「風間さんが! おれに構ってくれない!」
玉狛支部より歩いて十数分のファミリーレストランにて、迅は強かに酔っていた。……いや、未成年の迅はアルコールを摂取していないため正確に言うと酔ってはいない。だが、一息にコーラを呷りくだを巻くその様は酔っ払った人間のそれと大差ない。
「はいはい風間さんね、いつものやつ」
夕飯を奢るから話を聞いてくれ、と迅に呼び出された太刀川は、向かいの席で口いっぱいにステーキとライスを頬張っている。防衛任務のシフト都合により、時刻は深夜一時を回ったばかり。そんな時間だというのに次から次へと太刀川の胃へ吸い込まれていく肉の塊に、迅は見ているだけで胸焼けを起こしそうだと顔を歪めた。
「いつものやつっていうけどさぁ、おれには深刻な問題なんだよ」
「おーおー、それも何回も聞いたぞ。いい加減聞き飽きた」
オレンジジュースとメロンソーダを混ぜて出来上がった禍々しいドリンクを飲み干し、噯気と共に「まっず」と吐き捨てた太刀川が残りのひとかけらを放り込む。迅はその間にドリンクバーへ行き、戻ってくるなりまたコーラを飲み干し背もたれへ身を預ける。
「おまえはなんか食わねぇの?」
「おれは玉狛で夕飯食ってきたからいいよ。レイジさんと夕飯の当番代わったからね。風間さんたちと飲みに行くからって」
「……」
思わぬところで地雷を踏み抜いてしまった。直感で察した太刀川は「いいから食え」と冷めかけたフライドポテトを無造作に引っ掴み、迅の口へ突っ込んだ。
「んむぐ、む、……、っちょ、何すんのさ」
「や、毎度毎度うじうじめんどくせぇやつだな、と」
「はぁ〜……分かってんだよおれだって。自分の心が狭いって。いい加減大人になんなくちゃダメだって」
「そんな急いで大人になんなくてもよくね? 風間さんだって別にいうほど大人じゃねぇだろ。表の顔がちゃんとしてるだけで」
「そりゃあそうだけどさ、風間さんだってあの人らといる時はどこにでもいるアホな男子大学生だけどさ」
無心でポテトを口に運び始めた迅を横目に、ドリンクバーでまた新たなフレーバーのドリンクを生み出し帰還する太刀川。コーラと抹茶ラテという謎すぎる組み合わせに「結構イケるな」と目を丸くし、あっという間に飲み干してしまった。
「でもなんかさ……たまによく分かんなくなるんだ。あの人らの前のアホな風間さんと、ボーダーとか大学とかでの真面目な風間さんと、おれの前の風間さんはどれが本当の風間さんなんだろうって」
「なんだそりゃ。そんなん、全部ほんとの風間さんに決まってんだろ」
あの人は良くも悪くも取り繕わない素直な人だ。それは迅だって数年の付き合いの中で十分すぎるほど理解している。もっと言ってしまえば、風間のそんなところに惚れたという部分だってある。
むしろそんな部分があるが故に、風間が木崎や諏訪、寺島といる時にだけ見せる屈託のない笑顔ですらも独占してしまいたい──などといった醜い嫉妬心が渦巻いてしまうのだ。
「んじゃあ聞くけど、おまえ昔付き合ってた彼女の前と嵐山たちの前とボーダーのやつらの前と、みんなに同じ接し方してたか?」
「ゔ、それは……その、」
「じゃあそういうことなんじゃね? 風間さんも。おまえと二人でいる時だとどうなんのか知んねぇけどさ。あの人らには見せてねぇけどおまえには見せてる顔の一つや二つ、あんじゃねぇの」
「……、……」
太刀川が呼び出した店員に枝豆とビールを注文する間、迅は風間との思い出をなんとはなしに振り返っていた。店員が空になった食器を手にバックヤードへ姿を消したと同時に、耳の先まで真っ赤に染まった迅がテーブルへ突っ伏す。
「っ、も、もう太刀川さん、変なこと思い出させないでくれよ……ッ」
「あー……はいはい。そういうのいいから。おまえらの夜事情には興味ねぇ」
「るっさいな、口が裂けても言うもんかそんなこと……」
トイレ行ってくる。そう告げ立ち上がった迅を見送りながら、太刀川はスマホの画面に視線を落とす。話題の人物からの不在着信を確認しすぐに折り返したなら、二回目のコールが鳴り止まぬうちに「もしもし」という若干ろれつの回らない低音が耳に入る。
『たちかわか』
「はいそうですよー、あんたのかわいいかわいい後輩の太刀川慶くんですよー」
『おまえはかわいくない。じんは?』
「一緒にいる。まーたあんたにほっとかれたからって拗ねてめんどくせぇから、とっとと構ってやってくんね?」
『むぅ……しかたのないやつだ。いまどこにいる?』
「……いや、迅に送らせるから、直で連絡してあんたが今どこいるかあいつに教えてやってくれ」
『……、……わるいな』
「いいっていいって、ランク戦十本勝負してくれれば全然」
『おまえはいつもそればっかりだな。……まあいい、こんどじかんをつくろう』
いつになく柔らかい声で微笑んだ風間との通話を終えた太刀川。そこにふらふらと戻ってきた迅のもとへ着信が入り、みるみるうちに緩んでいく表情を眺めつつ運ばれてきた枝豆をビールで流し込む。
「ごーめん太刀川さん、おれもう行かなきゃだ」
「あっそ。俺はもうちょい飲んでくから、とっととどこへでも行っちまえ」
あからさまに浮かれた声で五千円札をテーブルに置き、スキップで店を後にする迅の後ろ姿。その様子をこっそり動画に撮った太刀川は「あんたの王子様が今お迎えに行くから大人しく待ってろよ」とメッセージを添え、風間へ送信した。
「……なーにやってんだか、俺は」
──ファミレスでほぼ一人で五千円なんて使いきれやしないのに。どうせこうなるのを予測した上で俺を呼び出したんだ。それでもやっぱり不安が取り除けなくて、吐き出して気持ちを紛らわせたいと。
風間にとって同輩たちがどれほど重要な存在か、迅とて痛いほどよく分かっている。だからこそ彼らの友情の邪魔をしたくない。したくないからこそこうやって、時折太刀川に向けて行き場のない感情を吐露するのだ。
気丈に振る舞っていてもその実寂しがり屋で、常に孤独感と戦っていて、他人への甘え方や頼り方を知らない小さな子供。
風間はそんな迅の心の内側に入れる希少な人物なのだ──太刀川には、それが少しばかり羨ましくもあり、妬ましくもあった。どんなに親しい間柄でも無意識に壁を作る迅の、内側に自分は入れてもらえないのか……と。
だが太刀川はまだ気づいていない。自分も迅にとっては忌憚なく愚痴や弱音が吐き出せる数少ない相手なのだということを。
枝豆と交互に時間をかけて飲み干したビールを再度注文し、待つ間またしてもかかってきた着信に緩慢とした動作で応答する。
「……あんだよ」
『お礼言っときたくてね。……ありがと、太刀川さん』
「るせ、こっちは奢られた分を返しただけだ。礼なら先に電話かけてきた風間さんに言え」
『……そだね。酔いが覚めたら言っとく』
『じん、おまえなにしてる、こんなにかたくなってしまって……』
『ッああもう風間さん! それ電柱だってさっきも言ったよね! おれじゃないってば!』
風間さんこんな調子だからもう切るね。慌ただしく切れた通話にふう、と深いため息をついた太刀川は、運ばれてきたばかりのビールをゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。