俺だけにして ランちゃんってば、普段は背筋をピンと伸ばして、騎士団長としてまったく隙のない姿を見せているのに、一滴でもアルコールが入ると豹変してしまう。
キリッとした騎士団長はどこにもいなくなる。
そこにいるのは、ただの二十七歳に見えないとびきりキレイな男だ。
――しかも、フニャフニャで可愛さがプラスされた。
そんな姿、誰にも見せたくないんだけどな。
「じーくふりーとさん!」
今夜もランちゃんはフニャフニャしてる。
師であるジークフリートさんと、見習い時代を共に過ごしたパーシヴァルに久々に会えて嬉しかったんだ。
普段、ランちゃんはアルコールを口にしないのに、今夜は飲んでいるのがその証拠。
口調が舌足らずで、口元も目元もふにゃんと緩んでいて、可愛らしい。
カッコイイランちゃんに憧れている騎士団の仲間が見たら、すっげえびっくりするだろうな。
俺だって数年前まで知らなかった。
長い間、幼馴染みをやってきたけれど、ランちゃんがお酒に弱いなんて!
そりゃ、そうなんだけど。
この国は二十歳になるまで飲酒厳禁だから。真面目なランちゃんがルールを破るはずもない。
初めてその事実を知ったのは、ランちゃんが二十歳になった年。
「お祝いだ!」って騎士団の先輩に酒場へ連れて行かれたランちゃんが戻ってきたのは、出掛けてから一時も経っていない、まだ夜はこれからって時刻だった。
ランちゃんと宿舎の部屋が同室だった俺は、足元も覚束ないランちゃんがひとりで帰ってきてびっくりしたんだ。
後から先輩に聞いた話だと、黒ビールをひとくち飲んだランちゃんは急に立ち上がり、「帰る!」と叫んで酒場を出て行ってしまったと。
帰ってきてくれて良かったと心底思った。
だって、ランちゃん、キス魔だったんだぜ!
部屋に戻って来るなり、俺のファーストキスはランちゃんに奪われました。
ちょっとお酒の味がした。
ランちゃんは、アルコールが抜けると、自分のしたことはまるで覚えていないから、俺の初めてのキスを奪った自覚はないと思う。
俺も、ランちゃんには言わなかったけど、そろそろ酔った自分がキス魔だって自覚して欲しいかも。
今夜のランちゃんも、ビールをたった三口飲んで頬をピンクに染めていた。キルシュベルの山で見た花みたいにキレイなピンク色。
既に瞳もとろんとしちゃってる。
ランちゃんはその瞳で、自分の前に座ってツマミを食べているジークフリートさんを見つめて何度も名前を呼んでいた。
「ああ、どうした?」
呼ばれるたびにジークフリートさんも律儀に返事をしている。優しいなあ。
でも、何だか子供を相手にしているみたいだ。
酔ったランちゃんは、確かに子供みたいだけどな。今も無邪気な笑顔だもん。
「ふふっ、じーくふりーとさん、いつもかっこいいです!」
頬杖をついて、うっとりと言うんだ。
いいな、俺もランちゃんに「かっこいい」って言われてみたいぜ!
ジークフリートさんは言われ慣れていて、なんの感銘も受けないみたいけどな。
「そうか? お前も十分、格好いいじゃないか」
ジークフリートさんが言うと、ランちゃんはふらりっと立ち上がって、師の元へ行く。
あっ、これはマズイ!
「おれはー、まだまだです! ふふっ、んー……」
止めようと立ち上がった俺より早く、ランちゃんはジークフリートさんの首に腕を回し、その頬へキスをしてしまった。
「ランちゃんっ!」
「ん? 賞賛のキスかな。ありがとう、ランスロット」
ちょっと、ジークフリートさん 動じないのにも程があるだろ〜
抵抗されなかったランちゃんは、すっかり気を良くして、何度も頬にキスをしている。
ちゅ、ちゅ、と可愛らしいリップ音を立てて!
「ランちゃん、ジークフリートさんにキスしたらダメ! 酔い過ぎ!」
後から知ったら、腰抜かすぞ!
「んー、よってない!」
「酔ってるだろお〜! ほら、ジークフリートさんから離れて離れて!」
ランちゃんを後ろから羽交い締めにして、距離を取ると、ジークフリートさんは楽しげに「俺は構わんぞ」なんて言った。
構って! 抵抗して! もしかして、俺が揶揄われてる
「いやいや、ダメです! ここはジークフリートさんから言ってくれないと……!」
ジークフリートさんからランちゃんに注意してもらおうとしている俺の腕をすり抜け、今度はパーさんの元へ向かってしまうランちゃん。
隣で眉間に皺を寄せ、ランちゃんの奇行を見ないようにしながらワインを飲んでいたパーさんは、ランちゃんの接近に気付かなかった。
「パーさん……」
「な ランスロット 貴様、駄犬と同じ呼び方を……っ」
「あーッ! ランちゃん、駄目だって! パーさん、逃げて!」
慌ててランちゃんの傍に行ったけど、ランちゃんが俺に遅れを取るわけない。俺の腕をすり抜けて、ジークフリートさんにしたのと同じようにパーさんの首へ腕を回した。
「ランちゃん!」
「パーさんは……いつもやさしいな、ありがとな」
そう言いながら、パーさんの頬にもキスをしてしまった。
濡れた赤い唇が、パーさんの頬に押しつけられている。
――ああ、本当に、なんで酒が入るとキス魔になるの タチが悪過ぎるんだけど!
「な……っ」
パーさんは呻くと固まってしまった。
パーさん、ランちゃんの同僚だったけど、ランちゃんの酒癖は知らなかったんだな。
俺が「ランちゃん、俺がいない時に飲まないで」ってお願いしていたのが、一応効果を発揮していたんだろうか。
そういえば、騎士団の仲間からも「団長がキス魔だ」なんて噂は聞かない。
今夜はもしかして、俺が一緒だから飲んだ?
ランちゃん、俺とは時々飲むけど、その時は必ずといっていい程、キスしてくる。完全なるキス魔だ。
寧ろ、キスして欲しくて時々、食前酒を出したりしちゃう。ごめん。
でも、そのキス魔振りをここで発揮しなくてもいいんだぜ!
「ランちゃん! パーさんにもキスしちゃ駄目だって! めっちゃ怒ってる!」
固まったままのパーさんがブルブル怒りに震えてるから! こめかみに青筋が!
ランちゃんの腕を掴んでパーさんから離そうとすれば、激しく振り払われてしまった。
「ゔぇいん、ばか、じゃまするな」
ランちゃんが俺の腕を振り払って、またパーさんの首へ腕を回し――それが、俺には耐えられなかった。
「……ヴェイン」
無理矢理パーさんから引き剥がし、ランちゃんの手首を掴んで、俺はそのまま店外まで引っ張っていった。
賑わう酒場を一歩出ると、通りは人気の少ない時間で、歩いている人は誰もいなかった。
「ヴェイン、どこ行く……」
店の横の細い路地へ連れ込むと――連れ込むって言葉がぴったりだと思う。抵抗するランちゃんを無理矢理連れてきて、壁に押し付けてるなんて。
そう、気付けば俺は、ランちゃんをレンガ造りの壁へと押し付け、両腕で逃げられないように囲っていた。
「ヴェイン……」
「ランちゃん、ジークフリートさんにも、パーさんにも、キスしたらダメだろ なんでキスするの」
酔っ払いのする行動に聞いても仕方ないことを聞いてしまった。それも、なんかいつもよりうんと低い声で。
「……したい、から……?」
首を傾げて「なんでそんなこと聞くんだ?」と言う顔をする。その表情も普段とは全然違う、あどけない顔だ。無防備だし。
確かに! ランちゃんがキスしたいと思って行動に移しているのを俺が止めるのもおかしな話だけど! 俺にはそんな資格も権利もないからな
ジークフリートさんは別に嫌がってなかったし、まあ、パーさんはキレてたから、止めてもいいと思うけど……。
でも、好きでもない相手にしていい行動じゃないだろ? いや、ランちゃんはジークフリートさんが好きだから……え、好きって、尊敬じゃなくて、恋だったとか
「……ランちゃん、ジークフリートさんを好きなのか?」
「? すきだぞ?」
あっさりと返された。好きなのか。知ってた。ランちゃんは、ジークフリートさんを誰より尊敬してるもんな! でも、それ、恋じゃないよな 違うよな
「パーさんは?」
「そりゃあ、すきだろ?」
これまたあっさりと告げられる。
うん、そうだよな。俺だって、ムカつくことも多いけど、好きか嫌いか聞かれたら、好きって言う。
「……じゃあ、俺は?」
「ん?」
「俺は、好き?」
「んー……?」
あどけない顔で彼らを「好き」だと言っていた、ランちゃんの顔が曇っていく。
細い指を唇にあて、考え込む素振りだ。
「なんで……」
「好き」か「嫌い」かの二択なのに、そんなに考え込むの?
だって俺達、幼馴染みで、長い付き合いで、何でも分かり合ってて、親友だし、唯一無二の存在じゃねえのかよ? そこで考え込む?
ランちゃん、もしかして、俺のこと嫌いな……わけないよな。うん、それは絶対にない。
酔ったらキス魔になるランちゃんは、俺にだっていつもキスをしてくれるから、俺のことだって「好き」って言えるはずじゃん。
なのに、どうしてそんな返答に悩むんだ?
「ランちゃん、キスがしたいなら、ジークフリートさんや、パーさんじゃなくて、俺にしておきなよ。俺なら……」
「いつもされてるし」と言う言葉を出す前に、ランちゃんの言葉に遮られた。
「おまえには、しない」
きっぱりとした響き。
お酒が入っていて、口調も、表情も何もかもフニャフニャなのに、その言葉だけはやけにしっかりしていて、俺の心に突き刺さった。
ランちゃん、初めてお酒を飲んだ時に俺のファーストキスを奪っておいて、それはないぜ。
「なんで?」
「なんでって……」
いつもはするのに。
「どうして、ふたりにはして、俺にはしねえの?」
ふたりがいれば、俺はいらないってこと?
「ヴェイ……、ん……っ」
――ああ。別に俺は酒に酔ったりしていないのに、ランちゃんにキスしちゃってる。
ほっぺたなんて可愛いキスじゃない。
ランちゃんの顎を掴んで、上を向かせて、唇を全部覆っちゃうくらい、濃厚な。
「ん……、あふ……、やあ……」
呼吸の合間にランちゃんが抵抗の意思を見せ、手のひらでも俺の肩を押し返し抵抗しているのに、俺は止められなかった。
「ランちゃん……」
何度も角度を変えて、ランちゃんの口内を貪る。
「ん、んん……、あふ……っ、ん……っ」
舌をねじ込んで、ランちゃんの小さい口の中、全部舐めて、逃げる舌を追いかけて、絡め取って、強引なキスを。
ランちゃんが、ジークフリートさんやパーさんにしたキスとは違うキスが欲しくて。
ランちゃんがふたりにキスをするのを止めたかったのも、同じ、単なる俺の独占欲だったんだ。
俺、ランちゃんに初めてキスされた時から、ランちゃんを全部自分のものにしたいと思ってた?
その唇が誰かに触れるなんてイヤだ。
ランちゃん、俺だけにキスして。
俺の名前だけ呼んで。
「くそ……、何で、ジークフリートさん達にはキスして、俺はしてもらえないんだよ⁉」
抵抗されるのも辛くて、本音が零れてしまう。
「ヴェ……っ、あっ、んん……」
「ふ……、ん……、ランちゃん……っ」
逃げようとするランちゃんの髪へ指を忍ばせ、固定する。指先にこんなに力を入れたら痛いかも。そう頭の片隅で思うのに、逃したくなくて、加減が出来なかった。追い詰めてしまう。
ランちゃんの苦しそうな呼吸が漏れた。
「んー……っ!」
「はあ……、ランちゃん……、好き……」
肩に、ランちゃんの指先が食い込んでいたけど、俺はキスをやめられなかった。
ランちゃんの唇の端から、唾液が溢れている。
触れる舌が気持ちいい。
ランちゃんの背中に腕を回すと、背中が跳ねて、身体が震えているのが手のひらに伝わった。
舌を吸うと、敏感にまた身体が跳ねる。
「あ……、ヴェ……、ダメ……んっ、……ふ、」
気付くと、耳に届くランちゃんの声が、抵抗するものから、甘やかになっている?
「ゔぇいん……」
キスの合間に名前を呼ぶ声が、明らかに先程までの響きと違う気がする。
甘い響きで名前を呼ばれたら、火が灯ったみたいに全身がカッと熱くなった。
堪らない。もっと聞かせて欲しい。
「ランちゃん……、好き……」
そう囁いて、また唇を塞いだ。
逃げていた舌先が、今度は逃げない。
同じようにとても熱くなった舌が、おずおずと俺の舌に触れてくる。
「ん……っ、ランちゃん……」
まさかランちゃんから舌を絡めてくれるなんて。拙い動きで、舌の付け根を撫でられ、ゾクゾクとした。
夢中でランちゃんの舌を蹂躙してしまう。
ランちゃんも必死に応えてくれるから、止められない。
気持ちいい。
「ランちゃん、ランスロット……」
「んん……、ふぁ……」
抱きしめたランちゃんの身体が震え、怯えからの振動ではないって気付いた時、ランちゃんの膝から力が抜けてしまった。
咄嗟に腰を支え、崩れ落ちるのを受け止める。
「あぶね……ッ、ランちゃん、大丈夫か?」
「は……、はあ……、は……っ」
しがみついてくるランちゃんを支え、聞いてみたけど、呼吸を整えるのに必死で返事をくれなかった。
「ゴメンな、ランちゃん。やり過ぎた……?」
聞くなよ、俺! やり過ぎたに決まってるだろう〜
元々が強引だったのに、ランちゃんから舌先へ触れられて、なんかもう、抑えられなかった。
俺にしがみつきながら、何とか顔を上げたランちゃんが、潤んだ瞳で睨みつけてくる。
凄い、情熱的に見つめられているようにしか思えなくて、心臓が跳ねた。
だってランちゃん。
普段は優しい顔しか向けてこないランちゃんのその表情、瞳の奥に見えるのは欲望だろ?
もっと欲しいって思ってる?
「ランちゃんも、俺を好きなのか……?」
聞けば、「……だからっ、キスしたら、バレるから、したく、なかった……!」と酔っ払いが舌足らずに答えてくれた。
まあ、これはキスのし過ぎで、舌の感覚がおかしいせいかも?
「じゃあ、ランちゃん。俺を好きだって言うなら、酔ったからって、もう誰にもキスしないでくれよなー」
腰を支え、身体を密着させたまま正面からランちゃんを見つめると、ランちゃんはおかしそうに笑って言った。
「それはやくそく、出来ないな。酔っ払いだから」
「いや、もう酔い醒めてない」
醒めてるだろ イタズラな瞳が輝いてるもん!
「ふふっ、お前が隣にいるなら、お前にするから」
「えー、さっきも隣にいたんですけど〜」
「それは、あれだな。お前に妬いて欲しかったから」
「はあ」
そんな可愛いこと言われて、キスしないでいられると思うか?
俺はランちゃんを腕の中にきつく抱きしめたまま、キスをした。
それは、ランちゃんが腰を抜かすくらい激しく。
俺、初めてランちゃんにキスされた時、驚いて腰を抜かしかけたからなあ。
お返し!
あの時、初めて酔ったランちゃんは、真っ先に俺にキスしたいって思ってくれたってことか?
キスに翻弄され立っていられなくなって、俺にぐったり凭れかかっているランちゃんの背を優しく撫で、声を掛ける。
「立てるか、ランちゃん? そろそろ戻らないと……」
パーさんが怒ってそう。ジークフリートさんが宥めているのが目に浮かぶぜ。
俺にしがみついていたランちゃんの腕に力が入る。
耳元に熱い吐息が触れ、ドキドキした。
キスで昂ぶった身体には、刺激が強い。
ランちゃんは腰を抜かしたかもしれないけど、俺だって平静を装うのはキツイんだぜ。
そう思っていたら、ランちゃんが掠れた声で囁いた。
「……った……」
「え……?」
今、ランちゃんの口から、これまで聞いた覚えのない言葉が出たような
思わず聞き返すと、真っ赤になって、瞳を潤ませた顔で睨まれた。壮絶に綺麗な顔!
「……勃った……から、戻れない……」
「えっ」
俺のキスで
「……ん……っ、ばか……、お前の、せいだ……!」
「ごめん、ランちゃん……っ!」
切ない声に、俺の心は掻き乱され、でも、めちゃくちゃ嬉しくて!
だってそうだろ 好きだから、感じてくれたってことだもんなー
その夜、俺達がジークフリートさんとパーさんの元に戻れなくなったのは言うまでもない。