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    Jeff

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    離陸。
    2022-01-06
    *過去作です*
    <Web非公開としていた短編ですが、新刊「サンクタム」に収録予定のため、一時的に公開しております>

    #ラーヒュン
    rahun

    Voyageurs  ここで一言「yes」と言えば、絵本でしか見た事のない様な、穏やかで華やかで、限りなく退屈な生活が待っているのだろう。もう誰かに心配をかけることも、他人を無駄に傷つけることも無い。

     ヒュンケルは宙に浮いた自分の右手と、そこに置かれた彼女の繊細な指先に目を落とす。
     不器用だと思われているが、実際その通りでもあるが、それは彼の一面に過ぎない。人間の子供という圧倒的に不利な状況から、弱肉強食の魔王軍で幹部にのし上がった程度には、順応力がある。
     この局面も、あたかも幸せなふりをして乗り越える事が出来てしまうだろう。……仮面を着けるのは得意だから。

     そんな未来があったのかもしれない。
     真の欲望に蓋をして、万人に理解できる様な分かりやすい幸福を、自分自身すらも騙しながら演じ続けて、なんなら家族を持って、単調な仕事をこなして、孫とひ孫に囲まれて人生の最後を温かなベッドで終える様な。
     一応、生まれつき人間なのだから、不可能ではないはずだ。

     それでも。



     己のかさついた掌を包み込もうとする、銀の鳥籠の様な優しい指先。そこからそっと手を引き抜くと、勢揃いした面々を見渡して、にっこりと微笑んだ。
     少し申し訳なく思いつつも、誰かを安心させるためではなく、ただ心底楽しそうに、自分のためだけに微笑んだ。

     ——演じるのも、操られるのも、自分に嘘をつくのも、嫌いじゃない。
     ただ、もう、飽きてしまったんだ。


     マントを翻すや否や背後の断崖へと走り出すと、彼を王国に引き止めるべく集った仲間達がもつれた悲鳴をあげる。
     ほんの数歩で、常人ならば這い上がるのに数分かかる岩壁を軽々と駆け上がって行く。
     その頂上で一瞬だけ振り向いて、集団から少し距離を置いて腕を組むあの人の視線を捉えた。

     
     行ってきます。

     ……行ってらっしゃい。


     生涯の恩師の、眼鏡に隠れた表情を目の端で確認し、即座に眼前の広大な空へと向き直る。鬼岩城よりほんの少し高い、切り立った絶壁の淵。眼下には青白い湖と限りない森林。遠い海。
     そしてなんの迷いもなく、真っ直ぐに未来を見つめながら、陽光降り注ぐヴォイドへと身を躍らせた。

     甲高い叫びとざわめき。一瞬の静止。
     全ての戒めを振り解いた白い身体が緩やかに落下し始めたその時。
     轟音と共に、緑色の旋風がその影を攫った。
     彼の胴体をほとんど体当たりで掴み取ったラーハルトが、飛竜の咆哮と共に太陽へと舞い上がる。



    「……一度やってみたかったんだ」
     巨人の一撃を喰らったかの如く痛む肋骨をさすって少々咳き込みながらも、ヒュンケルの口調は明らかに高揚している。
    「クソッタレが。死ぬ気か」
     不機嫌なラーハルトの声も、心なしか弾んでいる。
    「そろそろお前が着く時間だった。ちゃんと計算している。安心しろ」
    「普通に話をして普通に将来を決めると言っていたじゃないか。なぜああなる。お前がどういう道を選ぶにせよ祝福する気だった。突然崖っぷちから飛び出す奴があるか」
    「知っていたくせに」
     ラーハルトの腰を背後から抱え直しながら、その肩口に鼻を埋める。

     俺が何を選ぶか。あるいは、もうすでに、すべてを差し出してしまった事を。

     強風に煽られながら、どちらともなく笑い出し、止まらなくなった。
     二人とも、とっくに分かっていたのだ。

     ……お前は、何があっても俺を選ぶ、と。


    「さあ、どこへ行きたい」
     ラーハルトが水平線に向かって叫ぶ。
    「あらゆる場所へ」
     と叫び返す。
    「全てだ。何もかも、この世界の何もかもを見に行きたい。炎も氷も、森も海も、光も闇も、全てを。なあ、ラーハルト、」
     ヒュンケルがわざと相棒の頭上に顎を乗せて、力の限り叫ぶ。




     俺たちは、自由だ。




    .


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