籠の鳥「良いかい、ベネット。一人で外に出てはいけないよ。」
柔らかな寝具に腰掛けるベネットにタルタリヤが優しく声を落とすと、彼は小さく頷いた。
「うん、分かった。」
にこりと素直に答える様にタルタリヤは同じように笑みを作ると、彼の頭に手を置いてゆっくりと生成色の髪を撫でる。
「良い子だね。それじゃあ夜には戻ってくるから、それまでのんびり過ごしていてくれ。」
その言葉にベネットはきょろりと室内に目を走らせた。四方を木目調の壁に囲まれた室内にある簡素な棚には御伽噺や冒険家の自伝などといった書籍が多く並び、タルタリヤ越しに見える扉の脇の円卓の上には籠に乗る色とりどりの果物類、大きめの木皿にはサンドイッチと、軽食類が備えられている。
「身体を動かせないのは退屈かもしれないけど、君の為だからね。」
「大丈夫。ありがとう。」
「うん、それじゃあ、行ってくるよ。」
「行ってらっしゃい、タルタリヤさん」
タルタリヤは最後にもう一度ベネットの頭を撫でると、背を向けて扉へと歩き出す。
外開きの扉を身体分だけ開き、するりと身を滑らせた彼は去り際に室内を覗き込む形で、ひらりと片手を振りながら笑う。それに答える形でベネットもへにゃりと笑うと、同様に手を振って彼を見送った。
そしてタルタリヤが扉を閉めると、直後、ガチャンと重い金属音。徐々に遠ざかっていく足音に耳を澄ませていたベネットはやがてそれが完全に聞こえなくなると、小さく息を吐く。
心配なんかしなくても、大丈夫だって分かっているくせに。
そう胸の中でひとりごちて、先程はタルタリヤが目の前に居たために振り向く事は出来なかったが、首を後ろに回せば背後にあるのは両開き窓。のそりとベッドから降りて近づく。
通常の作りとは違うそれは外ではなく内側に開くタイプであり、金具を外して取っ手を引っ張ると瞬間、心地の良い風が頬を撫でた。
「綺麗だなー…。」
眼前に広がるのは一面の青。穏やかな波飛沫が海面を凪ぎ、燦々と輝く日の光を反射している。
こんな暖かい日に海に入れたらとても気持ちがいいだろう。そう思うが、それは到底叶わないことだと直ぐに気づいた彼は苦笑を浮かべた。
せめてもう少し風を感じたいと窓の向こうに手を伸ばそうとするが、窓枠全面を外側から覆う縦格子がそれを許してくれない。行く当てのない掌を、仕方なく窓縁に落とす。
ぼんやりと瞳を彷徨わせた後、口元を引き結んだベネットは窓下のそばに置いた小さい椅子に腰掛けた。
椅子に腰を下ろすと海を眺めることはできないため、代わりに空を仰ぎ見る。
疎らな白い雲のかかる空は高い。
外に出られたら、その感情はすぐさま脳裏に浮かんだタルタリヤの笑顔にかき消された。
彼は自分が不幸な目に遭わないように守ってくれているのだ。その気持ちを無駄にすることも、する気もないベネットはタルタリヤが戻ってくるまでの間、ここ数日はずっとこうして一日の大半を空を眺めて過ごしていた。
一人の時間はとても退屈だが、それも彼が戻ってくるまでの間だ。
部屋の扉が開いたら、今日も彼は自分に面白い話や珍しいお土産を片手に笑顔を向けてくれる。
「早く帰って来ないかなぁ。」
ぼやくような少年の独り言を聞くものは誰も居らず、ただ静かに空気に溶けていった。
窓の外を鳥が飛んだ。何者にも縛られず自由に空を行くその姿を羨むかつての少年は、もう居ない。
了