眼鏡越しの世界蝋燭の揺らめく光の中で筆を走らせる。
カルデアの部屋ではLEDの室内灯もあるのだが、生前を思い出すこの雰囲気が好きで。
畳敷に置かれた書物机を前に、淡々と心を平静を保ちながら筆を運ぶ。
慣れてはいるが、漢字の一角、撥ね一つとも乱れがないように。
最後の留めを書いた時、部屋のインターホンがなり、ふぅ、と息を吐いた。
こんな時間に訪ねてくる者は決まっている。
カタリと硯に置いた筆。
扉に向かう時もそれを外すのをすっかり忘れていた。
「どうしたこんな時間に」
扉を開けて一言。
すぐに寄りかかってきた、金にも似た飴色の髪が肩に掛かる。
「その様子だとお疲れかな?」
「…はい、ちょっと体力が、もう…」
そう情けない声を上げるのは、同じキャスターであるマックスウェルだ。
少し苦笑すると、その体を部屋へと引き込んだのだった。
※※※※※※※※※
その部屋はいつもと違った。
普段は自室と同じ煌々とした光いっぱいの部屋で、付いていても間接照明くらいなのに。
書物机に置かれた揺らめく蝋燭のみの部屋は、そこだけは明るいのにあとはぼんやり暗くて。
「何されていたんですか?」
「これかい?写経だよ。生前は良くしたが今はただの趣味だがね」
書物机の側まで連れてって貰い、二人して腰を下ろす。
真っ白な半紙に、細かい漢字が整然と並んでいる様は、一種の美術品にも見えた。
「とても綺麗ですね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。書いていると心が落ち着くんでね」
そう呟く彼の顔を見て、あ、とつい声が漏れた。
「明智さん眼鏡するんですか?」
彼の顔には、蝋燭の炎で微かに光る銀縁の眼鏡があって。
スクエア型のシンプルで細身のフレームは、彼の顔立ちによく似合っていた。
「あぁ、時々ね」
「えっと…老眼鏡とか…?」
「マックスウェルは私に怒られたいのかな?」
精一杯首を振ると、彼は苦笑するように眼鏡を上げた。
「乱視用だよ。普段は気にしないんだが、細かい作業の時は気になってね」
「サーヴァントでも視力に干渉出来ないんですか?」
「このカルデアには他にも眼鏡をかけたサーヴァント達もいるだろう?」
確かに。
簡単に干渉出来るのならそもそも眼鏡など掛けないか。
生前掛けていたからその延長上かと思ったが、霊基にも組み込まれている場合外すことも簡単では無いのかも知れない。
常にサングラスをかけている自分が言えるセリフでは無いのかも知れないが。
「…でも不思議な感じですね」
そっと彼の眼鏡に触れる。
銀縁のシンプルな眼鏡は、蝋燭の炎で微かに金にも見える。
薄いガラスが隔たっているだけなのに、その奥の紫色の瞳が違って見えた。
鋭さがありながらもいつも私を見る穏やかな瞳は、ガラスの光で煌めいて見えて。
まるで眼鏡の枠という窓に浮かぶ、紫水晶で出来た月の様。
蝋燭の光にガラスと瞳が幾重にも表情を変え、つい魅入られる程に。
「……綺麗」
小さく言葉が漏れた。
「気に入ったのかい?」
カチャ、と眼鏡が外されて、そこでようやく我に帰った。
ぽん、と手元に置かれた銀縁の眼鏡。
いや、綺麗だと言ったのは……と釈明したかったが、なんだか気恥ずかしくて。
誤魔化すように、その眼鏡を掛けてみる事にした。
私はサングラスをしているが、そもそもこれには視力の補正は無い。
乱視用なら何かが変わるわけでは無いと変えてみたが、その考えは少し違っていた。
少し細身の眼鏡だからか、見える世界に枠が出来た。
だからどうしたという訳ではないが、こちらを真っ直ぐに見る明智さんはとても嬉しそうに微笑んでいた。
「変ですか?」
「君は優しい雰囲気だから、角形よりも丸型の方がいいかも知れないね」
まぁ、そんなこと言われても、他の眼鏡が無い以上掛け比べることも出来ないのだが。
今ここに鏡が無くて、自分自身が見えないのは少し残念だった。
「でも似合っているよ」
直球で言われた言葉。
その時見えた物は、眼鏡のガラス越しの世界が蝋燭の光で、キラキラと輝いて見えて。
まるでフレームという枠の中に描かれた絵のようだった。
そして近づいてくる彼の顔。
先ほどまで綺麗だと思った月が、近くなる。
顎に手を添えられ、その先を理解しているのに目を離すことが出来なかった。
「なんだ、魔力供給で来たんじゃなかったのか?」
あと数センチというところで、彼がそう呟いた。
「ええ、そのつもりですが……」
こんな時間に訪問するなんて、理由は数あれど大体最終的には同じだ。
魔力を使った実験が、どれだけ大変かと問うと、彼は腹を抱えて笑った。
いや、そんなに笑わなくても。
確かに途中で爆発させたり、ホムンクルスの管理の手違いなど色々あったが、報告書にしたら20ページは書けるほどの体験談なのに。
「それは災難だったな」
まだ笑ってる。
サングラスにかけ直すと、強引に彼の顔へと眼鏡を返した。
彼曰く、普段ならサングラスで読めない表情が、露出していることで顕著になったとのことで。
『目は口ほどに物を言う』と言うことわざもあるように、話内容が誇大に伝わってしまったようだ。
「すまない、機嫌直してくれないか?」
「別に怒ってはいませんが」
「君のコロコロ変わる表情が可愛かったんだよ」
「男性に付ける形容詞では無いと理解してますか?」
「いや、マックスウェルは本当に可愛いと思っているよ」
さらりと言われて、心の奥がむず痒くなる。
悪戯でなはく、彼からの言葉は全て本心のように聞こえてしまって。
「本当だよ」
そっと大きな手が頬に添えられる。
嘘偽りでは無いと言葉にされて、なんだか触れられた手が熱く感じた。
そのまま、引かれるままに唇を………
カツン
「「………………」」
唇よりも先に、眼鏡とサングラスが重なって音を立てた。
「意外と邪魔だな」
「そうですね……」
互いに一笑してから、何も無しに唇を重ねる。
いつもとは違う一面を見れた嬉しさと。
少しの隔たりも必要ないのだと言う確認と。
たった一つのガラス越しに見えた世界。
その世界が美しく見えた意味は、眼鏡だけでは無いとはまだ気付く由もなかった。
終わり
眼鏡同士が接触するのをどうしてもしたかったw