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    liku_nanami

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    羽鳥さんが少女漫画で人気のシチュエーションを回収していくお話12。

    『バッドエンドは投げ捨てた12』【惹かれたヒロインが変わり者】




     ひとしきり泣いてようやく涙を止めた玲ちゃんは、熱がまた少し上がってきてしまったのか、それとも涙を流してエネルギーを消耗したのか。眠たげにしながら目を擦って、そのまま素直に寝てしまえば良いのにどうしてか睡魔に堪えようとしていた。「擦ったら腫れちゃうよ」と濡れたハンドタオルを持ってきて瞼の上に乗せてあげると、彼女は心地よさそうに息をついた。

    「ありがとうございます。……タオル、保冷剤入ってますね」
    「冷え過ぎだったら取ってね」
    「いえ、気持ちいいです、ありがとうございます」

     そのままベッドに腰をかけた俺の手からタオルを受け取って、目とおでこを押さえながら玲ちゃんは言葉を続ける。寝息に混ざるような静かな声が、いつもは無音のこの部屋を満たす。

    「なんというか、慣れてますね」
    「まあね」
    「羽鳥さんも子供の頃は泣き虫だったんですか?」
    「うん? 珍しい発想するね」
    「そうですか……? 珍しくないというと……? 女性関係、ですか?」
    「だいたいはそっちの話になることが多いかな」

     冷気が移った手から反対の手にタオルを持ち替える間、一度黙った玲ちゃんは、何かを思い出そうとしているようだった。
    「私、羽鳥さんと居て何度か女性関係の修羅場に巻き込まれたことがありますけど、そういえば泣いている女の子をほとんど見たことがなくて」
    「そうだっけ?」
    「はい。怒っている子はたくさんいましたけど……というか全員もれなく怒っていましたけど……。もし彼女達が家で泣いているとしても、そういうふうにしてしまった女の子のお世話を羽鳥さんが自分でしてあげる様子も想像もできなくて」
    「ひどい男だね」
    「ホントですね……」

     玲ちゃんの声が、更にまどろむようなものに変わっていく。けれど今はまだ眠りたくないとでも言うように、いっそ饒舌なくらいに取りとめもない会話を続けようとする様子は、話題の内容に反してどこか幼い子供の姿を思わせた。

    「羽鳥さん」
    「うん?」
    「どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?」

     疲れか眠気か、歯止めの利かないお喋りは、いつもの彼女だったら内に留めていただろう質問を何の躊躇もなく外に送り出す。

    「病院に連れて行ってくれたのはともかく、そのあとは捨て置かれてもいいところだと、思いますし」
    「体調の悪い女の子を捨てたりしないよ」
    「寝室にまで運んで、ですか?」
    「色恋と体調不良の問題は別物でしょ?」
    「そうですか……?」
    「……」

     言動が今までの自分と比べておかしいことなんて、誰に言われなくても俺自身が一番よく分かっている。その矛盾を今ここで追求されたら、形勢が不利になるのは間違いなく俺の方。
     彼女が半分、夢の中に居るようで良かったと思う。膝の上で組んだ指が落ち着きなく動いていることも、目を瞑っている彼女には見えていない。
     俺はなんとか「とにかく今は寝て、次に起きたらご飯を食べて、体力を戻して。早く復帰することに専念しないと」と眠りを促すように静かに言って、ライトを落とそうと彼女の枕元に置いたリモコンスイッチに手を伸ばした。天井のダウンライトを消して、間接照明のオレンジ色の光を更に深くする。
     そうして腰を上げようとした俺の袖を、玲ちゃんが静かに、しかし確かな力で掴んでいた。

    「羽鳥さん」
    「どうしたの?」
    「もう少し、一緒にいてもらえませんか?」
    「……隣の部屋に居るよ」
    「そうじゃなくて」

     自分が何を言っているか……分かっていないわけじゃないらしかった。
     彼女の目は今もまだタオルに隠されていて見えないけれど、まどろんでいたはずの声ははっきりとして、真剣だった。
     山梨でのホテルの一件が、脳裏をよぎる。警告のつもりで踏み越えた境界線。熱に浮かされていても、玲ちゃんはそれを忘れたわけでは無いはずだ。
     でも、これがあの時に答えを出すことを避けた会話の続きだと受け止めるのは、いくら何でも軽率だろう。今まで俺が関わってきた他の女の子ならそういうこともあったかも知れないけれど、玲ちゃんがこの状況を利用しようとするような女の子なら、俺は初めから、こんなにも彼女のことが気になったりしていない。
     彼女は俺が〝そういう風に〟受け止めるだろうということも分かった上で……何かを真剣に、伝えようとしていた。

    「私、今回の事件が落ち着いたら、ちゃんと考えようって思ってたんです」
    「考える? 何を?」
    「山梨でホテルに泊まって、次の日の朝、羽鳥さんが何だかすごく遠い人に感じられて……あんな風に、羽鳥さんと居て生まれた気持ちとか、交わした会話とか、確かにそこにあったのに、無いことになってしまうのは、本当はとても恐いことなんじゃないかって。それで、そう考えるということは、私」
    「玲ちゃん」

     彼女が言いかけたその先に微かにでも期待を持ったことが、どうしようもなく俺の中の不安を増幅させる。たしなめるつもりで短く彼女の名前を呼んでも、話すと決めた彼女には何の歯止めの効果もなかった。

    「もしかして羽鳥さんのこと、好き」
    「玲ちゃん」
    「なんでしょうか?」
    「……」

     ……ええと?
     ずっと、俺のことを好きにならない面白い玲ちゃんでいてって思ってきた。
     なのに一緒に泊まったホテルでは俺の方が先に揺さぶられて、潜入捜査に協力した工場では俺みたいな男の中にも庇護欲があるんだと思い知らされて。槙のところでは確かに自分が玲ちゃんに惹かれていると気付かされ、捜査企画課の面々に囲まれて稚拙な嫉妬と独占欲に埋め尽くされ……そうして徐々に追い詰められた末に待っていたのは、今までに経験してきたどんな恋愛ゲームでも聞いたことがなかった、新種の告白だった。

    「……それ、俺に訊くの?」
    「自分の中の可能性を潰していくと、そこに辿り着くのかなって……」

     しかも消去法。この問いに答える術を俺は知らない。

    「……吊り橋効果、とか」
    「それも考えたんですが……」

     考えたらしい。

    「吊り橋効果が私に適用されるなら、多分私は捜査企画課の全員に恋の錯覚をしていると思うんです」
    「ああ……」
    「毎日ドキドキ、というかヒヤヒヤというか、心拍数が上がることばかりで。でもそれは今私が羽鳥さんに感じているものとは明らかに別のもので……」
    「病気で弱っているから一緒に居てほしいって、そう錯覚しているだけの可能性も高いと思うよ」

     これじゃまるで、否定しているようで肯定してくれることを待っているような口振りだ。自分を嫌悪する以上に、ただ情けない。

    「弱っている時に一緒にいてほしいと思う人のことを、好きなんだって考えたらいけないんですか?」
    「……」

     まどろんでも、体調不良でも、思考回路が理屈っぽいのは変わらないらしい。お酒を飲んで判断力が鈍っているわけでもない。ただ熱で我慢することの枷が外れただけ。
     厄介だと思った。ものすごく。

    「玲ちゃん。男って、弱みにつけ込みたくなる生き物だって知ってた? それが相手の正常な思考じゃないだろうって分かっていても」
    「弱みを見せても良い、見せてつけ込まれるならそれでも良いって思える人のことを、好きなんじゃないかって考えるのは、そんなに変なことですか?」
    「玲ちゃん」
    「私、本当に、今のまま、これで良いのかなって、どうしても分からなくて……。境界線なんて勝手に作って思い込んでいるだけで、本当はそんなもの無いんだって、教えてくれたのは羽鳥さんなのに」
    「……」
    「なのに、越えられるかも知れないものがあるのに、今が楽だからってずっとその場所に居て、気づいたらおばあちゃんになっていて……」
    「……。おばあちゃん?」
    「はい……羽鳥さんもおじいちゃんになって……」
    「おじいちゃん」
    「はい。どこかで違う誰かと居るかも知れないし、一人かも知れないし、今までみたいに一緒に笑っているかも知れないですけど……でもどこかで違う勇気を出していたら、もっとこの人と別の未来もあったんじゃないかって、考えるんじゃないかって、そんな風に思える誰かに出会ったのに、何もしないままなのって、もったいない気がして……」
    「もし玲ちゃんが変えようと思っても、俺がそれを嫌だと思ったら、今この時間さえ全部終わっちゃうかも知れないよ?」
    「羽鳥さんは私が羽鳥さんのことを好きだと、私を嫌いになっちゃうんですか……?」
    「……」

     額に乗せたタオルをどけて、こちらを見た玲ちゃんの目は、どこまでも悲しげで、そして澄み渡っていた。息を呑んでいるうちに、瞳はまた瞼の奥に隠れてしまう。

    「いえ、もしそうだとしても、自分の人生で今ここが大事なんだって思うこと、あるじゃないですか。もしもそれが何かを終わらせてしまっても、そこからはまたちゃんと新しいことが始まって……」

     その時、その場所に俺が居なくても?
     どうしようもなく矛盾した疑問は、いっそもうそれが答えだと言って良いくらい、俺の中で輪郭がはっきりとし始めていた。

    「だいたい、羽鳥さんは、どうしてそうやっていつも自分だけ脇役みたいな顔をして、知らないふりして話の中心から居なくなろうとするんですか?」
    「そんなことしてないよ」
    「してますよ……。たしかに世の中には避けられない悲劇とか、つらいばかりの時間だってあるかも知れないけれど、そうじゃないものを目指す権利は誰でも持っていて、そうやって、たくさんの主人公の物語が絡み合って、歯車が噛み合ったときに、恋とかそういうものになって、自分は主人公じゃないなんて、思う必要はどこにもなくて……」
    「……」
    「……。羽鳥さん」
    「うん?」
    「この話、どこに向かってますか?」
    「……」
    「うーん……?」

     分かっている。何もせずに失ってしまう未来があるなら、自分から掴みに行って、結果をその目で確かめに行った方がよほどマシだと玲ちゃんは言っている。
     玲ちゃんの体調不良の原因は、ただ仕事のことで寝不足になっただけでも、風邪を引いただけでもなかったのかも知れない。同時にそんなことを悩ませてしまうほど、彼女を精神的に不安にさせたということだ。俺が、変わってしまいそうな何かから目を背けたために。

    「……玲ちゃん、とにかく、今日はもう眠って? 近くに居るから。元気になって、仕事に復帰して、話はそれから」
    「それからなら、ちゃんと話してくれますか?」
    「玲ちゃん」

     声は囁くようで半分夢の中に入っているのに、彼女の言葉は眠りにつくまではっきりしていた。今はそれに応えることはしないで、今度こそ彼女が眠りにつけるように、指の背でそっと彼女の頬を撫でて、ベッドから腰を上げた。

    「何も考えないで。今はゆっくりお休み」
    「……。はい。おやすみ、なさい」

     今は、という言葉に安心したのか。ベッドから離れて、数歩先にあるソファに身を沈めて玲ちゃんを見ると、タオルを器用に瞼に乗せたままその手は脇に落ちていて、彼女は静かな寝息を繰り返していた。

    「……それからなら」

     玲ちゃんが次に目を覚ました時、この会話を覚えていたら。いや、覚えていなくても、俺はそろそろ逃げられないのかも知れない。

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