内在する貴方「貴方のことが好きです」
千年に一人の美少女も恐れおののいて隣に並ぶことを辞退しそうなほどに目の前の人物はそれはもう綺麗で。きっと世界中の女性たちが羨んでしまうに違いないほどその肌は白く、きっと日焼けなどしたこともないのだろうなあと、晩吟はぼんやりと考える。
自分など元々色白でもない肌に加えてすぐに焼けて赤くなり皮がむけるのだ。
あれはいただけない。皮がむけている最中の肌の汚いこと。できれば家族にだって見せたくない姿である。
「…あの…?」
小首を傾げるその姿すらも美しい。この世にこんな生き物がいて良いのだろうか。
なんならこの人うちの学校の制服を着ていないか?同級生にいたら気が付いているはずだから後輩…な訳はないし先輩か。
この人、どっかで見た気がする。
「晩吟」
か細く消えて無くなりそうな声にはっと我に帰る。
長らくの脳内旅行に旅立っていた私に彼女は悲しげに瞳を伏せ、校則通りの少し長め、膝下丈のプリーツスカートをくしゃりと乱した。
思わず、そんな顔しないでくれと宥めてすかして笑顔にしてやりたくなって、踏みとどまる。
普段の自分であれば、湧き様もない衝動であった。
「貴方に悪い印象を抱いているわけではないが、気持ちだけありがたく受け取っておきます」
「どうしてですか」
「貴方も私もお互いのことは何も知らないでしょう」
「…では、お友達から、というのでは」
縋るように言葉が私の作った壁をやんわりと撫でる。
きっと初めて会ったのだと思うのに、この人の想いは本物なのだとわかってしまうほどには瞳に込められた熱が熱くて、ほんの少しだけ困ってしまう。
この人はきっと本当に私のことが好きで、だというのに些かも強引にはことを進めようとしない。そんな所が好感を持てた。
今までの子たちとは、この人は違うのかもしれない。そんな期待を抱いてしまう。
「そもそも、貴方は何故私のことを好きになってくれたんですか」
「きっかけは、ランニング中の貴方が困っていた私を助けてくれたことです」
さっぱり覚えていなかった。
いや、まぁ、困っている人がいたら誰であっても助けてあげるのが普通であって。
けれども、晩吟の記憶の中にはこんな美人はどれだけ遡ってもいなかったため、内心首を傾げてしまう。
「それは私ではないのでは、」
「いいえ、あれは間違いなく、『江晩吟』、貴方でした」
まっすぐと目を見られながら言い切られてしまうと、彼女のほうが正しいことを言っているような気がする。
どうしてこんなにも自分自身のことを信じ切れないのだろう。
以前にも私に助けられたという子たちがいたけれど、その時は単純に忘れてしまったか、
私が顔を見ていないだけだと思っていたけれど、この人は言ってしまえば私の好きな顔をしているのに。そんな自分好みの顔の人を綺麗サッパリ忘れてしまえるだろうか。
「では、仮に私だったとして、それだけですか」
「いいえ、最初はお礼を言おうと思って、貴方を探しました」
探しているうちにどうやら同じ学校の生徒であるとわかって、同級生にはいないから後輩かと下級生の教室まで行って探そうとしたが知り合いに止められてしまい、仕方がないからその知り合いに頼って私を探し出して貰って声をかける機会を伺っていた。
「それがどうして告白に?」
「…この間、他の学校の生徒と練習試合をしていたでしょう」
「ああ、はい」
うっすらと上気した頬、薄紅色の唇、いつかの私に告白をしてきた女の子たちと同じ表情。
嫌な予感がした。いつだって勝手なイメージを押し付けて、勝手に幻滅する。思ってたのと違ったってそれわざわざ私に言う必要ある?一応好きになろうと努力をしてみて、まぁなんとか暫くはお友達としてならやっていけそう、そんな気持ちになった瞬間虫けらみたいな目で見られて。そんなのはもううんざりだった。
どうしたって私は誰かを好きになんてなれないし、何故だか女子供はか弱くて守るものだって脊髄に染み付いているから、ついつい手を貸してあげたくなってしまうし、それが気を持たせるんだって言われたってそんなこと知ったこっちゃない。
思春期特有の同年代の男の子はガキっぽくて無理だけど、理想の男の子っぽい『かっこいい』女の子となら恋愛できそう、私マイノリティなのかも!って勘違いに巻き込まれて傷つくのはもううんざりだ。もうたくさんだ。
「とても、真っ直ぐで綺麗だと思って…思わず胸が高鳴って、貴方が勝った時は本当に嬉しくて仕方がなくて、はしゃいでしまって、そう、それで」
これを貴方に渡したくて、と彼女が手に持っていたスクールバッグから取り出したものは、かわいいピンクのギフトバッグ。赤いリボンでとめられた手のひらに乗るくらいの大きさのそれは受け取ってみても大した重さは感じず。
「あけてみて」
囁くように小さな声で言われて、変な声が出そうになるのを唇を噛んでやり過ごした。
貴方まだ高校生ですよね?どこにそんな色気を隠し持っているんですか。
常にないほどの自分の思考の乱れに、まともな対応ができるうちにさっさと終わらせてしまおうとさっとリボンを解く。
解いたリボンをくるくると左手首に巻き付けて、袋を開いた。
中からは紫の糸で縁取りされた蓮の花がプリントしてあるガーゼハンカチと、ピンクで縁取りされたくまだと思われるキャラクターのドアップタオルハンカチが出てきた。
「かわいい…」
「ふふ、きっと好きだと思って」
柔らかく笑んだ彼女は、風にさらわれた髪を耳にかけた。そんな仕草すら絵になる。
小さな頃から、可愛いものが好きだった。けれどどうしてだか、それを人に言うのが苦手で知られたら恥ずかしいことだと思っていた。
だから家族以外は知らないことであるはずなのに。
「どうして」
「…だって使っているボトルがラベンダー色だったから」
「それだけで?」
「それだけではないけれど、でもずっと見ていてわかったの」
貴方は可愛いものを見るとその気持を隠したくなってしまうのでしょう?とても険しい顔をしているから、段々とわかってきてしまって。
くすくすと笑うその表情からはこちらへの良くない感情は露ほども浮かんでいなくて、私は安堵のため息を付いた。
誰も好き好んで傷つきたくなんかないのだ。
「…友達からというお話、受けようと思うのですが」
「、本当ですか、晩吟!」
「貴方のお名前を聞かせていただいても?」
喜色満面の笑みを浮かべて瞳をキラキラと輝かせた彼女は、私の質問にピタリと固まると、回想が終わった3秒後には真っ赤な顔をしていた。
「…申し訳ありません、私は藍曦臣と申します」
「江晩吟です」
「私のことは、曦臣とお呼びください」
「では私のことは変わらず晩吟と」
さて、これで話は終わりかな、と連絡先を交換しようと端末を取り出し顔を上げればそこには頬を赤くし潤んだ瞳でもじもじとしながらこちらをみる曦臣がいた。
思わず顔を背けて「ぐぅ」と喉から殺しきれなかった声が出た。
「あの、敬語は使わずもっと気安い形でお話をしていただくことはできますか?」
「貴方は先輩だが…貴方がそれでも良いのなら」
「構いません!私貴方に乱暴な口調でお話されることに憧れていたんです」
「変なことに憧れるな」
だって距離がぐっと近づいた気がするでしょう?とお上品に口元を隠しながら笑うさまは、本当に良いところのお嬢様めいていて、一般家庭の私と友人だなんて釣り合わないのでは?なんて薄暗いことを考えてしまう。
きっとこの人はそんなことは気にしていないというのに。
「連絡先は交換しないのか」
満足した顔をして立ち去ろうとする曦臣に端末をゆらゆらと振りながら見せてやれば、感極まって涙目になりながら慌ててバッグの中から取り出そうとするものだから、手からすっぽ抜けて端末が宙を舞う。それをキャッチしようと身を乗り出した曦臣が足をもつれさせて
バランスを崩したところを私が腰を抱いてやることで支えてやった。
「スマホは無事か」
「あ、はい、だいじょうぶです」
羽のように軽かった。この人一体何を食べて生きているんだろうか。
とても心配になってしまうくらい軽い。
慣れない手付きでもたもたとアプリを起動している曦臣の友達の数に目を見開く。
明らかに家族しか登録していないとわかってしまうくらいには少なかった。
「すみません、こういうものにはあんまり慣れていなくて」
「そうか」
「ええ、普段は電話で済ませてしまう人がうちには多いので」
あまり必要性を感じなかったのですが、最近の子達はこういったアプリを使って連絡を取ることが多いと聞きました。
貴方もそうでしょう?言外にそう言われて頷いた。
「連絡先を交換するときに不手際があってはいけないと、しっかり家族で練習をしましたので大丈夫だと思います」
宣言通りに覚束ない手付きながらも友達登録を終えた曦臣は、宝物を貰ったのかと聞きたくなるほど嬉しそうに大切に端末を両手で持ち、「連絡しますね」と鈴を転がしたような声で宣言して帰っていった。
「…あ、付き合うのは無理って言い忘れた」
まぁ、でも、きっと彼女も私のことを知ったら幻滅するのだろう。
何せ私はきっと彼女を助けていないのだ。
「もう疲れた」
彼女たちが好きになったのは私ではなくて、私の中にいる誰か。
自分では認識できない『それ』をどうやって真似たら良いのか。
どうやったら、私だけを愛してもらえるのか。
『あの人はお前を見ていただろう』
声が聞こえたのは初めてのことだった。
少し高めの甘やかなテノール。もしかしていつも私が貴方との違いを突きつけられて悩むたび一方的にでも声をかけ続けていてくれたのだろうか。
「きっとあの人は私のことを好きになってくれやしない」
『そんなことはない』
「きっと、嫌われてしまう」
『あの人は、』
きっと不器用な人なのだ。励ますことがとても苦手で、かえって人を傷つけてしまう私によく似ている。
そう、よく似ているからこそ嫌気が差した。
いっそぜんぜん違う性格であったなら。
こんなに似ているのに私がどうしようもなく女であるから違いが浮き彫りになってしまう。
「そんなにあの人に興味があるなら貴方が会いに行けば良いだろう」
『おい、』
「貴方とあの人とのやり取りに私を挟むのはやめて」
打ち所が悪くて死んでしまっても良かった。そんな衝動だった。
気絶でもすれば『この男』が表層に出てくるのだろうとふんで、手近にある壁に頭を叩きつけようとした瞬間、世界は暗転した。
「…これだから年頃の女はめんどくせぇ」
舌打ちをする。女の子はそんなにたくさん舌打ちしないのよ、と今の自分が姉と慕っている江厭離は困ったように笑っていたけれど、そもそもの話俺が歓迎されていないことは知っていた。
高校生になって精神が育てば受け入れてもらえるかと思っていた過去の、いや、前世の全てである俺は思春期特有のゆらぎやすい感情とやらに阻まれて今もなお溶けること叶わず。
この体にもう一つとして意思を持ち体を動かしている。
お前を好きになるやつが全員俺のことが好きだなんて事があってたまるか。
俺がどれだけ縁談断られたと思ってんだこのクソガキ。
あの人は前世の記憶は持っていないようだった。
きっかけは俺だったとしても、十中八九惚れ込んだのはこの女に、だろう。
なんてめぐり合わせだ、と思う。
きっとあの人は俺が『違う』と気が付くだろう。
それでも俺には引っ張り出すこともできなければ、あの人の気持ちが本物であると伝えてやることもできない。
我ながら自らの性格の拗らせ具合にため息が出る。
今生では、少しだって悲しませたくなどないのに。
前世では俺のせいであの人を楽に死なせてやれなかった。
添い遂げてやれなかった。守ってやれなかった。
あんな思いはもうたくさんだ。
だったらもう、やることは一つだった。
手に持っていた端末で曦臣に連絡を取り、買い物に誘う。
一緒に食事ができたら最高だ。
食事に行こうと誘いをかけて、既読がついてから返事に時間がかかった上に誤字まみれなことに笑みが溢れる。
きっと曦臣がこの時代に生きていたら、そうなると思っていたんだ。
スタンプだってきっと使い方がわからないに違いない。
タイミングがあったら教えてやろう。
にやけそうになってから、俺の愛した男ではないことを思い出して唇を噛んで戒めた。
そうしていつもどおりを装って教室に戻り魏無羨を探す。
確か一緒に帰る約束をしていたはずだった。
「お、終わったのか阿澄」
「ああ」
返事をしただけなのに顔をしかめられた。
そんなにわかりやすいだろうか。
「江澄が出るぐらい強引な相手だったのか」
「いや、ただ、」
俺が守ってやったことは何度かあったが、今回はその限りではないし、なんと説明したら良いのかと口ごもった瞬間、お前絶対にカタギではないよな?と聞いてしまいたくなるようなほどの殺気を込めた視線が突き刺さる。瞳の色さえ今なら赤く見えそうだった。
「…妹に何をした」
「何もしていないんだが、その、自分で壁に頭を」
「阿澄は」
「多分寝てる…悪いな、居場所がわからなくて」
それは仕方ないけどさー…と大きな溜息をついた魏無羨は膝上十センチの下着が見えそうなスカートを翻して、バッグを持つと俺を急かすように顎をしゃくる。
これでなんでこの女は自分は愛されてないなんて言えるんだ。ふざけんなよ贅沢者が。
もはや何百年単位で癖になっている舌打ちが無意識に漏れてしまって、聞きとがめた魏無羨には鋭く睨みつけられた。
だから、俺が何をしたっていうんだよ。