【ヴェラン】恋のレッスン 噂を聞いたのは、つい昨日のことだ。
――「ヴェイン副団長が恋をしてる」
俺は自分で言うのもなんだが、恋愛ごとに疎く、幼馴染みのヴェインが恋をしているなんて、微塵も気付いていなかった。
子供の頃から「ランちゃん、ランちゃん!」と後をついてきたヴェイン。
そのまま成長し、今は白竜騎士団副団長として、団長である俺を隣で支えてくれている。
ずっと俺を慕って、俺の傍にいたヴェイン。いつだって俺と居て、そうだ、休日だって朝から俺の部屋を掃除しに来るような男だぞ? 傍にいないと思えば、城下で子供たちと遊んでいたり、ご老人と料理をしていたり、ヴェインの周囲に年の近い女性の気配は全くなかった。
だから、ヴェインに恋をする時間があるなんて、これっぽっちも思っていなかったんだ。
「ランちゃん! 俺の恋の先生になって!」と言われるまでは。
噂を耳にした昨日の今日で、本人から「恋をしている真っ最中」と聞かされるなんて。
噂はいつでもいい加減だが、たまには真実のこともあるんだな――なんて変な感心をしている場合じゃなかった。
仕事を終えた俺たちは、ヴェインの家で夕食を共にした後、食後のお茶を楽しんでいるところだった。
いつ来てもヴェインの家は綺麗に片付いているし、掃除も行き届いている。テーブルの上には青い花が一輪飾られていて、暮らしに気を配っているのが分かる。俺の家とは正反対だ。
今夜はこの家に泊まる予定だが、寛ぎの時間に何やら思い詰めた顔で、ヴェインにお願いされたのだ。
「待て、ヴェイン。恋の先生って……、なんで俺が恋愛指南を出来ると思ってるんだ」
「え? だって、ランちゃんは昔からモテモテじゃん!」
「いや、俺は別にモテてないだろう?」
モテると言うのは、ジークフリートさんのような人を言うのだと思う。街を歩けばいつの間にか腕の中に大量の貢物があるのだから。
「何言ってんの 何言ってんの 毎年、ランちゃん宛にあんなにチョコレートが届くのに! 俺にはばあちゃんたちからの義理チョコだけだぜ? それもメチャクチャ嬉しいけどさ!」
その義理チョコを、口元に笑みを浮かべ、ひとつずつ大切に食べているヴェインは、間違いなくいい男だ。おそらく贈ってくれた人の顔を思い浮かべ、感謝の気持ちで食べている。
そもそもチョコレートの数と恋愛経験がイコールではないと、ヴェインだって分かっているだろう。
「お前、俺が恋愛指南向きじゃないことくらい分かってるだろ? ずっと傍にいるんだから」
「……ヘヘっ、まあなあ〜」
ほら。
ヴェインは知っている。
俺が恋を知らないって。
確かに、付き合った人は何人かいたけれど、いずれも数日で別れを切り出された。そもそも、その付き合いも、俺に気持ちがあったわけではないので、別れを切り出されて当然なんだ。
その俺が、一体ヴェインに何を教えられるというんだ。
「ヴェインに教えられることなんてないだろう?」
「あるある、モテモテになる秘訣!」
「なんだ、それは」
だから、モテてないと言っているのに。
「例えば『人にモテる振る舞い』とか……?」
教えを乞うているヴェインが、なんで疑問形なんだよ。思わず笑ってしまう。
「知りたいことが分かっていないようじゃ、誰も先生なんて出来ないぞ?」
ヴェインは自分の髪をワシャワシャにしながら、「違う〜!」と叫んだ。
「ホントに知りてえの! 人を惹き付ける方法! でもランちゃんは普段から意識して振る舞ってるわけじゃねえもんな〜! 自然体で人を惹きつけてるんだよな〜! 自覚ねえんだろうけど!」
乱暴に掻き回すものだから、シャワーを浴びた後のまだ濡れている髪が、あちこちに跳ねてしまっている。金髪がピョンと跳ねている毛先を眺めていると、「やっぱり内面が滲み出て、人を惹きつけるのかなあ……、ランちゃんの高潔さとか、誠実さとか、綺麗なところがさ……」と呟いた。
褒めてくれるのは嬉しいが、そもそもヴェインは今のままでいい男なのだから、俺のように振る舞う必要なんてないのに。そのままのヴェインでいるのがいちばんだ。
ヴェインのように愛情深い人は、そうそういないだろう。
「ふふっ、騎士としての振る舞いなら、いくらでも教えられたけどな」
「うん、メチャクチャ感謝してるぜ!」
勢い良く顔を上げると、パッと笑顔を向けてくれる。大きな口が弧を描き、目尻は下がって優しい顔になった。
子供の頃から変わらない笑顔だ。
ヴェインの明るい笑顔は、見てるだけで元気を貰えた。この笑顔に何度助けられたか。
騎士団に入団した頃も、貴族出身の団員からの風当たりが強く、悔しい気持ちを抱いていたこともあった。どう処理をしていいか分からない時、ヴェインの笑顔を見れば、負の感情は全て浄化されてしまったから。
心の奥があたたかくなって、全身が安堵と幸福に包まれる笑顔。
俺にはヴェインがいる。
それは揺るぎない俺の自信となっていた。
お茶のおかわりを淹れる為キッチンへ行っていたヴェインが、カップを手に戻ってくる。俺好みの甘い香りは、ヴェインがブレンドした茶葉の香りだ。
カップを手渡してくれながら、「……ランちゃんは、お付き合いを始める前に、どうやって告白したの?」と質問された。
どうやら『恋の先生』というのが、まだ続くらしい。
俺では全く参考にならないと思うが、まあ、ヴェインの為だ。それに反面教師にはなれるかもしれない。
過去の出来事を思い浮かべ、質問に答える。いつも、相手の女性から想いを告げられていたから――。
「俺から告白をしたことはないな」
「うげっ! モテ男の発言!」
「なんだよ、お前はあるのか、告白したこと」
「ないです〜! ないですけどっ、俺はお付き合いしたこともねえもん!」
プクっと頬を膨らませるなんて、子供のようなことをする。跳ねてる髪のままそんな顔をされると、子供の頃に戻ったみたいだ。
手を伸ばし、ヴェインの金色の髪を押さえつけた。ちっとも跳ねが直らない。
「……えっと、ランちゃん?」
「寝癖みたいに跳ねてるぞ?」
「え? そう? ありがと」
麦わら帽子を脱いだ時、被り方が悪かったのかピョンと跳ねてしまった髪を、こうして直したのはいくつの時だったか。
「……あんなに小さかったお前も、恋をする年になったんだな」
「ランちゃんー? 俺、もう二十五なんですけどー」
「そうだったな」
俺は二十七にもなって、恋を知らないでいる。
そんな俺に想いを寄せてくれる人から、「恋人になって欲しい」と懇願され、付き合ってみたものの、当然上手く行くはずもない。
彼女たちは「私を最優先にして欲しい」と言い、俺にはそれが無理だったから。
どうしたって祖国フェードラッヘが最優先になるし、それを理解して、一緒に守ってくれる人じゃないと駄目なんだ。何度か失敗して、そう確信した。女性たちには申し訳ないことをしてしまったと思う。
「俺さあ……、実は結構難儀な恋をしてるんだよなあ……」
「え?」
腕を組み、眉間に皺を寄せているヴェイン。
難儀な恋だって? ヴェインが?
難儀な恋とは、どんな恋だ。
普通に考えれば、年齢差がありすぎるとか、身分が違うとか、種族が違うとか、それとも、同性相手とか……か?
「ヴェイン副団長が恋をしてる」
そう噂を聞いた時、思い浮かんだのは、最近ヴェインがよく話をしているメイドだった。
黒髪をきっちりアップし、キビキビと仕事をこなす。よく気の付く、若いメイドたちのリーダー的存在だ。
何度かふたりが話している姿を目撃した。人目を避けるように柱の陰や、通路の奥で。
見かけるたびに邪魔をしないよう進行方向を変えていたけれど、ヴェインの恋の相手は彼女じゃないのか? いや、身分の差があると言えば、あるかもしれない。やはり、恋の相手は彼女なのだろうか?
「……ヴェイン、指南するにしても、相談に乗るにしても、お前の恋の相手を知らないと、アドバイスも出来ないぞ」
「う……っ、それは、そうだよな……」
「まさか難儀な恋って、相手が人妻とかじゃないよな?」
「ないない! 騎士道精神にもとるだろ〜!」
ほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、子供たちと遊んでいる時に出会いでもあったのか――なんて、つい最近読んだ物語を思い出しちまった」
「ランちゃん、何でも読むよな……」
そうだな。俺が指南できるとしたら、物語からの知識くらいになるだろう。
「俺の好きな人はさ、高嶺の花って言ったらそうかも」
「高嶺の花?」
それは高貴な人ということか? どこかの貴族のご令嬢とか? それなら会食の席で出会いもあったのかもしれない。ヴェインの一目惚れという可能性もある。
告白する決心がついているのなら、脈があると踏んでいるのか。
けれど貴族の娘なら、幼い頃からの許婚がいるだろう。だから難儀な恋なのか?
「ヴェイン、俺はお前が本気なら、どんな協力も惜しまないからな」
「ヘヘ……、ランちゃん、やっさしー!」
婚約者がいる相手に横恋慕をしているのは、ヴェインの方だけれど、まだ未婚なら俺はふたりの応援をしてしまうだろう。
もしもヴェインが本気で惚れ、相手もヴェインを幸せにしてくれるなら。
ヴェインには辛い恋なんて似合わない。幸せに包まれた、お互いがお互いを大切に想い合い、いつでもあたたかな笑顔でいられる――そんな恋が似合っている。
ヴェインに辛い思いをさせるのは嫌だから、駆け落ちの手引だって辞さないぞ。……って、これも物語の影響が過ぎるな。
ヴェインは駆け落ちなんてしないだろうし。誰かを不幸にして、自分の幸せを願う男じゃないもんな。
「ランちゃん、何考えてる?」
「いや……、お前の惚れた相手なら、性格もいいんだろうなって」
「うん、そう! 俺にすげえ優しくしてくれる! 俺の好きな人は、誰もが憧れる存在で、心が綺麗でさ。尊敬してるし、敬愛もしてるし、とにかく傍で少しでも力になりてーんだ!」
ヴェインの口が止まらなくなった。相手の美点を並べ立てる。聞く限り、人格者で、努力の人で、その上、たまに可愛いらしいと。ヴェインじゃなくても、惚れそうだな。
「そんな魅力的な人なら、ライバルも多そうだな。だから、高嶺の花なのか?」
コクリと頷く。誰からも好かれる相手が、自分だけに想いを向けてくれればいいのに――その確率は低そうなのだろうか? だから、「人を惹きつける方法」が知りたいのか。
「別に好きだってアピールしようとか、全然思ってなかったんだけどさ」
「うん」
「年齢を重ねた分、焦ってきたっていうか……、モタモタしてたら、他の誰かに攫われるんじゃないかって」
「ヴェインはいい男だから、自信を持て! と言っても、お前は謙虚だからそうは思えないんだろうな」
ヴェインが目を丸くした後に、困った顔で微笑んだ。
「ランちゃんだけだぜ〜、俺を『いい男』なんて言ってくれるのは」
本当なのに。信じてない顔だ。
信じてないというより、幼馴染みの戯言だと思ってないか?
「なんか、長年の片想いがツラいなーって思っちまって。好きなだけで幸せだったのに、人って欲張りになるんだなー」
待て。長年の片想い? そう言ったか?
ヴェインは、その相手に最近恋をしたのではなく、長い間片想いをしてたってことか?
俺、全く気付いてないぞ。
一体、今までヴェインの何を見ていたんだ。子供の頃からの付き合いで、ヴェインのことなら何でもお見通しのつもりでいたのに。
ひとつ言い訳をするなら、恋を知らない俺が、人の恋に気付けるはずなんてない。
俺も、恋を知っていれば――ズキンと心の奥が痛んだ。思わず胸元を掴みたくなるほど痛むそれは、心の底で悲鳴をあげている気持ちがあるからか。
過去、女性たちが告げた言葉が頭を過る。
『私を見て』
『他の人を見ないで』
『心の中は、あの人でいっぱいなんだね』
駄目だ。自分の恋を考えるな。
ずっと、ずっと、心にある想いは恋じゃないって、そう決めて、心の深くに沈めたのだから。
誰よりも優先にしたい、幸せにしたい、いなくなったら、生きていけない。そんな想いを抱いたら、駄目なんだ。
目の前の男に。
幼馴染みなのだから。
これは、恋なんかじゃない。ヴェインを困らせたくない。
「ランちゃん? どうした? 具合悪いのか?」
眉を下げた顔でのぞき込まれ、息が止まる思いだ。
「大丈夫だ、少し食べ過ぎただけだ」
「ホントに〜? ランちゃん、自分のことには鈍いから、無理したら駄目だぜ〜?」
「はは、気をつけるよ」
「うん、お茶をもう一杯……と思ったけど、お腹いっぱいなら無理か?」
慌てて首を振った。食べ過ぎは誤魔化す為の言葉だし、ヴェインのお茶はいくらでも飲める。
ヴェインは笑いながらおかわりを淹れてくれ、ついでにクッキーも持ってくる。
ああ、話に本腰を入れるのか。ヴェインの恋の指南役を続けないと。
俺じゃあ、本当に役立たないと思うけど、応援すると、協力すると決めている。ヴェインが不幸にならないように。
ヴェインは自分で焼いたクッキーをひと口齧ると、「なかなか上手く焼けてるぜ!」と齧りかけを俺の口元へ運んできた。
「いただきます」
遠慮なくいただく。子供の頃から、こうしてよく半分こしたよな。
「うん、ナッツ入りクッキー、ウマいぞ! お前の作るやつはナッツ多めでウマいんだよな〜!」
「それは良かったぜ〜! それで、さっきの続きなんだけど」
――きた。
やはり恋の相談は続くのか。夜遅くまで、作戦会議だ。
「鈍い人にはどうアピールすればいいと思う?」
高嶺の花というお相手は、恋愛ごとに鈍いのか。それは、アピール方法を悩むだろう。だが、鈍い相手にするアピールなんて、ひとつしかないんじゃないか?
「そりゃ、素直にはっきり伝えるのがいちばんだと思うぞ?」
「やっぱりか そうだよなー! 俺、お世話になってるメイドにも『当たって木っ端微塵にお砕けあそばせ』とか言われてー!」
「酷いな。お前なら大丈夫だって」
断言する。
昔から、ヴェインは自分に自信がないだけなんだ。だから、俺はいつもヴェインを励まして、鼓舞して、やれば出来るんだと伝えてきた。
いつも出来ただろう?
これまで繰り返してきたようにはっきり言い切ると、ヴェインはどこかすっきりとした、それでいて重大なことを決意した顔をした。
きっと、相手に気持ちを伝える決心が固まったのだろう。
最後のひと押しになれたのなら、俺も先生として役に立てたのかもしれない。
ヴェインは少し冷めたお茶を飲み干すと、大きく息を吸い込んで言った。
「……ランちゃん! 俺にランちゃんの攻略方法を教えてくれ!」
「ん? 俺……?」
なんだ、攻略方法って。まだ俺から恋愛指南を引き出そうとしているのか? その方法は、いくら俺を攻略しても出てきそうにないけど、頼みごとをする時の攻略ならヴェインがいちばんよく知ってるだろう。
なんてったって俺はヴェインのお願いに弱い。ヴェインには幸せになって欲しいからな!
ヴェインは瞬きもしないで俺を見つめていたが、不意に「やっぱりだめか〜! 」と盛大な溜め息と共に口にした。
「な、何が駄目なんだ?」
「鈍い相手には素直にはっきり!」
そう力いっぱい己の頬を叩くと、俺の肩を強く掴んだ。
「ヴェイン……?」
「えっと、さっきから話してる『高嶺の花』、『鈍い人』、それは今、目の前にいる人です。――ランちゃん! 好きだ!」
「……っ」
え? 何を言ってるんだ?
ヴェインが俺を好き?
『俺にすげえ優しくしてくれる!』
ヴェインはそう言っていた。
確かにどうしたって、ヴェインには甘くなる。だって、俺の一番はヴェインだから。
そのヴェインが俺を好きだって?
「――いつからだ」
そう叫んだ俺を見て、ヴェインが大きく口を開いて笑う。
「わははは! 子供の頃から! 子供の頃から、ずっと好き!」
「そんな……、どこに恋の要素があった」
「ランちゃん」
肩を掴んでいた手のひらが、ゆっくりと俺の頬に触れた。
俺の大好きな、優しい笑顔がすぐ目の前にある。
いつもより、ずっと幸せそうな、満たされた瞳で笑みを浮かべている。
息が止まる程の幸福感が、心の奥深くまで広がっていった。隅々まで染み渡り、細胞が生まれ変わる気がする。
ヴェインのこの笑顔をずっと見ていたい。独り占めしたい。
「いつから……、どこが恋だったのか、教えるから。この先、俺と一緒に恋の勉強してくれる?」
コクンとただ頷くしか出来なかった。
「ランちゃんの言ってた通り、俺なら大丈夫だったな、なーんて」
「……、あたり、まえだろ」
そう言うのが精一杯で。
これ以上、口を開いたら「ヴェインが好きだ!」と叫びそうだった。いや、叫んでもいいけど。
「うん。じゃあ、キスの勉強からしてもいい?」
ヴェインが指先で俺の顎を撫で、少し上を向かされた。
キス、するのかな。子供の頃と、どう違うんだろう。
俺は明らかに鼓動の速さが違うけど。
「ランちゃん……、キスする時は、目を閉じるんだって」
「……お前の顔が見たいのに?」
そう、囁きにしかならなかった声が口から漏れると、言葉ごと飲み込むようにヴェインの唇が俺の唇を覆い尽くした。