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    liku_nanami

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    liku_nanami

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    羽鳥さんが少女漫画で人気のシチュエーションを回収していくお話、11。

    『バッドエンドは投げ捨てた11』【体調不良のヒロインを看病することになる】



    「玲ちゃん!」

     コンピューターの電源が落ちて稼働音が数秒かけて消えていく時のような、スローモーション。
     捜査企画課を数歩進みながらふと隣を見ると、真っ直ぐに保てなくなった体に自分自身で驚くように一瞬茫然とした玲ちゃんが、瞼を閉じながら静かに崩れていく。
     俺の方に手を伸ばしかけて上がりきらなかったその腕と背の隙間に咄嗟に手を差し込む。
     体を引き寄せながら一緒に床に膝をつくことで、何とか彼女が倒れて怪我をすることを回避した。

    「玲ちゃん!?」
    「泉!?」

     声を上げながら、室内で仕事をしていたマトリの面々が一斉に集まってくる。俺は彼らが玲ちゃんを囲むその前に、引き寄せていた彼女の体をそのまま抱き上げた。

    「病院に連れて行きます」

     由井さんが〝俺も行こう〟の最初の一音を言いかけたのを視界の隅に留めて、先手を打って「知り合いが経営している近くの病院に行きます。行き先は後で伝えます」と告げて足早に室内を進む。
     救急車を待つよりも自分の車で行った方が早い。けれど普通の病院ではこの時間にすぐに受け入れてくれるかは分からない。事前に話を通せる場所に連れて行った方が良い。候補はいくつかある。
     背中に由井さんから「待て。何の病状か分からないが場合によって処方薬に関してうまい説明が必要になる。本人にさほど自覚が無くても、厳密に言えば泉には薬に〝合う〟〝合わない〟がある」と声が飛んできて、引き下がらないどころか自分の車のキーを手に彼は俺の横に並んだ。
     反論に詰まったのは、彼がついてくるという行動そのものは正論だと分かっていたからだ。
     病院に行って、検査をして、何かあった時に処方された薬が『よく分からないが通常よりあまり効いていないようだ』では何の意味もない。
     玲ちゃんはマトリになるまで普通に生活をしていたようだから今になって処方薬から何か危険なことがバレるようなことは無いとしても、彼女の体を第一に考えれば、誰よりも彼女の体を研究している由井さんが一緒に来るのは当然のことだった。

    (誰よりも)

     分かったとも分からないとも言わないで、足止めされている時間の方が勿体無いと、玲ちゃんを抱えたまま再び歩き出す。
     俺達をもう一度止めたのは関さんだった。

    「由井、落ち着くんだ。大谷さんも。車で移動する前に、一番近いのは道を挟んだ向かいにある病院です。受け入れ可能か確認します。大谷さんは念のため他もピックアップをお願いします。青山、俺も付き添うから何かあったら連絡してくれ」
    「分かりました」

     即座に場をまとめた関さんの方へ振り向くことをしなかったのは、自分の幼い感情を誰かに悟らせたくなかったからだと自覚はあった。
     無言で廊下に出た俺と由井さんの後ろに、電話をかけながら関さんが追いつく。
     関さんは俺に何も言わなかったけれど、もしここに居るのが桧山だったら、叱責の一つも飛んできたのだろうか。
     背を向けたまま歯噛みするくらいには、自分の立場はよく分かっている。関さんはそんな俺を見抜いているだろうに、黙ったままでいられることに理不尽に苛立った。
     家族でもない、上司としての責任もない、冷静な判断もできない……彼女にとって何者でもない男の付き添いは、役にも立たなければ居る必要もない。
     この場で最も彼女に寄り添う権利のない部外者が唯一、俺なのだと痛切に思い知らされたのだった。






     エントランスを出て道を渡った先にある病院は、時間外診療対応ですぐに倒れた彼女を受け入れてくれた。合同庁舎に最も近い病院。関さんの顔が利いたと考えるのは、的外れな印象ではないはずだ。
     倒れた経緯からしてそう難しい病状ではないだろうと医師は判断しながらも、その場でできる限りの検査を行なってくれた。結果、案の定というか、意識消失の原因は『風邪症状と疲労を原因とした一時的な自律神経障害』だった。つまり、脳のショート状態。
     ベッドに寝かされた玲ちゃんは医師の診断を受ける間に一度目を覚ましたけれど、かなりぼんやりとしていて、状況をよく理解しないままだった。
     点滴を受けて、由井さんの適切な説明によって良い風邪薬を出してもらって、『あとは熱が下がるまで安静に』と言われて、入院をするほどでもなく病院から帰ることになった。
     回復するまで彼女の部屋で寝泊まりすると言い出した由井さんのことを、関さんが首根っこを掴むように「由井」と鋭く止める。そして、気絶の後遺症というより恐らく発熱でぼんやりしたままの玲ちゃんに声をかけた。

    「泉。俺達は仕事に戻るけど、大谷さんが送ってくれるから。それで良いね」
    (え)

     玲ちゃんが静かに「はい」と頷く。

    「体調が良くなるまで、ゆっくり休むように」
    「……はい」

     玲ちゃんを支えてロビーに戻る途中、俺に任せて良いんですか? と訊ねた俺に関さんは「大切な仕事仲間だからこそ、俺達は彼女の気持ちを無理には抑えられなかったんです」と、彼女の体調の異変に気づいていながらこの事態を止められなかったことを、悔しげに吐露した。

    「潜入捜査の報告を聞いていても、泉は大谷さんのことをとても信頼しているようでしたので。彼女が思い悩んでいた原因を想像すると、今付き添うのは俺達ではない方が良いかと思います」

     捜査企画課で無理はダメだよと俺が玲ちゃんに言った時、課に居た彼らの目は確かに彼女の体調を気遣っていた。俺が言うよりも先に無理はするなと伝えた人も居たのかも知れない。
     それでも玲ちゃんが働き続けたのは、その時には彼女は本心で『大丈夫』と思っていたからなのだろう。
     それが、いつもより少し睡眠時間が少ないだけで倒れるなんて。自分でも想像していなかったに違いない。普段の体力なら確かに何とかなったのかも知れないけれど、風邪の発熱が加わって体がオーバーヒートしてしまった。
     体調が戻った時、彼女は相当ショックを受けるに違いない。自分の行動が仕事に支障をきたすこと、課に心配をかけること、それは玲ちゃんが最も避けたいと思っていることのはずだ。
     そして俺も、玲ちゃんの打ちひしがれる姿を、彼らには見せたくないと思った。


     覚束ない足取りのまま玲ちゃんが俺の車に乗るのを見届けた関さんは「よろしくお願いします」と彼女を俺に預けて、そのまま有無を言わさず由井さんを連れ立って帰って行った。
     関さんは俺が玲ちゃんのマンションまで送り届けると思って任せてくれたんだろう。
     当然、俺も初めはそのつもりだった。玲ちゃんが一番落ち着いて休息できる場所は自分の部屋だと思ったから。
     だけど少し車を走らせるうちに、由井さんではないけれど体調不良の彼女を一人残して帰ることができるのかという気持ちが急速に膨らんでいった。
     一日で熱が下がるかどうかも分からない。それどころか悪化するかも知れない。買い出しは誰がする? 薬がなくなったら? 食事は一人で食べられる? そう考えているうちに、彼女の家ではダメだと自然と結論づけていた。

     なら、どこに帰れば一番安心なのか。
     正解は恐らく、桧山の屋敷に連れて行くことだった。
     あの家には24時間いつでも誰か人が居て、屋敷には何でも揃っていて、足りなくてもすぐに補われる。
     なのに、俺は連れてきてしまったのだ。
     効率も正解も関係ない。俺が一番目を離さなくて済む、自分のマンションに。


     貰った薬が効いたのか、マンションの駐車場に着く頃には玲ちゃんは後部座席に横になるまま、もう一度眠ってしまっていた。
     検査の時に着替えは看護師さんがやってくれていて、検査着は買い取ると言っても病院の方が困ると思ったから、後日返しに来ると約束をして借りたままできた。
     力の入らないふにゃふにゃの玲ちゃんを抱えて、体を締め付ける下着は検査時に外されたんだなと感じることは意識の外に追いやって、自宅に戻り、自分のベッドに彼女を寝かせた。

    「玲ちゃん」
    「……」

     倒れた時、血の気が引いて白く見えていた顔色は点滴のお陰か少しは良くなっている。熱のせいなのかむしろ多少赤みを帯びていることに、意識を失うほどの病状だったものが通常の体調不良に戻ってきたのだと安心して、息が漏れた。
     原因が風邪だというなら体を温めて、ビタミンを多く摂れる食事が良いだろう。食欲は無くなっているかも知れないけれど、体力を低下させないためには休むことと同じくらい、食べることも重要だ。

    「玲ちゃん」
    「……」

     俺のベッドで眠る玲ちゃんを見続けて、動けなくなりそうだった。
     せめて彼女が目覚めた時にすぐに食べられるものをと、キッチンに移動した。






     一時間ほど経って寝室に戻ると、薄く目を開けた玲ちゃんが横になったまま壁を眺めていた。

    「羽鳥さん?」
    「起きたんだ。良かった」
    「羽鳥さんみたいな赤い色だと思ったら、羽鳥さんの部屋だったんですね」
    「ああ、壁の色」

     寝起きでぼんやりしてはいるけれど言葉ははっきりとしていて、病院で朦朧としていた時よりもだいぶ体は楽になったようだった。

     そういえば彼女は俺の部屋のリビングにまでは来たことがあるけれど、ベッドルームに入るのは初めてなのだと今更に気づく。
     目が覚めて知らないどこかの寝室に寝かされていて、最初に思い出すことが俺の色ということに、少しだけ感情がうずいた。

    「今、何時ですか」
    「夜の9時過ぎ」
    「え、9時? あれ? 庁舎で羽鳥さんと話して、それから……それから……?」
    「覚えてない? 玲ちゃん、意識失って、そのあと病院に行って、そこで少し起きてたんだけど」
    「病院……?」
    「大きな病気じゃないみたいで良かった。風邪と寝不足だって。関さんも由井さんも安心してたよ」
    「関さんと由井さんも来てくれたんですか?」

     目を見開いた玲ちゃんは一気に頭が覚醒したように固まって、そして、自分が今、俺の部屋で寝ている経緯をようやく悟ったようだった。
     体調とは別の意味で青ざめた表情で絶句して、呼吸を繰り返す。けれど、焦ったところで彼女にできることは何もない。今から職場に戻るれるわけでもないし、風邪を引いた時の病人なんていうのは休むのが仕事だ。玲ちゃんの目が覚めたことは、俺から連絡を入れておけばいい。
     唇を引き結んだ玲ちゃんは、掛け布団にそっと顔を埋めた。

    「どうしてそんなに頑張っちゃったの?」
    「……」

     捜査企画課の応接室で浮かない顔をしていたのは、本人の気づかない風邪の症状も影響していたんだろうけれど、それ以上にあの事件の顛末に玲ちゃんはかなり傷ついていたように見えた。マトリとしては成功だったはずだって、俺なりに励まそうとしても届かないくらいに。
     布団に隠していた顔が少しだけあらわになる。その目は、微かに潤んで見えた。

    「今までがむしゃらに目の前の事件に向き合うことばかり考えてきましたし、それで良かった部分も確かにあったんです」
    「うん」
    「でも、私達の捜査計画一つで誰かの人生が変わってしまう、その責任とか」
    「うん」
    「……恐さ、とか。背負っているものを私にも分けても大丈夫って、思ってもらえるようになりたいって」

     でも、関さんや青山さんのような経験、由井さんのような秀でた専門性。今大路さんのような捜査官としての技能。彼らの力の裏付けとなる積み重ねは、追いつこうとしたって追いつけるものじゃない。
     ならせめて知識だけでもと、焦ってしまったのだろうか?
     現場を知らない俺に、かけられる慰めはなかった。来るかどうかも分からない未来を全部背負うことは難しいけれど、どこかで備えていなければ後悔をする。そんなふうに一所懸命になった彼女は、確かに倒れるまで突っ走ってしまうことは問題だっただろうけれど……マトリの彼らが気遣いながらも玲ちゃんを止めることができなかった気持ちは分からないでもなかった。
     由井さんは病院で『だから毎日泉の検査をと言ってたのに』とぼやいていたけれど、恐らく関さんを初め、彼らにも今の玲ちゃんと同じような思いをしたことが幾度となくあったんだろうと思った。

    「大丈夫。体調が戻ったら、また少しずつ進んでいけるよ。今度は倒れないくらいにね」
    「はい。……羽鳥さん、心配してベッドまでお借りして、ご迷惑おかけして……すみませんでした」
    「迷惑だなんて思っていないよ。心配はしたけどね」
    「すみません……。今日はお世話になってゆっくり寝て、明日からまた」
    「ううん、玲ちゃんは明日もお休み」
    「お休み?」
    「関さんが、ちゃんと体調が戻るまでゆっくり休んでくれって」
    「お休み……」

     みるみるうちに滲み始めた玲ちゃんの目が、雫を湛えて一層その瞳の大きさを増していく。

    「すみません」
    「玲ちゃん……」
    「すみません……」

     ベッドのふちに腰をかけて、玲ちゃんの頭をそっと撫でる。彼女は俺の袖を掴んで、ついに涙を溢れさせた。
     情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて。そんな気持ちが玲ちゃんの中から一気に溢れ出て、小さな子供みたいに嗚咽しながら涙を流す彼女を布団ごと抱き寄せて、俺はその髪をずっと撫で続けていた。


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