南さに 一歩前へ 極力現世の人間を巻き込むべきではない。
幸にしてここは離れ。しかも今この建物内には私たちしかいないはずだ。
懐から取り出した札を畳に叩きつけ結界をはる。まさか使うことになるとは思いもよらず、念のためと持ってきただけの札はこの一枚だけ。そして私の霊力ではこの建物を数分隔離させる程度のことしかできないだろう。
「御前、結界を張りましたから存分に暴れてもらって大丈夫です。」
「よし、了解した。」
私を部屋の隅へと移動させ、男へと刀を向ける御前の背中を見つめることしかできない。
切り落とされた腕を見つめていた男はそのままぐるりと首だけをこちらへと向けた。それを見た瞬間に口から悲鳴が溢れそうになる。
男の表情はまさに無。
虚な目。ぽかりと半端に開いた口。
意思があるとは思えない顔してこちらを見据えると、口元だけがにやりと歪んだ。
「主には指一本触れさせん。」
グッと重心を下げ、床を蹴る。ものすごい速さで男との距離を詰めた御前の刀が男の上半身と下半身を分裂させた。
ーーーーーーように見えた。
が男はいつの間にやら距離をとり、ギラギラと光る大太刀を携えていた。
そしてその体がぐにゃりと歪むと膨張するかのように巨大化していく。
ぐしゃんと生々しい音をたてて腕が生え変わる。
びちゃと音がして額からツノが生える。
特撮映像でも見ているのかと思うような変わりように身体がガタガタと震えるのを止められない。
男…いや時間遡行軍大太刀が腕を振り上げる。
空気を切り裂くぶおんという低い音がした瞬間、目の前の赤と白の背中が動いた。
片足を座卓の上にのせ、乗り出した先でガキンと硬い鋼同士がぶつかる音がした。
「…ぐっ…。」
唸るような声が聞こえたと思う。だが次の瞬間には御前の身体が吹っ飛び、畳へと打ち付けられる。すぐさま起き上がった御前の口元からたらりと落ちた血を、彼がぐいと拭った。
「室内、刀装なしでは分が悪いな。」
御前が呟く。
手助けすることのできない自分がもどかしい。だが邪魔になることだけは避けなければならない。
敵大太刀はどうしたのか、振り抜いた体制のまま動かない。
人間に化けていた名残なのだろうか。とにかく通常の戦場で見る相手とはどうも違っている。
「主。口を閉じていろ。」
じりじりと敵を警戒しながらこちらに近づいてきた御前が囁く。それにこくりと頷くと、腰に彼の腕が回った。
びゅっ!と耳元で風を切る音がした。
トンと音がして、地面から身体が離れる感覚。そして視界が目まぐるしく変わっていく。
「すまんがしばらくここにいてくれるか。もしもの時はそいつを広げてみてくれ、一撃くらいは防げるだろうよ。」
そう言って御前が指し示したは、見合いの前に私の帯に突っ込んだ自身の扇子。
訳がわからないまま頷いて、震えるひざの上で拳を握る。
「なあに。心配はいらん。守ると言ったんだ。最後まで守りきってみせるさ。」
その拳の上から御前が手を重ねそう言ってくれた。
「…はい…」
震える声ながらも返事を返せば、「良い子だ」とだけ残して姿が消えた。
そしてすぐに下から激しい戦闘の音が聞こえてくる。
こんな時審神者は本当に無力だ。もしここが本丸ならもう少し対応できただろうか。いや。今とやれることなど大して変わらない。戦力が多いというだけで、彼らを戦闘の前面に立たせることに変わりはないのだから。
震える身体を落ち着かせる為の深呼吸。
目を閉じ、体内をめぐる霊力を意識する。少しでも体力と霊力を残しておかなければならない。これ以上御前が怪我をするようであればなんとかして手入れをする。そのために。
自分ができることを精一杯。
それだけを考えていた。