1話 耳に触るのは機械の排気音と遠くから聞こえる船客の声だろうか。
ガチャガチャと騒ぐ船客たちは船内のバーやラウンジの娯楽施設での遊びに興に乗せ、優雅に奏られるクラシックの音楽に耳を貸すのだろう。
忙しく飛び回る本や飲み物を運ぶ魔導具達は彼らの接待で忙しそうである。と無駄な思案を浮かべては消し、浮かべては消しを繰り返していた女性は、ふと自分の目の前に差していた斜光に気づき、導かれるように目の前にはある窓へと視線を移した。
相変わらずの綺麗な青空が映る。形多くする雲を抜ける羽ばたく鳥達の群れを眺め、遠くに見える空島を目で追う。窓を抜けてくる太陽の日差しは彼女の白い肌に照りつけていた。
どこまでも広がる快晴の空は、大気圏により深い青色の層を成し、その上を陽光によって光る白い鳥たちが飛ぶ。さながらキャンバスにでも描かれた名画のようなその光景は、まさに夢物語のように思えた。その完璧な絵画を目に映しながら、夏の暖かい陽気に誘われ夢の中へと沈んで行った。
「....ラー....ん....シラーさん!」
少年の聞きなれた声で意識が戻された。揺れる椅子の上、膝の上に載せられていた愛読書を見るにどうやら読書の途中に寝てしまっていたらしい。
酸素の回っていない頭に酸素を巡らせるため、大きく欠伸を零す。
「どうしたの?」
難しい字やら謎の紋章が書かれた本を閉じつつ用事を聞いてみると、傍から見ても好青年と伺える彼は窓の縁に腕を置き、少し笑いながらこちらを見る。
「また寝てたの?村長さんが呼んでたよ」
「また薬の話かな....わかった、ありがとう」
寝ていたことで固まっていた体を伸ばしつつ、椅子から立ち上がると傍にあった鞄を携え玄関を抜けた。
予想通りの薬の話も終わり、村長の家を後にしたシラーはすっかり赤橙色に染まる空を見上げた。
晩夏。未だほんのり暑さの残るこの季節は夕方になると涼しく秋が近づいていると体で感じることが出来る。
傍に視線を見けてみると畑が広々と広がっていた。見事に立派な実をならす野菜達が今か今かと収穫の時期を待ちわびている。
狭い村であるここでは住民同士の横の関係が固く、助け合いも重要なコミュニケーションだ。薬を作る代わりに野菜やら牛乳やらを貰うのもざらで、収穫時期になると有り余るほどいただいてしまう。お裾分けは毎年の楽しみでもあった。
散歩と言う名の遠回りをしていると、家に着く頃にはすっかり暗くなっていた。
明かりの着いた家の煙突には白い煙が立ち上り、何やらいい匂いが漂っている。
「ただいま」
「おかえりシラーさん!」
笑を浮かべこちらを見る青年の片手にはまだ熱々としたシチューがあった。
綺麗に切り分けられた野菜や鶏肉が白くとろみのある汁に彩りを与え、ミルクの優しい匂いが漂う。
「随分遅かったね。⋯道草食ってたでしょ」
荷物を置こうとした手がピタリと止まり、やはりバレてしまったかと苦笑をする。
「⋯ばれた⋯?」
長い付き合い、と言っても数年だが、彼には何もかもお見通しなようで頭が上がらない。
青年はヘルラと言い、一度だけ用事で村の外に出た時に出会った戦争孤児であった。
裾を掴まれ、離して貰えなかった時はどうしようかと困ったものだが、今この瞬間を思うとそれもまた良かったことなのだと思う。
出会った頃の背も小さく、痩せ細っていた頃とはうってかわり、それが嘘のように立派に成長している。
「晩御飯作ってくれたの?ありがとう、美味しそうだね」
「でしょ?僕頑張ったんだ!」
さ、座ろ座ろと促されるまま湯気立つ食卓を前に席に着き、食事を口にした。
「ねぇ、シラーさん」
夜、お気に入りのイスに深く腰を落とし、ゆっくりと本を読んでいると布団に入っていたヘルラが声をかけてきた。
いつものように今日の出来事でも話してくれるのかと本を閉じ、どうしたのと返すとヘルラは目を細め少し笑う。
「ずっと、こんな幸せな日が続けばいいのにね」
眠いからかふんわりとした青年らしい夢を口にするヘルラにそばによったシラーは彼の頭を撫でた。
風呂上がりだからか体温が高く、暖かい。
「そうだね。⋯⋯もうおやすみ、ヘルラ」
すっかり夢の中へと誘われたヘルラを見届けるとシラーは再び読書へと戻った。
ぱちぱちと弾けるような音が耳に触った。
聞き慣れない音に眠りを妨げられ冴えてしまった目を擦りつつ、体を起こすとやけに窓の外が明るい。時計に視線をやってみると短針は日の出前の時間を指している。
何が起きているのか、様子を見ようとベットを降りたところで扉が勢いよく開かれた。
「シ、シラーさん⋯!!」
飛び込んできたヘルラは顔をすすで汚し、今にも泣き出しそうな表情をしている。
ヘルラに連れられ外に出てみるとそこには地獄と言える光景が広がっている。
鼻につく酷い火災臭に混じり、肉の焦げた匂いが吐き気と嫌悪感を誘う。
木製の家を多くする集落は全てもえ、地面には黒く焦げ、判別はつかないがおそらく人間だったものが無造作に転がっている。
鼻をハンカチで抑え、集落の中へと向かった。
火災が起きてから暫くたっていたのか火は弱まっており、炭と化した柱だけの家が残っている。
ふとした衝撃で倒れてしまいそうだったため、あまり近くには寄らなかったが、見る限り生き残りはいなさそうだ。
一通り見回り終わったシラーが戻ってくる頃には朝日が昇っていた。清々しい朝に似合わず、朝日によってはっきり見えるようになった集落はやはり悲惨なもので、静かな朝に鳥の鳴き声だけが響いていた。
ヘルラを探すと何やらこんもりと土の盛りあがった所に手を合わせていた。
「ヘルラ」
「シラーさん⋯どうだった?」
他の住民に対する安否の質問に首を横へ振ると、ヘルラは半ば分かっていたかのようにそう⋯と零す。
目元は赤く腫れ、涙は枯れてしまったのだろう。
「⋯多分、自然火災とかの類ではないかな⋯誰かによる故意的なものだと思う」
「誰が⋯そんな⋯!!」
「それは分からない⋯魔物かもしれないし、それ以外かもしれない」
何者にも当て付けられない怒りを飲み込むのはさぞ苦しいだろう、発する言葉が見つからず下を向いてしまったヘルラの背中を撫でた。
「⋯ねぇ、ヘルラ、提案なんだけど⋯」
この村を愛するヘルラにとっては酷な提案にはなってしまうかもしれない。だがシラーは言葉を続ける。
「この村から出で行かない?全部なくなってしまったから、私たち二人で旅に出よう」
でも、嫌なら無理には⋯と続けようとした所で下を向いていたヘルラが面をあげこちらを見る。
「⋯いいよ、シラーさんがそう言うなら」
そう言って笑うヘルラを抱きしめると再び泣き出してしまった。
自分の腕の中でしゃくり声を上げ大声で泣いている様子を見ると、彼はまだまだ感情豊かな少年で、そんな少年にとって心に傷を残すと言っても過言でないほど、酷く良いものとは言えない思い出を残してしまったと気づいた。