレもありますし」
「………おん」
ようやく効き目が切れた様で、ものすごく内心ホッとする。
甘えてくる彼は確かに可愛かったのだが、ヤンデレは、なぁ……
趣味嗜好がある訳でもないが、あの瞳で暴走されると流石に緊張を隠せない代物だった訳で。
……あぁ、やたら喉が渇いた。
手にした自分の湯呑みのお茶をぐいっと煽った。
…………あれ…………
これ、………………………紅茶!!?
目の前の悪魔がにやりと笑った。
嗚咽が聞こえる。
部屋を埋め尽くす悲しみの声とは対照的に、それを宥める声は酷く優しい。
まるで赤子をあやす様に紡がれる言葉は、届いていないのか嗚咽は酷くなるばかり。
畳の床に転がった二人が慰め抱きしめ合うその姿は、きっと見たら誰もが驚くだろう。
でも今は二人っきり。
歪んだ二人を阻む者は誰もいないのだから。
「わしが悪かった……マックスウェル…すまんちや…………もうせんから……」
「そんなに泣かなくていいですよ。私はちっとも怒っていませんからね」
丸くなった背を優しく撫で、何度も癖のある髪を梳く。
ぽろぽろと落ちるまぶたに唇を落としながら、優しく指先で滴を拭う。
「本当か?そうゆうて……おまんの事信じられんかったわしを諌めたやろう?」
「違いますよ。以蔵さんを繋ぎ止める為のお芝居ですからね。ほら、首巻きが濡れますから涙を拭いて」
もう指先では不十分なのか落ちた滴をハンカチで軽く押さえると、彼はそのハンカチで鼻をすすった。
「薬に頼ろうなんて、しょうまっことわしはなんて事を……!!」
「大丈夫ですよ、浅はかな行動でしたが私のことを思ってくれたからでしょう?」
優しい微笑みに、彼は朱い瞳を涙で濡らしたまま少し笑ってくれた。
背中に回って来た、彼の両手が強く強く私を抱きしめる。
「……マックスウェル…っ」
「いい子ですね、以蔵さん」
何処にも行かせないし、誰にも渡さない。
常にここに、私の腕の中に。
あぁ、ようやく手に入った。
私の可愛い人。
ふと意識がはっきりしてきて。
確かお茶をしていたはずなのに、気づけば畳に寝そべっていて。
それよりも不可思議なのは、一緒に寝っ転がっている以蔵さんだ。
何故だかめっちゃくちゃ泣いている。
ずるずると鼻を啜りながら、私のハンカチであろうもを握りしめていた。
すっぽりと私が彼を抱きかかえる様な状態で、よく分からないけど慰める様に頭を撫でてあげると余計に泣いた。
……んーー、、……これってどうすれば………
「えっと……泣かないで下さい以蔵さん」
「わしが悪いことしたんにか!?」
「えっ、何したんですか?」
「それはっ……」
言葉を詰まらせると、彼はより一層泣いて胸に飛び込んで来た。
スーツが濡れるのはまぁいいが、彼の癖のある髪がくすぐったい。
涙でぐちゃぐちゃな顔で、しどろもどろに話を聞けば、私に惚れ薬を盛った様だ。
渡された『☆パラケルスス証☆』と大々的に書かれた小瓶は確かに危険そうな謳い文句をしていて。
だが、生憎盛られていた時の記憶は無い。
鱗片でも有れば考察出来たのだが、詳しく聞こうとしても、彼は泣きながらで言葉になっていなくて。
そういえば、お茶を飲んでいた時にやたらドキドキして、何故か心拍数が上がっていると思っていたのだが、どうやら薬のせいだった様だ。
落ち着いて、と言うたびに、怒ってた、怖かった、許して欲しい、ごめんなさい、の繰り返し。
えっ、記憶が無かった時私一体何をしたんですか?
まるで、怒られた彼をなだめるのに小1時間を要してしまったのだった。
でも、腕にすっぽりと包まれたその姿は震える子犬のようで。
そんな彼も可愛いだなんて言ったら怒られますかね?
「私がヤンデレ化ですか?……んー、あまり想像出来ませんが…。多分ですが、惚れ薬の効果で私の思考の優先順位が変わったせいかと…。
私の思考の優先は永久機関の研究にほとんど割いていますが、それを薬が強制的に全て以蔵さんに向けたので、以蔵さんが手に入れなければ行けない最優先事項になってしまったのかと。
ほら、以蔵さんは脅した方が言うこと聞いてくれそうじゃないですか?
それに以蔵さん押しに弱いし、泣き落としとか効きそうなくらいチョロそうですし……痛っ、怒らないで下さいよ!
それで変化の理由を突き詰めたり、考察した挙句、飲み物への混入物であることを発見し、それを以蔵さんに飲ませる事で確実性を確立しようとしたのかと。
まぁ、全て推測ですが……えっ、薬を飲んだ時の言葉は嘘だったのかって…?
どう思いますか?
ふふっ、教えてあげません。
私を謀った罰ですよ、以蔵さん。」
終わり