「ねぇ風間さん知ってる? おれ、風間さんのことは殺せないんだよ」
混成部隊での防衛任務。堆く積もったトリオン兵の屍の上に立ち、夜の闇に青空の色を靡かせて。細長いシルエットの青年は、数メートル先に佇む自分より頭一つ分小さな黒髪の少年──もとい青年に向けはにかんだ。
その視線には戦闘中に見せていた獣のような鋭さはなく、ただただ自分の想い人を愛おしげに見つめるだけの穏やかなものだった。
「……何故だ」
対して、風間蒼也は無表情のまま静かに問う。感情が読めない声音だった。
「おれが、あんたより先に死ぬからだよ」
迅悠一の瞳に影はない。晴れやかな微笑みを浮かべている。それは未来を知っている者が見せる顔ではない。何も知らないはずの人間にしか出せない笑顔であった。
しかし同時に知っている者の目でもあるのだ。未来を知りながらそれを告げることのできない者の、哀しく切なくやるせのない笑み。そして告げなければならないという重責からの解放を噛み締めるような笑いでもあった。
──あぁ、そうか。
だから彼は、この先自分がどうなるかを正しく理解していたのだ。自分は風間を看取ってやることさえできずに置いていく。風間を置いてこの世を去っていく。そのことをきちんと認識した上で『それでも構わない』と言っているのだ。それが彼の覚悟なのだ。己の死を受け入れながらも愛する者を守り抜く。そういう男なのだろう、迅は。
「…………」
風間は何も言わなかった。言えなかった。何を言っていいのか分からなかったからだ。そんな彼に迅は再び笑ってみせる。今度は少しだけ困ったような苦笑いだったが。
「ごめんね、急にこんなこと言われても困っちゃうよね。でも本当なんだ。おれはこの世界を守るために戦って、それで死んでいった人たちのことを憶えておかないといけないし、忘れちゃいけない。死んだ人はもう戻って来ないし生き返らないけど、残された人たちはちゃんとその人のことを覚えていかなきゃならないと思うんだ。どんな人だったとか何を考えていただとか、そういったことを全部ひっくるめて背負わないといけないんじゃないかって、──」
「──おまえは、未来だけでなく過去も全部、背負うというのか。全部、一人で」
遮るようにして口を開いた風間に、されど迅は何も言い淀まなかった。むしろその言葉を待っていたかのように、一層朗らかに笑った。その笑顔がひどく眩しかった。直視できないほど輝いて見えたのは、果たして錯覚だろうか。
「当たり前じゃん」
返された一言は、さながら明日遊びに行く約束を取り付けるかのような気安さで。あまりに軽すぎて、一瞬聞き間違いではないかと思ってしまうくらいのもので。しかれども、だからこそそれは彼にとって真実の言葉なのだろうと、何故か不思議と確信できたのだった。
「……、……馬鹿め」
ぽつりと呟いた言葉は誰に向けたものなのか。風間自身にも分からないまま夜風に溶けていく。それを耳にしたらしい迅が小さく肩を震わせて笑う気配を感じた。
「うん、そうだね。おれバカかもしんない」
「自覚があるなら改めろ」
「えー無理だってば。おれこう見えても頑固だし諦め悪いよ?」
「知るか」
風間蒼也という男は、生真面目ではあるが融通の利かない堅物というわけでもない。必要とあらば妥協することも時にはある。ただ、それだけだ。物事の道理や決まり事に絶対などないということを弁えた上で、自身の信じる道を歩むことに拘りを持つタイプの人間なだけである。
さりとて、今の風間にそこまで冷静な分析を行うことはできなかったようだ。いつもの彼とはまったく異なる調子の声音が耳に飛び込んで、戸惑っている様子が見える気がする。それでも普段のように淡々と突き放すことができないのだから、風間らしくもない。
迅はそれを分かっているのかいないのか、くすくすと笑いながら続ける。どこか無邪気にすら聞こえる笑い方だが、声音の奥底に滲むものは愉快とは程遠い感情の色をしているように聞こえた。親に置いていかれた幼子のような、寂しさを押し殺そうとする笑い声。
「……風間さん」
名前を呼ばれても風間はすぐに答えない。視線を合わせようともしない。それは迅にとって想定内のことだったようで、特に気にせずまた笑みを深める。泣きそうな子供の顔に似た微笑み。
そして、震えそうになる唇で静かに囁く。誰にも聞かれたくない内緒話をするように密やかに。
それは紛れもなく祈りであり、願いだった。
どうか、この人を悲しませないであげてほしいという。誰かの未来を守って死んでいくなんて真似を、させないでほしいという。たった一つの我を通すための。そのためならば他の誰が不幸になっても構わないから、せめてこの人だけには幸せになって欲しいという。そんな、あまりにも純粋で残酷過ぎる想い。
けれど、それが叶わないであろうことも彼は分かってしまっているのだ。きっと誰も彼を救えない。彼が死に至るまで戦い続けたその事実だけは消えないのだから。それを否定することはできまい。
だからこれは、呪いなのだ。
彼の愛したもの全てに対する──祝福。