CMの話 今日は新車のCM撮影があるわけなのだが、スタジオの雰囲気がおかしい。いつもよりかなりピリピリしているのを肌で感じる。理由は恐らく出演する俳優が結構毎回手こずる人物だからだろう。そう、この会社から出るコンパクトカーのCM出演するのは、いつも決まって俳優の五条悟だった。一年目の俺は話を聞いた程度だけれど、五条悟の仕事ぶりはひと言でいうと「やばい」そうだ。厳しいのもあるけれど、取り敢えず女性スタッフがやらかすそうだ。写真をねだったり、サインをねだるのは当たり前。そっと差し出す連絡先、わざとぶつかったりまでするとか。いや、ぶつかるのはやめとけ。大好きな人に触れたい気持ちはわかるが、万が一にでも怪我でもしたらどうすんだ? だからいつもは女性スタッフがほぼいないのに、今日は二割ほど女性スタッフが入っていると先輩ADが言っていた。なんでだ? 浮き足立つ女性スタッフの姿を見つつ首を傾げる。いや、もちろん仕事の腕は俺がどうこういうレベルではなくプロの方ばかりだけどさ、なんで今回は女性可になったのだろか。俺としてはおっさんばかりより断然嬉しいわけだけど。休憩中にはしゃいでいた女性スタッフの、綺麗な顔見たい気持ちはわかる。俺は別に五条悟の顔が見たい気持ちは一ミリもないけども綺麗なお姉さんはいつでも、いくらでも見ていたいものだ。
それにしても先輩から聞いた話ではあるけど、親会社が五条悟の父親が会長だとかなんとか。顔がよくて俳優としても成功している上にモテるボンボンとか。盛りすぎだろ。しかも恋人は同性の伏黒恵。確かに顔はお綺麗だけど、男じゃん。偏見はないつもりだけどさ、やっぱセックスするなら雄っぱいより、ましゅまろおっぱいだろ。見て良し触ってよし。まぁそこほ人それぞれだと言われたらそれまでだけどさ。しがないADには関係ない話か。いやアイドルと付き合ったとか言ってた先輩が居ないわけじゃないけど、ご当地アイドル止まり。あんな全国区のアイドルと付き合うなんて、プロデューサークラスじゃなきゃ無理か。でもなー付き合うなら同じグループの野薔薇ちゃんだろ。あの気の強そうでかっこいい女の子。しかもおっぱいも大きい。だから五条悟の趣味とは合わねぇな……なんてことを考えながらケーブルを整理していれば出入り口から大きな声が聞こえた。
「五条悟さん、伏黒恵さん入ります!」
はぁ? 今ちょうど考えていたその人物たちの名前に思わず顔を上げた。スタジオ中に聞こえる挨拶の言葉に答えるふたりの姿を目指してしまった。まじか。そこには確かにいた。きらっきらの五条悟とその少し後ろを歩く伏黒恵だった。生で見るの初めてだけど――テレビで見るより細身だとか、ぴょんぴょん跳ねてる髪が思っていたより柔らかそうだとか、それよりそこについている顔だ。うわぁ……隣に並ぶ五条悟と遜色ないとかやばいない? 種類の違うイケメンが二人並んでんぞ?? それにしても顔ちっさ!
「おい、濱野見すぎだって」
背中を突かれ、慌てて視線を逸らす。何事もなかったかのようにまとめたケーブルを持ち上げる。
「さんきゅ」
振り返り言えば、ひとつ先輩の上村さんが苦笑いだ。
「いや~確かにあのふたり、報道があってから並んでいるの初めて見るよな」
「確か報告も各社一斉メールだったんだっけ?」
同期が当時騒いでいたから覚えている。確か五条悟のファンだという子だ。
「そうそう。会見開くかと思ったんだけどな。ふたりとも有名じゃん?」
そう上村さんに言われて、気づいてしまった。熱愛報道後にCM共演。こんなのどうしても話題になるだろ。
「ていうかさ、このCMの注目もしかしなくてもやばくない?」
「やばいだろ~それに今日来てるらしいぞ」
「誰が?」
「五条会長」
こそっと告げられた名前に驚いた。
「は? それって五条悟の父親ってこと?」
「おう、お母さんも来てるって噂」
「まじで? なにそれ付き合ってる挨拶的な?」
五条親子に付き合ってる伏黒恵が同じ空間にいるってこと?「お付き合いさせていただいてる~」っていう完全に挨拶だぞそれ。
「俺はそれ以上あるんじゃねぇかなって」
「それ以上?」
それだけ言って上村さんは俺の肩を叩いてカメラマンの方へ行ってしまった。どういうことなんだろうか。わからないけれど、取り敢えずは粗相のないようにって意味かも知れない。流石に大手の車会社の更にその上の人が見てる前でミスなんて死ぬぞ。
「おい濱野! こっちきてくれ」
「はい!」
照明の小田さんに呼ばれ、あのふたりが来たことにより慌ただしくなる現場に意識を集中することにした。
――それにしても、どういう状況なんだろうか。
制作サイドと言葉をいくつか交わした五条悟とそれに質問をするように話の輪に自然と入っている伏黒恵。今までこのCM共演者なんていなかったじゃん。見学ではなくて出演すんの? 聞きたい気持ちはあるけれど、下っ端の俺が五条悟の登場で更に緊張し始めているスタジオ内で誰にそんなことを聞けようか。
「それじゃテスト始めます」
監督の声にざわついていたスタジオが静まり返る。
「五条さんと伏黒さんは打ち合わせのままでひと通りお願いします」
「はーい」
「よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げて、車を設置しているステージへと足を運ぶ伏黒恵。噂に違わない真面目な感じに好感が持てる。どこから視点で物言ってんだって自分でも思うけれど、俺の仕事は基本まだ準備と後片付けなので隅っこ待機だ。その間先輩ADの動きを見て勉強させてもらったりしている。もうちょっと地方CMとかになると手伝わせてもらえるけれど、これだけ大手のだとまだまだひよっこに出番はない。制作コストが違いすぎる。失敗イコールクビだ。それは俺だけではなく先輩にも迷惑がかかるということで。だから一日も早く成長する為に、いつものようにメモを取り出し、先輩の動きを書き留める。
シャッター音と電子音に、機材を動かすモーター音。そして五条悟の声だけが聞こえるスタジオ内。コンセプトは十九〇オーバーの五条悟でも楽々乗り降り出来て、更に荷物も結構詰めるぜ! みたいなものらしい。よくあるやるだななんて言ったら怒られるけれど、週末の買い物って感じの量を用意されている。
それにしても、まじで五条悟でかいな! 隣に立つ伏黒恵も俺よりでかいらしいが、あの隣に立つと小柄に見えるから不思議だ。買い物したものを積み込む設定らしく、にこやかに会話をしながら積み込むふたり。確か一緒に住んでるんだっけか。だったらこれも日常みたいな感じか?
まぁでも車が違うわな。確か五条悟の車って数千万クラスだったよな。この前テレビで芸能人の車の話で出てきて驚いたので覚えている。芸能人って何であんな高い車乗ってんの?? うらやま――あーでもね! 俺みたいな庶民はHanako三号(量販店で買った自転車)が精一杯だけども!! 高級車の維持費で生活できなくなるよ!! 俺のHanako三号は小回りが効いていいんだぞ! メンテも半年に一回二千円そこらで済むし、税金も取られねぇぞ! なんて五条悟の車の前ではただのそこらへんにある自転車だろうけど。そんな話じゃない。
それにしいても芸能人って何度見てもすごいよな。あんな至近距離でカメラ向けられても緊張している様子がない。とても自然にふたりが動き、にこやかに話しているのだけど、その周りには何人もの人がいて。少しずつポーズを変えながら相手が求める画を作り出そうとする姿がやっぱりなんだかんだ言われても五条悟のすごいところなんだろう。ただの厳しいわがまま野郎なら使われなくなるのがこの世界だから。
おっと、五条悟ばかり目に追ってちゃダメだな。俺が見るべきは仕事する先輩なんだ――と思った時だった。