夜の向こう側【ヴェラン】「――はっ、はあ……っ」
悦楽の滲んだ乱れた呼吸がシーツに吸い込まれていく。
抱き込んだ腕の中で、ランちゃんの背中は汗でしっとりと濡れていた。俺も汗だくだけど。
俺たちは全身汗と他の体液で汚れている。
滑ったランちゃんの背中と俺の腹が重なって、熱い体温が伝わってきた。乱れた呼吸と同様に激しく上下するランちゃんの肩。
脱力した身体の重みでランちゃんを押し潰さないように、俺はランちゃんを抱きしめたままゴロリとベッドへ横たわった。ぎしりと軋む音が耳に響く。
「んん……っ」
「うー……、ごめん、抜いてなかった」
「はっ、あ……、うん……」
まだ熱の抜けない甘い声が返される。鼻にかかった声は、普段のランちゃんからは考えられない甘さが滲んでいて、俺の下半身はそれだけで元気を取り戻しちまうぜ!
でも明日は忙しい予定だし、我慢しないと。
なんとか自分に言い聞かせるけど、ランちゃんの肌に触れてるのは心地よくて、いつも中々離せないんだよなー。
つい離れがたくてランちゃんのうなじに鼻を埋めてしまう。シャンプーの匂いと汗の匂い。
それから俺だけが知っているランちゃんの身体の匂い。
体臭にも相性があるんだってさ。
ランちゃんはいつも「お前はいい匂いだな」って言うから、俺たちは体臭も相性がいいんだろう。多分。
他所事を考えて気を散らそうと思ったけど、駄目だ。
「……ん、ヴェイン……。もういっかい、するか?」
「……うう、」
「ふふっ、身体が返事、してるな」
笑ったランちゃんは無理矢理上半身を捻って俺を引き寄せると、音を立ててキスをしてくれた。
途端にまだランちゃんの中へ入ったままの俺は、万全になってしまった。
俺を甘やかす可愛いキスだったけど、俺は可愛くなんていられない。ランちゃんの頭に手のひらを回して――逃げ道を塞いで、激しいキスに変えていった。
「ふ……っ、ん……つ」
ランちゃんの呼吸も奪うような。
酸素を吸い込もうと懸命に開いた口を塞いで、舌を絡めると、負けじとランちゃんも反撃してくるから、堪らねえよ。
ランちゃんの足を抱え、一気に奥まで突き上げてしまう。
「――っ!」
はー、ほんっと、俺って堪え性がねえな!
ランちゃんとは、子供の頃からずっと一緒にいて、共に過ごした時間は誰よりも長かった。
隣にいるのが当然だし――というか、俺がランちゃんの傍にいたくて、いつも背中を追いかけていたんだけど。
ふたつ年上のランちゃんは、俺の目にはいつだってヒーローに見えていた。何でも出来る誰よりもカッコイイ幼馴染み。
ランちゃんは村の人気者で、常に周りには人がいたけど、「いくぞ、ヴェイン!」と手を伸ばしてくれるのは、いつも俺だった。
俺と特別仲良くしてくれたランちゃん。
それが不思議だった。
だってランちゃんに相応しい人は、もっとたくさんいたからな。
だけど、俺といる時のランちゃんが、心からリラックスして笑っているんだって気付いた。
ランちゃんは、俺の傍でなら、ありのままの自分でいられるんだ。
誰よりもランちゃんを笑顔にしているのが俺なんだって気付いた時、天にも昇る気持ちだったなあ。
なんの取り柄もないちっぽけな自分だけど、大好きなランちゃんを笑顔に出来る。
ランちゃんが笑ってくれるなら、それ以上に望むことなんてなかった。
「ヴェインとあそぶのは楽しいな! 明日はなにをしようか?」
そう言って笑ってくれたから。
明日もランちゃんに笑って欲しい。
明後日も。一年後も。大人になったって。
生涯、ランちゃんを笑顔に出来る自分でいたい。
だからランちゃんの隣に並び立てるよう、いつでも傍にいられるように、必死で努力した。
きっとランちゃんは、国を守る騎士になると思ったから。
勉強も、剣術も苦手だったけどな!
どっちも得意なランちゃんが俺に色々教えてくれて、なんとか傍にいられた。ランちゃんに言わせれば「お前が騎士の道を断念しないように必死だった」ってことらしい。
そうやってずっと一緒にいた俺たちが、生涯のパートナーにお互いを選んだのは当然だったんだろう。
大人になった今も、ランちゃんは俺の隣で笑っている。
――って、今は笑ってないけどな!
ちょっと、いや大分無理をさせてしまった。
だってさー? ランちゃんが「するか?」って可愛く言うから! そんなの止まれなくなるだろ~!
それは激しくランちゃんの好きなところを責めてしまった。意識を失うまで。
「あー……、明日……って、もう今日か……。大丈夫かな」
ランちゃんもヤワじゃねえけど……。
なんで我慢出来なかったんだ、俺! ランちゃんに負担を掛けるのが分かってるのに!
いくらランちゃんが「もっと」って言ったからって、そこは、俺が我慢しないと。
「もう一回」で済まなかった己を反省する。
俺が少しでも望んでいると思えば、ランちゃんは無理してしまう。自分より俺を優先するんだ。
昔から、それは変わらない。
「……ランちゃん」
愛おしくてそっと髪を撫でる。
そうだ。子供の頃、一緒に迷子になった時だって、持っていたお菓子を俺にだけ食べさせようとしてさ。ランちゃんだってお腹が空いているのに。
あの時、まだ十歳にもなってなかった。そんな年で、迷子になっている時に、他人へ食べ物を譲れるか? どんだけ人間が出来てるんだよ! いや、俺が愛されてんの
大人になってからふたりで遭難した時も、それは変わらなかったよなー。ランちゃん、すげえ。
優しいランちゃんに甘やかされて育った。
「いやいや、優しさに甘えるな、俺!」
ベッドの上で、俺に抱きしめられながら、ぐったりと意識を飛ばしているランちゃんの綺麗な肌には、涙の跡が残っている。
もう汗は引いて、深い呼吸を繰り返していた。白い肌に残るのは、俺がつけた赤い痕だ。
指先でなぞってみたけど、当然消えるわけがない。消える前に新しい痕をつけちまうし。
「もう人前で着替えられないな、お前も俺も」と言って笑っていたけどさ。
どこまで俺を許す気なんだろう。
さっきまで甘く、誘う嬌声をあげていた唇は、今はあどけない様で少し開かれていた。つい、唇も指先でなぞってしまう。
目が覚めたら、この唇はふわりと口角が上がって、笑顔のカタチになるんだ。
「……ちょっと、赤くなってるかも……」
たくさんキスをした所為かな。俺たち、キスが好きだもんな〜。
早く目覚めて、可愛い唇で俺の名前を呼んで欲しい。
けれど、意識を飛ばしたランちゃんは、いつも全然目覚めない。
軽く身体を拭き取りながら、暫くランちゃんの綺麗な姿を眺めてしまった。
顔も綺麗だけど、身体のラインも指先も、シーツの上に散っている黒髪まで綺麗なんだもん。いつ見てもうっとりする。
勿論、ランちゃんが綺麗なのは見た目だけじゃないけどな!
寧ろ、ランちゃんは心が誰より綺麗だ。
こうしていると、ランちゃんが俺を選んでくれたのが奇跡みたいに思える。
「俺ん家の隣に、お前が生まれたことこそ奇跡だよ」
いつだか言われた言葉。
うん、きっといくつもの奇跡の積み重ねで、今、こうして傍にいられるんだろうな。
ランちゃんの身体が冷える前に、抱き上げて、バスルームへ連れていく。本人には言わねえけど、軽い。
意識を飛ばしたランちゃんは、風呂に入れても目覚めない。意識が無い状態でも、全部を俺に任せてくれているみたいだ。だって、他のヤツには、こんなことさせないだろ。
信頼されているのが嬉しいんだよな~。
その信頼に応えるべく、滅茶苦茶丁寧に隅々まで洗わせていただきました!
髪も乾かして、完璧に仕上げた後、綺麗に整えたベッドへランちゃんを寝かせ、肩まで毛布を被せた。
「よし! おやすみ、ランちゃん」
ベッドサイドの洋燈へ手を伸ばした時、もぞりとランちゃんが動いて、「ヴェイン……」と舌足らずに呟いた。
小さな声は、俺が傍にいるのか確認しているみたい。ちゃんといるぜ!
手を伸ばして、瞼に触れる。
「目、覚めた? もう『おやすみ』だぜ、ランちゃん」
「うん……。ヴェイン」
「はいよーっと」
呼ぶ声に返事をしてから明かりを消して、毛布の中へ勢いよく潜り込む。すると、ベッドが跳ねて、ランちゃんがふにゃりと笑った気配がした。
たくさん愛し合って、意識を飛ばした後の、俺だけが知るランちゃんの秘密。
こんな風に意識がはっきり覚醒していないランちゃんは、いつも言わない本心を漏らしたりする。――と言うか、いつも以上の想いを。
ランちゃんは普段から、俺に愛の言葉を聞かせてくれるけど、意識が覚醒していない時は、よりストレートだ。
すっげえ、甘えっこになっちまうんだよなー!
いつも先陣を切って戦う緊張感のある白竜騎士団団長は、どこにもいない。
ただの、俺の恋人。
普段、少しだけある年上の矜持も無くなる。
全身、俺の愛に浸かっちゃうからか~?
グズグズになるまでとろけさせて、我を忘れるまで愛すからな!
「へへ……、ランちゃん。くっついて寝よ」
「もう、くっついてる」
言う通り、ランちゃんは俺の身体に腕を回して、ぺったりくっついていた。
あー、もう、本当に可愛いな。
くっついたまま俺の首元に鼻を近づけ、スンスン匂いを嗅いだ後、自分の手の甲の匂いも嗅いでいる。ふたりとも、石鹸の香りだぞ。
「同じ、匂いだな……。ありがと、ヴェイン。風呂……」
「ピッカピカに磨いたから、きっと明日のランちゃんは艶々な騎士団長だぜ」
「ふふ……、ふわあ……」
笑いながら欠伸しているの、滅茶苦茶可愛いなあ。緊張感ゼロのランちゃんだ。
こんな姿、騎士団の奴らが見たら、驚いて腰を抜かしそうだぜ。
「ほら、ランちゃん。もう寝なきゃ。身体は大丈夫かあ? 明日、馬に乗れるかな」
明日……って、もう今日だった。視察でちょっと遠出をするんだ。馬に乗ったら、腰に響きそう。
ランちゃんはまたモソモソ動いて、俺の耳元に唇を近づけると囁いた。
「馬より、お前に乗りたいけどな」
「うっひゃあ ちょっと、ランちゃん」
ふにゃりと力の抜けた舌足らずはどこへやら。すっげえはっきり言った!
今、意識が覚醒してるだろー
俺がまた元気になったらどうするんだよ、あぶねえ!
「もー! ランちゃんは~!」
「ふふっ、だいじょ……んっ、けほっ」
「あ、ごめん。水分取った方がいいよな!」
しまった。ランちゃんが目覚めそうにないから、水差しの用意をしていなかった。迂闊だったぜ。
きっと喉がカラカラだろう。ずっと水を飲んでいないし、声もたくさん出したもんな。
キッチンへ水差しを取りに行こうと身体を起こすと、「ヴェイン」と引き止められた。
俺を揶揄った時とは、全く違う口調。
甘えっこのそれに戻っている。
ベッドへ身体を横たえたまま、腕は俺の腰へ縋るように伸ばしていた。
薄暗い中でも、はっきり分かる。ランちゃんがまっすぐ俺を見つめている。
「ランちゃん、水を取りに行くだけだぞ? ミントとレモンを入れた水、飲むだろ?」
首を振る気配がして、ランちゃんの言葉が薄闇に落とされる。
「俺を、ひとりにするな」
「……うっ」
なにそれ。なんだよ、もう。
ほんの少しも俺と離れたくないって! どれだけ可愛い姿を見せて俺を翻弄するんだー!
そう思う心と、冷静な部分でランちゃんの本心を受け止める俺がいる。
濃密に過ごした後の、ランちゃんから漏れる本音。
ひとりにするな――って。
そんな風に思う時があるのか? 孤独に苛まれる夜が。
――そりゃ、あった、よな。
俺だってある。
きっと、誰だって。
淋しくて、孤独で、どうにもならない夜が。
離れがたいほど濃密に過ごした夜にさえ、いつか失うかもしれないと考えてしまう。
だけど。
だから、人は絆を結んでいくんじゃないか。
「――ランちゃん」
見えない想いを言葉にして、伝えて、触れ合って。
「ヴェイン」
「俺は、ぜーったいに、ランちゃんをひとりにしねえから」
叫んで、ランちゃんを横抱きに抱え、そのままベッドを飛び降りた。どすんと床に着地すると、ふたり分の体重が膝に乗る。
「うおっ えっ なんだ、ヴェイン」
はっきりした声を出したランちゃんは、俺の首に腕を回してしがみついていた。急にジャンプされたら、驚くよなー!
「わははっ、完全に覚醒したか~?」
「え、なに言って……」
今、漏らした本心を、ランちゃんは覚えていないのだろう。無意識に零れた言葉なんだ。
俺は、ランちゃんがしっかり覚醒している時でもその本心を口に出来るくらい、頼り甲斐のある男にならないと。
淋しさを口にしたって、受け止めて、甘やかしてくれる男だって思われたい。
いちばんは、孤独を感じないくらいの愛でランちゃんを包むことだ!
まだまだこんなもんじゃねえぜ!
「ランちゃん、キッチンへゴーだ!」
「あ、俺、喉乾いてるかも」
「だろー? ヴェインくんは、ランちゃんのことなら何でもお見通しだからな」
「さすがヴェイン!」
掠れ気味のランちゃんの笑い声が、月明かりで照らされた廊下に響く。
いつまでも傍で、ランちゃんの笑い声が聞けるように支えていこうって、改めて胸に刻み込んだ。
そんな未来を作っていこう――ふたりで。