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    800字朝菊 8日目

     街路樹の葉から雫が垂れ、アスファルトに落ちて黒々とした染みを作る。土の濡れた匂いが立ち込める住宅街を、一つの傘を使って二人で歩いていた。隣を歩く存在は本田よりもやや高く、頭上付近を傘が掠めている。あぶない、と持ち手をより高く掲げようとすると、アーサーの指が伸びてきて、何も言わず奪われた。
     雨脚が静かな夜を支配しており、日中よりも気温は下がっているものの湿度が高く蒸し暑い。肌に触れる空気は重たく、汗が背中を伝う感覚も不快で、早くあの明かりの元へと届かないかな、と考えている。歩く先にはぼんやりとした光を発するコンビニエンスストアがあった。深夜二時を過ぎたにもかかわらず、客の姿がちらちらと見えて、駐車場には数台の車が停まっている。
     自動扉をくぐると、ようやく息ができるような、雨に煙る真夏の夜の空気がぱっと溶け出すような、そんな爽快感がある。空調がしっかり効いており、傘をしまうと無言で二手に分かれた。アーサーは菓子のコーナーへ、本田は奥まったところに設置されたリーチインへと向かう。目当てのものをさっと取り、そのあとでレジ前で合流する一連の流れは手慣れていて、意識せずとも二人の視線は交わった。互いに手元を見ると、何か言わずにはいられない。
    「これ、見て。肉じゃが味のポテトチップス」
    「ジャガイモに、ジャガイモの味を重ねたわけですか。興味深い」
    「妙に惹かれちまった」
    「おいしそうですけどね」
     とりとめもなく二人で飲んでいると、酒が尽きた。もう夜遅いというのに何となく眠る気にもなれなくて、「コンビニ行きませんか」と言い出したのは本田の方だ。普段から傘を携帯しないアーサーの分はもちろんなく、古びて曇ったビニール傘ひとつで出かけている。商品をレジに通し、支払いを済ませてまた、プールサイドのように湿度の上がった夜の住宅街へと立ち戻った。
     また不快な蒸し暑さが襲ってくるが、なんとなく往路と復路とでは、後者の方が短く感じられるのはなぜだろう。赤信号で待つ間、ビニール袋を持つアーサーの手元に雨粒が当たり、ぱちぱちと爆ぜるような音がする。車道を車が走り、刺すようなヘッドライトの光がこちらを照らし、水音を立てて遠のいていく。
    「まだ、信号変わらないかな」
    「どうだろう。どうしたんですか?」
     すぐそこにマンションが見えるが、もう雨にうんざりしたのだろうか。汗で前髪が額に張り付き、確かに不快に違いないが、そうして見上げたアーサーの鼻の頭にも汗の粒が滲んでいた。暑そうだな、と思っているうちに、次第に近づいてくる。傘を傾けて身を屈ませ、本田にキスを落とす彼の表情は得も知れぬ美しさに満ちている。
     見惚れているうちに、唇の温かさは離れていった。「外でキスなんて大胆な」と口にしてみれば、「誰もいないし、見えもしないだろ」とアーサーが呟く。その耳の端がカッと赤く染まるのに気づき、愉快になる。
    「まだ、信号変わりませんかね?」
    「さあな」
    「アーサーさん、もう一度」
     踵を浮かせて、隣の男に背伸びする。ぎょっとした顔を浮かべたアーサーが、「菊からキスなんて大胆な」と呟くから、笑いながら唇を寄せた。舌を入れてやろうか、と画策するうちに信号は青を点灯させ、仕方なく身体を離す。
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    gmksk

    MOURNINGクリスマスイベント用の漫画を小説にしました。言い訳でございます。どっちが得意とかそういうのより、私は絵を描けないということがはっきりしました。イベントはとても楽しかったしみなさんの朝菊は最高にエモかったです。
     小説すら、間に合わない。もういい、適当に書こう。アーサー・カークランドはその日、なんやかんやあってファストフード店に入った。クリスマス限定アルバイトとしてさんざんホールケーキを売り、着ぐるみを着用しアーケードの通行人にキャンペーングッズを配り、時折上司にあたる製菓店員に叱られながら、なんとか終業を迎えたころだ。クリスマスイブに当たる二十四日である今日は、どこも飲食店には客がひしめき合い、行列は店の外まで飛び出している。
     一緒にアルバイトをこなしていた、本田菊はとある店を指さした。「あそこなら、空いてるんじゃないんですか」と物静かな視線が店の明かりに向かう。そこが、ファストフード店だ。牛丼と呼ばれるこの国の人気料理を取り扱う店で、明らかに一人客が多く、やはり普段よりは混雑しているものの、滞在時間が短く回転が速い。よし、ここで、とどこでもいいから休みたい学生の二人は、慌てて店内へと入った。
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    gmksk

    TRAINING朝菊 13 妖精さん
     今朝、見つけた四つ葉のクローバーを頭に乗せると、彼は黒くて丸い瞳をきらめかせてわたしを見た。滑らかな黒髪の上にあるクローバーは今にも滑り落ちそうで、羽根を使って宙に浮き、茎を必死に両手で押さえる。「ああ」と優し気な声がして、瞳の縁から放射線状に生えた繊細なまつ毛が揺れた。
    「これ、頭に乗せるとあなた方を拝見できるのですか?」
    「そういうこと。ちょっと、ニホン。これ持っててちょうだい。離れたら見えなくなるのよ」
    「では、私に何か用でもあるのでしょうか」
     あるわ、と自分の口から言葉が飛び出したものの、その尖った響きに我ながらびっくりする。想像以上に、わたしはこの男に嫉妬心を抱いているらしい。
     日本がロンドンへとやってきたのは、昨晩のことだ。イギリスは今日どうしても外せない用事があって、早朝、庭にやってきてわたし達に挨拶と優しいキスを送ったあと、そのまま出かけてしまった。「じゃあニホンは一人で家の中にいるのね」と、わたしはそのままマナーハウス近くに流れる小さな川に行く。小一時間ほど飛び回り、探し出したクローバーを、ブランチを食べるためにテラスへとやってきた日本の頭に乗せた。よく知られてはいることだが、わたし達ピクシー妖精は人間の目には見えない。――イギリスとはしっかりと目が合い、彼はわたし達をひとしく認めてひとしく愛してくれるのだけど、「国の化身だから」という理由ではないらしい。日本には、数百年も前からずっとわたし達の姿は見えなかった。
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    gmksk

    TRAININGほぼ日朝菊 12
     果てしなく長い間この世を彷徨っていると、ふと「この感情は何だったか」と立ち止ることがある。数百年ほど拗らせた恋人との付き合いも、突然我に返ることがある。「今一緒にいなくても、まだまだこの先はずっと続く。別に、必死にならなくても良いのではないか」と思うものの、結局は彼をここに呼び寄せ、短い休暇を共に過ごしているのだからいよいよ自分が分からない。ぼうっとしながら、昨晩遅くまで起きていたために未だ布団に体を横たえている国の化身を想像した。手元には冷えて硬くなった鶏肉がある。醤油ベースのタレが付いており、ところどころ黒い焦げ跡が見えるので「炭火焼き」は実際本当なのだろう。
     昨日の夜、仕事終わりにコンビニへと立ち寄った。その日、イギリスがやってくることをすっかり忘れていたために、自分だけの夕食に缶ビールとカップに入ったサラダ、レジ横のスナックケースから焼き鳥を購入し、帰路を辿っている。しばらく住宅街を歩き、着いた自宅には明かりが点いていた。アポイントなく訪れる大国の化身を想像したり、もしかすると先ほど別れた部下がなぜだか日本宅へと先回りしており、「あ、日本さん」とこちらを見る姿を思い浮かべた。引き戸を開くと途端に辺りの寒々しい風が遮断され、遠くの方にオレンジ色の光が見える。沓脱に目をやると、見慣れた革靴がきちんと揃えて置かれていた。「あっ」
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