6話 これより遠い昔。
黄金に輝く雲に朗らかな晴れを齎す朝と、輝く星々を浮かべ、明るい空を隠すように闇のレースが掛かる夜だけが交互に空を巡っていた頃。夜明けと日暮れを繰り返す世界は空に浮かぶ雲と星の他に何も無かった。
何も無い。美しいこの空は酷く静かで、寂しい。
それを嘆いた二人の女神は生命を作ることにした。
黄昏の女神が銀色の矢を射ると無色の星々を降らせ、空中に流れ散った星達は多色の宝石となる。それを囲むように土が形成され、土地ができた。
次に暁の女神が金の剣を振るうと暖かな陽光が差し込み、養分を多く含んだ茶色の土を緑滴る数多の植物が纏う、それと同時に動物達が作られた。
こうして世界【メルヴェーゼル】が作られた。
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メルヴェーゼル内、南部に位置する国々の中でも比較的新生の国、フェーネルリア帝国。
その国の国教である【クルプス教】は、神話に綴られる女神への信仰を元に作られている。
宗教を絶対的なものとして、政治、法律のどの分野においても教典の内容が影響しているのは宗教国家の特徴だろう。
臣民の厚い信仰心は平和で秩序の保たれた情勢も齎すが、その盲信さ故に対立も引き起こしやすい。
10年前に勃発した戦争もそれが理由だ
「しかし、まさか陛下が狙われるとは⋯ここまで好ましくない神託はフランツェ家襲撃以来だろうか」
正面のステンドグラスを眺めていたアルベロは独り言のように呟いた。
「フランツェ家襲撃とは⋯?」
「終戦後2年ほどだった頃に起こった事件だ。四大貴族であるフランツェ家が何者かに襲撃され、貴人方が惨殺された惨い事件でな。⋯確か他の方々の死体は見つかったが、フランツェ令嬢は今も行方不明なのだとか。お綺麗な方だったから、おそらく人攫いにでも⋯」
視線を床に落としたまま悩ましげに眉を曲げるアルベロを見ると、相当悲惨な事件だったのだと理解出来る。
「⋯犯人は、逮捕されたんですか?」
「いいや、だが検討は着いている。我が国の国教であるクルプス教の敵対組織。暁の女神を信仰する宗教団体【ヴェレネ】、おそらく彼等が絡んでいるだろうな」
「ヴェレネ⋯」
「彼らは目的の為なら手段を選ばない奴らだ。10年前の戦争も彼らが関係しているとも言われている。」
「なら、教皇猊下を狙うというのにも頷けますね」
暫くの沈黙が聖堂内を包む。話題がつき、この場から逃げ出したくなるような空気に押し潰されそうになる。
「そういえば君は魔法を使えるようだが実際どの程度使えるんだ?」
その沈黙を破るようにアルベロが切り出した。
「多分⋯基礎程度なら⋯」
「ならば私と一度手合わせしないか、君の実力を知りたい」
「⋯」
しかしシラーには少しの疑念点があった。悩ましげにその提案を飲み込めずにいたシラーにアルベロは口を開く。
「⋯ここでは魔法を使っても大丈夫だ。だから気にしなくてもいい」
「⋯!ど、どうして⋯」
「君の素性は多少調べさせてもらっている。インフルジオが魔法を禁止していたのだろうが、君は魔法を使えるだろう?」
そうだけど、と即決できずにいるシラーにアルベロは優しく言葉を続ける。
「怖いのならば無理にとは言わない。ただ、自分より格上の相手と対峙することになるなら自分の実力は知っておいた方がいい」
勿論君もだ、と視線を向けられたヘルラは一度戸惑ったような表情をしつつも、直ぐに弱気の心を正した。
「いい体だなよく鍛えられている。特に腕の筋肉に顕著に現れているが、剣か斧でも振っていたのかね?」
「一応村の自警団に入っていたので⋯剣はある程度習っていました」
「それはいい。努力は表れるものだ、君は努力家なのだな」
目を細め、ヘルラを褒めたアルベロは傍に置いていた剣を持ちながら椅子から立ち上がる。
「では場所を移そう」
場所は変わり、帝都フランツェ内聖騎士団詰所。広々とした広場は、普段騎士団員達が模擬試合や鍛錬に勤しむための場として使用されている。
団長の権柄を示す深紅の外套を近くに侍っていた団員に渡したアルベロは、手袋を調節しながら強ばった表情を浮かべるシラー達の方へと向き合った。
「私に一発でも攻撃を当てられたら君達の勝ちとしよう。なんでもありだ、魔法、武術、魔導具何を使ってくれても構わない。なんなら殺す気できたまえ」
「いいんですか?」
シラーの問いかけにあぁと肯定しながら、アルベロは腰に下げていた剣を抜き、一振、二振りと遊ぶように振り回す。
「それぐらいの覚悟であった方がいい、殺されてからでは遅いからな」
準備は出来たか?と問われれば、いよいよ覚悟を決めなくてはいけない。
「⋯うん。では、どこからでもきたまえ」
真っ先に彼女へ飛びかかったのはヘルラだった。
腰に下げていた剣を抜き取り、真っ直ぐに駆けていく。自警団で訓練していたこともあり、素人と比べて遥かに熟達した動きで彼女の元へと迫り、剣を振り上げる。
しかし、其れも"素人"と比べての話だ。
辺りにキィィンと金属的な衝突音が響いた。
見れば、振り下ろされた剣の重い軌道はアルベロの片手で扱う細い剣に阻まれている。
「なッ⋯!」
受け止められるとは思っていたかったらしいヘルラは、それに驚き身を固めてしまった。
アルベロは受け止めていた剣を跳ね返す。
空にヘルラの両手が投げ出され、がら空きの脇腹目掛けてアルベロの剣を迫った。
が、それも届くことは無かった。
鋭い剣先は脇腹まであと数cmという所で防御魔法によって阻まれている。
ヘルラの後方にいたシラーに視線をやれば、魔導書のようなものを開き、胸元の魔道具が青く光を帯びている。
「⋯おや、存外使えるようだ」
そう呟くアルベロは、身を翻し後ろに下がった。
次の瞬間には、元いた場所にはヘルラの振り下ろされていた剣が刺さる。
「今のは良かった。相手の隙を突くことは大事な戦略だ。つまりは相手に隙を作らせるというのも大事な戦術の内なのだよ。」
例えば今みたいに。
瞬きもしないうちにアルベロはヘルラの前から消えていた。
一コンマ遅れてヘルラが辺りを見回せば、シラーの後ろに移動していたことに気づく。
真紅の炎をまとっているアルベロの剣は既にシラーの髪にまで迫っており、走り出したヘルラでは間に合いそうにない。
チリッと毛先が炎で燃え上がったその時、アルベロの体は空高く放り挙げられた。
「は、」
風魔法で弾かれたようだ。
体が空に投げ出されるのは実に良くない。先程言った"隙"だらけになってしまうためだ。
すかさず魔法を展開させようとシラーは手を伸ばす。が、視界に映っていたアルベロの姿は、霧のようにゆらりと消えてしまった。
それと同時に、先程の風魔法で砂埃も舞い当たりが見えなくなってしまう。
そんな中、ヘルラは砂埃の中にアルベロの影を見つける。
目の前の隙だらけの敵をチャンスとばかりに走り出すヘルラ。
「ヘルラ!待って!」
しかし、シラーからの待ったがかかってしまった。
その言葉に従いその場で待機していたヘルラは砂埃が収まった後、自分の首元に剣が当てられていたことに気づいた。
「⋯英断だな」
どうやら、先程の影はアルベロの幻影魔法だったようだ。
「殺す気できたまえ、とは言ったが引き際は理解していなければならない、そういった点で言えば、君達は実にいい判断をした」
終わりにしよう、君たちは休むといい。 アルベロの一言で張り詰めていた緊張が解け、体から力が抜けたのを感じると共に地面に尻もちを着いてしまった。