おそらく私の最初の刀さにこの国には戦争があった。いや、「あった」ではない。現在もなお終わることなく続いている、終わりの見えない戦。
歴史修正主義者という、歴史を変えたい者と、歴史を守る者の戦い。
繰り返される歴史を守る戦いの中でわずかに生じたずれ。
それは歴史を守るために仕方のないこと。
歴史修正主義者も守る者も歴史にとって異物に変わりない。それならばそれは回避し得ないもの。
そんな取るに足らない歪みなど、いつしか歴史という大きな波に飲み込まれ、如何ともなる。
そのはずだ。
だがそれに飲み込まれ損ねた小さなずれは幾千もの時の中で大きな歪みとなるのだ。
「どうしたっ!なにが起きた」
「わかりません。ですが歴史が改変されたようです」
とたんにあわただしくなる政府主要施設の一室。
「こちらのデータベースからもNO1のデータが消えました。別の者がNo1となっています」
ガタガタガタと激しくキーを叩く音が鳴り響く。
「おかしい。だがこれは奇跡だ。まだ俺たちの記憶にNo1が残っている。」
誰かのつぶやきはざわめきに消える。
「わかりました。先ほどの本丸No○○○○○の刀剣男士が歴史修正主義者と交戦。その際、死ぬはずのなかった一般人が巻き込まれています」
叫ぶように告げられた言葉。
「すぐにNo1を殺した者を押さえろ。彼女が死ぬ前の座標に飛ぶんだ」
「わかりました」
「すぐに」
走り出す職員。
歪んだ空間と光を発して光る門へ飛び込み、消えていく。
その日一人の審神者が死ぬはずだった。
いや正確には審神者になる予定の者。ということでこの時点では審神者ではなかったが。
だがそれはものの数秒で覆される。
事故が起こるその直前。突如現れた黒服の男たちによってひとりの少女が取り押さえられ、姿を消したからだ。
こうして奇跡なのか、不運なのか、消えたことに気づいてもらえた審神者は生きながらえ果てしなく大きな歴史改変は防がれた。
その少女こそ、この後歴史上初の審神者となり、付喪神を呼び出す術を確立した偉大な審神者である。
錆びた鉄の匂いがまとわりつく。既に自分の体から流れた血の匂いなのか、相手のものなのか判断は付かない。
がさがさと進む先を邪魔する草木を足で踏みつけへし折りながら前へ前へと進んだ。
握りしめた右手はしっかりと自身を掴み、腕と一体化してしまったと錯覚するほどだ。
「鶴さん、後少しだ」
「そうか、わかった。さっさと行け光坊」
少し先を進む燭台切光忠からかかった声ににっと笑って返してやる。背中に血塗れの短刀を背負うその声には余裕がない。だからこそきっと大丈夫だと伝わるように殊更明るい声で返事を返す。
すぐ後ろに迫る遡行軍はなんとしても自分が止めてみせるとそう決意している。
夜の山中。太刀である自分に決して有利とはいえない地の利。だが門がすぐそこだというのなら、どうにでもなる。
追ってくる奴らを切り裂いて、そこに飛び込んでしまえばいいのだから。たとえ腕一本犠牲にしたとしても、本体である刀が折れない限りどうとでもなる。
「見えたっ」
先頭を走る歌仙の叫び。
「みんな飛び込めっ」
どこからともなく光が射し込むその不思議な空間に仲間が次々と飛び込んでいくのを見届けて、自分もその光に足を踏み入れようとした。
「ーーーぐっ」
とたん足を突き抜けた熱。
体が前へとつんのめり、地面とぶつかり合う。
「鶴さんっ」
仲間の声が聞こえたけれど顔を上げる余裕もない。
背中から迫る敵の気配に、とっさに体を捻り転がりながら握りしめた右手を振り上げる。切っ先が敵をきりつける感触に倒したかどうかを確認することもせずに、消えかけた光の中へと飛び込んだ。
ひだまりのように暖かい光に、あぁ帰ることができるのだと薄れかけた意識中でほっと息をついて目を閉じた。
しっとりとした土の感触。
抜かれまいと地面にしがみつく生き生きとした緑を引っ張り、抵抗感にあらがって持ち上げればぷちぷちとした感触とともに持ち上がる。抵抗やむなくすっかり抜けた緑の草はたくさんの土をくっつけたまま手の中でぶらぶらとぶら下がる。
ごめんね、と心の中で言いながら根っこについた土を払っていると、「主様~」と軽い足音と共に高い声が聞こえた。
「秋田くん、どうかした?」
声の方へと振り向きながら手にしていた草をかごに落とす。
「主様」
いつも穏やかな彼にしては珍しく息を切らしてこちらへ駆けてくることに首を傾げつつ、よいしょと立ち上がって彼へと向き直った。
「主様、門が突然開いて、傷だらけの鶴丸国永が」
はぁはぁと荒い息をつきながらの言葉の中に聞きなれない言葉。
「門?突然開くって。今、誰も出陣してないはずだよ。それに『つるまる』って・・・?」
つるまるくになが、つる・まる。
そう何度か心中で反芻して、それが「鶴丸国永」という太刀の名前だと思い至る。
「とにかく来て下さい主様」
有無を言わさぬ強引さで腕を引かれ、立ち上がる。
見た目幼子の短刀とはいえ、力は全くかなわない。
土の付いた手を簡単に払って秋田くんの後に続いて走り出した。
そして案内された先。
この本丸の転移門の前には既にこの本丸にいる刀達全員が集合していて、まるで戦場にいるときのような殺気だった空気を醸し出していた。
「主、来るな」
近づこうとするとこちらを見ずに飛んでくる厳しい声。
それに秋田くんの足もぴたりと止まる。それと同時に隣に立った今剣ちゃんは、いつもの人懐こい笑みでは無く戦場にいる時の顔でじっと我が本丸の初期刀の視線の向こうを見据えている。
「どうしたんですか、山姥切国広」
「......うっ......」
呼んだ初期刀の返事の前に聞こえた呻き声。
「主、危険だ。近づかない方がいい」
「主様」
二人の止める声が聞こえたが、それよりも苦しげなその声が気にかかる。一歩踏みだし見えた、山姥切の向こう。そこに横たわる白と赤に思わず息を飲んだ。
そこには真っ白な服を真っ赤に染めた一人の姿。いや「一振り」の姿。よほどの戦場にいたのだろう。本来なら白だと思われる彼の衣装は白い部分がほとんど失われている。鶴丸国永。この本丸にはいない刀剣男士。けれど彼をこのまま放って置くわけにもいなかいだろう。
これほど血にまみれた刀剣男士を見たのは初めてだ。これほどの重傷を自分の霊力で手入れ可能だろうか。そもそもよその審神者の男士を勝手に手入れしていいものか。
頭の中をいろいろな事が駈け巡る。けれどやはりこのまま放っておく事なんてできなかった。
「山姥切国広。彼を手入れ部屋に運んで」
「っ!主」
驚いた声誰かから上がる。
「このままにはしておけません。急いで」
強い声でそれを押しとどめ指示を飛ばす。それに一番に動いてくれたのは大倶利伽羅だった。
「わかった。俺が連れていく」
言った彼はすぐさま傍らにひざまづき、呻き声しかあげない彼を抱え起こす。
「反対は俺が支えよう」
それに山姥切が反応してくれた事に内心ほっとした。やはり初期刀にうなづいてもらえるということは安心する。
手入れ部屋に行き資材置き場の前に手を突いた。
うちの本丸の資源量はぎりぎりだ。政府から支給される分以外の物は持ち合わせていないのだ。鍛刀はできないから消費する事は手入れだけだけれど、太刀の手入れ、ましてこれほどの重傷ではかなりの資源が消費されてしまう。
けれどやると決めたのだ。後は皆がけがしないよう慎重に出陣してなんとかするしかない。
「本当にやるのか主」
我が本丸の資源量を一番よく知っている山姥切が聞いてくる。
「やりましょう。このままでは彼は折れてしまう。うちの本丸に来たのも何かの縁。このままにしたら絶対後悔するから」
「わかった」
必要量の資源をそろえ、体を横たえた鶴丸国永の隣に正座をする。
二度頭を下げ、柏手を打った。
そのまま目を閉じ、霊力を集中させる。
手のひらに感じる霊力の流れ。それが有る程度溜まったら今度はその手を資源と鶴丸国永へと向けた。じわりと発光した薄緑色の光が手入れ部屋を照らす。目を開けていると集中が途絶えてしまうので見たことは無いが、資源から発せられたぼんやりとした光がゆっくりと手入れの対象へと吸い込まれ、資源がだんだんと減って行くのを感じる。
じわりと汗がにじんだ。
これほど霊力を持って行かれた事は初めてだ。こんなことでは石切丸さんが重傷を負ったりなんかしたらどうなってしまうんだろう。もっと霊力をあげないとな。なんて考えていたら、手入れのスピードが落ちてしまっていて、いけない集中と再び気合いを入れ直す。
やがてすべての資源が鶴丸国永へとはいり、光がすべて収まったところでようやくふうと息をついた。
そっと目を開く。
真っ赤だった鶴丸国永は、通常の色であろう真っ白な姿へと戻っていた。
まだ血の気が戻っていないのか、ほの白い頬。目も閉じられたままであるがひとまず安心する。
「よかった」
呟いて立ち上がろうとした瞬間、世界がぐらりと揺れた。
自分の体制が分からなくなり、そのまま地面へとどさりと倒れ込む。
「どうした、主」
色を失っていく世界の中、勢いよく開かれた扉の音と初期刀の声が聞こえた。
あぁこれ霊力の使いすぎだ。また山姥切に心配をかけちゃうな。なんて思いながらの何度めかの経験に、こんなときは諦めて休息するしかないと既にほぼ見えていない目を閉じた。
(ここで夢を見てもいいかも。
正しい歴史の自分の夢OR過去の自分の夢
こんなはずじゃなかったと思っている夢)
ゆっくりと意識が浮上する。
体の痛みはない。どうやら無事に本丸にたどり着けたようだと安堵して、続いてほかの仲間たちはどうしただろうと思い出す。傷だらけだった小夜や歌仙は無事だろうか。
最後の姿が脳裏によみがえって、それを払拭するためには実際に会うのが一番だと、いつものように目をあけた。
だがそこに見えた天井に違和感を覚える。
うちの本丸の手入れ部屋はこんなだっただろうか。
確かに和室で板張りの天井だが、どこかが違う。そう感じてわずかに警戒しながらゆっくりと身を起こす。
体に痛みは無く、あれほど深手を負っていた傷もふさがっているようだ。
柔らかな布団に手を突き、上半身を起こす。
そして見えた風景に驚きに目を見開いた。
「ここは...どこだ...」
畳の上に敷かれた布団。その枕元、手を伸ばせばちょうど届く位置に置かれた畳まれた自分のものと思わしき服。そしてその先に刀掛けに置かれた見慣れた太刀がある。それは間違いなく自分自身だが、この部屋にはそれ以外一切物が無く、真っ白な襖に仕切られた押入が有るだけだ。正面の障子はぴったりと閉まっているが、透けて見える明るさが今が日のある時間なのだと伝えてくる。
自分の本丸ではないと思われるその事実に困惑する。
が、ここがどこなのか確かめねばなるまい。とゆっくりと布団から立ち上がった。
いつの間に着せられたのか、薄灰色の着流しのまま、刀に手を伸ばしそれを取る。
そっと鯉口を切りわずかに刀身を引き出せば、それは見事な輝きを放っていた。しっかりと手入れされた刀を手にわずかながらも警戒をしながら障子へと手を伸ばした。
開いたその先。
そこにはこじまりとした畑。広いとは言いがたいが、均等な間隔をあけて植えられたトマトや人参など数種類の野菜が青青と葉をのばしていた。
「ここは...いったい...」
おもわずぼんやりとそれに見入っていると、とたとたと軽い足音が聞こえてきた。
「めをさましましたね」
視線の先。廊下の曲がり角から顔を出したのは今剣だった。
自分の本丸にもいた見慣れた姿だが、違う。そう確信した。彼らの持つ霊力が自分のそれとは違うのだ。おそらく顕現した主が違うせいだろう。
「からだのぐあいはどうですか?おかしなところはないですか」
目の前までやってきた今剣が話しかけてくる。
内番着姿でまっすぐにこちらを見上げてくる今剣に「あぁ、大丈夫だ」と答えてると、ほっとしたように息を吐いたのがわかった。
「よかった。なにかあれば、あるじさまがじぶんをせめるところでした」
すこし違和感のある物言いに引っかかりを覚える。
「どうやら俺は君の主に救われたようだな。
礼を言いたい。会えるかい?君の主に」
だがこの問いの答えを聞いて納得した。
「それはまだむりですね。これから山姥切をよんできます。あなたはきがえていてくださいね」
そういうとあっと言う間に来たときと同じ方向へと消えていった。
彼に言われたとおり着替えることにして、先ほど出た部屋へと再び戻る。改めてじっくりと見てみると、そこは本当に何も無い部屋だった。
普段は使われていないのだろう事が伝わるほど生活感がない。かといって新品というほどきれいでもなく、襖の紙はうっすらと黄ばんでいる。
各々が主へ願いでて、または自分のお金で物を買っていた自分の本丸とは大分勝手事情が違うことが伺いしれた。そういえばあまり物音もしない。ここにいる刀剣はそれほどいないのではないか。
そうつらつらと考えながら着替えをし、ちょうど襟を整えたところで障子の外から声がかかった。
「鶴丸国永、いいか」
声は今剣ではない。障子越しの姿から、それが山姥切国広であろう事が推測できた。
「あぁ大丈夫だ」
返事を返せばすっと障子が開かれる。
「すまない。主がまだ目覚めていないんだ。しばらくこの部屋にいてもうらうことになる」
その言葉には目を見開いた。
「目覚めてない、とはどういうことだ」
その問いに山姥切が布の下から冷えた視線を寄越す。その殺気を押さえ込んだような視線に驚きながらもそれを見せることなくじっと見つめ返した。
「昨日、あんたの手入れをしたときに霊力を使いすぎたんだ。だからといってあんたを責める気はないがな。主が決めたことだ。」
自分のせいであるという事に目を見開いて、とっさに謝罪しかけたところを牽制される。だがやはり心中に申し訳なさは残った。
「そうか。それほどの重傷だったのか」
「あぁ折れる寸前だった。主が手入れをしなければ、あんたは既にいなかったろうな」
「ならばどうか君の主に感謝の言葉を述べる機会をくれるかい?もちろん主殿が回復してからでかまわない。それまで世話になってしまうが」
「それはかまわんが。もうひとつあんたがどうしてここに来たのか、あんたがどこの本丸の刀剣なのか問い合わせたい。あんたの主の名を教えてはくれないか」
山姥切の問いに頷いて、自分がここに来た経緯を伝える。出陣中であったこと。時間遡行軍に追われていたこと。他の皆と共に本丸へと続く転送ゲートへ飛び込んだはずだと言うこと。
話を聞く山姥切の表情がだんだんと曇っていく。それに首を傾げつつもすべてを語り終えたが、そこに帰ってきた返事は絶望的な物だった。
「あんたが来てからすぐ、政府に問い合わせたんだ。
鶴丸国永が戻らない本丸はあるか。とだがそんな本丸はどこにも存在しなかった。理由はわからんが」
「まさか。そんなはずは......」
頭が真っ白になった。本丸が襲撃されてその存在を消されたのか。だが襲撃などあればそれ事態がこの本丸に知らされてもいいはずだ。それもなくただ存在しないだなということは考えられない。
「本丸Noは?審神者の名は知らないか。それがわかれば何か手がかりになるかもしれない」
そう問われたが、あいにく本丸にNoがあることすら知らず、主の名に至っては「主」と呼んでいたため聞いたことなどもなかった。
「今一度問い合わせてみるが、しばらくの間ここにとどまってもらうことになるかもしれない。悪いがここでの処遇は主が目覚めてから話し合おう」
「あぁ...」
そう返事をしたものの、部屋から山姥切が出ていったとたん深いため息が漏れ、くしゃりと自身の髪を握りつぶした。
仲間の無事の確認も、帰る場所も分からないとは。途方もない心細さに体が押しつぶされそうな気がした。
手に持った本体をぐっと握りしめ、祈る。
「どうか皆無事でいてくれよ」
外が明るい。
今はいったい何時だろう。ずいぶんと眠ってしまっていた気がする。手入れをすませたことは覚えているが、自分で布団に潜ったのだったろうか。なぜか記憶が曖昧で思い出せない。
それでもとりあえず起きあがらなければと、まだ少し重たい体を起きあがらせた。
外から小さく声が聞こえてくる。やはり寝坊してしまったらしい。
急いで着替えて障子を開けると、母屋とこの離れをつなぐ渡り廊下の先で山姥切が待っていてくれた。
「ごめんなさい。寝坊してしまったみたい」
まるで起きてくることが分かっていたかのように、壁に背を凭れさせていた山姥切が、小さく息を吐いてこちらへと歩み寄ってくる。
主なのに寝坊した事に呆れているのかもしれない。いくつかの謝罪の言葉を思い浮かべながら近づけば、かけられた言葉は予想とは全く違ったものだった。
「起きて大丈夫なのか。主」
いつも目深に被っている布の下からめずらしくのぞき込んでくる。その表情はどこか不安げで、彼のその表情から昨日の自分の行動をしっかり思い出した。
「ええ。大丈夫です。鶴丸国永はどうですか?」
「ああ、あいつは無事に目覚めた。会えるか?」
「ええ……」
少し惑い気味に答えたのが伝わったのだろう。小さな溜息をついた山姥切が無理はするな、と言ってくれる。
「……あの……彼の本丸と連絡は……。」
鶴丸国永のいる部屋への道すがら、昨日自分が倒れた後のことを伝えてくれた。けれどそこに彼の本丸についての話はなく、問いを口に出せば山姥切が思い切り嘆息した。
「まだだ。問い合わせてはみたがあいつの本丸がどこなのか政府の方でもわからんらしい。いったいどういうことなのか、俺たちにもわからん。」
山姥切の言葉に驚きつつ、政府に問い合わせる以外の方法を私たちは持っていない。けれども、わからないとして、彼を……鶴丸国永をこの本丸に留めておいて良いのだろうか。おそらくあの鶴丸国永は通常本丸の刀だ。私たちの本丸とは有る意味も持つ役割も違う。
あの刀に深入りされたくはない。
「山姥切。彼は政府に保護してもらうべきなのではないですか?」
胸の前で手を握り、隣を歩く山姥切を見上げてそう告げる。布のせいで表情は見えないけれど、彼も小さく頷いたようだった。
「あぁ。わかっている。その点も今問い合わせ中だ。心配はいらない。」
「……そう、ですか。ありがとうございます。」
私の心配など取り越し苦労だったようだ。この優秀な初期刀であり近侍は常に一歩先を歩いてくれる。それにホッとしつつも、自分の情けなさに泣きたくなった。
先を行く山姥切の布に覆われた背中がふと歩みを止めた。そしてひらりと布を翻しこちらへと振り返った山姥切は、青い目をこちらへと向けた。
自分への情けなさにじわりと滲んだ目のまま顔を上げれば、ふぅと小さく息をついた山姥切が口を開く。
「主、少なくとも政府からの返答まではあいつを留めなければならないが、どうする?」
感情の読めない視線とため息。こんな情けない主なのに、山姥切は絶対に自分の判断で何かを決めることはない。こうして主のある私の伺いを立て、決断を促してくる。
「……どうする、とは?」
彼の問いの真意がわからず聞き返す。
「俺は、あいつを部屋から出すべきでないと思う。本音をいえば、あんたにあいつと関わってほしくない。」
眉間に皺を寄せた山姥切はそいういって鶴丸国永がいるであろう部屋へと視線を投げた。
「『鶴丸国永』という刀は総じて好奇心旺盛な個体が多いと聞く。」
それだけを言うと彼は口を閉ざした。
その先の結論は私が決めろということなのだろう。
私たちのこと、この本丸のこと。一時の好奇心だけで踏み込まれるのは確かに勘弁願いたい。だけれども、好奇心旺盛だというあの刀が大人しく部屋へといてくれるものなのだろうか。それにうちの本丸のそれほど広くはない一部屋に閉じ込めておくのは申し訳ない気もした。先ほど山姥切から聞いた、鶴丸国永がこの本丸へとたどり着いた経緯を聞いてしまったからこそ、暗く狭い部屋に閉じ込めておくのは良くないことのような気がした。
暗闇は心を悪い方へと傾けさせるものだから。
しばしの逡巡の後、私は決断をする。
「山姥切、彼には好きに過ごしてもらいましょう。この本丸の事情は私たちが話さなければ良いだけのこと。私たちもできる限りいつも通り過ごしましょう。」
私の言葉に山姥切は少しだけ驚いたようだった。けれども頭の布をそっと被り直して「わかった。」と頷いてくれた。